Balance of Power 25

 

   *

 

 開け放していた掃き出し窓のほうからキャンという鳴き声が聞こえてきて、リディアはそちらを振り返った――網戸に前肢を掛けて中を覗き込みながら、黒い犬がパタパタと尻尾を振っている。

「ソバちゃん?」 窓のそばまで歩いていって網戸を開けてやると、ソバが返事をする様に一声鳴いた。足の甲に前肢を置いてこちらを見上げているソバに小さく笑い、足首と膝が痛くてかがめなかったので、窓際に座り込む。

「……あれ? ソバちゃん、どうして綱がついてるの?」 窓際の床についた手の指先を舐めているソバの頭を撫でてやりながら、そう声をかける――ソバの首輪の金具には、犬用の綱が取りつけられたままになっていた。

 アルカードは普段犬を散歩に連れ出すときにはハーネスをつけるので、首輪は飼い犬であることを示す以上の意味は無い――その一方で裏庭で遊ばせているときなどは勝手にどこかに行ったりしない様にケージで囲うか、なにかにつないでおり、そういったときは普通に首輪に綱をつけている。

 サンダルの上に踵を置く様にして足を投げ出し、飼い主である金髪の吸血鬼の部屋のほうに視線を向けると、アルカードの部屋の掃き出し窓の外、塀との間に張られたタープの下でウドンとテンプラが蹲っているのが見えた。二匹ともこちらに気づいて耳を動かしたが、暑いところに出たくないのかタープの下から動く気配は無い。

 普段だったらケージで囲っておくか、排水管に結束バンドで固定されたカラビナに綱でつながれているのだが――よく見るとカラビナが壊れている。不良品だったのか粗悪品だったのかはわからないが、ヒンジ部分が壊れて地面に転がっていた。

 ガチャリと音を立てて、裏手の塀に設けられた駐車場に通じる扉が開く――蝶番の油が切れかけているのか耳障りなきしみ音とともに開いた扉をくぐって、金髪の吸血鬼が姿を見せた。

 車がらみでなにか作業をしていたのか、近所のコンビニのロゴが入ったポリ袋を手にしている――アルカードはリディアの足首に鼻面を近づけてふんふんと匂いを嗅いでいるソバに視線を向けてから、今度は排水管に固定されたアルミ製のカラビナに視線を向けた。

 タープの陰の下に足を踏み入れて、かがみこんだアルカードが地面の上に転がっていたカラビナの金具を拾い上げる。形はそのまま残っている様だったので、スプリングが駄目になったのだろう。

 彼はそれをポケットに突っ込んでから、こちらに向き直って軽く片手を挙げた。飼い主の足元に寄っていってじゃれついているウドンとテンプラに笑みを向けてから、歩きにくそうにしながらこちらに近づいてくる。

「調子はどうだ?」

「ええ、今は大丈夫です。痛み止めが効いてるみたいで」

「そうか。だが痛みを感じないだけで怪我は治ってないから、無理はしない様にな」

「はい」 リディアはうなずいて、ソバの鼻先に指先を差し伸べた――どうもテーピングの匂いが珍しいらしく、指先を無視して足首に巻いたテーピングの匂いをしきりに嗅いでいる。

「いい匂いでもするんでしょうか」

「さてな」 アルカードはそう答えてから、リディアのかたわらにかがみこんでソバの綱に手を伸ばした。飼い主が近くに来たからか、ソバがアルカードに向き直り、後肢で立ち上がって膝に前肢を掛ける。

 くるんと巻いた尻尾をちぎれんばかりに振っている黒い犬の頭に手を伸ばしかけて、アルカードはその手を引っ込めた。よくよく見ると指先が黒く汚れていて、それで直接触るのをやめたのだろう。

「なにしてたんですか?」 リディアがそう尋ねると、アルカードは右手で持っていたコンビニのポリ袋を翳してみせた。中には黒いゴム製の輪の様なものが入っている。見た目だけなら黒い輪ゴムの様に見えなくもない――ただしかなり長いが。

「さっきジープで帰ってくるときに、キュルキュル音がしてただろう? あれの原因になってたゴム部品の手入れしようと思ったら、もうぼろぼろになってたから交換した」 そんな返答を返してくる。確かにゴムと金属をこすりつける様なキュッキュッという異音が聞こえてきていたが、どうやらその原因がこれらしい。

 彼はそう答えてから、開け放されていた自室の掃き出し窓から手にしたポリ袋を部屋の中に投げ込んだ。

 ウドンとテンプラの綱はカラビナに引っ掛かったままになっていたので、とりあえずはそのままでいいと判断したのだろう。アルカードは掃き出し窓の前で足を止め――突然彼の身体が霧になって消失する。

 靄霧態?

 犬たちは変わらず、窓の中に向かってきゅうきゅう鳴いている――アルカードがそれまで立っていたところには、まるで自殺みたいに靴だけが残っていた。

 靄霧態――履いていた靴だけを残して霧に姿を変えた? 

 たぶん手が汚れていたから、靴をその手で触るのが嫌だったのだろうが――自分の身に着けているものを選択的に靄霧態から排除出来るのか。

 どうも汚れた手を洗いに行ったらしく、金髪の吸血鬼は一分ほど経過したところで再び靄霧態から人間態に変化する形で姿を見せた――靴の中に足を入れた状態で人間の姿に戻ったアルカードが、掃き出し窓に腰を降ろしてこちらに視線を向け、抱っこされて首元に頭をこすりつけているソバの姿を目にして目を細める。

 沓踏石に足を置く様にして掃き出し窓のところで腰を下ろしたアルカードが舌を鳴らすと、タープの下でじゃれあっていたウドンとテンプラがアルカードのほうに駆け寄っていった――足首にしがみつく様にしてじゃれついている二匹の犬の頭を優しく撫でてやりながら、アルカードが穏やかな笑みを作る。

 差し出された指先を競い合う様に舐めている二匹の犬と、それを穏やかな表情で見下ろしている吸血鬼の姿に目を細めたとき、アルカードが唐突にこちらに視線を向けた。

「ところでリディア、新しいコーヒー豆がさっき届いたんだがお茶につきあわないか?」 そんなことを言ってくる。コーヒーは好きなのだが手持ちの道具が無いために淹れられないリディアは、その提案に飛びついた。

「いいんですか?」

「ああ、犬を遊びに連れ出そうと思ってたんだが、こいつら暑いから外に出たがらなくてさ。暇なんだよ」

 彼はそう続けてから、座ったまま手を伸ばして排水管に固定したカラビナに引っ掛かったままになっていたウドンとテンプラの綱をはずした。持ち手をはずした綱のナス環を首輪からはずし、綱を部屋の中に適当に放り込みながら、

「しょうがないからコーヒーでも淹れようかと思ったんだが、どうせだったら女の子と差し向かいのほうが楽しいしな」

 吸血鬼のその言葉に、リディアは小さく噴き出した――まあ、この吸血鬼が暇潰しに店子の誰かをお茶に誘うのはよくあることだ。別にその相手はアルカード本人が言う様に女性ばかりというわけでもなく、フリドリッヒやジョーディ・シャープなこともあるし、かつてここで暮らしていたという元従業員のドイツ人男性を紹介されたこともある。

 アルカードはコーヒー豆を買うたびに複数の道具を使って淹れ方を研究するのが好きで、ちょくちょくコーヒーを淹れるための道具や濃さを変えてコーヒーを入れては利き酒ならぬ利きカフェをしている――リディアもこの二週間で何度か誘われたことがあるし、その席に店の従業員や今でもつきあいのある元従業員が何人か同席しているのも珍しくない。

 取り立てて用事は無いし、コーヒーにもお茶菓子にも興味があったので、彼女は嬉々としてうなずいた――とりあえずはっきりしていることとして、豆にも道具にもこだわっているためにアルカードの淹れるコーヒーはとにかく美味い。

「喜んで。それじゃ、戸締りしたらお邪魔します」 そう返事を返して立ち上がりかけたところで――リディアは膝と足首の激痛に立ち上がり損ねて、その場で再び座り込んだ。

「大丈夫か」 その様子を見ていたアルカードが、眉をひそめながらそう声をかけてくる。

「あんまり――ごめんなさい、手を貸してくれませんか」 手を差し出しながらそう返事をするとアルカードはその手を握り返し、彼女の背中に手を添えて立ち上がるのに手を貸した。

「ありがとうございます」

「迎えに行ったほうがいいか?」 アルカードの問いに、リディアはかぶりを振った。

「いえ、大丈夫です」 そう返事をして、リディアは掃き出し窓を閉めた。目の前で窓を閉められたソバが、アルカードに呼ばれてそちらを見遣る――もう一度窓を開けてまたあとでね、と声をかけてやると、ソバはキャンと一声鳴いてからアルカードのあとを追って走っていった。

 それを見送ってから窓のロックを掛け、足首を傷めているために片足を引きずりながら玄関に歩いていく――リディアは手を伸ばして、靴箱の横に立てかけていた松葉杖を手に取ろうとしてから、思い直して手を引っ込めた。

 左右がそろっているならともかく、片手だけの松葉杖は慣れないリディアには負担にしかならない――壁に手を突いて歩ける場所なら、松葉杖が無いほうが正直楽だ。

 靴を履くのは辛かったのでサンダルを履き、扉を開けて共用廊下に出る――扉を開けると同時に、昼過ぎのむわっとした熱い空気が部屋の中に流れ込んできた。

 玄関を施錠して、片手を壁に突いて片足で飛び跳ねる様に歩き出す――アルカードの部屋の前までたどり着くより早く、彼の部屋の扉が内側から開かれて吸血鬼が顔を出す。アルカードはリディアが杖を突いていないのに気づいて、

「杖無しで大丈夫なのか?」

「ええ、これくらいの距離なら」 表情から察するにあまり納得してはいない様子ではあったが、アルカードはなにも言わずにリディアに向かって手を差し出した。

 差し出された手を握り返して、リディアはエスコートされるまま彼の居室に足を踏み入れた。リディアが部屋に上がった背後で、アルカードが扉を閉める。

 いつもこの部屋にやってくるときにそうであるのと同じ様に、上がり框で出迎えに出た犬たちが尻尾を振っていた。

 アルカードが上がり框に上がり、犬たちにリビングに戻る様に促してからリディアに向かって再び手を差し出す。

 単純にリディアの脚の具合を気遣っているだけなのが、表情からわかる。それを安堵すべきなのか、それとも残念に思うべきなのかの判断がつかないまま、リディアは彼が差し出した手を握り返した。

「次からは、短い距離でも杖を突いておいたほうがいい――そうすれば少なくとも、脚が悪化しても医者に怒られないからな」 そんなことを言いながら、アルカードはリディアをリビングに招じ入れた。

「お邪魔します」 そう声をかけてリビングに入ると、リビングの扉を閉めたアルカードがリディアをテーブルのそばまでエスコートしてから椅子を引いた。

「ありがとうございます」 お礼を言って椅子に腰を下ろそうとしたとき、リディアは片足だけで座ろうとしたためにちょっとバランスを崩し――アルカードがすっと脇に手を入れ、体を支えてくれてから手を離す。

「寒くないか?」 と聞いてきたのは、リビングの空調の話だろう――アルカード自身は問題無くても犬の体調管理のために必要なのだろう、リビングにはエアコンがかかっていて外の様には暑くない。

 寒さを感じるほどでもなかったので、リディアは軽くかぶりを振った。

「いいえ、大丈夫です」 そうか、とうなずいて、アルカードはキッチンに歩いていった。

 ロイヤルクラシックであるアルカードは『帷子』の能力を持っているので、外気温五十度の炎天下からマイナス四十五度の低温環境下まであらゆる環境において問題無く活動出来る――本人が言うには、周りに組成の一部に酸素を含む気体さえあれば毒ガスの充満した環境であろうと活動が可能であるらしい。

 それが純酸素ではなくほかの分子と結合して酸化物となっている場合でも問題無く、周囲に存在する気体がその成分の一部に酸素その他の成分を含んでさえいればいいらしい。『帷子』はそれを内部に取り込んで、必要に応じて不要あるいは有害な成分を選択排除フィルタリングして分解・無害化し、活動に必要な呼吸が可能な気体を作り出すのだ。

 逆に言えば、いかなロイヤルクラシックであっても真空間での生存は不可能であるということでもあるのだろうが。

 ただし酸素を成分の一部に含む空気さえあれば火星の表面でも生きていけるだろうが、液化ガスを浴びせかけられるとどうなるかわからない――というのがアルカードの言だが。

 『帷子』は蒸気や空気、極めて質量の小さな塵埃等は排除出来るが、水滴の様な質量の大きな物体は排除出来ないらしい。したがってどれだけ冷凍ガスを浴びせても問題無いが、液化窒素の様な液化ガスを浴びたらどうなるかはわからないのだそうだ。

 それはつまり、液化窒素が蒸発したあとの極低温環境下でも問題は無いが、自分の身体にじかに液化窒素を浴びせられるのは危険だということなのだろうが。『帷子』は冷凍ガスの流入もそれに伴う外気温の低下に対する熱の流出も防ぐが、液体状のガスが帷子の内部で蒸発する際の気化冷却には対応出来ないのだ。

 あとは成分の一部に酸素を含む気体がまったく存在しない環境もおそらく危険だって言ってたっけ――

 そんなことを考えながら、リディアは部屋の中を見回した。

 ほかには誰もいない――『女の子と差し向かいで』というアルカードの言葉通り、ほかには誰も招かれていないらしい。ほかの住人がみんな出かけていて、誘う相手がいなかっただけかもしれない――むしろそっちのほうがありそうだ。そう考えてすんなり納得してしまえるあたりが、なんとなく悔しい。

 部屋の中はきちんと整頓が行き届いていて、片づいている――本人が言うには、生まれ育った養家の家政婦に整理整頓を散々仕込まれたのだそうだ。絨毯を敷き詰めた部屋で犬を室内飼いしているので、気を使っているということもあるのだろう――動物は好きだが、抜け毛が飲食物に混じったりするのには耐えられないタイプらしい。

 キッチンのカウンターにはサイフォンにペーパードリップ、パーコレーターにウォータードリッパー、ネルドリッパー、中近東ではやっているトルキッシュスタイルのイブリックという柄杓の様な器具に直火式のエスプレッソメーカーなど、古今東西のコーヒー用具が並べられていた。

 これらを使って、どのスタイルで飲むのが一番旨いかを豆ごとに検証するのが楽しいらしい――アルカードはリディアに手で着席を促してから、キッチンカウンターの向こう側に置いてあったらしいペットボトルの水をサイフォンのフラスコにたっぷりと注いだ。最初はサイフォンから始めるらしい。

 アルカードのキッチンの水道はかなり高性能の浄水器になっているのだが、アルカードがコーヒー用に使っている水はそれをさらに煮沸消毒したものだ。

 彼はアルコールランプに点火するためにマッチを手に取りながら、

「寒く感じるなら言ってくれよ」

「はい」 足元でごろごろしているウドンの顎の下を軽くくすぐってやると、ウドンが伸ばした指先に頭をすり寄せた――自分の親にそうする様にリディアの指先に頭をこすりつけているウドンに、うっすらと笑う。

 アルコールランプを水を入れたフラスコの下に押し遣ったアルカードが、キッチンの出口あたりで壁にもたれかかって目を細めた。

 お菓子の載ったお皿とブリキ缶をいくつかテーブルの上に出してから、アルカードがリディアの向かいで席に着く――本当に暇潰しの話し相手がほしかっただけなのかしばらく他愛も無い雑談をしてから、フラスコのお湯が沸騰し始めたのでアルカードが席を立った。

 彼はミルで挽いた豆を入れた漏斗をフラスコの上部に捩じ込んで、いったん離したアルコールランプを再びフラスコの下に押し遣った。再度お湯が沸騰を始め、フラスコの中のお湯が漏斗に昇っていく。竹べらで漏斗に昇ったお湯をしばらく撹拌してから一分ほど待って再び撹拌し、アルカードはフラスコの下からアルコールランプをどかして火を消した。

 あとはしばらく放っておかなければならないからだろう、アルカードは再び席に着いて椅子の下でじゃれあっているソバとテンプラを覗き込んで目を細めた。

「フリドリッヒも呼べればよかったんだがな、さっき試運転だって言って出掛けちまった」 どうやらソバがやってくる十五分ほど前に、駐車場のほうから聞こえてきたエンジン音はそれらしい――ほかの連中もいないし、と続けて、彼はお皿の上に整然と並べられたいくつかの種類のお菓子のうち、赤い包装紙で個包装されたお菓子をひとつ手に取って封を切った。リディアも手を伸ばして、同じお菓子をひとつ手に取る。

 普段は甘いものは食べない男だが、コーヒーを飲んでいるときは普通に食べる――時折子供たちに振舞っている手作りのお菓子が絶品なところを見ると、甘味に対するセンスがおかしいわけでもない。単体で食べるのが好きではないだけで、苦手なわけではないのだろう。

「雨に降られなきゃいいんだがな」

「雨が降ったらせっかく洗ったのに、また汚れますね」

「ワックスをかけるって言ってたから、そこまで作業が終わってたらまだましなんじゃないかな。ポリエチレンコートとかのほうが持ちはいいんだが」 ポリエチレンコートというのがなんなのかはよくわからないが、名前からして塗装面の皮膜コート処理の一種なのだろう。

「いいものなんですか?」

「基本的にはね――ま、業者の腕次第だ」 足元に寄ってきたテンプラの頭を撫でてやりながら、そんなことを言ってくる。

「そういえば、このお菓子ってこないだの物産展のですか?」

「否、違う――これは貰い物だ」 リディアが話題を変えると、アルカードはそう返事をしてきた。

「お嬢さんが籠に放り込んでた中に、同じものはあったけどな」

「ですよね」 と、同意しておく――リディアがそう思ったのも、アルカードがパオラに渡したお菓子の中に同じものがあったからだ。

 誰からの貰い物なのだろうという疑問はあったが、リディアは深くは聞かなかった――知人の中に誰か、北海道に縁のある人がいるのだろう。

 パッケージの中央にマルの中に『成』、その両脇に『バ』『タ』と印刷された包装紙を開けると、ビスケットにクリームをはさみ込んだお菓子が顔を出した。

 それを食べきったところで漏斗の中で抽出されたコーヒーが再びフラスコに落ちているのに気づいて、アルカードが席を立つ。

 温めたコーヒーカップにフラスコの中の褐色の液体を注ぎ始めると、部屋の中に淹れたてのコーヒーの芳香が広がった。

「いい香りですね――アルカード、ほんとにドラキュラを斃してから聖堂騎士団の寮で料理人とかしませんか?」 アルカードがテーブルに置いてくれたコーヒーカップの中に注がれた褐色の液体の芳香をしばらく楽しんでから、リディアはアルカードにそう誘いをかけた。

「人数が多いから面倒臭いよ」 アルカードがそう答えて、コーヒーカップに口をつける。

「じゃ、ヴァチカンの近くで喫茶店でも開くとか」

「商売にしたら、どうしても採算考えないといけなくなるだろう? 爺さんの店みたいに品質にこだわってるのを評価する客が大勢来てくれるんならまだいいが、どこでもそれが成功するとは限らないからな」

 こういうのは趣味でやるからいいんであってな――そんなことを続けてから、アルカードが再びお菓子に手を伸ばす。

「趣味でやってるからこうやって、綺麗な女の子を誘って差し向かいでお茶とか出来るわけだ。商売にしたら、俺は他人が飲み食いしてるのを横で見てるだけだしな」 二個ずつ個別に包装されたダックワーズを手に取って封を切りながら、それはつまらん、とアルカードが続ける。

「……ふふ」

 意図しない笑い声を漏らして、リディアは手を伸ばしてお皿の横に並べて置いてあった缶の蓋に手をかけた。

「これ、開けてもいいですか?」

「どうぞ」

 アルカードの返事を待って、黒地に紋章の様なものが印刷された缶の蓋を開ける。すでにいくつか減っていたが、中身はテーベッカライ、オーストリア風のクッキーだった。

 前にご馳走になったときの話によると、ツッカベッカライ・カヤノという日本人の職人の店の製品らしい。

「うーん。でも、わたしとしては出来ればドラキュラを斃したあとで、アルカードにはずっと聖堂騎士団と友好的な関係のままでいてほしいんですけど。ヴァチカンで先生やるとか」 個包装されたテーベッカライをひとつ手に取りながらそう言うと、アルカードは露骨に胡乱そうな顔をして、

「なんで」 胡散臭そうにそう返事をしてくるアルカードに、リディアはにこにこ笑いながら続けた。

「だって、そうすればいつでもお茶をご馳走になりに行けますからね。昼でも夜でも、飲みたくなったときに」

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