Ogre Battle 31

「おじいさんです――ごめんなさい、リビングに置きっぱなしになってたのを、凛ちゃんが勝手に出ちゃって」

「ああ」 フィオレンティーナの言葉に、アルカードは手を伸ばして差し出された携帯電話を受け取った。フィオレンティーナが保留にする操作方法がわからなかったからだろう、携帯電話のマイク部分だけ手でふさいで差し出してきたので、そのまま受け取って耳に当てる。

「はい、代わりました――」 彼は何度かうなずいて、時折腕時計に視線を落としながら、

「え? それで、怪我人とかは? はい、はい――ああ、そうなんですか。それはなにより――はい。ああ、たしかにそうですね。ええ、大丈夫ですよ――わかりました。今日は僕のところで預かっておきます。はい、じゃあお気をつけて」 アルカードは携帯電話を耳から離して終話ボタンを押すと、ちょっと考え込むふうで溜め息をついた。

「なんの電話だったんですか? 怪我人とか聞こえましたけど」

 パオラの投げかけた質問に、アルカードはフィオレンティーナを促して玄関に入りながら、

「帰り道に使う予定の道路で事故があったそうだ――ああ、まだ向こうを出発してないから心配はいらない。ただ、そこが完全に通行止めになってるらしい。ほかのルートだとかなり遠回りになるから、今日は出発せずに温泉の近く宿に泊まるそうだ――店に関しては、明日は臨時休業ということになるな」 アルカードはそう言ってからちょっと考えて、

「明日出勤予定の入ってた君たちふたりも、休みだな。あと、今夜は訓練はやらない――とりあえず明日まで、凛ちゃんと蘭ちゃんの面倒を俺が見ることになった」

 アルカードはそう言って玄関から部屋に入ると、靴紐をほどきにかかった。履き替える手間が惜しかったのか、靴を脱いでそのままリビングに足を向ける。

 ふたりで対戦プレイをしていた子供たちに、

「凛ちゃん、蘭ちゃん。ちょっとテレビ変えてもいいかな?」

 姉妹ふたりでゴルフゲームをしていた子供たちが、その言葉にゲームのポーズをかけてリモコンを差し出した――アルカードはリモコンを受け取って、何度かチャンネルを変えてから、結局見たい番組は無かったのかリモコンを子供たちに返した。おそらくニュースか速報で老夫婦の連絡してきた事故についての情報が出ることを期待していたのだろうが、どうやらあてがはずれたらしい。

「事故ってなんの事故ですか?」

 パオラが声をかけると、アルカードはかぶりを振った。

「わからない。道路が土砂崩れを起こしたらしい――まあ、向こうも正確に状況を把握してるわけじゃないだろう」

 それを聞いて、フィオレンティーナが眉をひそめる。崩れた土砂の中に人が埋もれたりしていなければいいが。

「ねえ、凛ちゃん、蘭ちゃん。おじいちゃんとおばあちゃんね、今日帰ってこられないんだって」

 蘭が振り返って、

「そうなの?」

 アルカードはその場にかがみこんで足元に寄ってきた犬たちの頭を撫でてやりながら、

「うん、帰り道が通れなくなったらしくてね。おじいちゃんたちは出発してなかったから、怪我はしてないんだけど。でも今日出発したら回り道してすごく遅くなるから、明日出発することになったってさ」

「じゃあ凛たちはどうするの?」 これは凛である――どうもこのふたりは、ごく親しい人たちの前では自分たちを名前で呼ぶ癖があるらしい。

「今日はおじいちゃんたちは帰ってこられないから、どうしよう――おじいちゃんちに帰ってそっちで寝る? それなら、俺はおじいちゃんちにお邪魔してそっちで泊まるけど」

「アルカードもついていくんですか?」 少しだけ眉をひそめて、フィオレンティーナがそう尋ねた――が、今夜一晩子供たちの保護を頼まれたのだから、子供たちが老夫婦の家に帰るのならアルカードがついていくのは当然だろう。

「こっちがいい。ソバちゃんたちと一緒に寝たい」

「わかった」 凛の返答にアルカードはうなずくと、小さく微笑んで立ちあがった。彼は時計に視線を向け、

「ちょっと早いけど晩御飯どうしようか。なにか食べたい物とかある?」

 んーとねえ、これ――どれだっけ、とつぶやきながら、凛が硝子テーブルの上に置かれた新聞をあさっている。正確には折り込まれた広告を、だ――凛はようやく目的の広告を見つけたのか、手にした広告を拡げてみせた。

「ピザの出前?」 広告を受け取って、アルカードがそう聞き返す。

「どうしたの、急に」

「んー、お姉ちゃんが見てたから」 フィオレンティーナに視線を向けて、凛がそう答える。アルカードが視線を向けた先で、フィオレンティーナが控えめにかぶりを振る。

 見ていたのは事実だが、別に食べたいわけではない、という意思表示だろう――ただアルカードとしてはメニューが決まってさえくれればそれでいいのか、適当に肩をすくめただけだった。

「じゃあ、そうしようか――今すぐじゃないけど、どれを食べたいか決めておいて。俺はちょっと用事があるから向こうにいるよ」

 うん、と返事を返して、蘭と凛はテレビ画面に視線を戻した。アルカードはフィオレンティーナとパオラに視線を向けて、ふたりがそのまま腰を落ち着けるのを確認してからリビングから出ていった。

 どうやら彼女たちが一緒に夕食をとるのは確定事項らしい――アルカードが出ていくのを確認して、パオラはフィオレンティーナに視線を向けた。

 硝子テーブルの上に置いてあった開封された白い恋人のボール箱の中身を一枚取り上げて小袋の封を切りながら、

「ねえ、フィオ――アルカードとなにかあったの?」

 パオラがいきなりイタリア語で話し出したからだろう、視界の端で子供たちが目を白黒させている。それにはかまわずに、パオラはかたわらに腰を下ろしたフィオレンティーナの視線を捉えた。

 ソファーというよりは長椅子に近く、座面はかなり硬い――体が沈みこまないぶん、動くのが楽だからだろう。それはパオラとしてもありがたい――柔らかいソファーは体が沈みこんで座りにくいから苦手なのだ。

「なにか、って?」 こちらの意図がわからないからだろう、フィオレンティーナはそう尋ね返してきた。

「こないだから、なんだか情緒不安定、というかずっとなにか考え事をしてるでしょう? わたしたちふたりがここに来たときから、ずうっと」

 フィオレンティーナがその言葉に、何事か言いかけて結局やめてしまう――パオラは特に続きを促したりはせずに、じっと彼女が口を開くのを待った。

「わたしは――」 フィオレンティーナは何度か口を開きかけてはやめてから、思い切った様に口を開いた。

「わたしが騎士団に引き取られた理由、話しましたよね」

「ええ、ご両親の話よね?」 その話ならパオラも知っている――フィレンツェに住む国内屈指の広告企業主だったフィオレンティーナの父親は、吸血鬼の襲撃によって殺害されている。その事件でフィオレンティーナは両親を失い、有数の富豪だった生家は壊滅し、フィオレンティーナは天涯孤独の身になった。そのときたまたま任務の帰りで近くにいた騎士ライル・エルウッドやリッチー・ブラックモア(当時はまだ教師ではない)、騎士アンソニー・ベルルスコーニ、騎士リーラ・シャルンホストたちが介入したために命だけは助かったものの、彼女はそれが原因で家族を失うことになった。

 親戚のいなかったフィオレンティーナには父親の財産目当ての引き取り手こそ多かったものの、結局彼女自身がそれを拒絶したのだ。

「ええ。私の両親、それに妹もそこで亡くなって――殺されて。騎士リーラとブラックモア教師がわたしを助け出してくれたんですけど――そこにアルカードもいたそうです」

 フィオレンティーナのその言葉に、パオラは眉をひそめた。

 はじめてここにやってきた夜に、リディアとアルカードがそのことについて話をしていたのはパオラも知っている。

 リディアがアルカードにフィオレンティーナの態度に対する寛恕を求めて彼女がフィレンツェの生家で吸血鬼に襲われたという話をしたとき、それに対してアルカードが反応を示したということも聞いた。だが、アルカードが実際にその場にいたというのは初耳だった。

「わたしの実家でグリゴラシュと戦ったって、そう言ってました」 その言葉に、パオラは息を飲んだ。

 フィオレンティーナの家族を襲ったのが吸血鬼グリゴラシュだということは、パオラも知っている――吸血鬼アルカードと並ぶ、ドラキュラの『剣』のひとりだ。聖堂騎士の中には家族を吸血鬼に殺された復讐のためにこの役職を志した者も多いので、そういった事例自体はさほど珍しくはない――ただ『剣』に襲われた者はほかにいないので、この案件は聖堂騎士団内では割と有名な話だった。

 しかしアルカードが聖堂騎士団にかかわっていることは一部の騎士や教師を除いて秘匿されているし、当然といえば当然なのだが、彼がその場にいたということは知らなかった――エルウッドたちと彼の関係を知った今となっては、アルカードが彼らを指揮して行動していたとしても別に不思議ではないが。

「わたしの生家を襲ったのはグリゴラシュで、母親を殺したのは彼の配下の吸血鬼です。でも父と妹を直接手に掛けたのは、アルカードなんですよ」 フィオレンティーナがあえて淡々とした口調で、静かにそう続ける。

 そうだ――フィオレンティーナの家族は誰も生きていない。八年前の吸血鬼グリゴラシュの襲撃事件で、全員亡くなったと聞いている。考えてみれば当たり前の話だ――グリゴラシュやその配下の吸血鬼に襲われたということは、高い確率で被害者が吸血鬼、あるいは喰屍鬼グールに変わったということだ。少なくともグリゴラシュに直接襲われた人間は、ほぼ百パーセント間違い無く噛まれ者ダンパイアに変わる。それはつまり、その場に居合わせた聖堂騎士の誰かが彼女の家族を手に掛けたということと同義だった。

「それを聞いて思ったんです。わたしはどうすべきなんだろうって」 ソファーの上で膝をかかえる様にして、フィオレンティーナが続けてくる。

「わたしの家族は吸血鬼に殺されて、でもわたしを助け出した人たちを育て上げて、わたしと騎士リーラブラックモア教師をあの場所から脱出させるためにみずから戦ったのも吸血鬼で。アルカードは私の父と妹を手に掛けたけれど、そのときにはもう父は吸血鬼に、妹は喰屍鬼グールに変えられたあとでした。妹はもうどうしようもないし、父はアルカードに襲いかかって、ほとんど自殺同然の形で殺されました。だったらわたしは今まで吸血鬼を憎んできたけど、これからどうすればいいのか――」

 言うべきことはわかっている――のだが、どう言えばわからないので、パオラは少し考え込んだ。

 告げるべき言葉は非常に簡単だ。アルカードは彼女の父と妹の死に責任は無い――彼が手に掛けたとはいえ、吸血鬼や喰屍鬼グールに襲われた時点ですでにいたのだ――彼が殺したわけではないのだから、彼個人を憎むのは筋違いであるとさえ言えるだろう。

 ただ、フィオレンティーナの感情は彼女にももちろん理解出来た――アルカードがその場にいたということは、逆に言えば彼はフィオレンティーナの両親を救うことが出来なかったということだ。

 無論、アルカードにとってフィオレンティーナの両親の救出は絶対的な義務ではない。吸血鬼相手の戦闘とその事後処理においては、噛まれた遺体の処分は頭部もしくは心臓を破壊したうえでの埋葬、噛んだ吸血鬼が生存している未吸血の噛まれ者――ヴェドゴニヤの処理は殺処分と定められている。

 アルカードはそれに従う義務は無いが、それしか方法が無いことは彼女たちよりもはるかによくわかっているだろう。

 フィオレンティーナの様にアルカードの血を与えられて吸血鬼化の進行を止められたのは、幸運なのだ――吸血鬼に限った話ではないが、強大な魔力を持つ存在の一部を体内に入れ、その影響力を利用して吸血鬼化の進行を抑えることは、理屈の上では可能なはずだ。

 だがそういう進行阻止の方法があること、それ自体はパオラも知っているが、そもそも通常は吸血鬼が吸血被害者に吸血鬼化の進行を止めるために協力する例など無い。そしておそらくその方法は、まだ生命活動を終えていない個体にしか効果はあるまい。

 いったん死んで蘇生した被害者ヴェドゴニヤには、もはや通用しないのだ――フィオレンティーナが死なずに済んだのは、そして今なお吸血鬼化すること無く人間に戻る可能性を与えられているのは、本当にただの幸運の積み重ねでしかない。

「……わかってるんです――母はわたしの目の前で死んだし、妹は喰屍鬼グール、父は変わりかけヴェドゴニヤとして蘇生していて、父を噛んだ吸血鬼はアルカードが五百年間斃せなかったドラキュラの『剣』グリゴラシュ。グリゴラシュに襲われて血を吸われ、そして一度死んだ時点で、父にはもう望みは無かったんです。それはわかってるんですけど、でも――」 そこで口ごもって、フィオレンティーナは両足を座面に引き上げた。

 膝に顔をうずめる様な姿勢で黙り込んだフィオレンティーナに、ただならぬ雰囲気を察したのかゲームの手を止めた蘭と凛が不安そうな視線を向けている――彼女たちは幼いし教育も受けていないから、イタリア語は理解出来ないだろう。内容を知られる気遣いは無いはずだ――大丈夫よ、と微笑みかけてから、パオラはフィオレンティーナの肩に軽く手をかけた。

 そこでこんこん、と窓が叩かれて、パオラとフィオレンティーナ、蘭と凛はそろってそちらに視線を向けた。コンビニの袋を手にしたリディアが、窓の外からこちらを覗き込んでいる。

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