Ogre Battle 48

「それがアルカードさんのイチ押し?」

「俺の経験上は、いいものだと思うよ」 陽輔の問いにそう答えてから、アルカードはちょっと考え込み、

「あのスーパーフォアを君に譲る前に買い置きしてたパーツの中に、確かブレーキパッドがあったと思う。ZCOOとカーボンロレーヌのがあったから、それ使ってみるか?」

「いいの?」 そりゃ助かるけど、という陽輔に、アルカードはアパートのほうに視線を向けた。

「ああ、どうせもう使わないから――シェルターの中に突っ込んであったのを、こないだ見た覚えがある。明日にでも探してみるよ」

 アルカードはそう答えてから、烏龍茶に口をつけた。

「スーパーフォアってなんですか」 リディアが尋ねるとアルカードはそちらに視線を向け、

「オートバイの車種だよ。ホンダのCB400スーパーフォア――日本に来てからしばらく使ってたものを、陽輔君に譲ったのさ。もう少し瞬発力のあるオートバイがほしかったんでな」

 コップをテーブルに戻して、アルカードが子供たちに視線を向ける。子供たちは積み木をジェンガの様に積み上げていく遊びに熱中しているらしく、何度崩れてもあきらめずに挑戦している――どうも上下を平面にして積み上げ、崩れたら負けというルールらしく、出来るだけバランスの悪い置き方をするかを考えている様だった。

「いくら払えばいい?」 先ほどのブレーキパッドの話だろう、陽輔がそう質問をする。

「んー、そうだな。フロント二個とリア一個で五千円くれればいいや」

「やった」

 ぐっと拳を握って、陽輔が歓声をあげる――この反応からすると、結構なお友達価格なのかもしれない。陽輔の隣で気だるげにテーブルに突っ伏す様にしながら、香澄が口を開いた。はらりと頬にこぼれ落ちた黒髪が、ぞくっとするほど色っぽい。

「ねえ、アルカードさん」

「おーう?」

 アルカードが返事をすると、香澄は突っ伏していた上体を起こして、

「ついでに相談に乗ってほしいんだけど、わたしの原付が最近調子おかしいの」

 それを聞いて、アルカードは体ごと香澄に向き直り、

「具体的になにがおかしい?」

「どう言ったらいいのかしら――全然スピードを出してない、というか完全停止状態のはずなのに、ブレーキを放すといきなり進み出したりするの。ほら、オートマティックの車にクリーピングってあるでしょ? あんな感じ――あとはときどきエンジンがいきなり止まったり、エンジンのかかりも悪いし、ブレーキの握りが緩いとスターターを回したら車体が動いたり」

「あー」 アルカードはうなずいて、ちょっと考えてから、

「走行中に完全に停車するとエンジンが止まったり、ブレーキの握りが緩いと車体が動き出したり、センタースタンドで後輪を浮かせた状態でエンジンを始動させても、リアブレーキを握り込むとエンジンが止まったり?」

「そう、そんな感じ」

 原因、わかる?という香澄の言葉に、アルカードがうなずく。

「遠心クラッチのスプリングが折れるか、でなけりゃはずれるかしたんじゃないかな」

 アルカードはそう言って、ちょっと考え込んだ。テーブルの上に放置されていたチラシの束――凛と蘭がおもちゃにしていたのか、水性ペンで落書きされている――を手にとって、テーブルの上に放置されていた水性ペンを取り上げた。

 彼はチラシの余白にマルを書いてその内側に背中合わせになった弧をふたつ引き、それぞれの弧の一端、ちょうど対角になる位置に小さなマルを書いた。一端にマルのついた弧が、ちょうど点対称の位置関係になる。

「原付の動力伝達装置ドライブトレインは遠心クラッチといってな、こんな感じに摩擦材ライニングのついたシューが配置されてる。で、このシューの両端はスプリングがついて、向かい側のシューとお互いに引っ張り合ってるんだが」

 マルと向かい合わせになった弧の端の間にばねを表現しているのかぎざぎざの線を引き、アルカードが続ける。

「この遠心クラッチはエンジンとベルトで接続されてるから、常時回転してる。で、回転が上がってスプリングの張力を超える遠心力が発生すると、シューを固定してるピン――このマルな――を軸にして、シューが外側に向かって広がるんだ」 言いながら、アルカードはマルを軸にしてちょっと外側に傾いた位置に左右それぞれもう一本ずつ線を引いた。

 そして水性ペンの先で外側に書いたマルを示し、

「で、外側にあるドラム――この外側のマルだが――に、振り出されたシューが接触する」 アルカードはそこでチラシの別の余白に縦に長い片仮名のコ――長辺が一辺足りない長方形と言ったほうが近いかもしれない――を描いて、コの字の内側にもうひとつ長方形を描いた。

「この長方形は遠心クラッチを横から見たものだと思ってくれ。で、この縦長のコの字はドラムだ。で、ドラムからはこう、スイングアームを挟んで反対側に軸が伸びてて――」 と言いつつコの字を水平に割る様にして縦棒の真ん中あたりから内側に向かって線を引き、内側の長方形を貫通して長く延ばす。

「この反対側にタイヤがついてる」 そう続けて、アルカードは線の反対側にタイヤを示すものらしい長方形を描いた。

「遠心クラッチはこのシューが遠心力で振り出されて、外側にあるドラムに接触することで動力を伝えてる。シューがドラムに接触すると、ドラムが回転を始めて軸で接続されてるタイヤも回り始めるわけだ」 オーケー?と香澄に視線を向けると、彼女はアルカードの視線を受けてうなずいた。

「一応は。でもそれがどう関係があるの?」 アルカードはその言葉に、水性ペンで先ほど書いた遠心クラッチの略図のスプリングを表すぎざぎざの線の上からバツを描いた。

「スプリングが折れたり取れたり、あるいはなにかほかの理由で効かなくなって、ライニングのどちらかもしくは両方がドラムに常時接触する状態になってるんだろう。スプリングがへたって駄目になってはずれたか、それとも金属疲労で折れたのか。いずれにせよ、スプリングがはずれてるんだと思うよ」

 アルカードはそう言ってからちょっと考え込み、

「センタースタンドを立てて後輪を浮かせた状態でエンジンをかけると、後輪がゆっくりと回るだろう? あれはアイドリング回転の遠心力で振り出されたシューがドラムに接触して、エンジンの動力が伝わってるからだ。でもスプリングによって引っ張られてるから、その状態ではさほどの動力は伝わらない――つまり、クラッチは常に引きずってる状態なんだよな。スプリングが効かなくなると、アイドリング程度の回転でもドラムに十分な動力を伝える様になるから、ブレーキをかけてない状態だと勝手に動き出すこともあると思う。ブレーキをかけて停止してるときにエンジンが止まるのは、アクスルとエンジンがつながってるせいでエンストを起こしてるんだろう」 それで納得がいったのか、香澄はうなずいた。

「直るの?」

「直るよ――クランクケースカバーを開けて、折れたかはずれたかした遠心クラッチのスプリングを交換すればいい。ちょっとした道具はいるが、オイル漬けになってるわけじゃないから手間はかからないだろう――もともとついてたスプリングはクランクケースの内部に残ってるから、下手に噛み込まないうちに早めに交換したほうがいいだろうな。交換が終わるまで乗らないほうがいいかもしれない」

 横で聞いているパオラにはアルカードが言っていることは半分も理解出来なかったが、とりあえず香澄の原付が故障していることだけはわかった――そもそもゲンツキってなんだろうと思いつつ周囲に視線をめぐらせたとき、積み木に飽きたのか遊んでほしかったのか、秋斗が陽輔の足元に歩いてきてズボンの裾を掴んだ。

「どうした?」 かがみ込む陽輔に抱っこをせがんでいるのか、秋斗が陽輔の顔に向かって手を伸ばす。陽輔は子供の脇に手を入れて、小さな体を膝の上に抱き上げた。

 陽輔の膝の上でもぞもぞして腰を落ち着けてから、まだうまくしゃべれないのか舌足らずな口調で陽輔に話しかけている――アルカードはそれを見るのが楽しいのか、ダイニングテーブルに頬杖を突いてその様子を眺めながら目を細めていた。

 指先が触れるかどうかの距離で指をちょいちょいと動かして手を伸ばす秋斗をからかいながら、香澄が小さく笑う。彼女は秋斗に握られた人差し指を握手するみたいに上下に軽く揺すりながら、

「修理っていくらくらいかかるのかしら」

「工賃の話? 一時間あれば終わるだろうし、五千円くらいじゃないかな――確か二輪車の工賃は一時間当たり四千七百円だって、知り合いの町工場のおやっさんが言ってた」 でも十年くらい前の話だし、今は知らん――そう付け加えて、アルカードが長い脚を組み直す。

 陽輔の膝の上からテーブル越しにアルカードに向かって手を伸ばす秋斗に左手を伸ばし、人差し指の指先を握ってぶんぶん振り回す秋斗に苦笑しつつ、金髪の吸血鬼は先を続けた。

「部品代はいいとこ五百円くらいだと思う――スプリングふたつと、店によってはペーパーガスケットと、場合によってはリアアクスルに直結したベアリングとの間に挟まってるオイルシールも交換するかもね。走行距離はいくつくらい?」

「えーと……二万キロくらい?」 大学時代の友達から五千円で買った中古だったから、と答える香澄に安ぅ、と声をあげてから、アルカードは首をひねった。

「二万キロかー……そのまま乗り続けるつもりなら、CVT周りにも手を入れたほうがいいかもね」

「それはまた今度。今月友達がふたり結婚するから、懐具合が厳しいの」 適当に手首をぷらぷらさせる香澄に、

「それはきつい」 と、これは陽輔だが。

「そーか。それはまあ仕方無いな」 アルカードは適当に肩をすくめて、

「まあ、ベルトとかローラーを換えるとなると工賃を無視しても結構な値段になるからな。当面必要なもの以外の交換を先送りにするのは、まあ仕方無いね」 というか、五千円の原付にそこまで金かける価値があるかどうかはわからないけど――そう付け加えてから、アルカードはふと思いついた様に陽輔に視線を向けた。

「ところで、君たちはいつなんだ?」

「なにが?」 首を傾げて訊ね返す陽輔に、

「君たちの挙式が」 と、アルカードがさらっと返事をする。

「うぇっ!?」 変な声を出す陽輔にびっくりしたのか、秋人がぎょっとした様な表情で彼を見上げる。

「否、俺たちはまだそんな――」

「酷いわ陽輔、わたしとは遊びだったのね」 あからさまに嘘泣きっぽくよよよと泣き崩れる香澄を見遣って、

「否ちょっと待ってくれ、だからなんでそんな話に――」 膝の上に子供がいるのであまり大きな動きは出来ないのだろう、上体だけそちらに振り返ろうとしている陽輔の膝の上から、アルカードが秋斗を自分のほうに引き取った。

「急いだほうがいいぞー、陽輔。こないだ香澄ちゃんの店に行ったら、結構な人数に口説かれてたしさぁ」 授乳中の妻の横で自分だけ酒を飲む気にはなれないのか、ペットボトルのジュースをコップに注ぎつつ、亮輔が話に参加してくる。

「現時点での彼氏ってのは、あんまり強みにならねーよな」 と、これは背後から聞こえてきたので誰の発言かわからない。

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