In the Distant Past 40
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マックス製薬の社長である巻島玄蔵の自宅の電話が鳴ったのは、本社ビルに押し入った侵入者がキメラを皆殺しにして研究データを根こそぎ破壊し、地下の配電設備を爆破してから三日後のことだった。
政権与党に大量にばらまいた企業献金が幸いしてか、今のところ警察の動きは鈍い。あくまで事故で押し通したことと政界やマスコミ、経団連のコネをフル活用したこともあって、時間を稼ぎ事故の現場を偽装することでなんとか自体の露顕は避けられている。
無論のこと、彼には日本政府側が彼らなりの事情から警察の捜査を抑え込んでいることなど知る由もないが――
「もしもし」
「まずい事態になっている様だな、社長」 受話器の向こうから聞こえてきた声は、無論聞き覚えのあるものだった。この十数年来マックス製薬の裏のスポンサーになってきた男の、低く落ち着いた声だ。
グリゴラシュ・ドラゴス。本名かどうかはわからない。
どうやって調達したのか年間数十兆円もの莫大な資金をこの十年間拠出し続け、マックス製薬にキメラという強力な生体兵器の開発を行わせてきた男だ。
それによってマックス製薬は巨大な本社ビルを新築し、内部に強力な発電機と数百という調製槽を設置して、製薬部門を隠れ蓑にキメラの研究を続けてきたのだ。
しかし、それも――
「どういうことだ、説明してくれ。ミスター・グリゴラシュ――あれはいったいなんだ?」 挨拶などする余裕も無く、巻島は詰問の言葉を口にした。
「実験を阻止しようとする勢力がいることは、言い含めてあったはずだ」
「それは聞いた――だがなんだ、あれは? 地下の調製実験セクションとレベル4
侵入者はどうやら電子機械にもかなり明るいらしく、侵入してすぐに調製実験セクションの監視装置を無効化して事態の露顕を遅らせている。そのため侵入者の戦闘も映像記録として捉えられてはいないのだが。
侵入者は、明らかに人間ではなかった――彼らが開発していたのは恐竜を復活させる映画の様な見世物小屋の動物ではない、兵器なのだ。
地下の調製実験セクションに生体サンプルとして保管されていた、対象の代謝機能を狂わせて損傷の再建を阻害するPVヴェノムと仮称される生物毒の実験体――アサルト
地下貯水槽と電力供給セクションの警備に当たらせていた、生きた人間をキメラに調製する実験の被験体――オルガノンという名を冠したHM
さらにレベル4
現場に残っていた痕跡はすべて、侵入者が単独で行動していることを示唆していた――単独で侵入し、単独でそれだけの戦果を挙げていったのだ。
「いったいあれは何者だ?」
「あれか――あれこそが我々の敵だよ、マキシマ社長。『
「なにをわけのわからないことを――あんな化け物が襲ってくるのだとわかっていたら、なぜそう警告しなかった? 我々が警戒していた想定対象とは全然違うではないか」
「なに、彼が日本にやってきて俺を見つけた以上、教会がマックス製薬の動向を掴んでいる可能性は高かったからな――この際実際に彼にぶつけてみて、どの程度の戦力になるのか確認するのもいいかと思ってな。最新の研究データを回収出来なかったのは残念だが、まあ俺も直接取りに行ける状態ではないからな」 だが、どうやらまだまだだな――あっけらかんとした口調で、グリゴラシュが悪びれた様子も無くそんな返答を返してくる。
「貴様ぁっ――我々を利用するだけ利用して、囮に使って、そのうえ裏切るのかッ!」
「家畜は利用するためにあるものだろう」 グリゴラシュがそんな返事を返し、激昂した巻島の言葉を鼻で笑い飛ばす。
「貴方たちがそこらで捕まえてきた宿無しどもを、人間のキメラ調製の実験体に使っていたのと同じだよ。報酬を出してやっていただけ、俺たちはまだ良心的だと思うがね」
グリゴラシュは侮蔑をこめてそう返事をしてから、
「それに、こんなところで俺に恨み言を言っている場合ではないのではないかね? 把握しているかどうか知らないが、ここ数日の出勤停止期間に貴方の研究員たちは全員殺されたぞ」
その言葉にぎょっとして、巻島は耳から離した受話器をまじまじと凝視した――戝前が猟銃の弾薬の原因不明の炸裂で死亡したことと若林の同じく原因不明の自動車の爆発、金山の自宅が強盗に入られて死んだことは知っているが、残るキメラ研究員がすべて殺された?
巻島自身は警察や政府相手の対応に追われていたし、出勤停止期間に定期連絡を義務づけていたわけでもなく、そもそも彼らになにかあって家族が会社に連絡しようにもその会社の電源系統が予備電源を含めて完全に破壊されたためにこちら側の電話回線が死んでおり、連絡がつかないので、当然巻島としてもそんなことは知り様も無かった。
「どういうことだ――若林や戝前の死亡は事故ではないのか?」
「個人名までは知らんがね――貴方が把握していないだけで、全員事故や強盗に偽装されて殺害されているよ。警察が事故ではなく暗殺を裏付ける証拠を見つけても、上層部によって握り潰される――彼はカトリック教会を通じて、日本政府にもコネクションがあるからな」
その言葉に、巻島は息を飲んだ。警察の動きが鈍いのは、マックス製薬の政治献金やコネの成果ではない――この案件を表沙汰にしたくない日本政府側と、その『
「ちょっと待て――日本政府がその
「綽名? 違う」 失笑の混じった声で、グリゴラシュがそう返事をする。
「まあそれはともかく、露顕したらそうなるだろうな――某党の政権だったころなら、テロリスト仲間の誼で見逃してくれたかもしれないがね」 そんな返事とともにグリゴラシュがなにをしているのか、どさりという音が電話口から聞こえてきた。
「ま、それはともかく――彼は日本政府との利害の一致のうえで動いている。彼がなにをしようと、衆目に直接目撃されでもしない限りは日本政府と警察によって隠蔽される。もちろん、貴方が殺されてもな」
最後に付け加えられた一言に、巻島は顔を顰めた。
「ふざけるな、貴様――」
「言ったはずだ、貴方はもう用済みだ。完全ではないにせよ、PVヴェノムと人間のキメラへの変化、
その言葉にグリゴラシュが本気でこちらを切り棄てるつもりでいることを理解して、巻島は部屋の中で周囲を見回した。
東京の一等地にある巻島家の邸宅は無数のセンサー類やカメラといった電子警備設備によって、外部からの侵入に対して万全の守りを布いている。
たとえどんな怪物でも、この電子設備の網を掻い潜り、グリゴラシュの提供資金で違法に雇い入れた百人を超える武装傭兵たちの防備を突破してここまでたどり着ける可能性はまず無いだろう。
「残念だが、あれには貴方の邸宅の防衛など無意味だよ――カスタム・メイドを含むキメラ十体以上と俺の部下の吸血鬼十五人を単独で撃破する様な相手に、生身の警備員が百人いようが千人いようが役に立たないことくらいわかるだろう」 こちらの胸中を見透かしたかの様に、グリゴラシュがそんなことを言ってくる。
その言葉に不安を煽られて周りを見回したとき、部屋の扉がノックされた。本気で驚いてびくりと肩を震わせ、弾かれた様にそちらを振り返る。
「だ、誰だ?」
「社長、私です」 フランス外人部隊の出身だという日本人傭兵の声が聞こえて、巻島はほっと肩の力を抜いた。
「どうした?」
「いえ、定時報告のために内線をかけたら話し中でしたので、直接報告と異常の確認に」
その返答に小さく安堵の息を吐いて、
「わかった。こっちは大丈夫だ」 わかりました、という返答とともに傭兵の気配が遠ざかっていく。
「どうやら今は問題無い様だが――いつまで持つかね?」
グリゴラシュがそんなことを口にする。外庭に面した窓からは、高級住宅地の家々が見えている。窓は分厚い防弾硝子で、フレームは存在しない嵌め殺しだ。開閉は出来ないが窓枠自体が存在しないため硝子自体を避けて窓枠やフレームを貫通させることは出来ず、硝子自体も対物狙撃銃でも一発で貫通させることは難しい。
「窓から離れておくことを勧めるよ」 と、これはグリゴラシュである。
「なに?」
「貴方の邸宅は、防弾硝子で固められていただろう。確かに防弾硝子は銃弾を喰い止めるだろうが、同じ場所に数発撃ち込まれれば――」 その言葉が終わるか終わらないかのうちに――
びしっと音を立てて、分厚い防弾硝子に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
うめき声とともにそちらを確認しようと視線を向ける間にも次々と銃弾が撃ち込まれ、最初に着弾した亀裂の周囲に喰い込んだ弾頭によって亀裂が広がっていく。
そして次々と撃ち込まれた銃弾によって防弾フィルムが破られたのだろう、巻島が部屋から廊下に出ようと行動するよりも早く――
頭蓋の砕ける音とともに、巻島の意識はそれきり途切れた。
†
「もしもし、社長? もしもし――」
ガタンという音は、受話器を取り落とした音だろう。適当に肩をすくめて、グリゴラシュは受話器を戻した。
「どうした?」 部屋の入り口から、人影が声をかけてくる。グリゴラシュのいる部屋の照明が落とされているために廊下の照明が逆光になっており、人影の容貌はわからない――だがその双眸は紅く輝いており、彼が人間でないことを窺わせた。
「マキシマが殺されたよ。ヴィルトールの仕業だろう」
「だろうな」 人影はそう返事をして、
「回復の具合はどうだ?」
「まだよくはないな――ヴィルトールに腹をえぐられて魔力を流し込まれたんだ、生きているのがある意味不思議だが」 そう答えて、グリゴラシュは長い脚を組んで脇の机に頬杖を突いた。
彼は机の上に置かれた分厚い紙束の資料を手に取り、
「キメラ研究は彼らのおかげでだいぶ進捗したが――まだヴィルトールに通用するほどじゃないな。また新しい研究者を探さないと」 彼らの研究内容は実際にデジタルデータにまとめると、持ち運び可能な記録媒体には到底収まらない容量になる。回線の問題で、どんなに頑張ってもパソコン通信で送るのも無理だ。
魔術師の記録媒体なら彼らの使う電子演算機の総合記録媒体――サーバー?のデータを丸ごと納めることも出来るのだが、残念ながら――所謂――記録方式などの規格が異なるために、データを移動する手段が無い。
結果要点部分だけを紙にプリントアウトしているのだが、それでも現代日本で一般的な新聞紙数百万枚を軽く超える量になっている。新たなキメラ研究者はデータを読み込んで把握するだけで、たいそう苦労することだろう。否、それはマックス製薬の集めたキメラ研究員たちに渡す資料を紙媒体にするために延々手書きで書き写したときのグリゴラシュたちも同じなのだが。
「飽きんことだな――私は好きにはなれんが」
「そりゃあ、貴方はそうだろうな」 肩をすくめたとき、特に用件があったわけでもないのだろう、人影がくるりと踵を返した。
「ところで、まだ栄養が足りない。捕らえてある
グリゴラシュは適当に肩をすくめ、彼自身にはさっぱりわからない調製実験のデータをパラパラと斜め読みしてから机の上に放り出した。
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