In the Distant Past 25
*
「みんななかなか来ないねー」 と、まだかなり席の空いた卓に着いた蘭が、そんな言葉をこぼす。
というか徒歩で家を出た男性三人がまだ到着していないので、女性陣しかいないのだ――そのため席はほとんど空いており、女性陣も適当な席でひと塊になっている。
老夫婦の店にある様なメニューは無く、代わりに品名と一人前の数量、値段を明記した小さな木製の板が何枚も壁に掛けられている。
残念ながらフィオレンティーナにはあまり難しい漢字は読めないので、七割がたはなんと書いてあるのか理解出来ない――それでも漢数字しか読めなかった来日当初に比べればかなりの進歩だとは思うが。
そんなことを考えつつ、フィオレンティーナは小さな鉢に盛られた鞘に入ったままの茹でた大豆を手に取り、中身の豆を鞘の中から押し出した。
「そうですね。でも、そろそろおじいちゃんたちも着いても――」 フィオレンティーナがそう返事を返そうとしたとき、がらっと音を立てて襖が開き、神城忠信が顔を出した。
彼は女性しかいない部屋の中を見回して、
「やあ、お待たせ――兄さんは?」
「アルカードなら、一度アパートに戻りました――車を駐車場に戻して、犬を散歩に連れ出してから来るそうです」 腰を落ち着けたリディアがそう返事を返すと、忠信はうなずきながら座敷に上がり込んだ。続いて神城恭輔と神城陽輔が座敷に上がり込んでくる。
「ひいちゃん呼ぼうか?」 という凛の問いかけに、恭輔がかぶりを振る。
「否、いいよ――店に入ったときに話はしたから」
そんな返事を返して、恭輔はデルチャの隣に腰を落ち着けた。実際最後尾で入ってきた陽輔が襖を閉めるよりも早く、霜で真っ白になったジョッキが載ったトレーを手にした柊が姿を見せる。
「はーい、生中おまたせー」 トレーに載ったビールジョッキを手早くテーブルに並べ終えた柊が、外から差し込まれたトレーを受け取ってソフトドリンクを載せたグラスをテーブルに並べていく。
「ポテトと、サラダと、お肉もじきに来るからねー」
というのは、先ほど一度お冷と豆――『おとおし』とかいうらしいが――を持って柊が顔を出したときに頼んでいた焼き鳥の話だろう。時間がかかるらしいので、人数がそろう前に全員ぶん注文したのだ。
「あとはドラゴスさんだけ?」 面子を確認する様に部屋の中を見回して、柊がそんな言葉を口にする。
「ああ」 忠信がそう返事をしたとき、恭輔がテーブルの上に置いていた携帯電話が着信を知らせて音を立てた。
「電話かね?」
「否、メールだよ」
父親の言葉にそう答えて、恭輔は携帯電話を取り上げた。ふたつ折の携帯電話を開いてメールの内容を確認し、再び折りたたんでテーブルに戻す。彼は部屋から出て襖を閉めようとしていた柊に視線を向け、
「柊ちゃん、アルカードがもう十分ほどで着くそうだ。枝豆一キロ茹でといて」 はーい、と明るい返事を返して、柊が襖を閉める。
「えだまめ?」
「これのこと」 リディアの問いに、凛が手元の小鉢を指差してそう返事をしている。
「先に始めといてくれってことなんで、始めちまうか?」
「そうだな――じゃあ先に始めようか」 忠信がそう返事をして、ジョッキを手に取る。
「じゃあ――まああれだ、俺と兄さん以外は特に言うことも無いんだが。そっちの女の子たちは今日大変だったね」
忠信の言葉に思い出したくないものを思い出して、フィオレンティーナは眉をひそめた。その様子を見てくつくつと笑いながら、
「まあ、現場を見損ねたのは残念だが」 あ、この人アルカードと同じタイプだ――胸中でつぶやいたとき、こちらの思考を読んだかの様に彼は苦笑して、
「まあ、あれだ。精神的に疲れてるだろうし、ゆっくり食べておくれ――あんな趣味ではあるが、孫たちのことを今後とも頼むよ」
それだけ言って、忠信は軽くジョッキを掲げてみせた。
端に座っていたフィオレンティーナに、隣のパオラが回ってきたサラダ用の取り皿を差し出してくる。礼を言って受け取ると、フィオレンティーナはとりあえずサラダをつまもうと大皿に置かれたトングを手に取った。
*
「ふぐっ……!」 短い断末魔のうめき声とともに、
三十八階にあるレベル4
床面積自体は地下の調製実験セクションの下層部とほぼ同じなのだが、調製槽のサイズが地下の実験施設の数倍あり、そのため調製槽の設置数はかなり少ない。
筺体の巨大化の主な理由は『槽』の大型化に伴って培養液の原液や各種薬液を蓄積しておくためのサーバーやミキサー、ディストリビューターが大型化しているからだ。
『槽』が大きい理由は単純で――つまるところ、地下の調製実験セクションよりもかなり大型のキメラの調製実験を行うのが目的の一環なのだろう。
スーパーコンピューターのデータサーバーに記録されている実験データをチェックすると、ここで開発されているキメラは地下の調製実験セクションで交戦したオルガノン
地下の調製実験セクションで魔眼を使って自白させたあの研究員がレベル4
最終的には人間をベースにするつもりなのかもしれないが、まあ少なくとも今の時点では違うらしい。
「例の毒は標準装備か」 声に出してそうつぶやき、アルカードは液晶ディスプレイにずらっと羅列されたデータをひとつずつ読み込んでいった。
「南フランスのヌなんたらのカスタムメイドに似てるが――」 ……ん? ソだったか? ツだった様な気もする。スかもしれない――もう名前もろくに覚えていない南仏のキメラ研究者の城で戦ったあのけったいな個体のことを思い出しつつ、そんな言葉を独り語ちる。
「
上位グレードのカスタムメイドのキメラは、南仏で戦った個体がそうであった様に複数の武装を兼備している場合が多い――強力なレーザー発振器を備えた
もっとも、体内の栄養分やカロリーの大部分を肉体に形成した
コンソールの横に置いてあった大手メーカー製の大型のプリンターが動作を止めたのに気づいて、アルカードはいったん手を止めてそちらに歩み寄った。
スーパーコンピューターはアメリカ製のやたら高価なマシン複数台の並列処理という豪勢な代物なのに、プリンターはテレビで宣伝している様な企業用の製品だ――まあ、コンピューター自体がスーパーだからってプリンターまでスーパーである必要もあるまい。
そんなことを胸中でつぶやいて、アルカードは排出されたプリントアウトを手に取った。
印刷したのは、マックス製薬で調製実験にかかわっている研究スタッフの個人情報だ――別に家族までそうするつもりは無いが、本人の頭の中にある情報を消すために暗殺しなくてはならない。
遺される家族に関しては哀れではあるが――まあ、キメラ研究などに手を染める家族を持ったことが不運とあきらめてもらおう。家族は今まで悠々自適の生活をしてきたのかもしれないが、その生活の裏には理不尽に化け物に造り変えられた人間たちがいるのだ。
どうせマックス製薬の保険くらいは出るだろう。出なくてもどうでもいいが――仮に素寒貧になって路頭に迷ったとしても、化け物に造り変えられた実験体たちと違って努力次第で社会復帰の芽はある。だが、キメラにされた者たちにはその可能性さえ無いのだ――死んでも分解されて死体すら残らない。遺体が家族の元に戻ることさえ無い。
アルカードは十数枚のプリントアウトを折りたたんでコートの内ポケットにしまい込むと、左手で保持した
左足を引いた。同時に背後から接近してきていたキメラが、
ぎゃりぃんっ――
生体組織との衝突にしては妙に金属質な音とともに
「……ふむ」
全身が黒い獣毛に覆われており、頭部の印象は狼のそれに似ている。両肩と胸部はクチクラの外殻に覆われており、胸部の外装は蛇腹状になって両脇と腹部も鎧っていた。
両腕は獣毛に覆われている以外は機能的には人間のそれに近く、五指がそろっており肉球は無い。爪が生えてはいるものの、ほかのキメラの様に伸長はしない様に見えた。
両脚は膝関節がクチクラの外殻に鎧われている以外は獣毛に包まれており、獣脚の特徴をいくらか残してはいるものの、直立二足歩行に支障は無い様に見えた。
肘の部分が部分的に体毛が存在せず、代わりにクチクラで覆われた基部から長さ一メートルほどの刃状の突起が伸びている。先ほど斬りつけてきた『
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