Ogre Battle 55

 

   *

 

 デリバリーピザの箱を全部潰し終えてポリプロピレンの紐でくくり、キッチンの隅に押し遣ってダイニングに出たところで、アルカードはテーブルの上に残った携帯電話に気づいた。

 見覚えのある女性向けの色の電話は昼間ショッピングセンター内に入っているNTTドコモの販売店で、ふたりの少女に持たせるためにアルカードの名義で購入したものだ――パオラは赤い電話機を選んでいたから、ピンク色のこの電話機はリディアのものだろう。忘れていったのか?

 まあ、思い出したら取りに来るだろう。胸中でつぶやいて、携帯電話はそのまま放置しておく――散々しゃべって疲れたので、アルカードは冷蔵庫の扉を開けて中からトマトとベーコンを引っ張り出した。

 適当につまみでも作って酒でも飲むかと思いつつフライパンを取り出そうとしたとき、カチャリと音を立ててリビング側の扉が開いた。

「すみません、アルカード」 顔を出したリディアが、遠慮がちに声をかけてくる。

「携帯か?」 アパートの住人がノック無しで入ってくるのは珍しいことではないので気にせずに、アルカードはそう尋ねた――部屋に戻ってからシャワーでも浴びたのか、ほどかれた髪が湿っている。

「はい」

 リディアが差し出した携帯電話を受け取った時点で、アルカードはそれ以上話をすることは無いと思ってキッチンに取って返したのだが、ふとカウンター越しにダイニングに視線を向けると、リディアは携帯電話を受け取っても部屋から出て行かずに、その場で突っ立ったままもの問いたげな視線をこちらに向けていた。

「どうした?」 手にしたフライパンをとりあえずシンクに置いて声をかけると、リディアはしばらく口ごもってから、

「さっきのお話で、ちょっと思ったことがあるんですけど――」 キッチンの入口の所まで歩いてきてから、リディアはそこでいったん言葉を切って、

「あの、アルカード。もしかして、貴方は――ドラキュラを斃したあとでフィオに殺されるつもりでいませんか?」

 言いにくそうにそう聞いてくるリディアの表情に眉をひそめ、アルカードはガスコンロのつまみをひねって火を消した。

「どうしてそう思うんだ?」

「フィオが貴方と戦う決断をしたときに、自分を嫌っていたほうが躊躇い無く戦えるだろうって言ってましたね――でも嫌ってるのなら、貴方と戦うかそれとも和解するかで悩まずに、即戦う決断をするでしょう。貴方はフィオに嫌われる様な言動をして、和解するという選択肢をあの子の頭から消して、フィオが自分と戦うことを躊躇しない様に誘導してるんじゃないですか?」

 それを聞いて、アルカードはちょっとだけ苦笑した。

「案外簡単に気づかれるもんなんだな」

 その返事を聞いて、リディアが眉間に皺を寄せる。

「やっぱり――」

「別にたいした理由じゃないんだがな――あの子に本懐を遂げるくらいはさせてやってもいいかと思っただけだ」

 その『思っただけ』でとる行動がフィオレンティーナに殺されることなら、『だけ』で済ませていい様なものではないだろう――そんな表情で、リディアが口を開きかける。

「別にいいんだよ――ドラキュラさえ斃してしまえば、俺は別にその先を生きる理由なんか無いしな」

 

   †

 

「別にいいんだよ――ドラキュラさえ斃してしまえば、俺は別にその先を生きる理由なんか無いしな」 投げ遣りともとれるアルカードのその言葉に、リディアは眉をひそめた。

「理由が無い、って――」

 続きになんと言えばいいのかわからずに口ごもるリディアに、アルカードは適当に肩をすくめて、

「言っただろ? 俺はドラキュラやグリゴラシュを殺ることだけが目的だ――ほかのことはどうでもいいし、別にそれが終わったあとでやりたいことがあるわけでもない。別にいつ死んでもかまわないからな」

 それはおかしい。そう言いかけて、うまい言葉が見つからずにリディアは口ごもったままかぶりを振った。

「だから、俺は自分の本懐を遂げたあとなら、次の朝に死んだって別にかまわないんだよ――どうせ俺には帰る場所なんか無いしな」

 自嘲気味のその言葉に、リディアは眉根を寄せた――表情を見ていれば、彼がなにを言っているのかは容易に理解出来る。

 あきらめだ。

 彼には故郷が無い。自分の手で破壊して、その痕跡すらなくなってしまった。ブカレストという街は残っていても、それは彼の郷愁の中にあるのとはまったく別物だ。

 家族も友人もいない――みな魔物になり果てて、自分の手で虐殺した。今ブカレストに住んでいる人々は、往時の彼が知る人々と血のつながりすら無い。

 本当に帰りたい場所も、迎えてほしい人々も、全部自分の手で滅ぼして――手の中に残った唯一のよすがは復讐の道程。

 そこにあるのはすがりつくものが闘争以外になにも残されていない、孤独な男の貌だった。

「それに――どのみち俺はもうそんなに長く持たないからな」

 いきなりどきりとする様なことを言われて、リディアはアルカードの顔を凝視した――吸血鬼はキッチンの床を靴底で傷つけないために敷いたフローリング風マットの上に折り敷いて、じゃれついてきたソバの顎の下をくすぐってやっている。

「持たない、って……?」 一瞬息を呑んでから、リディアはおずおずとそう聞き返した。アルカードは彼女を促してダイニングに戻り、ダイニングテーブルのへりに腰かけて、ウドンを胸元に抱き上げてついていったリディアに視線を向けないまま先を続けた。

「言っただろ? 俺はドラキュラに血を吸われた状態で真祖になった。体内に奴の魔素が残ってるんだ――八十年ほど前にセイル・エルウッド、ライルの祖父さんに千人長ロンギヌスの槍で刺されたんだが、それが原因で体内に残った魔素がおかしなふうに働いちまってな。少しずつだが霊体構造が壊れてきてる――六十年ほど前に、俺の本来の霊体武装も使えなくなった。いずれ致命的なところまで霊体が壊れて、俺は死ぬことになるだろう――あるいは、どんどん激しくなりつつあるドラキュラの魔素による吸血衝動に負けるのが先か。そのどちらだったとしても、あと十年は持たないだろう――ドラキュラを殺したとしても、影響はおそらく消えない。セイルディア・グリーンウッドのお墨付きだよ」

 セイルディア・グリーンウッドについては、一応名前だけは知っている。リッチー・ブラックモアによると、大気中の無属性の魔力――精霊に干渉して物理現象を引き起こす精霊魔術の分野において、地上に並ぶものの無い大魔術師だ。

 教会内でグリーンウッドの名前を知る者自体それほど多くはないのだが、ライル・エルウッドから聞いたところによると、教会の魔術師が学ぶ精霊魔術は、すべて教会に持ち込まれた極めて高レベルのエミュレーターから取り出された魔術式が基本になっているらしい――持ち込んだのは彼らの師匠だと聞いたから、つまりアルカードが持ち込んだものなのだろう。

 持ち込まれたエミュレーターの完全再現は教会の魔術研究者総がかりでも不可能だったらしく、その制作者であるグリーンウッドの名は教会の魔術師の間では神にも等しい雷名として知られている。リディア自身が知己があるわけではないが、彼がそう言うのならそうなのだろう――アルカードの寿命はあと十年も残っていないのだ。

 そして本人も、それを受け入れてあきらめている――だから、自分の敵討ちが終わったあとの自分の人生などどうでもいいのだ。

「それに、俺が直接責任を持たなくちゃならん相手なんかほとんどいないしな」

 そう言ってから、アルカードは体をかがめて踝のあたりにしがみついているテンプラの頭を撫でた。

「問題はこいつらだな――こいつらお嬢さんに懐いてるし、もし俺を斃したあとで面倒見てやってくれって頼んだら、引き受けてもらえるかな……?」

 腕に力が入りすぎたのだろう、痛かったのかウドンが腕の中で身じろぎする――腕の力を緩めて、リディアはウドンの小さな体を抱き直した。

 立ち上がりかけたアルカードが、眼前にウドンの鼻面を突きつけられて動きを止めた――顔を上げたアルカードの鼻の頭を、ウドンがぺろりと嘗める。

 リディアの意図がわからないのだろう、アルカードは立ち上がって軽く首をかしげながらリディアの顔に視線を落とした。

「貴方の責任はそれで無くなりませんよ、アルカード――貴方が責任を負うべき相手はそれだけじゃありません」

 言っている意味がわからないのか、アルカードが首をかしげてみせる――自分の言いたいことがどう言えば彼に伝わるだろうかと必死で考えながら、リディアは先を続けた。

「この街の貴方の友達だって、貴方がいなくなったその瞬間から貴方がいなかったことに出来るわけじゃないでしょう――凛ちゃんや蘭ちゃんも、貴方にもフィオにも懐いてるのに、互いに殺し合ってどちらかが相手を殺したなんて知ったらどう思いますか?」

 アルカードは返事をしない――表情を変えることなく、静かに言葉の続きを待っている。

「おじいさんやおばあさんや、さっき会った人たちだってそうですよ。仕事でだってそれ以外だって、貴方が死んでも明日からなにもかも普段通りに動くわけじゃないでしょう?」

 いったん言葉を止めて息を吸ってから、リディアは先を続けた。

「この子たちだってそうです。犬を人に譲るときだって、ちゃんと可愛がってもらえてるかどうかときどき見に行ったりするでしょう? この子たちを誰かに譲ったって、それで貴方の責任が消滅するわけじゃありません」

 アルカードがその言葉に、足元にまとわりつくソバとテンプラ、リディアが抱いたまま差し出したウドンを順繰りに見比べる。

「貴方が死を望むことを、わたしには止められません――でも、それをしたらこの子たちも蘭ちゃんや凛ちゃんも大好きな人をひとり亡くして、もうひとりはその相手を殺したことになるんだってわかってますか? 貴方が殺されればフィオが、フィオが殺されれば貴方が、あの子たちの見知った人を殺したことになるんです」 やはり無言のまま彼女の言葉に耳を傾けているアルカードに、リディアは先を続けた。

「わたしには貴方を止める権利も資格もありません――でもこれは忘れないでいてください。貴方は死ぬことで楽になるのかもしれませんけど、それで残される人だっているんです。きっと貴方が自分で思ってるより、貴方が取ろうとしてる選択で傷つく人は多いと思います。だから、無理かもしれないけど、まだ選択肢があるうちはもっといい方法を探してください。もしかしたら、これから魔素の影響を取り除いて死なずに済むかもしれないんですから。貴方の親しい人たちもこの子たちも、貴方にとっては今までたくさん出会って失ううちの一部かも知れないけど、その人たちには貴方しかいないんです」

 とくにこの仔たちには――そう付け加えて、リディアはアルカードの表情を窺った。お世辞にもうまく言えたとは思えないが、言いたいことは伝わっただろうかと、そんな疑問をいだきながら。

 アルカードがこれで思いとどまってくれることはないだろう。リディアの言葉は、所詮五百数十年の彼の闘争の人生を知らぬ者の言葉でしかない――彼がこの五世紀の間に蓄積してきた疲弊も絶望も憎悪も、余人の理解の及ばぬものだろう。

 だがそれでも――

 時間が残されているうちは問題を取り除く努力をすべきだと、リディアは思う。幾度となく努力が無為に終わり、すでに徒労に倦んでしまっているのかもしれないが――

 これでアルカードを止められるかどうかはわからない――ただ、凛や蘭に彼女たちが慕っている吸血鬼とフィオレンティーナが殺し合うという光景や、その結果は見せたくなかった。

 アルカードがこちらに手を伸ばしたので、リディアは思考を中断した。ウドンの小さな体を受け取り、口の端を吊り上げて小さく笑う。

「ああ、そうだな」

 吸血鬼は小さな体をいとおしげに抱き寄せ、親愛の情を示して首元に頭をこすりつけるウドンに目を細めた。首筋から背中にかけてを撫でさすりながら、穏やかな表情で微笑すると、

「いつ死んでもいいと思ってるのに――死ねない理由ばかりが増えていくよ」

 それを聞いて、リディアは小さく息を吐いた――自分が吐いたのが安堵の吐息なのだと自覚して、再度小さく息を吐く。

 父よ――かがみこんで足元にじゃれついてきている仔犬の頭を順に撫でていく吸血鬼を見下ろして、リディアは胸の内だけで彼女の主に呼びかけた。

 指先を甘噛みするテンプラにいけない、と言い聞かせているアルカードから視線をはずして頭上を仰ぎ、胸元で十字を切る。

 願わくばこの吸血鬼の魂にも、貴方の救いの御手をお与えくださいます様に――

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