Balance of Power 7

 

   *

 

 BLOOD STAIN CHILDのINNOCENCEの演奏が終わり、カーナビがランダム再生の次の候補を探してハードディスクをシークさせる。

「アルカード、どこに行くんですか?」 いつまでたっても周りがさびしくなる気配が無いので、フィオレンティーナは眉をひそめながらそんな質問を口にした。

「? なんか変か?」 いぶかしげにアルカードが尋ね返してきたので、フィオレンティーナはそちらに視線を向けた。

「だって、いつまでたっても都会から離れる気配が――」

「ああ」 アルカードはうなずいて、

「残念ながら、今回は小泉純一のときみたいに山奥に行く予定は無いよ」 そう返事を返して、アルカードがウィンカーのスイッチを操作する。左折の準備をして速度を落とし始めたラングラーを、後ろを走っていたベンツが車線変更しながらものすごい勢いで追い抜いていった。

「残念ながら、行き先はこの近辺の繁華街だ」 というアルカードの返事に、フィオレンティーナは形のいい眉をひそめた。

 場所が洋の東西どこであれ、吸血鬼は狩り場を繁華街や都市部に定めることが多い。餌を容易に調達出来、後腐れも残りにくいからだ。田舎から出てきた人間や外国人が比較的多く、ひとりふたり消えても誰も気にしない。仮に家族がいても、繁華街に出歩く人間が数日帰らないからといって捜索を願い出るほど真剣に心配するのは数日経ってからだろう。死体が発見されなければ永久にお蔵入りだ。

 だが、それでもあくまで『狩り場が繁華街』というだけで、繁華街に拠点を構えている吸血鬼というのは実は珍しい。

 だから、フィオレンティーナは吸血鬼の拠点を殲滅するための出撃でこんな人口密度の高い場所に出向くというのが意外だった。こうして道路を走っているだけで自転車に乗った人や徒歩の若者を大勢見かけたし、自動車だってびゅんびゅん走っている。

 だが――

 五分もするころには、フィオレンティーナとしても疑いようが無くなっていた。

 

 まだそれほど接近してはいないが、隣にいる吸血鬼のものとは明らかに違う堕性を帯びた魔力がわだかまっている。

「なんですか、これ――」

「拠点だよ――接近する前に魔力は消しておけよ」

 アルカードはそう支持を出してから、ジープを跨道橋手前の側道に進めて幹線道路から流出させた。

「でもこれ、十や二十じゃ――」

 パオラの言葉に、アルカードはうなずいた。

「たぶん百を超えてる。俺でも数えきれん」 そう返事をして、アルカードがウィンカーを操作してジープを交差点に進入させる――交差点を右折して跨道橋の下をくぐり、しばらく進んだところでアルカードが今度はジープを左折させる。

 急ににぎわう歓楽街の光景が視界に入ってきて、フィオレンティーナは眉をひそめた。歓楽街。吸血鬼がもっとも好んで狩りを行う餌場。

 看板の文字が読めないのでほとんどはなんと書いてあるのかもわからないが、道路の左右に様々な店が看板を出している。カラオケ『ミザリー』、インターネットカフェは店名が漢字なのでなんと書いているのかはわからない。

 酔っぱらってネクタイを頭に巻いたサラリーマンが部下らしい男性に肩を借りながら信号を無視して車道を突っ切り、若い男性三人が手近なキャバレークラブに店舗を見比べてああでもないこうでもないと話をしている。

 そのころには、堕性の魔力はかなり濃密になっていた。数が多いことだけはわかるが、逆に多すぎて識別出来ない。

 アルカードがジープを路肩に寄せ、ハザードランプを作動させる。

「――着いたぞ」 アルカードがそう言って車を路肩に寄せ、ハザードランプを点滅させる。助手席のフィオレンティーナは周囲を見回し、吸血鬼退治の現場としてはあまりにもふさわしくない状況に眉をひそめた。

 人が多すぎる。巻き添えを出す危険もあるし、目撃される危険もある。いずれにせよ、第三者は少ないほうがいい。

「どこにいるんでしょう」

 その問いに、アルカードがこちらに視線を向ける。彼は手を伸ばしてグローブボックスを開けると、中からヘッドバンドつきの大仰なゴーグルの様な機会を取り出した。

「なんですかこれ」 

「暗視装置だ」 そう返事をして、アルカードが手にした機械の電源を入れてフィオレンティーナに押しつける。

 直接口頭での説明が無いからだろう、フィオレンティーナは不服そうにしながら暗視装置を覗き込んだ。

「そっちじゃない。もう少し右の――電柱のそばでいちゃついてるふたりだ」 言われるままに、フィオレンティーナが暗視装置を構えたまま視線を右に転じる。電柱に体重を預けて人目も憚らずに唇をむさぼり、相手の身体をまさぐり合っているカップルに覗き行為を働いている様な絵面だったが、アルカードは気にせずに、

「じゃあ次は反対側。そっちのライブハウスの前で電柱にもたれてる女」

「? なんだってわざわざ――」 文句を言いながら、フィオレンティーナが視線を転じ――そこでようやくアルカードが見せたいものが視界に入ったのか、黒髪の少女は息を呑んだ。

「見えたか?」 アルカードが尋ねると、フィオレンティーナはうなずいた。暗視装置を顔から離しながら、

「あの女の人、なんだか色が――あれが吸血鬼ですか?」

「ああ、そうだ。吸血鬼は人間よりも体温が高い――基礎代謝が高く、さらに『暖気済み』の状態を維持するために恒常性ホメオスタシスの目標温度が若干上がるからだ。だから温度分布を色で表す、サーモグラフィータイプの暗視装置で見ると全身が真っ赤に見える」

 アルカードの言葉を借りると、人間よりもはるかに身体能力の高い吸血鬼の体温が十度しかなかったり死体の様に冷たいなどというのは大嘘だ――呼吸し代謝して活動している生命体であり、酸素を使ってカロリーをATPに変換するシステムを持ち、それを一挙手一投足で消費するエネルギーがある以上、当然吸血鬼にも体温はある。

 生物学的には哺乳類の活動最適温度は四十度前後であるとされており、吸血鬼の魔素は肉体の温度をこれに近づけるために恒常性の目標温度を変化させて体温を上げる。そうすることによって、身体能力的にもっとも高い状態を維持しようとする――四六時中その状態なので燃費は悪く、持久力に欠ける傾向があるそうだが。

「あいつだけじゃない。さっき入っていったガキに、そっちの角で男に声をかけてる女もそうだ。見えないだろうが、建物の中にもうじゃうじゃいるぞ」 そう言って、アルカードは視覚を通常の可視光線視界に戻した。

 アルカードはフィオレンティーナから受け取った暗視装置で同じ様にカップルと女を見比べているパオラとリディアを順繰りに見遣り、

「行くぞ。当たりだ」

「どうするんですか?」 車で突っ込むのかとも思ったが、アルカードの返答は短かった。

「ここに止めておくのは目立ちすぎる。もう少し離れたところに置いておきたい」 なにしろこんな市街地のど真ん中でってのは、久しぶりだからな――そう付け加えて、アルカードは携帯電話を取り出した。

「――やあ、舞ちゃん?」 という第一声から推すに、相手は『主の御言葉』のシスター舞の様だった。何度かデートと称して峠に一緒に走りに行くうちに、ちゃんづけするほど親しくなったらしい。

「こんばんは、アルカード・ドラゴスです。夜分に済まないね――寝てるところを叩き起こしちまったんでなければいいんだが。神父さんは今いるかな――やあ、どうも。昼間連絡した件だが、これから仕事にかかるよ。後始末の手配を頼む。場所は……」

 話を終えて携帯電話をコートの内ポケットに戻したアルカードに、フィオレンティーナは声をかけた。

「いつもそうやって連絡してるんですか?」

「いつもってわけじゃないが。収容人員も物的証拠の始末も必要無かったら、放置することも多いけどな」 そう答えて、アルカードが信号でいったん車を止めてシフトレバーを操作する――なにをしているのかは知らないが、単に発進の準備だろう。

「こんな街中でとなると、警察に根回しがいるからね――犠牲者に生き残りがいたら、医療班を手配してやらないといけないし」 そう補足する様に一言付け足して、発進させたジープを赤信号の手前で止めた。横断歩道を若い男女が渡っている。デニムのジャンパーにミニスカートの若い女性と、眼鏡をかけた二十代半ばの青年。

か」

「ええ」 言いたいことはわかったので、フィオレンティーナはうなずいた。

 能力もさほど高くなく上位個体の指導のもとで訓練を受けた『兵士』でもないからだろう、まだこちらに気づいてはいない様だが――かなり豊かな胸を青年の腕に押しつける様にして彼に寄り添い、彼の腕を引っ張る様にして歩いている女性、彼女も吸血鬼だ。

 信号が変わったところでジープを発進させ、アルカードはさらに数ブロックほど離れた繁華街のはずれのコインパーキングで車を止めた。

 角をひとつ曲がってしまうだけで、途端に歓楽街の喧騒が遠いものに感じられる。だが、アルカードとしてはそのほうが都合がいいのだろう。

「これで駐禁切られる要素は無し、と。おせっかいな誰かが通報しても、とりあえず車は無事だ」 というドアを閉めながらの発言がジョークだったのか、それとも本気だったのかは、フィオレンティーナには判断がつかなかった。どのみちこの時間帯に緑色の制服を着た雇われ監視員がうろついているとも思えないし、おそらくアルカードもフィオレンティーナたちと同様外交官特権を賦与されているだろう。外交官ナンバーがついているわけではないが、ジープがアルカードのものだとわかった時点で警察は手を引くはずだ。

 それぞれ車から降りたところで、ショットガンをサーベルの様に腰に吊り、右手の手甲だけコートの上から装着したアルカードがドアロックをかける――彼は左腕の内側にキーケースを沈み込ませてから左腕の手甲を装着しながら三人の少女たちを見回して、

「準備はいいか」

 フィオレンティーナがうなずくと、アルカードは残るふたりに視線を向けた。

 振り返ると、パオラとリディアの面差しは冷たい街燈の明かりに照らし出されて、普段より若干蒼褪めて見えた。

 パオラもリディアも、吸血鬼ヴァンパイア相手の実戦経験は無い――そのこと自体は別に珍しいことではない。

 聖堂騎士団も低年齢化が進行しつつあるが、ひと昔前は二十五歳を過ぎるまでは対喰屍鬼グール戦の露払いも含めて実戦投入しないのが普通だったのだ――もっとも、魔術師は広範囲を巻き込んで攻撃を仕掛けられるということで、実戦投入は比較的早い傾向がある。

 パオラは多数の喰屍鬼グールをまとめて焼き払うために、リディアはその護衛役として実戦に投入されることが多かったらしく、知能のある吸血鬼ヴァンパイアと戦うのは今夜がはじめてなのだ。

「心配するな、おい――俺の訓練に、ちゃんとついてきたんだ。落ち着いていけ」 そう激励の言葉を口にして、アルカードはフィオレンティーナのかたわらを通り過ぎてパオラとリディアのほうに歩み寄ると、力づけようとする様にふたりの肩を軽く叩いた。再びフィオレンティーナのかたわらを通り過ぎるときに彼女の背中をバシッと叩き、

「じゃあ行こうか――背後は任せたぞ、三人とも」 そう言って、アルカードがこちらに背を向けて歩き出す。目と鼻の先の交差点を曲がって繁華街に直結する通りに出たところで、ちょうど角に合った居酒屋から出てきた数人の若者たちが、アルカードの姿を目にしてぎょっとして後ずさった。

 べろんべろんに酔っぱらった若者たちが少女たちの姿を目にして話しかけようと近づいてきたが、フィオレンティーナは足早に歩を進めてアルカードを間に入れる様に位置を変えた。

 それを見遣って苦笑しながら、アルカードがかぶりを振る。

「なんだろ、あのコスプレ」

「くそ、女三人も連れてるじゃねえか」 そんなつぶやきが聞こえてくる――全部意識から締め出して、フィオレンティーナは無人の野を行くがごとくに平然と歩を進めるアルカードのあとを追った。

 歓楽街の喧騒は遠ざかったときと同様、角をひとつ曲がっただけで唐突に戻ってきていた。どぎついネオンサインに、げらげらと笑う酔っぱらった中年男の濁声。道行く人々がこちらを好奇の目で振り返り、ローソンの駐車場の鎹状のバリケードに腰かけたぐでんぐでんに酔っぱらった男女が、アルカードを指差してけらけら笑っている。

 アルカードはそれを無視して、さらにもうひとつの交差点を越えた。酔っ払いを乗せたタクシーに道を譲り、見覚えのあるセブンイレブンにたどりつく。その向かいの派手な看板を出した三階建てのビル、そこがアルカードが見定めた戦場だった。

 ロック・ハウス『Killing Field』――ずいぶんと物騒な屋号を掲げるものだ。そんな感想をいだきながら、フィオレンティーナはアルカードに続いて店に近づいていった。店の表にいた吸血鬼の姿は見当たらない――歓楽街から離れたか、ライブハウスの中に入ったか。周囲にはライブハウスの中以外に魔力の気配が感じられないから、おそらく後者。

 建物は一階は無く、二階と三階が構造物になっている。背後の壁に手前は柱が二本という構造で、二階と三階の構造物を支持する様になっているらしい。

 壁際にある階段に足をかけたとき、階段の上から降りてきた日本人の青年と鉢合わせして、先を歩いていたアルカードが足を止めた。

 肩越しにその顔を見て、背筋が凍った――瞳が血の様に赤い。それにこの肌にまとわりつく様な嫌な気配、吸血鬼だ。

「おい、あんた。ここは仮装大会の場所じゃねえぞ」 吸血鬼は小馬鹿にした様にそう言ってから、アルカードに続いて階段を昇ろうとしていた三人の少女たちに視線を止めた。

「でもそっちの女の子たちは入っていいぜ。あんたはさっさと消えな、消え――」 犬でも追っ払う様に適当に手を振っていた吸血鬼の声が唐突に途切れ、同時にその体が雷にでも撃たれたかの様に動きを止めた。

 階段に上げた右足の脚甲の装甲の隙間から短剣を引き抜いたアルカードが、目にも留まらぬ速さで手にした短剣で吸血鬼の喉笛を掻き切る様に引き裂き、続く一撃で吸血鬼の右脇腹に短剣の鋒を刺し込んだのだ。

 百戦錬磨の殺戮者の熟練の手管で以て突き込まれた凶悪な形状の短剣の鋒は肋骨の隙間から滑らかに侵入し、右肺を貫いて心臓に達した。

 吸血鬼がカッと目を剥いて、唇の端から血の泡を吹きながらアルカードの手元を見下ろす。それを無視して、アルカードが逆手に持ち替えた短剣を腕ごと振り回す様にして吸血鬼の体を無造作に階段の下に投げ棄てた――仰向けに投げ出された吸血鬼の体が、細かな痙攣を繰り返しながら灰とも塵ともつかぬものに変わってゆく。それを見下ろして、アルカードが短く返事をした。

「入れてもらう」 そう言って、アルカードは手にした短剣を軽く振った。

 アルカードが普段好みそうなステンレス鋼板削り出しにナイロン製の紐を巻きつけた簡素な格闘用のナイフとは明らかに違う、根元から尖端まで完全に二又になった、刀身と柄が一体になって削り出された短剣だ――刃は鋒に近づいた弧を描いた部分以外は鋸状になっていて、そこに刃を引き抜いたときに残ったものらしい吸血鬼の肉片と衣服の切れ端が引っ掛かっている。

 アルカードは短剣を何度か振って刃についたごみを振り払ってから右脛の装甲の隙間に仕込まれた鞘に戻し、再び階段を昇り始めた。

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