Black and Black 9

「アルカード、さすがにそれは――」 不謹慎じゃないですか? とフィオレンティーナが咎めようとすると、アルカードは適当に首を振って、

「泥棒した娘を咎めるどころか、被害者を凶器で殴ろうとする様な爺の生き死になんぞ知らんよ。誰も見てなかったら、殺して下水にでも死体を棄てるところだ――そのほうが世のためだからな。あんなもん野放しにしたら、癇癪起こしてまた誰か殴って、今度はもっと深刻な怪我させるぞ」 アルカードはネット包帯がかゆいのか包帯の上からガーゼを軽く指で押さえながら、

「警察署の真ん前で土下座されて、被害届を取り下げろってさ。子供から母親と祖母を取り上げるのかって言うから『あんな親ならいないほうがまし』とか、クッキーくらいで大袈裟って言うから『窓硝子の交換費用を弁償してから言え』とか、娘家族はおまえのクッキー食べて入院したんだって言うから『旦那は気の毒だが、泥棒に直接加担した爺の娘と孫はそのまま死ねばよかったのに』とか、自営業の取引先に出したクッキーで取引先の従業員も病院送りになったがどうしてくれるって言うから『その病院送りになった人を受取人に生命保険をかけて首でも吊れば?』とか、一切オブラートに包まずに返事してたら目を離した隙に殴りかかってきたんだ。石で」

 石で。だからこめかみを怪我しているのか。

「石で殴られたの?」 さすがに驚いたのか、デルチャが思わず椅子から立ち上がった。

「ああ。石で頭を殴られたあと、コンクリートの上に押し倒されてな」

「まあ情熱的」

「じゃかあしいわ」 棒読みでコメントしたデルチャにそう言い返してから、アルカードは続けた。

「頭からコンクリートに叩きつけるつもりなのがわかったから、ついつい反射的に七-七-六をだな――」

「なんですか、それ」 フィオレンティーナが尋ねると、

「甲冑を着てない相手との格闘戦の際に、押し倒されてのしかかられた場合の反撃方法の一種で、のしかかってきた敵の体を固定して腹とか胸に立てた膝を撃ち込むんだが」

 それを聞いて、フィオレンティーナは思いきり顔を顰めた。要するに、ジュウドーのトモエ投げが失敗した様な、ふたりまとめて倒れ込む様な動きのときに膝を立て、相手が全体重をかけて膝にのしかかる様な状況を作るのだろう。

 全体重をかけてのしかかったところに胸に膝を入れられたら、たとえ膝にほとんど勢いが無くても自分の体重だけでそれなりの損傷は出るだろう。要は立てた膝にのしかからせて、相手の体重で肋骨や胸骨を傷つけるのだ。相手の体重や勢いによっては、そのまま折れた骨が内臓を損傷させることになる――無論甲冑を身に着けている相手には役に立たないから、甲冑で胴体を鎧っていない敵を斃すための技能なのだろうが。

「ただ、コンクリートの上でやるのは俺も痛かった。受け身取れないから」 そんなぼやきを口にしてから、アルカードはくるりとこちらに向き直り、椅子の肘かけに頬杖を突いた。

「とりあえずまたしても人前だったから、傷が治せないんだ。接客業だし、出来れば傷跡は残らないでほしいが」

「で、そのお爺さんどうなったの?」

「緊急逮捕されたが、そのまま俺と一緒に病院に搬送された。俺の反撃で――否、足が縺れたことになってるんだが――何箇所か骨折してたらしいから。俺を押し倒したとき、血を吐いてたしな」 アルカードはそう言ってからちょっと考えて、

「まあ別に問題無い――向こうは最初から、断られたら力ずくのつもりでいた様だし、警官の目の前でやったもんだから警官が正当防衛を証明してくれる。すぐに癇癪を起こすあたり、カルシウム不足なのは間違い無さそうだが。骨も脆いし」 デルチャの言葉に心底どうでもよさそうな口調でそう続けてから、アルカードは腕組みした。

「今回の件であのおばさんだけじゃなく、祖父母もまとめて前科者だしなぁ――連中がどうなろうが一向にかまわんし、あの馬鹿親子を矯正出来なかったのは本人の責任だから同情もしないが、旦那が心底気の毒だ」 ま、似た者夫婦の可能性もあるが――そう付け加えて、席を立って冷蔵庫のほうに歩いていく。冷蔵庫の中から缶コーヒーを取り出して封を切るアルカードに、デルチャが声をかけた。

「子供は?」

「泥棒に加担してたから知らん。中学にもなってちゃ、矯正は無理だろう」 そう言って、アルカードはコーヒーに口をつけた。

「あ、アルカードだ!」 事務所の扉を開けて入ってきた蘭と凛が、アルカードの姿を認めて歓声をあげる。

「ああ、蘭ちゃんと凛ちゃんも来てたんだ?」

 アルカードがそちらに向き直って穏やかな笑顔を見せると、ふたりはアルカードのそばまで小走りに寄っていき、

「おかえり! あのね、さっきマリツィカおばちゃんから電話があってねえ、おばちゃん赤ちゃん出来たんだって」

「本当?」 アルカードはふたりに視線を合わせてかがみ込むと、

「マリツィカ幸せそうだった?」

「うん。よく笑ってたよ」

「ならよかった」 彼はふたりの頭を軽く撫でてから立ち上がり、デルチャに視線を向け、

「ところで、さっきも聞いたが遊園地はどうしたんだ?」

「んー、遊園地は電気系に水が入って火事だとかで入れなかった」 母の代わりに返事をする蘭の言葉に、アルカードはかくんと肩を落としてから、

「それは、それは――で、それでなんでこっちに帰ってくるんだ? 家は? あれか、陽輔君と香澄ちゃんがらぶらぶ新婚さんしてて気まずいとかか?」

「違う、違う。貴方に用があったのよ」 デルチャが適当に手を振ってそう言うと、アルカードは首をかしげた。

「俺に?」

「うん。アルカード、ブルーレイ・レコーダーを持ってたでしょ? それをちょっと貸してもらえないかと思って」

「それは別にかまわんが。持って帰らなくちゃ駄目なのか? ケーブルを取りはずすのにテレビ台を動かすのが、すごい面倒なんだけど」

「じゃあさ、これからアルカードの部屋に行ってもいい?」 と、横から凛が口をはさんでくる。

「ん? いいよ、別に」

 そちらに視線を向けて、何人来るの?とアルカードが尋ねると、凛は指折り数えながら、

「凛と、お姉ちゃんと、お母さんと、フィオお姉ちゃんと、あとはまだわかんない」

「お父さんとおじいちゃんは?」

「継信おじちゃんのところに行ってるよ」

「なら夕方までには帰ってくるかな? でもあのふたり、映画の趣味が合わないからね」 アルカードは手を伸ばして凛の頭を撫でてやってから、仕事に戻るつもりなのか事務机の前に着席した。

 

   *

 

 こちらの前進動作に合わせて、グリゴラシュが数歩後ずさる――それを無視して、アルカードは軽く床を蹴って跳躍した。そのまま空中で前転する様にして緩やかな弧を描いて繰り出された右の踵が、頭上からグリゴラシュに襲いかかる。

 グリゴラシュが一歩サイドステップして間合いをはずし、その一撃を躱した――続いてそれまで軸にしていた左足が跳ね、鞭の様にしなってグリゴラシュのこめかみを襲う。

 グリゴラシュは今度は後退して間合いをはずし、繰り出した蹴り足を遣り過ごした――その背中が、ヘリポートの鋼板を支持するH型鉄鋼材のひとつに衝突する。

 背中から鉄骨にもたれかかる形になり、グリゴラシュが小さな舌打ちを漏らした――これでグリゴラシュはこちらの次の攻撃がどの様なものであるかにかかわらず、これ以上後退して回避するという選択肢が消える。

 アルカードはそのまま空中で回転を止めずに体を横倒しにしながら、左手を床に突いて右の踵をまっすぐにグリゴラシュの鳩尾めがけて撃ち込んだ――背中のあたりでぶっ違いに交差した鋼材を背にした状況で、グリゴラシュがこちらの側面に廻り込む様にしてその蹴りを躱す。

 床の上に片手を突いて軸足の代わりにし、宙に浮いたままのこちらの頭めがけて、グリゴラシュがサッカーボールを蹴る様に爪先を撃ち込んできた――三-九-九は完全に体が宙に浮いた状態で繰り出す横蹴りなので、十全に威力を引き出すためには反動で体が動くのを防ぐために片手を地面について反動で体が後方に動くのを止めなければならない。

 そうしないと、脚の伸長によって発生した蹴りの力の大部分が、アルカードの体を後退させるために使われてしまうからだ――体全体で前進しながら繰り出す飛び蹴りとの、最大の相違点だと言えなくもない。

 だが逆に言えば、その腕を緩めさえすれば容易に体勢を変えられる。

 床に突いていた腕をたわめ、床の上に体側から落ちる――片目が潰れたままで正確な間合いを読み取れていないせいもあるだろうが、もともと若干遠間に過ぎたその蹴りはなにも無い空間を薙いでいった。そのまま床に寝た状態で軸足を取ろうと手を伸ばすも、グリゴラシュはそれを後方に跳躍して躱している。

 舌打ちしながら、その場で転がる様にして起き上がろうと――

 するよりも早く、その場で片膝を突いた体勢のアルカードの頭めがけてグリゴラシュが廻し蹴りを撃ち込んできた――蹴り足を腕でブロックしながら薙ぎ倒される様に床の上で回転してその蹴りから逃れたところに、再びグリゴラシュが今度は逆の足で繰り出してきた蹴りが襲いかかってくる。

 両腕を交叉させてブロックしたその蹴りの勢いに押される様にして後方に跳躍しながら体勢を立て直し、いったん離した間合いを再び詰めるためにアルカードは床を蹴った。

 しっ――アルカードが踏み込んで繰り出した心臓めがけての掌打を左サイドステップして躱しながら、グリゴラシュが歯の間から息を吐き出す。サイドステップと同時に腰を捻り込んで左足が跳ね、そのままこめかみを狙って襲ってくる。

 掌打を撃った右腕越しに左手を伸ばしてその蹴り足を受け止め、アルカードはその蹴り足の膝裏に肘を引っ掛ける様にして右腕で蹴り足を担ぎ上げた。

 そのまま軸足を刈って、グリゴラシュの体を投げ倒す――為す術も無く仰向けに倒れ込んだグリゴラシュの顔面に、アルカードは全体重をかけて膝を落とした。

 だがその膝が顔面を蹂躙するよりも早く、グリゴラシュが右手で膝を押しのけた。コンクリートの床との間で頭を挟み込んで頭蓋を粉砕するはずだった膝は敢え無くコンクリートを粉砕して、魔力強化が入力された衝撃を処理する際の激光と轟音とともに防水用の舗装材プライマの混じったコンクリートの砕片を撒き散らし、同時に装甲板の端がかすめたのかグリゴラシュの首から顎にかけてがざっくりと裂けて血が噴き出す。

 同時に後頭部に強烈な衝撃を叩き込まれて、アルカードはその場で床に左手を突いた。おそらくグリゴラシュの反撃なのだろう――自由になるのは片足しか無いから、下半身を巻きつける様にして後頭部に膝蹴りを撃ち込んできたのか。

 そのまま後転する様にして起き上がり、グリゴラシュが間合いを離す――小さく舌打ちを漏らして、アルカードはその場で身を起こした。

 頭上を覆う鋼板を雨粒が叩くバタバタという耳障りな音が、ひっきりなしに鼓膜を震わせる――ヘリポート上を流れた水がへりから滴り落ちて、そこらじゅうでばちゃばちゃと飛沫を撒き散らしていた。

 その水音を聞きながら、後頭部を伝って首筋に流れ落ちる血の感触に舌打ちする。膝蹴りを後頭部に喰らったときに、装甲板で切れたらしい。

 六歩の間合いを隔てて、再び義兄と対峙する――長剣以外に間合いの広い得物を持たず、霊体武装を持たないグリゴラシュは右手の指先を左腕の上膊に添え、左手に短剣を逆手に保持して、左足を引いて身構えている。

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