Balance of Power 22

 

   *

 

「――けきゃきゃきゃきゃきゃぁっ!」 耳障りな哄笑とともに、ジャンノレが右腕を振り翳す――長く伸びた右腕の手首から先がまるで水死体のそれの様に膨れ上がり、まるで錘を思わせる巨大な瘤の内側から、金属質の棘が皮膚を突き破って何本も突き出した。

 まるでモーニングスターの様にうなりをあげて振り回された右腕が、咄嗟に回避したアルカードの立っていた空間を叩き潰し、背後にあった欅を半ばから叩き折る。細かい破片が周囲に飛び散り、無残にへし折られた樹齢数百年の太い欅がバキバキと音を立てて地響きとともに地面に倒れ込んだ。

 それを視界の端に捉えながら、自動拳銃を据銃――立て続けにトリガーを絞ると同時、左手で構えた九ミリ口径が三度火を噴いた。

 おそらくそれを躱す程度の反射能力はあるのだろうが、ジャンノレは撃ち込まれてきた銃弾をよけようともしなかった。

 着弾の衝撃でジャンノレが体をのけぞらせ、一瞬だったが頭部が膨張する――だがジャンノレの反応はそれだけで、頭部の破壊には至らない。それ自体はわかりきっていたことなので気にも留めず、アルカードは着弾の衝撃でふらついたジャンノレの視界から逃れる様にして跳躍した。

 さてどうしたものか――ジャンノレは吸血鬼とは違う。厄介なのは、霊体を直接破壊する攻撃手段が通用しないことだった。

 受肉した霊体や下位の吸血鬼など、霊体が肉体を維持している相手の場合、霊体を直接破壊することで肉体も破壊される。相手の強さによっては、一撃で消滅することもある――が、ジャンノレは違う。キメラなのか、それとももともとそういう生物なのかは知らないが、あれは塵灰滅の剣Asher Dustよる斬撃で消滅する気配が無い。

 となると、物理的な攻撃で殺すしかないわけだが――

 自動拳銃、剣、格闘攻撃。いずれもアレには通用しなかった。

 となると――を見下ろして小さく舌打ちする。

 左腕これも含めて、あれを確実に仕留めうる手札カードは二枚。だがどちらを仕掛けるにしても、長時間ジャンノレの動きを止めなければならない。

 ならば――胸中でつぶやいて、アルカードは地面を蹴った。ジャンノレが接近を牽制するために振り回した触手をかいくぐる様にして接近し――接近されたジャンノレが迎撃のために左腕を変形させる。

 まるで衝角ラムの様な巨大な棘に肉が絡みついた様な異形の触手を振り翳し、ジャンノレが声をあげた――大きく開いた口の中に、左手を捩じ込む。

 先ほど体内にプラスティック爆薬を捩じ込んだとき、爆発に巻き込まれたジャンノレの体は高速で治癒こそしたものの、重度の火傷を負っていた。それもすぐに治癒してしまったが、致命傷を与えられなかったのは火力が足りなかったのか、それとも――

 いずれにせよ、あれは衝撃は受けつけないが外傷を与えること自体は可能だ。

 ならば試す価値はある――場合によっては、ガス工場など探さなくてもいいかもしれない。

 先ほどC4可塑性爆薬を捩じ込んだのと同じ様に左腕の内側からせり出してきた青い液体の入ったカプセルを、アルカードはそのままジャンノレの口の中で握り潰した。

 口の中から左手を引き抜き、指先に残った青い液体をジャンノレの顔に振りかけておく――細胞組織を破壊して、対象の肉体を完全に分解消滅させる酵素の効果は覿面だった。まるで煙突みたいに口の中から煙を吐き出して、ジャンノレが喉の焼け爛れる感触に絶叫をあげる。

 顔に附着した酵素液が細胞膜を破壊し、ジャンノレが片手で顔を掻き毟りながら空いた腕を盲滅法に振り回した――尖端に錘のついた鞭の様な触手がしなり、うなりをあげて周囲を蹂躙する。

 こちらの攻撃の好機であることはわかっているからだろう、動きは止めない。

 さすがに無理か――小さく毒づいて、アルカードは後方に跳躍してジャンノレから距離をとり、繰り出された触手の打擲を躱した。量が少なすぎる。

 の中に残っているのはあと一本。補給は受けたものの残りはジープの中だ――ジャンノレの再生能力が高すぎて、全身を溶かしきるにはいささか心許無い。

 取りに行くか? 否――

 アルカードの手持ちの攻撃手段の中で、確実にジャンノレを仕留めることが出来るものはふたつ。

 設定した領域の内側に存在する物質の原子構造を破壊して、完全に消滅させる儀典魔術・原子崩壊。

 もうひとつは同じく照射範囲に存在する物質の構成原子を素粒子レベルまで完全に分解し消滅させる、憤怒の火星Mars of Wrath煉獄炮フォマルハウト・フレア

 前者は発動までに冗長な呪文と積層型立体魔法陣の構築が必要で、その魔法陣によって設定された範囲内にしか効果が無く、後者は発動後の消耗が行動に支障が出るほど激しく伏兵がいた場合のリスクが高い。

 最大の問題は、いずれも連射が効かないことだった――原子崩壊は発動のたびに目標周囲に積層型立体魔法陣を作り直さなければならないし、憤怒の火星Mars of Wrathは二発目を撃ったら間違い無く行動不能になる。

 ゆえに望ましいのは一撃必殺、しかしそれをするにはジャンノレは動きが速すぎる――少なくとも積層型立体魔法陣や憤怒の火星Mars of Wrathの加害範囲からすんなり離脱する程度には。

 よって、まず最初に考えるべきはジャンノレの動きを完全に動きを止めることだ。

 儀典魔術の『防壁ウォール』を構築しながら積層型立体魔法陣を描くことは出来ないし、『防壁ウォール』は憤怒の火星Mars of Wrathの波動を遮断してしまう。よって小規模の防壁の内側にジャンノレを閉じ込めた状態で原子崩壊や憤怒の火星Mars of Wrathを仕掛けることは出来ない。防壁を解除してもすぐにジャンノレが動き出せない状況を作っておく必要がある。となると――

 あまり気は進まないが――

 胸中でつぶやいて、アルカードは地面を蹴った。

 ジャンノレの顔に附着し、目に入り込んだ酵素液の滴が視界を潰しているのか、ジャンノレはこちらの接近を牽制するのと痛みをごまかすためだろう、フレイルの様な触手を滅茶苦茶に振り回している。その攻撃範囲からいったん逃れて、アルカードはジャケットのポケットに手を伸ばした。

 ポケットの中に入れたままにしていた携帯電話に指先を這わせ、折り畳み式の携帯電話を手探りで開く。

 指の覚えている動きでパスワードを入力してロックを解除、リダイヤルから最新の通話履歴を呼び出すと、左耳に捩じ込んだままにしていたイヤホンからじりじりという呼び出し音が聞こえてきた。

「――はい、私です。我が師よ」 聞き慣れたその声に口元を緩めながら、再び跳躍してジャンノレの打擲を躱す――背後にあった岩塊が一撃で粉砕され、細かな砕片を撒き散らした。

「忠泰か? すまん、ちょっと頼みがあるんだが」

「は?」 電話の相手――総本山から在東京ローマ法王庁大使館に派遣されている折衝役、聖堂騎士団の神田忠泰は、アルカードの言葉に不審そうな声を出した。

 まあ、ほんの二時間前にじかに会って話をしたばかりだから無理も無い――先ほど会ったばかりでいきなり連絡してくるということは、面倒事の後始末くらいしか用件が思いつかないだろう。そして実際のところ、依頼する要件はそこらの後始末よりたちが悪い。

「師よ、いったいなにが――」

 怪訝そうなその問いかけに返事を返そうと口を開きかけて――アルカードは再び地面を蹴った。

 咄嗟に回避したアルカードの立っていた空間をうなりをあげて振り下ろされたフレイル状の触手が叩き潰し、轟音とともに土砂が周囲に飛び散る。

 その轟音でこちらが戦闘状況にあることを察したのだろう、神田の声が緊張を帯びた。

「師よ、今敵襲を受けているのですか? 状況の詳細を」 神田の言葉に、アルカードはジャンノレの繰り出してきた網状の触手を躱しながら返事をした。

「状況の詳報は後回しだ。支援も要らん――代わりにちょっと調べてくれ。この携帯の近くにあるガス工場を探してほしい。液化窒素か液化酸素、液化ヘリウムかなにか――加圧された液化気体を扱うところがいい。ドライアイスと高純度アルコール、両方一度に扱ってるならそれでもいいが」

 アルカードの位置を言う必要は無い――どのみち彼自身も、正確に現在位置を把握していない。電源の入っている携帯電話は、一種のミニチュア発信器として機能する。電源が入っていて番号がわかってさえいれば、追跡は簡単だ。神田のほうで勝手に掌握するだろう。

 とにかくそれでアルカードがなにをしたいのかを理解したのだろう、神田はそれ以上は聞いてこなかった。

 液化窒素に液化ヘリウム、それにドライアイスと高純度アルコール。吸血鬼狩りや悪魔退治の現場に立った人間なら、その質問がなにを意図するものかははっきりわかるからだ。

「承知しました」 というあくまでも落ち着いた返答とともに、電話の向こう側がにわかに慌ただしくなる。

 そうしている間にも次々と撃ち込まれてくる触手の打擲を躱しながら待っていると、ややあって、

「師よ、そこから道路沿いに西に数キロ進んだところに、功刀瓦斯工業という高純度の液化ガスを扱う会社があります――製造拠点ではなく関西の別の工場で精製された実験用途や医療用に生産された液化ガスを、関東方面以東に出荷するための貯蔵拠点の様ですが」

「それでいい――ありがとう。悪いが片がついたら後始末を頼む」

「承知いたしました。御武運を」 それで通話を切って、アルカードは会話の間にも幾度となく撃ち込まれてきた触手を躱した。

 どうも分解酵素の能力より再生能力のほうが強いらしく、損傷はしているものの先日のごろつきどもの様に全身が溶解するには至っていないらしい――実際のところ、ここまで修復能力が高いというのは正直意外だった。

 ようやく目が見える様になってきたのか、ジャンノレが憎悪に爛々と燃える眼差しで周囲を見回す。

「どこだ――どこ行ったぁぁぁ!?」

 周囲の木々の陰に隠れていると思っているのか、先ほどの打擲を免れた樹木を次々と触手の打撃で薙ぎ倒しながら、ジャンノレが怒鳴り声をあげる。

「出てこい――殺してやる!」

「ここだ」

 アルカードはそう返事をして、それまで隠れていた木の陰からジャンノレの視界内に姿を見せた――ジャンノレがこちらに向かって網状の触手を繰り出すより早く、ジャンノレのかたわらに倒れ込んでいた先ほどの打擲で叩き折られたヒノキの幹が一気に燃え上がった。

 すぐそばで炎上したヒノキに視界を遮られ、ジャンノレが口汚く毒づく――次の瞬間アルカードが撃ち込んだ二発のセイフティ・スラッグがジャンノレの顔面に着弾し、その衝撃でジャンノレが体を仰け反らせた。

 あのゴム毬の様な体は、やはりその程度の衝撃では問題にしないらしい――だが怒りは増したらしく、ジャンノレは怒りの声をあげて両腕を振り翳した。

 ――

 ばらりとほつれて網状に展開した触手を、跳躍して躱す――神田は西に数キロの場所だと言っていた。つまりその距離を、ジャンノレを誘導して移動しなければならないということだ。

 誘導しながら移動する、それ自体は問題無い――回避と防御に専念すれば、アルカードが攻撃を受ける確率は限りなく低い。

 轟音とともに地面を叩く触手を躱し、そのまま後方に跳躍する――巻き添えを喰った楢の木が地響きとともに薙ぎ倒され、樹上で羽を休めていた鳥が慌ただしい羽音とともに飛び立っていった。

 まあ仕方が無い――ジャンノレの動きを完全に止め、全身を一撃で蒸発させるために取るべき手段は決まっている。

 アルカードはブラウニング・ハイパワー自動拳銃を据銃し、ジャンノレに照準を定めてトリガーを引いた。

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