In the Distant Past 23

 

   *

 

「――着いたよ、ここだ」 アルカードがそう言って、ライトエースのシフトレバーを操作しパーキングブレーキを引く。助手席に座っていたフィオレンティーナは、遮光バイザーを避ける様に上体をかがめて窓の外に視線を向けた。

 見た目はそこらの居酒屋とそう変わらない感じで、いつぞやの鰻屋の様に駐車場は無い。酒を出すからだろう。あるいは煩わしい大勢の客を嫌っているのかもしれない。

 屋号は漢字だ。島勢――否、鳥勢? 最近になってようやく多少難しい漢字が読める様になってきたフィオレンティーナにはまだ島と鳥の区別が咄嗟につかないが、下の部分が山ではなく点がよっつになっているから、島ではなくて鳥のはずだ。

 鳥の勢い?

 屋号の由来はよくわからないが、勢いはセイとも読むはずだ。となると、先ほど聞いた人名――セイジューローに由来しているのかもしれない。

 蘭と凛がスライドドアを開けて先に降り、パオラ達に降りる様に手で促す――蘭と凛、フィオレンティーナたち三人と、それにデルチャと香澄がライトエースに乗ってきていた。

 男性陣は運転手であるアルカードを除いて、だいたい自宅から歩いてきている――実際のところここまではたいした距離ではなく、神城の自宅から歩きでも十五分もあればたどり着けるだろう。

 彼女たちだけが車に乗ってきたのは、単にリディアの脚の加減をアルカードが心配したからだ――まあ実際、彼女の脚の状態でここまで歩くのはまずいだろう。

 リディアは時間がかかるからだろう、香澄とデルチャ、パオラが降りるのを待って一番最後に車から降りた。

「ありがとうございます」

「ああ」 アルカードがそう返事をして、パーキングブレーキを解除する。

「車はどうするんですか?」

「駐車場に戻すよ――ちょっと遅くなりすぎたからな、犬にご飯をやって散歩に出してから行くよ。帰りは――まあ、タクシーでも拾えばいい」

「わかった。じゃあ適当なところで連絡して、アルカードさんのぶんを注文するから」

 香澄の返事に片手を挙げ、アルカードはフィオレンティーナがスライドドアを閉めるのを待ってライトエースを発進させた。

「さ、入ろ入ろ」 走り去るライトエースを見送って、凛がフィオレンティーナの羽織ったパーカーの袖を引っ張る。

 促されるまま、少女たちは入口の垂れ幕――ノレンというらしい――をくぐって店の中に足を踏み入れた。

 店の左手は厨房になっていて、厨房に向かい合う様にカウンターの席がある。右手は四人がけのテーブル席がいくつか、家族連れが何組かでテーブル席は埋まっており、カウンターも友人連れが二組と独り酒の男性ひとり、男女のカップルで埋まっていた。

 カウンターと向かい合わせになった厨房の火元は炭火の様で、冷房は効いているのに熱気がすごい――鳥の胸肉に塩胡椒を振って網の上に載せている体格のいい髭面の男性は、その熱気に当てられて額に汗を浮かべている。

 おそらく火が乱れるのであまり周りの空気を撹拌出来ないからだろう、時折タオルで汗を拭っていた。

「あ、蘭ちゃん、いらっしゃい」 店の左手にある厨房にいた若い女性が、こちらに気づいて声をかけてくる。まだ二十歳くらいだろうか、軽くウェーブした明るい茶色の髪を背中まで伸ばした、溌剌とした明るい印象のある女性だ。

「ひいちゃん、こんばんはー」 そう返事をして、蘭が女性に向かって手を振る。

「二階使っていい?」

「いいけど、何人来るの?」

 ひいちゃんと呼ばれた女性の質問に、蘭がちょっと考え込む。

「十一人」

「おっけ。大人の人は六人?」

「うん。でもアルカードはあとから来るの」

「というか、今店に着いてるのはわたしたちだけよ」 デルチャがそう話に入る。

「あ、そうなの?」

「ええ、男連中は歩きであとから来るの」 デルチャが答えると彼女はうなずいて、

「おっけ。どうぞこっちに――お父さん、お客さんをお座敷に案内するね」 彼女が男性に声をかけると、男性が短くああと返事をした。

「あ、座敷って――」 それまで黙っていた凛が、口をはさむ。

「どうかした?」 客席側に出てきた女性が、凛に視線を向けて返事を返す。凛はリディアを指差して、

「お姉ちゃんが足を怪我してるの」

「ああ、そうなの――大丈夫だよ、掘り炬燵みたいなテーブルになった部屋だから。凛ちゃんたちが普段来てくれるときに使ってる席は、今日はほかのお客さんがいて使えないの」

 それを聞いて、凛が安心した様に笑う。

「じゃあ、行こっか――階段を昇るのだけ、大丈夫だといいんだけど」 そう言って、彼女は先導する様に歩き出した。

 懸案だった階段はさほど幅は広くないものの両側に手摺がついており、ある程度腕力があれば両腕の力だけでも昇るのには苦労しないものだった。実際、リディアはフィオレンティーナに松葉杖を預けて自力でさっさと階段を昇ってしまった。

 これがもう少し階段の幅が広ければ、むしろ昇るのに苦労していただろうが――

 二階に昇ると、襖が閉じられて座敷の部屋が二部屋、手前の方はふさがっているのか廊下に靴がいくつも置いてある。

 ざっと見積もって十五、六。男性用ばかりだ――職場の宴会かなにかだろうか。

 女性が襖を開けて、部屋の中を手で示した。

「どうぞ。すぐに用意するから」

 そう言って、彼女はその場にいる全員が座敷に上がるのを待って襖を閉めた。

 女性の立ち去っていく気配を見送って、部屋の中を見回す――彼女が言った通り長方形に床が掘り下げられて、そこに長いテーブルが置かれている。背もたれは無いが、椅子に座る様にして座ることが出来る。これならリディアでも座るのに苦労はしないだろう――否、足を入れるためにかがむのには手助けが必要だろうが、座ってしまえばあとは楽なはずだ。

 テーブルはふたつ、座布団の枚数からするとそれぞれ片側五人掛け。収容人数の合計は二十人というところか。

 座席が占めているのは部屋の七割ほどで、残りは掘り下げられたりしていない普通の畳になっている。奥側にはビョーブがあって、その向こうの様子は窺えない。

 フィオレンティーナ自身もそうだが、こういうのははじめてなので、リディアが物珍しげにしながら席に着く。

「変わってるね、これ」

「孝輔おじちゃんのおうちに似た様な炬燵があるよ」 と、蘭が返事を返す。

 そうやってしばらく話をしていると、やがてくだんの女性が襖を開けて入ってきた。

「失礼しまーす――まだおじさんたち来てないけど、とりあえずメニューを置いとくね。なにかオーダーがあったら聞かせて」

「とりあえずこの子たちにソフトドリンクをお願い――お通しは枝豆で。わたしたちはともかく、そっちの三人はまだなにもわからないだろうし。お酒はみんなそろったら注文するから」

 と、これは香澄である。

「はーい」 気楽に返事を返して、女性が座敷から出ようと後ずさる。

「あ、でもフライドポテトとシーザーサラダとは先にお願いしていい?」 と蘭がデルチャに声をかける。

「いいわよ――あ、食べ飲み放題コースで。あととりあえず六人ぶんでね」 デルチャがそう付け加え、女性は明るくうなずいた。

 それを最後に女性が再び退出し、フィオレンティーナはパオラが眺めているメニューを横から覗き込んだ。

 

   *

 

「さて、と――」 床の上でにじりにじり後ずさる研究員のひとりに当然ながらすぐに追いつき、アルカードは彼の鳩尾に脚甲の爪先を叩き込んで動きを止めた。

 その場でかがみこんで体をくの字に折って咳込んでいる五十代の研究員の胸倉を掴み上げ、まるで仔猫かなにかの様に軽々と持ち上げる。

「殺す前に聞いておこうか――さっきの奴にも聞いたことだが、ほかの研究員は今社内にいるのか? それとも寮や自宅があるのか?」

 その質問に、研究員が口元をゆがめて笑う。

「なにを言ってる、馬鹿が――どうせ俺も殺すつもりだろう。誰がほいほいしゃべ」 なかなか気骨のある口応えは、唐突に途切れた。

「まあもちろんそのつもりなんだが」 そう返事をして、アルカードはいきなりうつろな表情で言葉を切った研究員を見上げて目を細めた。

「時間が惜しい。質問に答えろ」

「あ、ああ――研究員は寮住まいと自宅住まいの奴がいるが、今は半数くらいはこのビルの中に与えられた仮眠室に泊まり込んでいる」

 アルカードの魔眼イーヴルアイ――精神支配ドミネイションの支配下に置かれた研究員は、その質問に簡単に口を割り始めた。

 精神支配ドミネイションはアルカードの持つ、真祖の個体ごとに異なる固有の魔眼イーヴルアイの能力だ。出力の弱い状態では他者の注意をそらしたりあるいは逆に集めたり、特に相手が嫌がっていないことをやらせる程度のことしか出来ないが――出力を強めれば、相手が倫理観などなんらかの理由で忌避していることを強制したり、そのまま精神的に破壊してしまうことも出来る。本人が望まないことを強制するときも、そのまま錯乱してしまうことが多いのだが。

 まあ、彼らが錯乱しようがどうしようがどうでもいい――どうせ行きつく先は死なのだ。研究員が死のうが狂おうが、聞きたいことだけ聞き出せればいい。

「仮眠室?」

「ああ――各人それぞれ、たいした部屋でもないが仮眠室を与えられているんだ。そのままそこに住んでる奴もいるが」

「それは何階にある?」

「四十七階だ――二十五階までは一般の製薬会社の施設として使われているから」

「研究員の人数は?」

「合計で七十六人。生命工学分野でノーベル賞を獲った奴も何人かいる」

 ふむ――アルカードはうなずいて、

「ここでのキメラの調製実験の目的は?」

「知らない――ある人物に協力しているという話は聞いたことがある。調製実験テーマなら、オルガノンの様に既存の個体を調製してキメラに変化させる能力の附与と、アサルトの様な攻撃対象の代謝機能を阻害して治癒を遅らせる毒の生成器官を賦与したキメラの開発だ――最終的にはオルガノンを改良して運動能力をもっと高め、毒を賦与するつもりだったが」

「その人物とやらについて知ってることは?」

「なにも――ただ、社長と一緒に視察に来たことがある。黒髪を伸ばしたラテン系の男だ」

 やはりグリゴラシュか――アルカードはすっと目を細めて、

「ここのほかに調製実験セクションは?」

「ああ、ある――ここは本来アサルトやその近似種を開発するところだったんだが、数年前に三十八階にあるもうひとつの調製実験セクション、レベル4実験室ラボに移設された。それで、こっちの調製実験セクションは主に人体実験用に使われることになったんだ」

「あのアサルトどもは?」

「あのアサルトはPVヴェノムの生体サンプル用に置いておく目的で、ここに残してあったんだ」

「PV――ヴェノム?」 アルカードが尋ね返すと、

「ああ――なんの略称かは知らないが、通称がPVヴェノムだ。アサルトに仕込んだ毒のことだ――生物の代謝機能を狂わせて、分泌腺を持つ手足での攻撃で負わせた手傷の修復を阻害する。ただ、オーダーされた毒の性能は、切断された腕の傷口をくっつければ即座に癒着する様な生物を想定したものだった。実際にそんな生物は存在しないから、とにかく強い毒を……となって、普通の人間なら一分以内に毒殺出来る様な代物になった。生物毒としては、フグ毒の数百倍の殺傷力がある――本来のオーダースペックを満たせているかどうかは、試したことが無いからわからない」

「ふむ」 アルカードは軽く小首をかしげて、

「おめでとう。そのスペックは満たせているよ――もうひとつの調製実験施設に、ここと似た様なスパコンは?」

「ああ、ある。ここのよりもずっと高性能なものだ」

「それらの実験施設以外に、スパコンやデータサーバーは?」

「知らない――製薬会社の研究用なら二十七階のサーバールームにあるが」

「全研究員のリストはあるか? 製薬会社としてじゃなく、調製実験施設の研究員のだ」

「ここと、三十八階の端末から調べることが出来るはずだ。ほかにも最上階の社長室にならあるかもしれな」

「そうか」 かぶせ気味にそう返事をして、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustの鋒を研究員の下顎に押しつけた。顎下から頭頂に向けて撃ち抜く様にして一突き――ずぐりという厭な音とともにひと突きで脳髄を破壊され即死した研究員の体を床に投げ棄て、手近に倒れていた別の研究員に視線を向ける。

「ひ……」 悲鳴をあげて逃げようとした研究員の胸を、アルカードが投げつけた塵灰滅の剣Asher Dustの鋒が貫いた。そのまま向こう側にあった調製槽に縫い止められ、苦痛にもがくこともままならずに死んで逝く研究員から視線をはずし、調製実験セクションの中央に向けて歩き出す。

 つまるところ、この調製実験施設での研究テーマはふたつ。

 ひとつは吸血鬼の代謝機能を一時的にでも抑え込むほどの強力な毒。

 もうひとつは既存の生物、例として人間、最終的な理想としては噛まれ者ダンパイアをキメラに造り替え、人間の形態とキメラの形態を使い分けられる様にすること。

 目指す完成形はその毒を仕込んだ吸血鬼ベースのキメラの開発。人間がベースのキメラで、普通の人間の三十倍程度の筋力増幅度。ならば高位の噛まれ者ダンパイアであれば、それをベースにしたキメラが完成した場合十分にアルカードにも通用するだろう。

「しかし、グリゴラシュがスポンサーということは、ターゲットは俺だよな」

 アルカードに対してある程度長時間持続する毒性を発揮する毒を生成するには、錬金術による魔術処置が必要だ――蛇や魚介類、蠍、植物などが体内に蓄積する様々な生物毒は強力ではあるものの、ロイヤルクラシックには通用しない。どの様な形で体内に取り込まれても、じきに分解されてしまう。

 霊的に精製された毒物を、生物が体内で合成する方法は存在しない。したがってロイヤルクラシックを相手に、それを決め手にすることは不可能だ。

「後々に対人間用に転用するなら、当然役には立つな」 アサルトの毒自体は、さほど問題にならない――ロイヤルクラシックであるアルカードは霊的に精製されていない薬物の影響をほとんど受けないし、受けても肉体が霊体に順応して毒の効果はじきに消える。実際、先ほどアサルトから受けた受傷も、すでに完全に治癒して跡形も残っていない。だが一時的にでも彼の代謝機能に影響を及ぼしたということは、アルカードに対して顕在した効果は別としても既存のあらゆる生物毒を凌駕するほどの強力な毒だ――そしておそらくそれほど強力な毒物であれば、生身の人間であればわずかな量で数百人を殺せるだろう。ロイヤルクラシックの代謝機能を止めるほどの強力な毒物の影響が、普通の人間の体内に入ったときにそれだけでとどまるとも考えにくい。

 重要なのは、この毒が霊的なダメージを与えられなくても傷の治りを遅らせられるということだ――それはつまりこれ自体で致命傷を与えられなくとも、使い方次第で敵対する吸血鬼に致命的な隙を作り出せるということだ。

 毒を用いて肉体の代謝機能を狂わされ、さらに霊的なダメージを受け続ければ、いかなアルカードでも問題は出てくるだろう――もっとも厄介なのは、そういったキメラ化した吸血鬼がグリゴラシュの様な高位の吸血鬼と一緒に襲ってくることだ。

 あるいは、グリゴラシュ自身がキメラに調製されるか。

 断末魔の細かな痙攣を繰り返している研究員の胸元で、突き刺さった塵灰滅の剣Asher Dustが形骸をほつれさせて消滅してゆく――それを憤怒の火星Mars of Wrathのセンサー視界で確認しつつも振り返ることはせず、アルカードは中央の原液貯水槽で足を止めた。

 さて――胸中でつぶやいて、アルカードは天井を見上げた。調製実験施設の天井を貫いて、太い配管の様なものが上に伸びている。もうひとつの調製実験施設――レベル4実験室ラボに培養液の原液を供給するものだろう。

 さて、どうしたものか――レベル4実験室ラボとやらよりも先に、研究員どもの仮眠室を潰しておくべきか。

 胸中でつぶやいて、アルカードは左腕を見下ろした。左手の指先で右腕の装甲に触れ、左の下膊を鎧っていた万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsを右腕に移す。左腕の手甲をはずして左腕を剥き出しにすると、アルカードは憤怒の火星Mars of Wrathのセンサー機能を稼働させて、あらためて周囲の構造物の検索に取り掛かった。

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