In the Distant Past 19

 

   *

 

 隔壁シャッターロック、警報装置アラームシステム解除オフ――あとは監視カメラの映像だが、過去二時間の映像を再生速度を九十パーセントまで落としてリピート再生。

 これでこのセクションでなにが起こっても、しばらくの間は露顕することは無いだろう。

 胸中でつぶやいて、アルカードは壁際に設置された大型ディスプレイのキーボードから手を離した。

 壁際にはフェンスで隔離されたスーパーコンピュータが十台、冷却ファンの轟音をがならせながら稼働している――これらの並列稼働によって実現した圧倒的な演算能力で以って、百基以上の調製槽の状態を常時監視・制御しているのだろう。

「ま、魔術装置なんぞよりこっちのほうが扱い易いわな――」 そんな感想をこぼしつつ、アルカードはスーパーコンピュータの一台に歩み寄った。

 そう言えば、アンソニーの奴が報告してきてたな。アルマゲストの連中が、調製施設にコンピュータを取り入れてたって――

 まあ実際問題として、アプローチの手段が違うだけでキメラ学と生命工学はさほど変わりが無い。

 違いと言えば、キメラ学のほうがはるかに先を行っているくらいだ――そしてキメラ学の内容を魔術師でない人間がコンピュータ等の演算装置を使って研究しようとするならば、魔術師のキメラ学に比べてはるかに門戸は広くなるだろう。研究内容を踏襲しつつ、金さえ出せば手に入るスーパーコンピュータの様に安易に手に入る高性能の演算装置を使えるのだから。

 魔術の知識など必要無い――自分の専門分野だけでいい。調製槽や魔術装置を手作りするための、知識も技術も必要無い。

 そして、キメラ学は生命工学と比べるとかかるコストが比べ物にならないくらい高い――まずは調製槽の統制管理のための魔術装置コンピュータから自作しなくてはならないのだから。

 対して科学者は途方も無い金額の現金は必要になるだろうが、その目途さえつけばあとは自分の研究に没頭していればいい。研究設備を用意するために、研究の時間を削る必要も無い。

 金銭コストは必要だが時間コストは必要無いのが、科学者たちの利点だと言える――逆にキメラ学者たちは金銭コストは必要としないが、自前で研究設備を用意するための時間コスト技術コスト知識コストが必要だ。

 おっと、そもそも研究設備を用意するための資材は必要だから、やはり金銭コストは必要か――

 そんなことを考えつつ、アルカードは周囲を見回した。

「ふむ――」 数十基どころの話ではない――天井までの高さが二十メートル近く、ところどころに上下階層を移動するための階段が設けられた二層構造の地下調製実験セクションには、ゆうに二百を超える数の調製槽がずらりと並んでいる。

 調製施設の中央部には巨大な貯水槽、ちょうどくだんの貯水池にあった円筒状の構造物の真上に位置している。

 足元の床は本来の床の上に鉄骨の骨組みを組んで一メートルほどの高さの空間を空けてその骨組みの上に敷かれたグレーチングで、床下には太い配線や配管が無数に這わされている。おそらく中央の貯水槽から、各調製槽に調製培養液の原液を供給するためのものだろう。

 調製槽自体は管理を容易にするためか、背中合わせに二列五基、十基ごとにグループ分けされており、それぞれにコンディションチェック用の端末が設けられている。

 調製槽は高さ九メートルほど、調製槽自体はグレーチングの下の床に直接設置されている。大部分は白く塗装された金属と樹脂で造られた筺体でそこに竹を割った様な半筒型の曲面硝子が嵌め込まれており、その内側に培養液を満たして調製対象を漬け込むわけだ。

 『槽』としての部分に対して筺体のサイズがやたら大きいのは、調製槽で調製されている実験体の体質や調製内容に合わせて培養液の成分を追加したり調整したりするミキサーと、その各種薬液のリザーブタンクが内蔵されているからだろう。バリエーションが豊富なカスタムタイプのキメラの調製実験を行う、大規模な調製施設ではよくみられるものだ――逆に量産型キメラの調製施設では、こういった設備は比較的シンプルである場合が多い。

 周囲にはいくつか小型の貯水槽があり、こちらもグレーチングの下でいくつかの配管が伸びている――新しく調製を始めるキメラの培養液を作ったり、古くなった培養液を新しいものと徐々に入れ替えていくためのものだ。

 キメラ調製に用いられる主だった薬液は二十三種類、これらが各調製槽グループごとに設置されたサーバーに供給され、それがディストリビューターを介して各調製槽のリザーブタンクに送り込まれて、ミキサーで調合・原液と混合されて調製槽内部に注入されるわけだ。

 上層部は同じ様に床が二重構造になっているが、張りめぐらされた鉄骨の上にグレーチングが敷かれ、そこに調製槽が載せられて、さらに上部のグレーチングが敷かれている。

 いつバランスを崩した調製槽が転げ落ちてきやしないかと、どこか不安になる光景ではあった。

 まあそれはいい――問題はそこではない。

 胸中でつぶやいて、アルカードは調製槽グループのひとつに歩み寄った。

 調製槽内には、調製途中のキメラが浸かっている――キメラの型式タイプは貯水槽で戦ったのと同じものだ。形式名は『HM-002 オルガノン』となっている。

 調製槽の中で個体変異が始まり、肉体の半ばまでもがあの青みがかったグレーの皮膚に変化しているキメラを見上げて、アルカードは小さく舌打ちを漏らした。

 そう。変化していた。肉体の半ばまでもが、人間の皮膚からあの青みがかったグレーの皮膚に。

 調製槽の内部に浮かびながら徐々にあの貯水池で交戦したキメラ――オルガノンタイプに変化しつつあるのは、明らかに普通の、なんの変哲もない人間の男だった。

 キメラに人間態を取る能力を附与したのではない――明らかに、彼らは生身の人間だ。人間がキメラの形態を取る能力を与えることを目的とした調製だった。

 ついでに言えば、槽に浸かっている人間はそれぞれ特徴が違う。ふたりとして同じ顔の人間はいないし、したがって調製実験用のクローンのたぐいではない。

「なるほど、あれだけ流暢に言葉を話せるわけだ」 あのオルガノンタイプたちは、調整済みのキメラの脳に言語情報を焼き込んだわけではない――もともと言葉を話す人間をキメラに調製したから、あれほど流暢に言語を操り意思疎通を行っていたのだ。

 アルカード調製槽グループごとに設置された端末に歩み寄ると、ディスプレイに表示されている実験体データに視線を落とした。

 実験体番号……HM-009

 調製個体番号……15879

 氏名……大隅浩一郎

 出身地……群馬県

 実験テーマ……人間からキメラへの調製

        調製所要時間短縮

 結果……失敗

     獣化能力無し

     知能無し

     自発的生命活動無し

 調製期間……1997年7月27日より同年8月14日

 廃棄予定日……同年8月18日

 以下体質データや身長体重、年齢、家族構成や既往歴など、様々な情報が羅列されている。英語で表記された実験体の訳語がモルモットとなっているのを見て、アルカードは強烈な嫌悪感に顔を顰めた。

 顔を顰めたまま、調製槽のひとつに視線を向ける。

 右隣の調製槽の中身――15878の成功例とは対照的に、15879とナンバリングされた調製槽の内部に浮いているのは全身が癌化して調製槽の硝子いっぱいに膨れ上がり、人間としての面影など無くなった巨大な肉の塊だった。

 15880とナンバリングされた15878と逆隣の調製槽内部には、もはや培養液の占める部分など無いくらいに肥大化した肉が満ちている。ところどころに開いた眼だけが、知能などあるわけもないだろうにぎょろぎょろと周囲を見回していた。

 よくよく見ると周囲の調製槽の九割がたはこの二基の調製槽と同様に調製を失敗した、あるいは失敗していると思しき個体で埋め尽くされている。

 ただの肉の塊になったもの、体の半分は人間の形態を保ちつつ残りの半分は巨大な胎児の様な姿、オルガノンに似ているが上膊と下膊が完全に癒着した畸形の個体。

 見る限り、ここで行われている実験の調製成功率はそれほど高くない。

 顔を顰めて、アルカードは再びスーパーコンピュータ前のディスプレイに歩み寄った。

 キーボードを叩いて、調製槽の総合的な調製データを呼び出す。

 スーパーコンピューターの大部分がそうである様にここにあるスーパーコンピュータ群もLinuxをOSに採用しているため、Unix系のOSを扱った経験があれば扱いはさほど難しくない――別に普段からLinuxを扱い慣れているわけではないが、興味本位で触ったことはあるので一応の操作法はわかる。

 呼び出した研究データが、大型ディスプレイに表示される――今までに調製した実験体の数は一万五千八百九十三。そのいずれもが、人間をキメラに造り替えることをテーマにしている。どうやら千を超えたあたりで、今のオルガノンタイプに統一されたらしい――といってもそれまでには成功例は一体も無く、そのオルガノンタイプも調製成功率は極めて低い様だったが。

 さまざまなバリエーションを作るのは後回しにして、とにかく一種類を成功させようとしたのだろう。

 一万六千に手が届こうかという数の実験体のうち、調製成功例は二十六体、現時点で順調に調製が進んでいるものは五十三体。調製成功間際の個体は一体だけで、調製処置の進捗率が八十パーセントを超えているのは三体のみ。調製成功例の中で一ヶ月以上生存した個体は五体だけ、そしてそのうちの二体は先ほど殺したオルガノンだろう。

 残りはすべて失敗したか、失敗の可能性が高くなってきている。今現在ここにある調製槽の中では、調製の成功が確実なのは二体だけだ。

 思った通り、ここで行われている調製実験の成功率は極めて低い――まあ、だからこそキメラ研究者は人間を調製してキメラを作る実験を早々に放棄したのだ。

 実際問題として、すでに人間として成熟した個体を別な生物に造り替えるのは極めて難しい――ジャガイモと人参と玉葱と牛肉でカレーを作ることは出来ても、いったん出来上がったカレーをシチューに作り替えることは出来ない。それと同じだ。

 実際、二百基のキメラ調製槽のうち、順調に調整が進んでいるのはわずか一握り。

 だが、もしこれが実用可能なレベルで成功すれば――

「行きつく先は――」 顔を顰めてこめかみを指で揉みながら、アルカードは小さく息を吐いた。腰周りにつけた軍用の無線機の送信ボタンを押し込み、

「ドラゴンよりデン――ドラゴンよりデン。聞こえているか?」

「ええ、聞こえています、我が師よ――なんですか、デンとは」 一瞬の空電雑音のあと、そんな返事が聞こえてくる。

「気にするな、今考えた――以降、一応固有名詞は避けろ。いいな? 今、地下の調製実験セクションにいる――二百基を超える調製槽が設置されてる。驚くなよ――人間をキメラに調製する実験を行う施設の様だ」

 骨伝導タイプのスピーカーを通じて、無線機の向こう側の神田忠泰が息を飲む気配が伝わってきた。

「さっきも貯水池で遭遇戦をやったよ――筋力増幅型だ。筋力増幅度はたいしたことないが、格闘技の訓練を受けててキメラの形態を取っても言葉を話してた。調製施設で調製されてるのはすべて同じ型式タイプだ――単独ではたいしたことないし、このセクションで調製された個体は九割九分失敗したか生存出来ずに死んでるが、集団で襲われると正直厄介だな。それに――」

 みなまで言わずとも彼が言わんとすることはわかっているのだろう、神田が首肯の返事を返してきた。

「ええ――もし同様の調製措置が、吸血鬼に対して可能であれば……」

「おそらくは難しいだろうとは思うが、確信は持てないな――キメラ学は専門外だし、今までに無かった実験だからな。とにかく調製施設と実験データを完全に破壊しないと。首相には悪いが、ビルごと消し飛ばしたほうがいいかもしれん」

 そんなことを言いながら、アルカードは周囲を見回した。調製実験施設のところどころに、白衣を身につけ後ろ手にプラスティック製の結束バンドで手首を固縛された研究員が昏倒している。当直研究員なのか、この時間だというのに施設内をうろついていたのだ。

「そうですね――ビルごと破壊はともかく、実験データを研究員もろとも処分しなくては」

「だな――どこかに研究員の名簿が」言いかけて、アルカードは言葉を切った。

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