Black and Black 27

 

   *

 

 十七時を回っても、空はまだ明るい――駅前繁華街というだけあって、近づくにつれて徐々に店が多くなり、人でにぎわってきている。時計が狂っていなければ、今日は土曜日のはずだった――仕事上がりで飲み会へと向かうサラリーマンに混じって、デート中の若い男女が散見されるのはそのためだろう。

 マリツィカは数メートル前方を、こちらを先導する様に軽やかに歩いている。

 着替えるのかと思ったらあの恰好のままで、すらっと伸びた脚とほっそりとした肩を惜しげも無く剥き出しにしている。背中で揺れる三つ編みと、みずみずしく張りのある若々しい肌、時折ちらりと覗く艶めかしいうなじから視線をはずして、アルカードは足を止めた。

 アルカードが足を止めたのにはすぐに気づいたらしい――振り返ってどうしたの?と視線で問いかけてくるマリツィカには返答を返さず、アルカードは背後を振り返った。

「どうかした?」

「否……」 短くかぶりを振って、アルカードはそばに寄ってきたマリツィカを見下ろした。編み目をほぐしてルーズに仕上げた大きな三つ編みが、折から吹き抜けた突風に煽られてふわりと揺れる。こちらを見上げて軽く小首をかしげるマリツィカを促す様に、アルカードは再び歩き出した。

「なんでもない」

「そうなの?」

「ああ」

「ふうん……ははぁ」 なにやらニヤニヤしているマリツィカに視線を向けて、アルカードは顔を顰めた。

「なんだ」

「いや、なんでもないよ。うんうん、そーかそーか」 妙に馴れ馴れしく肩を叩いてくるマリツィカを見下ろして足を止めると、マリツィカは相変わらずニヤニヤしながら、

「わたしのモデル並みのプロポーションが眩しくて、まともにこっちを見られませんか!」

「なんというんだったか――自意識というやつが過ぎるな」 一言で片づけて、アルカードは再び歩き出した。

 あしらわれたのが不満なのか、なによぉそれぇ!と声をあげながらついてくるマリツィカの抗議を、適当に受け流す――まあ確かに十分美人だし、スタイルも整っている。黙っていれば美人、の部類に属するタイプに見えたが。

 きんきん叫ぶマリツィカの声には答えずに、アルカードは銀行の前で足を止めた。全国展開する真っ赤な看板の銀行の昇降口から中に入る――すでに窓口は閉まっていて、キャッシュディスペンサーの前に数人並んでいる。その最後尾に並んでから、アルカードはズボンの太腿についた大型のカーゴポケットから財布を引っ張り出して、日本で用意した銀行口座のキャッシュカードを取り出した。

「使い方、わかる?」

「ああ」 うなずくと、マリツィカは銀行の入口付近で壁にもたれかかった――作業はすぐ終わり、引き出した現金を手に彼女のところまで戻る。アルカードが無造作に手にした分厚い封筒を目にして、マリツィカがちょっと驚いた顔をした。

「お金持ちだね」

「まあな」 とだけ答えてから、アルカードはマリツィカを促して銀行から出た。片側三車線の中央分離帯で隔離された国道の信号の前で足を止めた。右手に視線を転じると、三百メートルほど離れたところにこちらに弧の外側を見せて緩やかなアールを描いた高速道路の高架が見えた。車両の炎上事故でもあったのか、外側の防音壁が一部黒く焦げている。

 横断歩道の前で足を止めるより早く、マリツィカが腕を引っ張る――彼女が指で指し示した先には、道路を跨いで向こう側へとつながる連絡通路があった。

 マリツィカについて硝子製の扉のついた連絡通路に足を踏み入れると、エスカレーターと階段があった――連れ立って降りてきたふたりのサラリーマンが、ちらちらと横目でこちらを見ている。ジャケットの下はぼろぼろのアンダーウェアを身につけたアルカードと、上から覗けば簡単に胸の谷間が堪能出来るマリツィカ、どちらを見ているのかは知らないが。

 エスカレーターで連絡通路に上がると、正面に直進する通路と左側に延びる通路に分かれていた。マリツィカがこっちこっち、とアルカードをの腕を引っ張って歩き出す。

 こんな胡散臭い相手だというのに、人懐こい奴だ。胸中でつぶやいて、アルカードは抱かれた腕を引っ張られるまま彼女についていった。

 連絡通路は途中で二方向に分岐している――歩測からすると、ちょうど道路を渡りきったあたりだ。察するに、道路の四つの角すべてに連絡する様に、連絡通路が設置されているのだろう。

 天井から日本語、英語、スペイン語、フランス語の四ヶ国語で書かれた案内板が吊り下げられており、正面は『総合ショッピングモール・●●●●●グループ・シェディ』、左側に向かう通路は『JR●●駅』となっていた。

 ショッピングモールに通じる強化硝子製の扉を観音開きにして建物の中に足を踏み入れながら、マリツィカが肩越しに振り返る。

「で、最初はどこに行くの?」 声を掛けられて、アルカードは壁に表示された店内案内図に視線を向けた。

 スポーツショップ、ジーンズ専門店――

 ただ単に一番近いという理由で、アルカードは最初に行く店を靴屋に決めた。

 

   †

 

「ここから行こうか」 アルカードがそう言って、二階にある靴屋の名前を指し示す。

 今アルカードが履いているのは、父親から借りてきたローファーだ――あまり趣味ではないのか、それとも足のサイズが合わないのか、しきりに足を踏み替えている。

「オーケー、こっちよ」 マリツィカはそう声をかけて、先に立って歩き出した――といっても、たいした距離でもない。

 店の入り口に掲示された取扱製品のロゴはコンバース、ドクター・マーティン、ニューバランス、アディダス、その他。婦人用の靴をわざわざ買いたいとは思わないだろうから、女性用のブランドは無視していいだろう。

 その中から気に入ったものを見つけ出したのか、アルカードがスニーカーやバッシュ、エナメルシューズにパンプスまでいろいろ揃った店内に足を踏み入れて、周囲に視線を走らせる。

「好きなのが見つかった?」 声をかけると、アルカードは小さくうなずいた。

「ああ」 うなずいて、アルカードがまっすぐにワークブーツのコーナーに歩いていった。

 ブランド名はDanner――ダンナー? それともダナーだろうか。一部にナイロンを使った鞣革のブーツを手にとって、アルカードがサイズを確かめる。

「サイズ等合わない様でしたら、お探ししますよ」 二十代後半から三十代前半のいくつにも見える男性の店員が、そう声をかけてくる。アルカードは彼のほうに視線を投げると、

「十インチを探している」

「十インチですね――あ、これですね」 店員は足元に積まれたサイズ違いの箱の中から十インチの靴を探し出して取り出した。アルカードは中身のサイズだけ確認してから、試し履きしようともせずにケースに戻した。

「これを頼む」

「サイズの確認等は、よろしいですか?」

「ああ、必要無い」

 アルカードがうなずくと、店員はレジカウンターのほうを手で示した。

「レジはあちらになります」

 四万円以上の金額を躊躇い無く支払うアルカードを、マリツィカは横からじっと注視していた――この男が先ほど銀行のATMから引き出した金額は、軽く見積もっても四十万円以上あった。先ほどの電話は、〇三で始まる十桁だった――つまり、東京都内への電話だったことは間違い無い。日本語でも英語でもない言語で話していたが、何語なのかまではわからなかった。

 言葉はわからないが、表情や口調から察するにかなりくだけた関係の相手らしい――キャッシュカードを見ながら話していたから、送金を依頼していたのかもしれない。つい小一時間前の、それも振込業務は停止しているはずの時間帯にかけた電話に即座に対応されるとは、彼はどんなバックアップを受けているのだろう?

「おい」 低い声で名前を呼ばれて、マリツィカははっと我に返った。

「どうした? 行くぞ」 大きな紙袋を手にしたアルカードが、そう声をかけてくる――彼について店から出ると、アルカードは三階のスポーツ用品店の名を挙げた。

 正面入り口のホールの真上をぶち抜いた吹き抜けを横切る様にして設置された、エスカレーターに歩いていく――スポーツ用品店はエスカレーターを上がってすぐ先だ。

 セール中なのか、速乾性素材の高機能ウェアが陳列されている――サンプルで拡げられている衣類は黒い無地の愛想の無いもので、それが気に入ったのか、アルカードは樹脂ケースに入った衣類をいくつか手にとって近くに置いてあった買い物籠に放り込んだ。シューズ用の中敷きを見繕って、それも一組買い物籠に放り込んでから、レジのほうに歩いていく。ここでも数万円単位の支払いを済ませてから、アルカードは並びにあるジーンズ専門店に歩いていった。

 それについていくと、アルカードは数多く並んだメンズのジーンズの中からさっさとサイズの合うものを見つけ出したらしく、ストレートタイプのジーンズと二本ピンのベルトを手にとった。レジが空だったので手近にいた店員を呼んで、カウンターのほうに歩いていく。

「いったん試着していただければ、裾直し等もいたしますが」

「否、いい。着て帰るのでタグを切りたい。鋏を貸してもらえるか? それと、試着室を少し貸してほしい」

「どうぞ」 男性店員が大きな裁ち鋏を手渡すと、アルカードは紙袋と支払いを済ませたばかりのジーンズを手に試着室のほうに歩いていった。

 数分で試着室の扉が開き、アルカードが再び姿を見せる。分厚い生地の濃い色のジーンズに黒いTシャツの上から、兄の持ち物だったジャケットを羽織った恰好だ。アルカードは箱の中から取り出したブーツを床の上に置いて、その場に折敷いて紐を通した。

 先ほど購入した中敷きを入れて、ブーツに爪先を入れる――紐をきつく締め上げて数歩歩いたり跳んだりを試してから、アルカードはそれでようやっと人心地ついたのか小さく息を吐いた。

 とはいえ、気に入らないところもあるのか、少し履き心地が悪そうにしている――靴本体はともかく中敷きは何種類も試して自分の気に入るものを選ぶしかないから、ある程度は仕方無い。

「満足した?」 声をかけると、アルカードはこちらに視線を向けてきた。獅子の鬣を思わせるあでやかな金色の髪が、空調装置の冷風に煽られてふわりと揺れる。

「まあ、一応はな」 そう答えて、アルカードは紙袋を手に歩き出した。靴屋の紙袋はすでに中身は空のはずだが、棄てていくわけにもいかないので持って帰るつもりらしい。

「行こう」 アルカードの言葉にうなずいて、マリツィカは足早にそのあとを追った。

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