In the Distant Past 2

「兄さんが前にべた褒めしてたから。あと、陽輔に譲ってくれたCB400SF2スーパーフォアにも組んであっただろう? それである程度性能がわかってるからな」 という返事に、足元のHIDキットの箱を取り上げる――まあオートバイ用は自動車用に比べて耐振動性も防水性も高いので、価格の折り合いがつくならいい選択だ。ただしオートバイ用なので、自動車用とは接続端子のカプラー形状は同じだが、配線パターンが異なる可能性がある――必要に応じて車体側の配線を組み替えなければならないだろう。

 光の色を表す色温度は3100ケルビン――現在自動車用前照燈の電球として販売されている中ではもっとも低い色温度帯に属する製品で、光の色は黄色を呈する。視覚的には暗く感じる半面、光の波長の関係で乱反射を起こしにくく雨天での視界確保が容易であるという特徴がある。

 一昔前のフォグランプが軒並み黄色だったのは、そのためだ――今は白色系が主流になっているが、実際のところ白色系はフォグランプとしてはほとんど役に立たない。光源が増えただけで、乱反射しやすい色調なのは変わらないからだ。

 そのためフォグランプを持たないオートバイの場合、ヘッドライト用としての有用性が高い――二〇〇五年以降の車輌には保安基準違反になるためヘッドライトとして取りつけが出来ないのだが、トミーカイラは一九九〇年代なので問題無い。

 会話が途切れたところで工場の前の駐車場に視線を向けたとき、工場の前の駐車場を突っ切って軽自動車が工場に接近してきたので、アルカードは工場の奥を振り返った。

「池上さーん、お客さんですよ」 店の奥に向かってそう声をかけると、おーう、と返事を返して池上が姿を見せた。

 NGKのスパークプラグを四本持っている――イリジウムのスパークプラグを忠信が用意していたのだが、在庫の中からさらに高性能のものを選び出したらしい。

彼は壁際の急速充電器の上に個包装の箱に入ったままのプラグを置いて、工場内部に進入してきたピンク色に近いスズキの軽自動車――MRワゴン――に停車指示を出してからガレージジャッキを引っ張ってきた。

「すまんちゅうさん、先にあの車をやらせてくれねえか」

「ああ、かまわないよ」

 忠信の返事を確認した池上が一度廃油槽につながるシンクに近づいていって、オイルを切るために廃油槽の網棚にひっくり返してあった樹脂製の廃油受けとオイルフィルター着脱用のカップレンチを手に取って戻ってくる――ということは、あのMRワゴンの用件はオイルフィルター交換込みのオイル交換らしい。

 アルカードと忠信が盆休み中に邪魔しているだけで、本来は今日は営業していないはずなのだが――MRワゴンに気づくや否や動き始めたところから推すと、あのMRワゴンを待っていたところにアルカードたちが押しかけた形なのかもしれない。

 池上が14mm×17mmのボックスレンチとラチェットハンドル、オイルフィルターを交換するためのカップレンチを用意してオイル交換に必要なものを一通りそろえる――古新聞が一枚あるのは、フロントの構造物にオイルがかかるのを防ぐためなのだろう。車のエンジンからオイルを抜くためのドレンボルトはたいていオイルパンの下か後部にあるのだが、以前池上のオイル交換を暇潰しに手伝った経験からすると、スズキ車は車種によってはオイルドレンボルトと構造物の位置関係が悪く、温まって軟らかくなったオイルを抜くと勢いよく出過ぎてフロントメンバーやリジッドラックなどを汚すことがあるのだ。

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作者注……

 ほとんどのフロントエンジン車はジャッキアップした際の作業性の向上とオイルの抜き易さから、オイルパンの後部にドレンボルトがあります。

 しかし車種によっては、排出されたオイルが車体にかかることがあります。

 余談ながら、三菱のトッポBJとか旧型のekワゴンに搭載されている3G83型エンジンの場合は前方にドレンボルトがあります。このためフロントをジャッキアップした状態でオイル交換をしようとするとどうしてもオイルが残ります。またオイルフィルターがドライブシャフトのインナーブーツの上にあるため、オイルフィルターを交換しようとするとフィルター内部に残ったオイルがドライブシャフトブーツやエキゾーストパイプに垂れてきて始末に負えません。このため、ドライブシャフトブーツやエキゾーストパイプを新聞とかチラシでくるんだりして作業します。

 古いエンジンなのでタイミングベルト式ですが、軽自動車には珍しく補機類のドライブベルトがオートテンショナー式になっているという特徴もあります。もっと普及しろ。

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「おうらっしゃい、ちーちゃん」 MRワゴンのドアが内側から開かれ、顔を出した女の子に池上が愛想のいい声をかけた。

「こんにちは」 と返事をして、会ったことの無い二十代初めの若い女の子が車から降りてくる。

 視線が合ったのでアルカードと忠信が会釈すると、彼女は軽く会釈を返して、

「おじさん、この人たちもお客さん? お盆休み中なのに仕事してるの? わたしが言うのもなんだけどさ」

「ああ、違う違う。このふたりは俺の友達だからな、ちーちゃんと一緒で今日は特別だ。金髪のがアルカードで、もうひとりが忠さんだ」 池上がそう返事をしてから、こちらに視線を向け、

「で、ふたりとも――俺の嫁さんの姪っ子の千里ちゃんだ」

「はじめまして、江宮千里っていいます」 にこやかな口調でそう自己紹介して、千里が一礼する。その拍子に肩のあたりで切りそろえたショートの黒髪が揺れた。

「あ、これはどうもご丁寧に。神城忠信といいます」

「アルカード・ドラゴスです。おじさんにはいつもお世話に」 お辞儀する忠信に倣って、アルカードも一礼する。

「よろしくお願いします……日本語お上手ですね」 という千里の褒め言葉に、アルカードはうなずいた。

「そろそろ、十一年になりますから」 という会話をよそに、池上がガレージジャッキをMRワゴンのバンパーの下に差し込んだ。

 エアコンプレッサーのホースを差し出してやると、池上はカプラーをジャッキに接続してジャッキ本体のボタンを押した。とととと、という動作音とともにジャッキのアームが鎌首をもたげる蛇の様に持ち上がり、それでタンクの圧力が規定値より下がったのかコンプレッサーが動作し始める。

「ドラゴスさんもオイル交換ですか?」 それがアルカードのものだと思ったのかトミーカイラに視線を向けてそんな質問を発する千里に、

「否、それは俺のじゃないんですよ。それはこっちの忠信さんので」 俺のはあのライトエースです、と外に止めてあったライトエースを視線で示すと、

「あ、そうなんですか? 若い人が好きそうな車だと思ったからドラゴスさんのかと」

「だ、そうですよ」 忠信に声をかけると、彼は腕組みして、

「いいんだよ、俺の心は永遠の二十代だから」

 ヨタ話に肩をすくめ、アルカードは千里に視線を向けて、

「否、あれは俺の勤め先の車です。ちょっとこれから車検に持っていこうと思ったんだけど」「あ、もしかしてわたしが来たせいで作業止まってたりします?」

「いいえ、別に――あれは光軸調整とサイドスリップだけですから。それにまだ始めてませんから、ご心配無く」 問題はこっちのトミーカイラで――ZZを親指で指し示て、そう続ける。不思議そうな顔をしている千里に、アルカードは説明を補足するために先を続けた。

「今車検切れの上体でして。公道を走れる様にするにはちゃんと整備してあらためて車検を取り直そうとして不具合個所を見てもらうためにここに持ってきたんです」

 ああ、と納得の声をあげる千里に、

「ところで姪御さん、まだ学生さんですか?」

「ああ、いえ、わたしは今年就職しました。北側の高速道路沿いの幹線道路にある大きな総合病院に」 わたし看護師なんですよ、千里がにこにこしながらそう続けてくる。

「ああ、あそこですか」 アルカードはうなずいて、忠信を視線で示し、

「彼の次男とその奥さんが、その病院で医者やってます」

「夫婦で先生ですか? ……本条外科部長?」

「ええ、それ婿入りした私の息子夫婦です」 首をかしげる千里にそう答えてから、忠信が池上に視線を戻す。

 それまで会話に参加せずにフロントメンバーにオイルがかからない様に古新聞をメンバーとオイルパンの隙間に差し込んでいた池上が、こちらに声をかけてくる。

「アルカード、悪い――オイルエレメント取ってきてくれねえか」

 という池上の言葉に、アルカードは千里が新卒で就職した某総合病院に関する会話を切り上げて踵を返した――壁際の一角に設置された棚に横倒しにされた段ボールが置かれ、その中にオイルフィルターの様な汎用性の高い消耗品が山ほど入っている。

 PITWORKとかDRIVE JOYといった有名どころのオイルフィルターのパッケージが、ずらりと積み上げてある――HAMPというのはホンダの専用品だ。ホンダ用に規格を統一されたオイルフィルターで、ホンダ車ほぼすべてに使うことが出来る。日産のステージアなんかにも使えたはずだが。

「池上さん、どれですか?」 アルカードがそう声をかけると、

「PITWORKだ――KE002を頼む」 という返事が返ってきた。

 ついでに思いついて、棚の支柱にガムテープで縛着された輪切りにされたペットボトルの下半分の中に大量にストックされたドレンプラグガスケットも手に取る。ドレンプラグのオイル漏れ防止に使うアルミ製ワッシャーはドレンプラグのねじ山部分の直径によってサイズが複数あり、アルカードはMRワゴンのドレンプラグの直径を知らなかったのであるだけ全部一枚ずつ手に取った。

 まあ、全部持っていけばどれかひとつは当たりだろう。

 そう考えて池上のところに戻り、手にしたオイルフィルターを差し出す。

「これですか?」

「おう、すまねえな」 礼を言って受け取った箱を横に置き、池上が寝板に寝そべったまま樹脂製の廃油受けを車体の下に入れる。

「いえ――ほかには?」 という質問に池上がオイルパンのドレンボルトを緩めながら、

「エンジンオイル」

 返事をして、池上はドレンボルト穴から流れ出してきた廃油を受け止める様に廃油受けを押し遣った。

 抜き取るときに廃油受けの中に落としてしまったドレンボルトを探して、池上が廃油の中に指を突っ込む。熱いオイルに顔を顰めながらすぐにドレンボルトを探し出してつまみ上げた池上に、あるカードは手近にあったオイルの染みのついたウェスを差し出した。池上は布を受け取ってオイルまみれのドレンボルトを拭き取りながら、

「向かって左のドラム缶から、三リッターほど頼む」 寝板の上で座り込んだまま新品のドレンプラグガスケットの一枚をドレンボルトに差し込んでいる池上に返事をしてから、アルカードは壁際に置かれたエンジンオイルのドラム缶に足を向けた。

 の視界の中で、池上が14mm×17mmのボックスレンチを手に寝板に寝転んで車の下にもぐりこんでいる――手早く古いオイルフィルターを取りはずしている池上の様子を確認しながら、アルカードはオイルジョッキを手にとってポンプの取っ手に手をかけた。

 KE002に限らず、オイルフィルターの大部分は金属製のカップの中に濾紙を組み込んだ様な構造になっている――乗用車用のK6Aの場合、オイルフィルターは真下から真上に向かって組みつけられており、したがって取りはずすときは下から廻す必要がある。

 ある程度オイルエレメントを廻して手で緩む様になったところで、池上はフィルターレンチからラチェットハンドルを取りはずした。フィルターレンチ自体はカップに喰い込んではずれないらしい。代わりにエクステンションバーを取りつけて軽く動かし、フィルターレンチを取りはずす。

 そのままフィルターを手で廻していくとバンパーの下から黒っぽくなったオイルがしたたり落ち始め、池上が手を引っ込めた――真下から真上に向いた構造上エンジンをストップしてもオイル通路ギャラリには大量のエンジンオイルがそのまま残っており、フィルターの締めつけが緩んでパッキンと接合面に隙間が出来るとそこからオイルが漏れてくるのだ。うまく真上を向けたままにしていればカップ状のフィルター本体からのオイル漏れはほぼ無いのだが、オイルギャラリからかなり大量のエンジンオイルが排出される。

 しばらく待ってオイルの流出が収まったところで、再びオイルフィルターを手で廻してオイルフィルターを完全に取りはずす。

 カップタイプのオイルエレメントは、内部に大量のオイルが残っている――中身を床にこぼさない様に取りつけ面を上に向けたまま、池上はオイルエレメントを傾けて中身のオイルを廃油受けの中に入れた。

 オイルフィルターに触って廃油で油まみれになった手を、池上が襤褸布で拭い取っている。

 がぼん、がぼんという音とともに長年使い込まれてすっかり変色したオイルジョッキの中にエンジンオイルが注ぎ込まれてゆく。リクエスト通りにきっかり三リッターぶんのオイルを汲んでから、アルカードはジョッキを持って池上のところまで戻った。

「ここに置きますよ」

 池上が誤って蹴飛ばす恐れの無い場所にオイルジョッキを置いてから、アルカードは少し距離をとった。

 新しいオイルエレメントを取りつけ終え周辺の脱脂も済んだのだろう、池上が車の下から姿を見せる。

「これ何年式ですか?」

「今年の型ですよ――高校のときの友達のお父さんが中古車屋をやってて、その伝手で仕入れてもらった新古車です」

「へえ」

 忠信と千里の会話を聞き流しながら、アルカードはMRワゴンの車内を覗き込んだ――女の子らしい可愛い系の趣味のぬいぐるみで飾られた車内で、インパネには車種専用のオーディオが取りつけられているからか、カーナビは後づけのものがダッシュボード上に取りつけられている。

 イグニッションはキーを携行していれば鍵穴にキーを差し込まなくても始動可能なキーレススターターだが、押しボタン式ではなく巨大なつまみの様な形状になっている。

 池上がジャッキを下ろしながらオイルジョッキを手に取り、エンジンオイルをフィラーキャップから注ぎ込み始めた――池上が言うには、K6Aはオイルフィルターの同時交換時には二・八リッターのエンジンオイルが必要らしい。

 池上が新たに汚れていないウェスを手に取り運転席に近づいてきたので、アルカードは場所を空けて彼に道を譲った――彼は真新しいウェスでドアノブを掴んで、車体を汚さない様にしながら運転席のドアを開け、イグニッションノブをつまんでエンジンを始動させた。

 クランキング音とともに、エンジンが息を吹き返す――あとはオイルフィルターの内部にエンジンオイルが十分入るまで放っておかなければならないので、池上はその間に廃油やらなんやらを片づけにかかった。特に下回りを見る気配は無いが、ダイヤルステッカーの十二ヶ月点検予定日を確認する限り購入自体がつい最近なので問題は無いのだろう――彼女の言う通りなら、この車輌は発売からまだ半年と経っていない。

 池上がエンジンを始動したことによりオドメーターに表示された総走行距離は、五百三十キロとなっていた――慣らし運転が終わったところで、エンジンオイルを交換するために来たのだろう。

 五分ほどたったところで、池上がエンジンを停止させる。あとはエンジン内部のオイル通路に流れたエンジンオイルがすべてオイルパンに戻るまで、数分間放置してやらなければならない。

「さて、待ってる間にトミーカイラの準備だけでもやっとくか――ちーちゃんはそのへんでゆっくりしててくれ」

 池上がそう言って、あらためてトミーカイラのリフトを操作した。

「なにから始めましょうか」

「そうだなぁ――忠さんはドライブシャフトを抜く段取りを頼む」 アルカードの質問に、池上がそう返事をする。

「アルカードはフロント側の足回りを頼むわ。ボールジョイントブーツとか、スタビライザーブッシュの交換の準備しててくれ」

「わかりました」 アルカードはそう返事を返して、与えられた作業を始めるために用意した部品の山に歩み寄った。


※……

 ほとんどのフロントエンジン車はジャッキアップした際の作業性の向上とオイルの抜き易さから、オイルパンの後部にドレンボルトがあります。

 しかし車種によっては、排出されたオイルが車体にかかることがあります。

 余談ながら、三菱のトッポBJとか旧型のekワゴンに搭載されている3G83型エンジンの場合は前方にドレンボルトがあります。このためフロントをジャッキアップした状態でオイル交換をしようとするとどうしてもオイルが残ります。またオイルフィルターがドライブシャフトのインナーブーツの上にあるため、オイルフィルターを交換しようとするとフィルター内部に残ったオイルがドライブシャフトブーツやエキゾーストパイプに垂れてきて始末に負えません。このため、ドライブシャフトブーツやエキゾーストパイプを新聞とかチラシでくるんだりして作業します。

 古いエンジンなのでタイミングベルト式ですが、軽自動車には珍しく補機類のドライブベルトがオートテンショナー式になっているという特徴もあります。もっと普及しろ。

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