Evil Must Die 27

 

   *

 

 ポーチの中の携帯電話が鳴り出したので、アルカードは大皿に盛られたクッキーに伸ばした手を引っ込めた。

 携帯電話を取り出してみると、デルチャからの着信だった――通話ボタンを押して電話を耳に当てると、

「もしもし、俺だけど、どうした? ん? 今綾乃さんのところでお茶を御馳走になってるけど、なにか――なんだって?」 最後のなんだって?があからさまに胡乱そうな響きになっていたからだろう、綾乃が軽く首をかしげる。

「わかった、すぐ帰る――ああ、それじゃ」

「誰から?」

「デルチャだ――よくわからないが、俺の部屋に泥棒が入ったらしい」 え、と眉をひそめる綾乃から視線をはずし、アルカードはカップの中身を一気に乾して席を立った。

「すまない、飲みかけだが帰るよ――窓が割られてるとかで、ちょっと面倒そうだ」

「あ、うん。秋斗、美冬、あーがおうちに帰るからばいばいして」

 綾乃が秋斗と美冬を子供用の椅子から降ろそうとするのを手で制して、アルカードは子供たちに話しかけた。

「ねえ、あっくん、みーちゃん。あーさあ、今日はもうおうちに帰るね」 そう声をかけてから犬たちを呼び寄せ、アルカードは玄関に出る扉に向かった。扉を開けて振り返ると、秋斗と美冬が手を振っている。

 手を振り返してから上がり框に腰を下ろし、靴に足を入れていると、綾乃がサンダルを履いてガレージに出ていった――機械音が聞こえたところをみると、ガレージのシャッターを開けてくれたらしい。

 アルカードはブーツのジッパーを引き上げると、かがみこんで犬をまとめて抱き上げた。

 収納スペースに犬を乗せて、はさまれたりしない様に慎重にバックドアを閉めてから、運転席に廻り込む。

「あ、アルカードさん。子供たちの面倒見てもらったお礼を――」

「別にいらない」 財布を出しかけた綾乃を手で制して、アルカードは車に乗り込んだ。

「でも、昼食だってガソリン代だってただじゃないでしょ?」

「いいって、別に――本気で困ってた友達の子供を保護して金もらうとか、なんか嫌だよ」 そう言って、アルカードは適当に手を振った。

「だからさ、あまり気にしないでくれ――俺がいらないって言ってるだけなんだからさ」 申し出はありがたいけど納得はいかない、そんな表情で綾乃はシャッターの操作スイッチのところまで歩いていった。

 エンジンを始動させて、アルカードは綾乃に向かって軽く手を挙げた――軽く手を振り返して、綾乃が小さく笑みを向けてくる。それでアルカードはサイドブレーキをはずし、クラッチをつないでアクセルを踏み込んだ。

 

   *

 

Aaaaaa――raaaaaaアァァァァァァ――ラァァァァァァッ!」 咆哮とともに、アルカードは蜘蛛の眼前に飛び込んだ――が、手にした剣を振り下ろすよりも早く、蜘蛛がその場で跳ねる様にして跳躍する。

 目標を失って踏鞴を踏み、頭上を見上げたとき、蜘蛛の腹から噴き出した白いものが降り注いできた。

 これは――糸か。

 あっという間に全身を絡め取られ、アルカードは小さく舌打ちした。当然ながら本物の蜘蛛の糸に比べて糸が太く強靭で、糸というより紐に近い。相当な強度があるのか、アルカードの膂力を以ってしても振りほどけそうにない。

づがまえだぞ、ずばじごいぞうめが!」

 ようやくアルカードを射程距離に捉えた蜘蛛が、地響きとともに眼前に着地した――優位に立っていることを確信しているのか哄笑をあげながら、蜘蛛が触手をくねらせる。

「ざあ、がみいがりをどぐど味わえ!」

 アルカードは呵々と大笑をあげる蜘蛛を無視して背後を振り返り、デルチャたちのほうに視線を向けた。

 これからしようとしていることは、距離にもよるがデルチャたちを守っている結界にかなり負担がかかる――場合によっては、結界が耐えきれずに崩壊する可能性もある。

 距離は十分に開いているが――念のため補強しておくべきだろう。胸中でつぶやくと同時に術式に流す魔力を増やすと、ふたりを包む込むドーム状の結界を構成する六角形のパネル状の模様が小さく縮まり数が密になった。

 六角形の大きさが小さく、数が密になるほど結界の強度が上がる――さらに組み換えた術式にしたがって結界の形状が変わり、こちらに先端を向けた楔状へと変化した。

 ドーム状の結界というのは、基本的にあらゆる方向から入力された打撃に対して均一な防御性能を誇る――逆に言えば攻撃の方向が限定される場合は、それ以外の形状のほうが優れていることもある。

 たとえば、今の様な場合――胸中でつぶやいて、アルカードはそれまで抑えていた魔力を解放した。

「なっ!?」 蜘蛛の驚愕の声は、最後まで聞き取れなかった。

 爆鳴の様な轟音とともに無事だった石畳が引き剥がされ、肉迫していた無数の触手が衝撃波に磨り潰されて挽き肉よりもさらに細かな肉の破片を撒き散らす。

 カルカッタでのセイル・エルウッドとの戦闘以降まともに使えなくなってしまったエレメンタル・フェノメノンではあるが、それでも無指向性の衝撃波を発生させることくらいは出来る――本来の威力には遠く及ばないし、それすらもあと十数年で出来なくなるだろうが、まあ現状を凌ぐには十分だ。衝撃が収まったあとは無事だった御神木は放射状に薙ぎ倒され、社は痕跡すら残っていない。

 その一方で、結界は健在――押し寄せてきた衝撃波をショートケーキの様な形状に変化して引き裂いた結界が、再びドーム状へと変化してゆく。

 全身を絡め取っていた糸もその衝撃波で残らず吹き飛ばし、拘束から解放されたアルカードは手にした塵灰滅の剣Asher Dustの隠匿を解いた。

 魔具や霊体武装の中には、形骸を見えなくすることで間合いを読みづらくさせる機能を持つものが存在する。

 透明化に魔力の半分以上を消費するために霊体に対する殺傷能力も著しく低下するし、魔力の弱い相手にしか効果が期待出来ないので、実際のところアルカードの目には常に見えているのだが、まあアルカードを相手に善戦出来るほどの相手のほうが珍しいのでそれなりに役には立つ。

 ただし最大出力を引き出そうと思えば、隠匿を解除しなければならない――もっとも最大出力で戦わなければならない様な相手であれば、アルカードが隠匿しようとしても塵灰滅の剣Asher Dustを視ることが出来るだろうが。

「おのれ……おのれェッ!」 頭部が完全に無くなっていても、意識はあるらしい――発声器官が完全に破壊されたからだろう、肉声は聞こえなかったものの、蜘蛛が発した怨嗟のこもった怒声が霊声ダイレクト・ヴォイスとなって脳裏で割れ鐘のごとく鳴り響く。

小僧ごぞう……、げがらわじぐなま意気いぎむじげらよ、もばやらぐにばごろざぬ! 爪先づまざぎだげを形相干渉げいぞうがんじょう修復じゅうぶぐじながら、ばい心臓じんぞうぎざんでぐれるぞッ!」

「……爪先だけ回復してどうするんだよ」

 ダイレクト・ヴォイスによって届いたその罵詈雑言に適当に突っ込んでから、アルカードは再び塵灰滅の剣Asher Dustに魔力を這わせた――励起した刀身が青白く輝き、ヂヂヂと音を立てて青白い火花が散る。

 手にした剣の鋒をまっすぐに蜘蛛に向けて、残った部分に突き込もうとするより早く、蜘蛛の体が再び膨張した。

 全身からうねうねと触手が生え出し、蜘蛛というよりイソギンチャクのてっぺんみたいな有様になってゆく蜘蛛を見遣って、うんざりして溜め息をつく。

「……なにこれ。イソギンチャクの親玉? 蜘蛛ですらないじゃねえか。なんで海じゃなくて山に出てきてるんだよ」

 ルーマニア語でそうぼやいて、アルカードは左手に鞘を構築しながら、少し距離をとった。

 鞘は塵灰滅の剣Asher Dustを手に入れた直後、まだ消すことの出来なかった塵灰滅の剣Asher Dustを持ち運ぶために用立てた鋼鉄製のもので――それで吸血鬼や魔物を殴り殺すことも多かったために――、それ自体は錆び朽ちてしまったものの、形骸だけが魔具として残っている。

 それ自体も殴打武器としてはそれなりに効果的ではあるのだが――鞘の本当の使い道は別にある。

 手にした塵灰滅の剣Asher Dustを逆手に持ち替え、鋒を鯉口にあてがって、一気に鞘に叩き込む――と同時、蜘蛛の周囲の空間がぐにゃりとゆがんで見え、続いて蜘蛛の全身から生え出した触手が悉くぶつ切りにされた。半ばから分断された蚯蚓の様にのたくりながら、切断された触手がぼとぼとと地面に落下してのたうちまわる。

 音を媒体にして目標周囲の空間に無数の断層を発生させ、物理的な強度も防御も関係無く対象を切り刻む、魔力戦技能の一種だ――もともとはとある精霊魔術師の魔術の一種なのだが、魔力の伝播媒体に周囲の空気、というか流体を使うため、術式を組み替えることでアルカードにも使える様にしたものだ。

 正確には魔術の一種なのだが、音を自分で立て、その発生に合わせて術式を起動することで再現可能にしたもので――発動に手間がかかり霊体に対する破壊力こそ持たないものの、周囲の空間ごと対象を斬り刻むために物理的な防御手段では絶対に防げず、また一撃一撃が非常に深い。

 絶叫をあげる蜘蛛に向かって、アルカードは再び間合いを詰めた。再生の時間など呉れてやるつもりは無い――次の一撃で勝負を決める。

「――死ねよ!」 声をあげて再び抜き放った塵灰滅の剣Asher Dustを振り下ろしたその瞬間、視界を激光が塗り潰した。

 地面に足をつけていなかったために回避行動をとることが出来ないまま同時に押し寄せてきた衝撃波に為す術も無く吹き飛ばされ、薙ぎ倒されたままになっていた楠の幹に背中から叩きつけられる。

 受け身をとる暇も無いまま後頭部を打ちつけて、アルカードはその場で膝を突いた。

 叩きつけられたときの体勢が悪かったために右肘の関節が完全に砕け、立ち上がろうとしても左膝ががくがくと震えてうまく立てない。

 膝もやったか――舌打ちして、アルカードは顔の半分を濡らす血を左の掌でぞんざいに拭い取った。口の中を切ったのか、生臭い錆びた鉄の臭いが鼻を突く。口の中の血を唾と一緒に吐き棄てて、アルカードは蜘蛛のほうに視線を戻した。

 御神木や周囲の土、破壊された神社の残骸が金銀に光り輝く粒子を撒き散らしながら溶け崩れて消滅し、蜘蛛の体に流れ込んでゆく――より存在規模の大きな霊体に合わせて肉体を再構築するために、周囲から質量を掻き集めているのだ。

 どんどん肥大化していく蜘蛛の巨体を、絶えず色相を変える炎の様なものが包み込んでいる――肉体の構築に利用するために集めた精霊のうち、まだ使っていないぶんを体の周囲にとどめているのだ。

光輝体アウゴエイデスか――」 小さく舌打ちして、アルカードはそうつぶやいた。

 光輝体アウゴエイデスとは、神霊の本体を指す言葉だ――そのままでは振るえる力も大きいものの消耗も大きいので、神霊は必要なとき以外は本来の霊的な本体と端末となる霊体を分割している場合が多い。

 追い詰められて、本体を向こう側から呼び出したのだろう――あの蜘蛛がアウゴエイデスを持っているというのは正直意外だったが、まあそのアウゴエイデスもたいした力は持っていないだろう。

 アウゴエイデスをこちら側に顕現させるためには、まずアウゴエイデスの肉体を構築するための構成情報をこちら側に転送しなければならない――のだが、転送レートがかなり遅い。

 構成情報を転送するための通信回線は自力で構築しなければならないので、転送レートは各個体の能力と周囲の環境によって変わってくる――なにしろここは神社のある霊地、『門』の真上なので、高位の神霊であればアウゴエイデスの構成情報の転送は文字通り瞬時に完了することもある。三十秒以上もかかるというのは、かなり位階の低い神霊だ。

「ざあ、がぐ出来でぎだが、ぞう――」 形勢逆転と言わんばかりの優越感に満ちた口調で、蜘蛛がそう声をあげる。

「ざあ、恐怖ぎょうぶずるがいい、ぞじで絶望ぜづぼうずるがいい――所詮じょぜんざまごどぎでば、がみだるごのワジにがなうべぐもないのだ」

「絶望?」 その言葉に、アルカードは盛大に鼻で笑った。

 アウゴエイデスの構築情報の転送が遅かったせいか受肉に時間がかかり、そのおかげでこちらの損傷もほぼ回復している――折れた右腕を顔の前に翳して試す様に手を開いたり閉じたりしながら、アルカードは侮蔑もあらわに反駁した。

「人が黙っていれば調子に乗りやがる――その『ざまごどぎ』を相手に本体を繰り出さなければ傷ひとつ負わせられん雑魚神霊下等動物が、ずいぶんと嘗めた口を叩くものだ」

「分際をわぎまえぬな、ざま――!」

「そっくり返してやるよ――不細工なもん繰り出しやがって」 激高したのか声を荒らげる蜘蛛にそう返事をしてから、アルカードはコートのポケットから取り出したコルクで栓をされた小さな硝子瓶を足元に叩きつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る