Black and Black 28

 

   *

 

「――そろそろ着くぞ」 信号が赤に変わったために近所にあるコンビニのそばの交差点――交差点名を示す標識のローマ字表記を信じるならハザマニシ――の手前で停車し、ハンドルを握るアルカードがそう声をかけてくる。助手席に座っていたフィオレンティーナは、その言葉にはい、と小さくうなずいた。

 後部座席にいるはずの姉妹から返事が無いので肩越しに振り返ったところで、アルカードがあっと声をあげる。

「おいおい」 再び前方に視線を戻したアルカードに続いてシートの間から後部座席を覗き込むと、パオラとリディアはたがいに寄り掛かる様にして穏やかな寝息を立てていた。

「ま、しょうがないか――もうすぐ着いちまうのが可哀想な気もするが」

 人間の基準から言えば無尽蔵に等しい体力を持つアルカードは平気な顔をしているし、ヴェドゴニヤのフィオレンティーナも多少疲労はあるが問題が出るほどではない。しかし、パオラとリディアはただの生身の人間なのだ。

 一日働いたあとで戦闘訓練に連れ出されて、散々しごかれたあとでは、疲労で寝入ってしまうのも仕方あるまい――たかだか模擬戦数本とはいえ、訓練は真剣で行っている。新聞を丸めたものでチャンバラごっこをするのとは、精神的な消耗が比較にならない。

 それはアルカードもわかっているのか、それ以上なにも言わなかったが、どのみちもうそろそろ起こしてやらないといけないだろう。なにしろ交差点を右折して一分そこそこで、もうアパートに着く。

 そこで、アルカードがふと思い出してか道路の向かいを指差した。正面は丁字路になっていて、ジープが止まっているのは丁字の縦棒の部分だ。

 正面は塗り替えられたばかりの綺麗な白漆喰の塀が左右にずっと続き、左手は機械化された有料駐車場、右手には煌々と明かりの燈るコンビニエンスストア。

 彼が指差した交差点向こうに、アパートと駐車場、老夫婦の敷地を合わせたよりもまだ大きそうな日本家屋が建っている――もう見慣れた綺麗な白漆喰の塀は、左折してしばらく進むと立派な表札のかかった門がある。

「覚えておいたら役に立つかもしれない――あそこが本条さん、亮輔君が婿入りした屋敷だ」

「……お金持ちなんですか?」

 フィオレンティーナが尋ねると、アルカードはうなずいた。

「ここらで一番の大地主だ。近所の有料駐車場は、全部あの家の所有だよ」 そう言ってからそれそこのもそうだ、とコンビニの反対側、普段ライトエースを止めている駐車場を指差してそう続け、アルカードは信号が青に変わったのでジープを発進させた。

「そういえば、おじいさんは自分の車を持ってないんですか?」 老夫婦の自宅にはカーポートが無かったはずだ。変形地を使った機械化された駐車場の一番奥から頭を出した店のライトエースを見ながらそんな疑問を口にすると、

「その駐車場に止めてあるよ」 と、アルカードが答えてくる。アルカードのジープは左ハンドルなので、右側の助手席にいるフィオレンティーナからは車体左側の様子はろくに窺えない――それがわかっているからだろう、アルカードはこう付け加えてきた。

「そっちからだと見えないだろうが、ライトエースの隣の銀色のプリウス」

 右折して数分としないうちに、見慣れた光景に景色が変わる――左手に中央線の無い細い道路、その向こうにコの字型に塀で囲まれたアルカードの駐車場。その向こうに老夫婦の自宅が見える。

 左折すれば駐車場と隣接して、アパートの敷地が見えてくる――ジープの走っている道路とアパート前の細い道路の接続部分に丸い赤字に白い横棒の円盤状の標識とこちら側に先端を向けた青地に白矢印の標識が出ているのがわかった。その下の小さな標板には、『ここまで』と記載されている。

 その矢印の標識は、一方通行しか出来ないことを示すものらしい――なので直接進入することは出来ないのだろう、アルカードはアパート前に車を横付けさせたりはせずに駐車場の敷地に片輪を乗り上げる様にしてジープを停車させた。ハザードランプを点燈させてサイドブレーキを引き、エンジンは稼働させたままシートベルトをはずす。

「お嬢さん、リディアを起こしてやってくれるか」 と言われて、フィオレンティーナはシートベルトをはずして助手席から降りた。後部座席のドアを開けて、手前で眠っているリディアを揺り起こしにかかる。

「リディア? アパートに着きましたよ」 ジープ・ラングラーは左ハンドルなので、助手席は車道側だ――つまり、長引いて車が来たりすると迷惑になるので、早くしないといけない。この駐車場は一般的な駐車場の一・五倍以上の奥行きがあり、車体の半分近くが乗り上げているのでそのまま路上に駐車するよりはいくらかましだが、それでも急いだほうがいい。なによりも時間をかけると、車道に立っているフィオレンティーナの身が危ない。

「起きて」

 何度か肩を揺すると、リディアが目を覚ました。

「ん……あれ、フィオ?」

「『フィオ?』じゃなくて――アパートに着きましたよ」

 まだ寝ぼけているのか、リディアは周囲をきょろきょろ見回してから、ようやく状況を思い出したらしく、

「あ、着いたんだね」 素早くシートベルトをはずして、彼女は後部座席から滑り降りた。

 吸血鬼は反対側で、パオラの肩を掴んで揺り起こしている――ようやく目を覚ましたパオラによだれを指摘していいものかどうか、悩んでいる様に見えたが。

「荷物はどうしますか?」 フィオレンティーナが声をかけると、アルカードは適当に手を振った。

「否、俺が片づけるからいい――残りは全部俺の荷物だしな」 車から降りたところであくびをしているパオラの代わりに後部座席のドアを閉めながら、アルカードがそんな返事を返してくる。

「それじゃあな、お疲れ」 そう続けて、彼は運転席のドアを開けて体を滑り込ませた。まだ開けたままのドアから、パオラが声をかける。

「それじゃ、先に戻りますね。おやすみなさい――あと、ご馳走様でした」 パオラがそう声をかけると、アルカードはああと返事をしてから適当に手を振ってドアを閉めた。

 そのままジープの近くにいても車庫入れの邪魔になるだけなので、リディアが眠い目をこすりつつ歩き出す。フィオレンティーナとパオラも、それに続いて歩き出した。

 

   *

 

「あ」 連絡通路から出てしばらく歩いたところで、声をあげてマリツィカは足を止めた。

 アルカードが数歩歩いたところで足を止めて振り返る。

「どうした」

「ごめん、ついでに買おうと思ってた本があったのを忘れてたわ」 顔の前に左手を縦に翳してそう告げると、アルカードは眉をひそめた。もっともその後の表情から判断する限り、その仕草の意味が理解出来なかっただけの様だが。

「なら、引き返すか」 そう聞かれて、マリツィカはかぶりを振った。

「わたし、ちょっと引き返して本屋さんに行ってくる。待たせるのもなんだから、キミは先に帰ってて」 そう答えて、マリツィカは小走りに連絡通路に引き返した。エスカレーターに飛び乗って採光窓からアルカードがいたあたりの様子を窺うと、彼はマリツィカが戻るのを待つつもりなのか荷物を脇に置いて電柱にもたれかかり、腕を組んだところだった。

 エスカレーターを昇りきったところでもう一度外を見れば、彼がいなくなっていることに気づいたかもしれないが――

 

   †

 

 乱暴に突き飛ばされて鉄骨に背中から叩きつけられ、後頭部を打ちつけて、アルカードは小さく舌打ちした。

 銀行と隣の不動産屋との間の、裏側に通じるらしい小さな路地の中に押し込まれる様に連れ込まれ、そのまま『梶浦建築』と企業名の入った工事現場のパーティションの出入り口から工事現場の中に押し込まれたのだ。

 打ちつけた後頭部を指先で探りながら、アルカードは自分を取り囲む十人の男たちを見回した。その中に昼間叩き出した痩せた男がいるのを見つけて、口元をゆがめる。

「昼間は俺の舎弟がずいぶん世話になったそうじゃねえか、ええ?」 一際恰幅のいいパンチパーマの男が、ドスの利いた声でそう声をかけてくる。身長百七十八センチのアルカードよりもさらに頭ひとつぶん高く、体格的にはふたまわりは大きい。はちきれんばかりの肉体――贅肉も混じっている様に思えるが――を黒いスーツに包んだそのおっさんは、例の痩せぎすの男を押しのけて前に出ると、それまでポケットに突っ込んでいた両手を抜き出した。

 すでに荒事にする気満々ということなのだろう、両手に金属製のメリケンサックを嵌めている――男は手を伸ばしてアルカードの髪の毛を掴んで引き寄せながら、こちらの鳩尾に拳を叩き込んだ。

 次の瞬間強烈な――ただし一般人基準――ボディブローが鳩尾を撃つ。強固な腹筋とメリケンサックが衝突する異様な手応え、それにこちらが咳き込んだりする様子が無いからだろう、男は引っ張られた勢いで膝を突いたアルカードの頭上からいぶかしむ様な気配を向けてきていたが、やがて気を取り直したのか、

「あの爺どものなんなのか知らねえがな、あいつらにかかわると痛い目に遭うぜ?」 という言葉とともに、おそらくそこらへんから持ってきたものなのだろう、エアコンプレッサーのホースを背後から首に巻きつけられる――引きつけられて膝をついたまま状態をのけぞらせると同時に両腕を掴んで拘束され、残る男たちがアルカードを取り囲んでいた。

「――なるほど。そこの案山子に泣きつかれたから、貴様が出てきたというわけだ」 鳩尾にメリケンサックを嵌めた拳打を喰らい、さらに首を絞められているにもかかわらず、アルカードが平然と言葉を発したからだろう――男たちがぎょっとした表情を見せた。

「ここへ連れ込んだのはどういうつもりだ? 人目につかないからか?」

 平然とそう聞いてくるアルカードに不気味さを感じたのか、痩せた男が兄貴分とやらに視線を向けた。

城塞よ、聳え立ち――囲えZelt goiky――floste」 金属を引き裂く様な耳障りな轟音が鼓膜を聾し、それに気づいて男たちが不安げに周囲を見回す。

「カシラ……」

「まあ一応言っておこうか――貴様らは人目につかないからやりたい放題だと思って俺をここに連れ込んだのかもしれないが、人目につかなければやりたい放題なのはこちらも同じでね」

「わけの、わからねぇことをッ!」 兄貴分が髪を掴んだままのアルカードの顔めがけて拳を繰り出す――よりも早く、アルカードは右手でその拳を掴み止めた。

「え……?」

 それまで右腕を掴んで拘束していた禿頭の男が、いつの間にか振りほどかれた両手を見下ろして妙な声を出す。同時に髪を掴んだ男の右手を左手で掴み――

「――うがぁぁぁぁっ!」 いつの間にか抜き取られた左手で手首を掴まれ、男が全身を硬直させる――迫力満点の悲鳴をあげながら、男がその場で体をのけぞらせた。

 男の手首に左手の指が喰い込み、ぎりぎりと音を立てて骨がきしむ。アルカードは首に巻きつけられてふたりがかりで引っ張られたホースを振りほどこうともせずに、その場で立ち上がった。

「まったく、随分とふざけた真似をしてくれたものだ――なあ?」 言いながら、兄貴分の腕を無造作に捩じ曲げる――青竹の節を五分の力で握り潰し岩塊を粉砕する握力で手首を握り潰され、さらにパワーショベルと腕相撲をして勝てる腕力で腕を乱雑に捩り上げられて、兄貴分が情けない悲鳴をあげながらその場で膝を突いた。

 そのまま兄貴分の腕を、完全に叩き折るごきりという音とともに関節を挫かれ、肘からおかしな方向に曲がった左腕を右手で抑えて、兄貴分がまるで子供の様に泣き叫ぶ。

 一片の同情も感じないまま、アルカードは兄貴分の胸倉を掴んで片手で持ち上げた――たかが百キロでは、アルカードにとっては羽根の様とまでは言わなくても文鎮を持ち上げている様なものだ。アルカードはそのまま兄貴分の体を振り回して、手近な鉄骨に向かって無造作に投げつけた。

 まるでやんちゃな子供が癇癪を起こして投げつけた人形の様にH型鉄鋼に叩きつけられ、兄貴分が悲鳴をあげる。叩きつけられたときに間にはさまれた左腕が音を立てて砕け、さらにその場に倒れ込んだ拍子に受け身を取り損ねて右肩を脱臼し、捩り折られた右腕を体の下敷きにして、兄貴分が情けない鳴き声をあげた。

「一応確認しておくが――」

 明らかな異常事態に動揺を隠せないごろつきたちを順繰りに見回して、アルカードはゆっくりと笑った。

「他人に危害を加えるということは、当然やり返されても文句は言えんということなんだが、そこのところはもちろん理解しているよな?」

 窮地に陥っているのはアルカードではなく自分たちなのだということを、彼らはことここにいたってようやく理解出来たらしい。あからさまに腰の引けているヤクザどもに向かって、アルカードは地面を蹴った。

 一番手近にいた肥った男に向かって殺到、一瞬で間合いを侵略する。雷鳴のごとき轟音とともに下顎を突き上げられ、一撃で下顎骨を粉砕された男の体が宙を舞う。

 次の瞬間地響きとともに地面に崩れ落ちた男の顔面を、アルカードはブーツの踵で踏み抜いた。まっぷたつに割られた下顎骨が口腔を突き破り、大量の血を吐き出していた男がそれで動きを止める。

「ああ――先にはっきりさせておくが、死体の始末なら心配しなくていいぞ? 死体の始末の方法ならあるし、隠蔽工作を頼むあてもある。まあいずれにせよ、貴様らがここから生きて帰ることも、棺桶に入ることも無い」

 同時に痩せた男の顔に手を伸ばす――あのときは手加減してやったが、もうそんな義理も無い。

「ぎゃぁぁぁぁぁッ!」 左手の人差し指を眼窩に捩じ込まれて、痩せた男がすさまじい悲鳴をあげた――それを無視して、男の頭を後頭部から鉄骨の角に叩きつける。後頭部をまるでラッコが石で殴った貝の殻の様に割られた男が、口角からぶくぶくと泡を噴きながら全身を弛緩させる。力の抜けた男の体を、アルカードはその場でゴミの様に投げ棄てた。

 その場に崩れ落ちた男の体を見下ろして侮蔑の表情を浮かべる手間も惜しみ、背後に視線を向ける。

「さて――次は誰だ?」

 じりじりと後ずさって逃げ腰になっている男たちを見比べて、口元をゆがめて笑う――この連中がどれだけ悲鳴をあげようが泣き叫ぼうが関係無い。構築された『城塞』は、外なるものは入れず、内なるものも出さず、さらに地下二十メートルまで喰い込んでいるためにそれより深い地中を伝わるものを除いて熱も振動も一切伝播させない。この男たちがどれだけ泣き叫ぼうが、それが外に伝わることは無い。

 まあ誰でもかまわんのだがな――胸中でつぶやいて、アルカードは一番手近にいたごろつきに向かって再び地面を蹴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る