In the Distant Past 18

 正面に立っていた二体目のキメラが、滑る様な滑らかな動きで踏み込んでくる。低い軌道で繰り出した廻し蹴りをバックステップで躱し、彼はそのまま数歩後退した。

 蹴りを躱してそのまま後退したアルカードに殺到して、キメラがさらに追撃を仕掛けてくる――その場で旋廻しながら繰り出した、バックハンドの一撃。

 こめかみを狙って撃ち込まれてきた一撃を体勢を沈めて躱しながら、内懐に飛び込む――同時に、アルカードは一撃を繰り出した。

 極端に低い体勢から伸び上がる様にして繰り出した、股下から頭頂へと抜ける斬撃。グレーチングの通路の床に切り込みを入れながら放たれたその一撃が、バックハンドの一撃を躱されて勢いを殺しきれずにこちらに体の正面を見せたキメラの体を、跳ね上げること無く左右に両断する。

「このっ――!」 罵声をあげて、もう一体――最初に腕を斬りつけてやったキメラが踏み込んでくる。

 それを確認して、アルカードは前に出た。撃ち込まれてきた拳を体勢を沈めて躱しながら、手にした塵灰滅の剣Asher Dustを低い軌道で薙ぎ払う。

 漆黒の曲刀の鋒がグレーチングと通路の構造物を引き裂き、キメラの踏み込んだ前足を手練の殺戮者の必殺の手管で以って滑らかに切断した。前足の脛を鎧う硬化した装甲外殻を易々と切断され、膝下から片脚を失ったキメラが体勢を崩す。

Aaaaa――lalalalalalieアァァァァァ――ラララララララァィッ!」 声をあげて――前のめりに倒れかけたキメラの胸元を、再び左手で突き飛ばす。キメラが背中から転落防止柵に激突し、その体重を受け止めた鋼管の柵がぎしりと音を立てて歪んだ。

 次の瞬間、間合いを詰めたアルカードが繰り出した斬撃が、キメラの首に肉薄する――今度は意図してのものではないだろう、キメラが再び左腕を斬撃の軌道に差し込んだ。だがそれが意味をなさないのは最初の遣り取りで証明済み――翳した左腕は外殻ごと切断され、今度こそ袈裟掛けの一撃がキメラの頭部の上半分を削り取った。

 シィィ――歯の間から息を吐き出し、アルカードは曲刀を軽く振って血を振り払った。

 地響きとともに床の上に倒れ込んだキメラの死体が、煙をあげて腐蝕してゆく。最初はライカンスロープや先日出くわしたジャンノレ同様種として・・・・こういう生物なのかとも思ったが――この状態になるということは、間違い無く彼らは人工的に調製されたキメラだ。

 おそらくは倒されたキメラを回収されて技術的な解析が行われるのを防ぐためのものだろう、キメラはその生命活動が終わると同時に体内に存在する酵素の一種が変質し、細胞が破壊されて肉体が分解消失する様に造られていることが多い。

 そうでない・・・・・キメラもいるだろうが――少なくとも自然に存在した生物種は、生命活動が終わった途端にいきなり腐蝕したりはしない。現代人類が人工的に手を加えた生物にγガンマ-アミノメチオミン加水分解酵素を組み込んで遺伝子操作された生物であることの指標にする様に、特定の目的を持って組み込まれたものだからだ。

 ゆえに――今接敵コンタクトした二体のキメラがもともとこういう生物種でないことは間違い無い。

 間違い無いが、しかし――

「戦闘訓練を受けたキメラ、だと?」 二体のキメラの屍がドロドロに溶け、グレーチングの隙間から貯水槽へと流れ落ちてゆく――その光景を見下ろしながら声に出してつぶやいて、アルカードは前髪を片手で掻き上げた。

 普通、キメラは胚からの培養によって造られる。人間も含めていくつかの生命体の組織を利用し、鋼の様な筋肉や骨格、生体熱線砲、誘電加熱のための流体磁石などを生まれながらに体内に備える様に遺伝子操作を施し、さらにそこに様々な薬品や電気刺激等で意図した能力を持って生まれてくる様に誘導するわけだ。

 したがって、キメラというのは人間の特徴を一部引き継いではいるものの、すでに生まれた人間そのものを加工して造るものではなかったのだ。

 そのためキメラは知能も高く、生まれてきたキメラの脳に言語に関する情報や、製作した研究者が主君であることなどを書き込めば、しゃべることは出来なくてもこちらの言葉を理解して命令を実行したりすることは可能だった。

 しかし、その性質上戦闘訓練などを施すことは出来ないし、共通する意思疎通の手段が無いために連携を取って戦うことも難しい。

 だが――言葉を話して互いに連携を取りながら術理を使い、さらに人間の形態とキメラの形態を使い分けるキメラ。

 単体ではさほど強力なキメラではないが、人間になりすまして芝居を打たれれば、不覚をとる可能性はある。

 なにしろ言葉を話しているということは、事前に打ち合わせも出来るということだからだ。

 連中の言葉が妙に口語的だったのが気になるが――

 ぴちゃり――塵灰滅の剣Asher Dustの刃を伝った血が鋒からしたたり落ち、グレーチングの網状の隙間を通り抜けて貯水槽へと降ってゆく。

 今やゲル状化した屍のほとんどがグレーチングの隙間から貯水槽に流れ落ち、ほんの少量がグレーチングと通路のフレームを濡らすのみとなったキメラの痕跡を見下ろしながら、アルカードは手にした塵灰滅の剣Asher Dustへの魔力供給を断ち切った。

 ほつれた形骸の内側に封入されていたい赤黒い血があふれ出し、床を濡らすよりも早く消滅する。刃にこびりついていた血だけがグレーチングを濡らし、あるいはその隙間から貯水槽に降り落ちていった。

「解剖は出来ねえか――」

 ぼやいて、アルカードは周囲を見回した。まずはここから出ないと話にならない。これだけ大規模な施設だ、メンテナンス用の機材や人員を搬出入するためのエレベーターのたぐいがあるだろう。

 まあエレベーターを使うのはさすがにアレだが、非常用の階段、それに換気用のダクトもあるはずだ。

 さて、どれを使うべきか――そんなことを考えながら、アルカードは歩き出した。今いる円筒状の構造物から通路伝いに壁際に進んだところに、貯水池上に大きく張り出したスペースがある。ほかにそんなスペースは無いから、あちら側にほかの階に移動するための設備がある可能性が高い。

 そしておそらくそれがエレベーターであれ階段であれ、一般人やキメラ研究に直接かかわっていない一般社員が出入りするスペースに直接つながってはいないだろう。この貯水池に貯蓄されているのは、キメラ研究用の培養液だ。それは間違い無い――薬品の材料として考えるなら、液体のまま保存しておく意味は無い。

 一般の製薬会社としての使い道は無いし、もうひとつの事業である健康サプリメントの材料としても使い道は無いだろう――人体に摂取するには、過剰摂取で毒性のあるミネラル分の含有量が高すぎる。

 無論、設計図上はそんな造りになってはいなかった――貯水池があるのはその通りだが、日常生活用水や自社発電設備の冷却水供給用のものだったはずだ。

 相当な改修が加えられている、と見るべきか――受け取った設計図は、ある程度見当をつける以上のあてにはしないほうがよさそうだ。

 胸中でつぶやいて、アルカードは天井を見上げた。天井が高いために水銀燈の明かりも弱々しい。

 設計図上ではこの貯水槽の上に、かなり大きな空間が存在している――図面から判断する限り、調製槽が数百基は置けそうなスペースだ。さらにその上は電力供給のための配電設備と、非常用の自家か発電用ディーゼル発電機が設置されていることになっているが――

 よし――胸中でつぶやいて、アルカードは歩き始めた。

 

   *

 

 チタン製の社外品のマフラーに換装された四百c.c.のエンジンが、標準装備のマフラーよりも若干重低音の効いた排気音エキゾーストノートを奏でている。

 色温度三一〇〇ケルビン、アブソリュート製の高輝度放電式ディスチャージバーナーユニットを装着したヘッドライトが、ガレージの奥の壁を黄色みがかった閃光で照らし出している――常時点燈式ヘッドライトの宿命の様なものだ。

 この時期の自動二輪のヘッドライトユニットは、キーがオンになっている間は常に点燈する様に保安基準で定められている――そのせいでちょっとエンジンのかかりが悪くなったとき、少し手間取っただけでバッテリーあがりの状態に陥りかねないので、アルカードからすれば馬鹿以外の何物にも思えないが。

 まあ、どうせ考えたのが四輪車や自動二輪はもちろん、原付もまともに触ったことの無い人間なのだろう――よほどの趣味人でない限り、官僚や閣僚が自分で手持ちの車や二輪車のメンテナンスをすることなどあるまい。そしてその経験のある人間なら、常時点燈式の不利点など容易に理解出来る。自動二輪でも原付でも四輪車でもいいが、多少なりとも自分でいじれる知識のある人間なら、こんな世迷言は絶対に出てこない。

 おかげで容量の小さな自動二輪車用バッテリーでは、電装系の点燈状態をチェックする作業ひとつでいちいちエンジンを稼働させておかなくてはならない――そうしないと、バッテリーの状態によってはものの数十秒で再始動が不可能になる。

 まあ、自動点燈式ヘッドライトに限った話でもないが――保安基準を考えているのが国土交通省のどういう部署だか知らないが、せめて自分で車輌を触った経験のある人間に限定すべきだと思うが。

 少なからず批判的なことを考えながら、アルカードはウィンカースイッチを右、左、右、左と何度か操作した。

「どう?」 という陽輔の言葉に、CB400SF2のハンドルスイッチから手を離す。

 かつての愛車であるスーパーフォアではあるのだが――ウィンカースイッチが巧く動いていない。手応えは普通なのだが、スイッチを操作してもウィンカーが点燈しないのだ。

 判断材料はいくつかあるが――まず、ハザードランプは普通に動いている。つまり、スイッチから各電球までの電路に問題が生じているわけではない。

 ウィンカーが点燈しないだけでなくインジケーターランプも点燈しないということは、そもそもウィンカースイッチの操作で電路が成立していないのだ。

 そんなことを考えながら、アルカードは再びウィンカースイッチを操作した。

「たぶんな――」 返事をしながら、ウィンカースイッチをほんのわずかだが左へ――それでウィンカーが点燈するのを確認して、アルカードは手を伸ばしてCB400SF2のメインスイッチをオフにした。

「スイッチの接点かなにかかね」 という忠信の言葉に、小さくうなずく。自動二輪車にはあまり興味の無いこの元警察幹部は、横で見ていてもあまりよくわからないのか、それまでは口を閉ざしてアルカードの検証を見守っているだけだった。

「ですね」

「すぐ直る?」 という陽輔の質問に、アルカードはかぶりを振った。左側のヘッドライトスイッチを指先で軽く弾き、

「部品交換がいるよ。スイッチ丸ごとか、もしくは接点部分だけ交換しないと」

「そう――いくらくらいするんだろ?」

「知らん。国産二輪車は長いこと触ってないから――でも二輪車の部品って、値段が鰻昇りだぞ。ものすごい勢いでぼったくり価格になりつつある」 池上さんが前にそうぼやいてた――そう付け加えると、陽輔は腕組みした。

「ネットオークションの中古でも探そっかな」

 アルカードは陽輔の提案に肩をすくめ、

「ああ、中古なのが気にならないんならそれでいいんじゃないか――ほら、美崎のほうに二輪車専門の解体屋があっただろう。こないだ前を通ったときにNC39の事故車が何台か止まってたから、聞いてみたらどうだ」

「今日開いてるかなあ」陽輔が携帯電話を取り出すが、

「盆休みで閉まってるんじゃないかな」 というアルカードの返答に、陽輔は手にした携帯電話を引っ込めた。

「てことは、月曜まではこのままか」

「そうなるな」 アルカードはうなずいて、スーパーフォアのヘッドライトスイッチに指先で触れた。

「通学に使うから、さっさと直さないと――難しいかな?」

「まあ、丸ごと換えるんならなんてことない。ばらしたものを元通りに組めるならな――接点だけを交換するのは、まあ一種の賭けだな」 陽輔の質問には、そう答えておく――実際のところ、作業としてはさほど難しくはない。ただ、ウィンカースイッチと一体になったヘッドライトスイッチの配線はヘッドライトケースの内部に導かれているので、スイッチを交換しようとするとヘッドライトの燈体をはずしてケース内部のカプラーから交換する必要がある。

 これは陽輔のスーパーフォアがHIDを導入するためにヘッドライトごと別物に交換していることもあって結構面倒臭い作業なので、スイッチボックスを分解して内部の接点だけを交換することもある――接点だけのパーツは販売されていないので、純正部品を分解して内部のパーツを流用することになるのだが。

 これで直ることもあれば、直らないこともある――ウィンカーレバーとつながった部品だけを交換するのだが、スイッチボックス本体にも対応する部品がある。摩耗の度合いによっては二ヶ月ともたないこともあるのだ――確実なのは、やはり丸ごと交換することだろう。入手した交換用の部品を、接点を一度取りはずしたことで台無しにしてしまうリスクもある。

 内部の接点をはずして組み替える作業に失敗したときに、正確に組み戻した接点が再度正常に動作するとは限らないからだ。

「兄さんはやったことあるのかい?」 という忠信の質問に、アルカードはうなずいた。

「三十年以上前に、当時乗ってた900スーパーフォアで。そのときは成功しました」 と、答えておく。

「へえ、昔のCBって九百c.c.のモデルがあるんだ――1000の昔の型?」 そんな質問を発したのは陽輔である。

「ああ、ごめん。900スーパーフォアって、カワサキのZ1のことだよ。ヨーロッパじゃ900スーパーフォア――もちろん、正確な発音は言語ごとに違っただろうけど――そう呼ばれてたんだ」

 そう答えて、アルカードはProGripの柔らかいグリップに換装されたスーパーフォアのハンドルから手を離した。

「Z1に乗ってたんだ。はじめて聞いたね」

「ああ――GIGNで現代戦の訓練を積んでたころだから、もう三十年ほども前の話だな。Z1シリーズにシールチェーンが初採用された、Z1Bってモデルだよ。それまではZ1には、シールチェーンは採用されてなかったんだ」 ちょっと昔を懐かしみながら、そう返事をしておく。

 今では中型小型に至るまで珍しくもないシールチェーンだが、当時のカワサキのフラッグシップだった空冷四気筒の大型ZAPPER、Z900には、一九七四年の七五年型までシールチェーンは採用されていなかった。

 代わりにドライブチェーンに油を垂らしたりする給油装置が採用されており、走行中にそれが飛び散って汚れが酷かった。また、グリスを内部に閉じ込めておくことで潤滑性を維持するシールチェーンの採用で、メンテナンスサイクルは飛躍的に延びたと言える。

「で、そのZ1はどうしたの?」

 という質問に、アルカードは陽輔に視線を向けた。

「Z1か――GIGNを辞めたときに、仲間のひとりがほしがったから譲ったよ。今でも連絡を取ってるんだが、うれしいことにまだ現役で走ってるらしい」

 そう答えてから、アルカードは軽く伸びをした。

「さて、とりあえずそろそろ中に戻ろうか――見るもんは見たしな」 アルカードがそう言うと、陽輔は小さくうなずいた。忠信もうなずいて、それまで体重を預けていたステップワゴンの車体から体を離す。

「ところで陽輔君、あとで仕合わないか?」

「いいけど、どうせまた俺が勝つよ?」

「いや、今日こそは俺が勝つよ」 そんな会話を交わしつつ、彼らは開け放されたシャッターをくぐって外の敷地に出た。


※1……

 一九九六年以降に生産された自動二輪車は、ヘッドライトが『消燈出来ない構造』であることと定められました。保安基準を決めてる連中は、作者個人としては民主党の仕分け委員会と同じで、仕事出来ない連中の暇潰しの部署だと思ってます。

 だってこのボケた基準のせいで、ちょっとバッテリーがへたってきたらもしくは始動時などにエンジンが停止した場合にすぐに対処出来なかったり、あるいは再始動を試みてもすんなり始動出来なかった場合に、ものの数十秒で再始動が不可能になることがあるのです。自分で乗ってた経験のある人なら、もうちょっとこう、エンジン稼働中は自動で点燈する構造であることとかもう少しましな基準を考えるでしょう。押しがけ出来ないCVT車だったら、出先でバッテリーが上がったらもうどうしようもないですよ。みんながみんな足踏み式のスターターペダルがついてるわけじゃないんですから。

 なお、最近の現行車ではエンジン始動と同時に点燈する構造のものもある様ですが、点燈・消燈を制御するスイッチは存在せず、ライトを意図的に消すことは出来ません。また、アフターパーツとして消燈スイッチが販売されていますが、消燈したまま走行した場合は違法になります。あとそういったスイッチの装着が露顕した場合、車検場で検査を落とされる可能性があるので注意してください。


※2……

 ウィンカーをLED化したあとで、作者所有のCB400SF2にも同様の症状が出ました。というか、香澄ちゃんの原付の件もそうですが、自分の経験をネタにしてます。で、スイッチボックスごと交換するのが面倒臭かったので試しに接点だけ交換したら成功しました。

 俺の場合は中古品をヤフオクで調達し、確実に入手するためにふたつ入札したらふたつとも落札したので一個潰しました。原因はおそらく部品の摩耗度合いです。作業自体は難しくないのですが、それで直るとは限らないという一種の運ゲーです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る