In the Distant Past 16

 

   *

 

 そろそろ三十分ほどか――

 興中でつぶやいて、アルカードは両手足を鎧う万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsの稼働を解除した。

 魔力供給を断ち切られて万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsが基底状態に戻ったと同時、絶え間無く掻き分けられ押しのけられていた土が固まりきらずにばらばらと足元に落下する。

 アルカードは小さく息を吐いて、固く圧縮された土の上に腰を下ろした。

 周囲の土壁は例外無く高重力によって外側に押し固められ、岩盤のごとく固く締まっている――万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsの重力制御機能で発生させた擬似的な高重力を利用して土を掻き分け周囲に向かって押し固め、トンネル状に掘り進んできたのだ。

 すでに周囲の温度が低すぎ、また温度差も光源も無いために高度視覚のほとんどは意味をなさない――自分の体から放射される遠赤外線を光源にし、どうにか視界を保っている状態だ。

 もっとも憤怒の火星Mars of Wrathのセンサー機能があるので、肉眼の視界が完全に封じられていてもアルカードとしてはさほど問題にならない――腕に接続された擬似神経から脳に直接アクセスし、肉眼の視界に重なる様にして重層視覚に描画された複合センサー視界コンビネーション・センサー・ビュアーは、憤怒の火星Mars of Wrathに搭載された無数のセンサーの機能によって合成されたものだ。今のこの状況では、重層視覚の映像視界は肉眼よりはるかに鮮明な視野を確保している。

 複合センサー視界コンビネーション・センサー・ビュアーと重なる様にして表示された情報表示視界インフォメーション・ディスプレイ・ビュアーの視界の端で、いくつかの表示が明滅している――現在の視界モード、起動中の機能、マテリウス氏温度で表示された周囲の外気温、湿度と実際の空気中に含まれた水蒸気量……

 重層視覚に投影された視野に次々と表示されていく無数の文字列は、周辺の温度分布や土壌の成分、空気と土の水分含有量、気温や気圧の変化、大気の組成や密度などの無数の情報をプログラム文で表示したものだ――あくまでもそれらを元にして憤怒の火星Mars of Wrathが重層視覚に投影する映像や必要な表示等を構成するので、文字列そのものにはさほど意味は無いが。

 視界に時折ちりちりとノイズが走っているのは、憤怒の火星Mars of Wrathがほとんど露出していないためだ――憤怒の火星Mars of Wrathは露出した表面全体で光や空気に触れ、必要に応じてセンサー器官を形成して周囲の電磁場や湿度、温度等から周囲の状況を検索するため、服や手甲等で表面が覆われているとセンサー精度が落ちる――特に通気性の悪い金属や革などで覆われた場合は検索範囲は狭まり、リアルタイム情報の表示にも極端な遅延が生じる。

 だが、戦闘に使うならともかく通常行動をとるぶんにはなんの問題も無い。肉眼でほとんど見えない周囲の状況が、ある程度把握出来るのだからそれで十分だ。

 胸中でつぶやいて、アルカードは足元に視線を落とした。映像描画が視界の移動に伴う遅延ラグのために乱れ、重層視覚のセンサー視界にノイズが走る。

 さて――休憩をそれで終わりにして、アルカードは立ち上がった。

 地中深く潜行すればするほど、周囲の土壌は固く締まり、また岩などもあって掘り進むのが難しくなっている――最初は五分で数十メートル掘り進んでいたのが、すでに数メートル掘るのが精いっぱいだった。

 だがそれでも、すでに百五、六十メートルほどは潜ったか――胸中でつぶやいて、アルカードは軽く伸びをした。

 重装甲冑の装甲の上から包み込む様にして両手足を鎧った万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsが魔力供給を再開されて励起し、瞬間的に液状に戻った表面が一瞬漣の様に揺れる。

 具足の重力制御機能によって発生した高重力の影響でセンサー視界がぐにゃりと歪み、両腕を軽く伸ばした先で擬似・崩地破砕エミュレーション・グラビティクラッシャーによって押しのけられた土がトンネル状に圧縮され押し固められてゆく。

 まったく……内閣総理大臣プライムミニスターも、ずいぶん面倒な条件を出してくれる。

 

   ‡

 

「――まさか本当に、吸血鬼なんてものが実在するとはね」

 赤坂の料亭の一室で、プライムミニスター・リュータロー・ハシモトがそんなコメントを口にする。

「村山さんからは引き継がなかったが。例によって社民党お得意の、自民党にはなにも教えてくれない案件かな……」 なにが面白かったのかよくわからないが、彼はそのジョークに自分で受けたらしい。くつくつと含み笑いを漏らしながら、彼は少しもぞもぞと尻を動かして座布団の上で座り直した。

「否、失礼。マックス製薬については、こちらとしてもいろいろ思うところがあってね。不透明な資金繰りや、どことは言わないが胡散臭い国家からの接触、資金や人員流入なども含めてね」

 という言葉に、アルカードは小さくうなずいた。

「君たちヴァチカン聖堂騎士団の言うところの吸血鬼信奉者の一党や、あるいは――なんといったかな」

「キメラ」 アルカードがそう返事をすると、彼は我が意を得たという様にうなずいて、

「そう、そのキメラについて研究している連中の、一種の――アジトになっているというのなら、それは叩き潰してもらっていい。ただ、無関係の民間人の人死にはなるべく避けてもらいたいのだ――なにしろ今は世間が不安定でね。大韓航空機の墜落がついこの間、先月も出水市で土石流が起きた。テロとして耳目を集める様な事態は出来る限り避けたい」 その言葉に、アルカードは小さくうなずいた。

「気持ちはわかる――俺としても、吸血鬼の存在が明るみに出る様な事態は避けたい」 露顕して利になることはないひとつ無いしな――そう続けて、アルカードは卓の上に置かれた猪口を手に取った。口をつけると、辛口の酒の香りが鼻腔をくすぐった――銘柄は知らないが、本条兵衛に振る舞われたものに負けず劣らずいい酒だ。

「なら、我々の利害は一致するというわけだね――仮に耳目を集める事態になったとしても、なんとか吸血鬼の存在を露顕させる事態は避けたい。ただマックス製薬の建物が燃えるだけなら政府としても抑え込めるが、無関係の通行人が大勢死んだりすれば我々にも抑えきれんだろう」 徳利を手に取り、ハシモトがアルカードの手にした猪口に酒を注ぐ。彼はそのまま自分の猪口にも手酌で酒を注ぎつつ、

「注文されたマックス製薬の設計図その他は、手に入るだけ手に入れて渉外局員に預ける様に手配してある。もうそろそろ届いているころだろう――あとで渉外局から受け取ってくれたまえ」 そう続けて、彼は手にした酒杯に口をつけた。

「乾杯――武運の長久と、よい狩りが出来ることを祈っているよ、同族狩りの吸血鬼」

 

   ‡

 

 まあ、提示された条件である以上は仕方が無い――それに、もともと無用な被害はアルカードが望むところではない。結局のところいつもとあまり変わり無い、それだけの話だ。

 そんなことを胸中でつぶやいて――さらに二十分ほど掘削を続けたところで、アルカードは万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsの魔力供給を再度切断した。

 圧縮しきれなかった土くれがトンネルの壁から剥がれ落ち、足元で砕け散る――それにはかまわずに、アルカードは左手の指先を右手を鎧う万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsに触れさせた。左腕の肘から先を鎧っていた水銀が液状に戻り、右腕を鎧う具足に融合して左腕から剥がれていく。

 左腕を鎧っていた装甲を引き剥がしたところで、アルカードは今度は万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsの下で左腕を鎧っていた重装甲冑の手甲をはずしにかかった。ベルトストラップを緩めて腕を抜き取り、剥き出しになった左腕をしげしげと眺める。

 左腕を露出させ、さらにアンダーウェアを肘まで捲り上げると、表面積の半分近くが外気に触れ、センサーの精度が一気に上がって重層視覚の視界がクリアになった。

 視線移動の際の映像描画の遅延も無くなり、アルカードの運動能力での全力戦闘にも支障無いほどの情報量が頭の中に流れ込んでくる。

 アルカードは正面の土壁から視線をはずし、左手の貫手を土壁に下膊の半ばまで深々と突き刺した――同時に情報表示視界インフォメーション・ディスプレイ・ビュアーの視界の端で、『反響定位探査モードEcholocation Search Mode』の表示が明滅する。

 次の瞬間、電磁波と超音波によって探知された周囲の土壌内部の様子が三次元的に頭の中に描画される――ダイナマイトの爆破衝撃や電磁波の反響を利用して行う、土中探査装置に似た反響定位だ。

 水平方向に二メートルも無いところに、厚さ約一・五メートルのコンクリート壁――そしてその向こうに、大量の水が存在している。

 どうやら目標地点に着いたらしい。

 最後の数メートルを掘り進むために、アルカードは土の中から左腕を引き抜いて数歩後ずさり、右手をまっすぐに伸ばした。センサー視界がぐにゃりと歪み、そのまま轟音とともに右手の先で土が周囲に向かって掻き分けられ、圧縮されて形成されたトンネルの先でコンクリート壁が剥き出しになる。

 それを確認して、アルカードは甲冑の装甲をつけ直した。手甲で鎧った指先を手甲の上から右腕を鎧う万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsの装甲に触れさせると同時、体積を増大させた水銀がスライムの様にプルプルと蠕動しながら左腕を覆い、左腕を鎧う手甲と結合して、再び格闘戦用の装甲を形成する。

「さて、どうなることかな――」 声に出してつぶやいて、アルカードはコートのポケットから『魔術教導書スペルブック』を取り出した。

 グリーンウッド家のが排出した最高の精霊魔術師であるセイルディア・エルディナントウッド・グリーンウッドが造り上げたこのエミュレーターは大量の魔力を消費する代わりに、セイルディア・グリーンウッドの扱う精霊魔術を出力・精度ともにほぼそのまま再現することが出来る――『魔術教導書スペルブック』は回路パスを形成して霊体と直接接続し、霊体の波紋を通じて読み取ったアルカードの思考に基づいて術式を選択するため、いちいち自分でページをめくって目的の術式を探す必要は無い。

 エミュレーターのページがひとりでにめくられていき、やがて止まる。ページにびっしりと書き込まれた文字が淡く発光し、同時にページからあふれ出してきた肉眼では見えない七色に輝く布の様なものが右腕の周りに纏わりつき始めた。

 もちろん実際にはそれは布ではなく、魔術の構成式だ。普通の人間の目には見えず、触れることも出来ない。だがそれを見ることが出来る者の目には、細かな文字列で織りなされたオーロラの様に見えるだろう。絶えず色調を変えながら膨張を収縮と繰り返し、やがて装甲の上から右腕を包み込む。

 アルカードが右手で目の前のコンクリート壁を指差すと同時に、コンクリートの表面に細かな亀裂が生じ、それが徐々に広がっていく。右腕にまとわりついた術式が発生させた高周波数の振動波が徐々に振動数を引き上げ、数秒で照射対象の固有の共鳴周波数に近い周波数帯に達したのだ。

 やがてコンクリートの破壊が始まった周波数帯を中心に周波数の上昇と下降を繰り返して正確な共鳴周波数をチューニングすると、コンクリート壁の破壊は加速度的に早くなった――剥離したコンクリート片が足元に落ちるより早く粉砕され、細かな粉末になって堆積する。

 破壊がコンクリート壁の向こう側に到達すると、穿たれた穴から大量の水が流れ込んできた――水中に没している部分に穴が穿たれたために猛烈な勢いで流入してきた浄水の勢いに踏鞴を踏みながら、あっという間に胸元にまで達した水を冷静に見下ろす。

 水位は見る間にアルカードの背丈よりも高くなり、やがて五メートルほどの水位に達したところで止まった。

 トンネル状の穴の中に流れ込んできた水が、貯水池内と同じ水位に達したのだ。貯水槽内部に水位を常時監視している警備員がいれば、水位の低下に気づくかもしれないが――

 まあそれはどうでもいい。アルカードは一度水面に顔を出して息を吸い込むと、そのまま水中に潜ってコンクリート壁に穿たれた穴をくぐった。

 貯水池内には水銀燈による照明があり、見上げた水面が明るく見える――迂闊に水面に顔を出すのは危険なので、アルカードは水中に潜ったまま左腕に視線を向けた。

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