Ogre Battle 32

 窓硝子に前肢をかけて尻尾を振っている三頭の仔犬を見下ろして、リディアは少しだけ笑った――蘭が窓に近づいてロックをはずし、

「お帰り。どこ行ってたの?」

「ちょっとお買い物だよ――アルカードはいないの?」 かがみこんで蘭と目線を合わせ、リディアがそう尋ねる――蘭はその質問にかぶりを振って、

「お部屋でなにかしてる。お姉ちゃんも一緒にゲームしようよ」

 その言葉にリディアは蘭の頭を軽く撫でてから、

「ちょっとこれを部屋に置いてから、ちゃんと玄関から入るね」 そう告げて、リディアは窓を閉めて玄関側に廻り込むために歩き出し、視界から姿を消した。

「お姉ちゃん、大丈夫?」 凛がフィオレンティーナのかたわらに寄ってきて、気遣わしげに顔を覗き込む。フィオレンティーナは手を伸ばして凛の髪を軽く手で梳きながら気丈に微笑んだ。

「ええ、大丈夫ですよ」

 そう答えたとき、扉を開けてアルカードがリビングに顔を出した。アルカードはこちらを一瞥してからその場にかがみこんで、飼い主の顔を見るなり寄ってきた犬たちの頭を順に撫でてやった。キッチンの冷蔵庫を開けて紙パック入りの野菜ジュースを手に取り、チタン製のカップに内容液を注いで口をつける。

 蘭がなにを思いついたのか、食事用のテーブルの上に置いてあった樹脂パックを手に取る。アルカードが自分で食べるために買ってきたもので、中身はジャーキーの類らしい――蘭はそれをアルカードに示して、

「これ、ワンちゃんにあげていい?」

「否、それはやめておこう」 カップを流し台に置いてキッチンから出てくると、アルカードはそう言って蘭の手からやんわりと袋を取り上げた。

「仔犬のおやつにあげるには、塩が多すぎる。胡椒なんかも入ってるから、やめたほうがいい――食べさせたら病気になっちゃうかもしれないからね」

 蘭はそれで素直に納得したらしく、あきらめた様だった。

「わかった」

「ん」 アルカードは蘭の頭を軽く撫でて、

「ジャーキーをあげたいなら、冷蔵庫に犬用のが入ってるからそれをあげて」 でも太るからちょっとだけね、と言い置いて、彼は再びリビングから出ていった――出ていったところで再び扉が開き、吸血鬼が顔を出す。

「パオラ」

「はい」

「君の部屋のエアコンの件だがな、手配は済ませた。工事の予定だが、三十日らしい。工事の件でちょっとシフトの予定を調整したいから、あとでリディアと一緒に俺のところに来てくれるか」

「わかりました。ありがとうございます」

「なんの話ですか?」

 アルカードが扉を閉めたあとで、フィオレンティーナがそう尋ねてくる――パオラがかいつまんで事情を説明すると、彼女は納得してうなずいた。

「でもエアコンって、自分で買ったらいけないんでしょうか?」

「買ったら駄目なんだよ」

 誰にともないフィオレンティーナのつぶやきに、凛がそう答える。

「そうなんですか?」

「うん、アルカードが前にそう言ってた。しょゆうけんの問題でトラブルになるかもしれないからだって。しょゆうけんってなに?」

 単語の意味がわからずに、その場にいた全員がそろって首をかしげた――しょゆうけん。所有はわかるが――けんは権利の権だろうか。

 つまり個人でエアコンを買うと、部屋を引き払うときにエアコンをどうするかで揉め事になるということか。

 そんなことをつぶやいたとき、部屋の扉を開けてリディアが顔を出した。

「姉さん、アルカードは?」

「部屋にいるわよ――ちょうどいいからわたしも行こうかしら」

「なにかあったの?」

「ちょっとね――リディアと仕事の日を代わってもらわないといけないかも」

「? なにそれ? それは別にいいけど」 そんなことを言いながら、リディアはパオラが通れる様に扉を開け放った。そのままふたりで、アルカードのいる部屋に向かう。

 扉をノックすると開いてる、という返事が返ってきた。

「お邪魔しま――」 扉を開けて中に入ったところで、ふたりの少女はぽかんと口を開けた。

「お、意外に早かったな」 というアルカードの言葉を、パオラは聞いていなかった――机の上に置かれたアルカードが手にした全長一メートルを超える巨大なライフルを指差して、リディアが顔を顰める。

「なんですかそれ」

「アキュラシー・インターナショナルAS50対物狙撃銃だ」

「いえ――そういうことを聞いてるんじゃなくて、なんでそんなものがここに?」

「もちろん俺が持ち込んだ――正確には神田セバに頼んで、外交行嚢で持ち込んでもらったんだがな」

「――アルカード。日本は銃の持ち込みを規制されてるって、知ってますか?」

「なにを今更」 あきれた口調で遮ったリディアの言葉にそんな返事を適当に返して、アルカードは肩をすくめ、手にしたライフルの二脚架を立てて床に置いた。

「なにに使うんですか、こんなの?」 胡乱げな返事を返して、パオラはライフルを持ち上げてみようと手をかけた――十キロ以上もある。十三、四――十五キロは無いか。よくもまあこんなものを片手でほいほい扱うものだ。

「このライフル自体は、日本に来たヴァチカンの重鎮をひそかに護衛する目的で用意されたものだ――吸血鬼相手に使うには、装弾数が少なすぎるしな。貫通力も高すぎて、却って使いにくい。そこのライフルも似た様なもんだが」

 アルカードが示したベッドのそばに置かれた狙撃銃は、パオラもなにかの映画で見た覚えがある――確かドイツ製のPSG-1という、特殊作戦部隊向けの狙撃銃だ。

「物理的手段だけでは殺せない様な、高位の吸血鬼相手だとたいして役に立たんな――数を撃ち込んで動きを止める目的なら役に立つが、とどめを呉れてやる決定打にはならん」

「アルカードがヴァチカンの外交官の護衛を引き受けることがあるんですか」

「たまにな。ヴァチカンの全権大使閣下から、依頼の形で話がくる――場合によっては素性を隠して同行することもある」

 そんなことを言いながら、アルカードがライフルを分解してケースに入れ始める。机の上に置かれた十センチ以上もある巨大な弾薬を取り上げて、パオラは顔を顰めた。

「というよりも、俺も一応外交官の身分を持ってるんだけどな――」 そんなことを言いながら、アルカードは弾薬もボール箱のケースにしまい込んだ。

「ただ、最近はあまり仕事は来ないな――BGの装備や質も上がってきたし、」

 それを壁際に置かれた大きなロッカーの中に戻して、PSG-1もロッカーに納める。パオラはなんの気なしに手を伸ばして、机の上にいくつか置かれたボール箱のひとつから弾薬をつまみ上げた。

 おそらく真鍮合金で出来ているのだろう、つまみ上げた弾薬の弾頭は内部が筒状になっている。別のボール箱には先細りの形状になった弾薬が、さらに別のボール箱には銅製の弾頭の尖端がキャップで塞がれた弾頭がぎっしりと納められている。いずれもヴァチカンが特注で生産しているのか、ボール箱にはメーカー名も装飾も描かれていなかった。

 弾薬の大きさからすると、アルカードがさっきまで触っていた拳銃用の弾薬なのだろうが。

「これは?」

「ヴァチカンが作って寄越す弾薬だ――そのキャップをかぶせたのだけが吸血鬼用で、残りの二種類は対人戦闘用のものだ」 アルカードがそんな説明をしてくる。

 そんな説明を聞き流して、リディアが机の端のほうに置いてあった栄養ドリンクの壜を取り上げた。中身はなにか、水銀に近い液体らしい。

「開けないでくれよ、それ」 アルカードがそんなことを言ってくる。

「なんですか、これ?」

「武器だ。万物砕く破壊の拳Ragnarok Hands――使用者の魔力に反応して、そいつの体の打撃部位に自在に重量を変動させる装甲を形成する」

「ああ、騎士ベルルスコーニの武装ですか」 聖堂騎士アンソニーベルルスコーニが、手足に水銀を纏わりつかせる様な武装を持っている――それも確か万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsという名称だったはずだが。

「同じものがふたつあるんですか?」

関連付けペアリングすれば増やせるんだよ」 アルカードがそう返事をしてくる。

「ただ、血中の鉄分の濃度で性能が変動する傾向があってな、女性には向いてない」 言いにくそうにそう付け加えてから、アルカードは先を続けた。

「かなり使い勝手のいい武器なんだが、適当な瓶が無くて栄養ドリンクの瓶に入れたまま押入れに突っ込んで、一年半前に最後に使ったあと大規模な戦闘が無かったからすっかり忘れてた」 ひどい扱い――そんなことを小さくつぶやいて、リディアが手にした小壜を机の上に戻す。

 アルカードはロッカーの扉を閉め、ふたりに向き直った。

「さて、待たせて悪かったな。パオラ、リディアに事情は?」

「いいえ、まだ話してません」

 もの問いたげにこちらを見ているリディアの視線を黙殺して、パオラはそう答えた――彼に返事をすれば、あとはアルカードが自分で説明してくれるだろう。

 アルカードはうなずいて、

「パオラの部屋のエアコンが壊れてな。水曜に新しいエアコンが届くんだが、パオラは水曜日仕事が入ってる。君は水曜休みだから、代わってやってくれないか――代わりに立ち会ってくれるんでもいい。これがただの隣人ならともかく、君たちふたりは姉妹だからそれでも問題無いが」 ただ、時間がどれくらいかかるかわからないから、その間君を拘束することにる――アルカードはそう説明した。

「鍵を預けておくのは?」

「業者をひとりで部屋に置いとくのはさすがにな」

 リディアは控えめに同意して、

「それで、水曜日といつを入れ替えるつもりなんですか?」

「任せる。ふたりで話して決めてくれ――あとで教えてくれればいい。パオラを休ませてやれればいいんだが、あいにく水曜日は人手が足りない」 机の上に置いてあったシフト表らしい紙に視線を落として、アルカードはそう言ってきた。

「とりあえず、これでこっちの用件は終わりだ――別に今すぐ、いつがいいか決めてくれとは言わないから」 アルカードはそう言って、時計に視線を向けた。

「と――もうそろそろ注文しといたほうがいいのかな?」

「なにをですか?」 リディアが質問したので、アルカードは肩をすくめて説明した。

「凛ちゃんがピザを食べたいって言い出したから、その注文――早めに頼んで時間を指定すれば、すんなり届くだろうし」 その言葉に、リディアは首をかしげた。

「日本のピザってものすごく高いんじゃありませんでしたっけ」

「イタリアで食べたこと無いから知らないなあ――ただ高価なのは確かだけど」

「本場で食べないなんて――じゃあアルカードは普段なにを食べてたんですか?」

 リディアの言葉に、アルカードは適当に肩をすくめた。

「別に、ピザしか食い物が無いわけじゃないだろ。まあ、俺はローマに屋敷を持ってたからな――面倒を避けるために使用人は置いてなかったから、自炊してた」 はぁ……気の抜ける様な生返事を返したとき、リディアが胸の前で軽く両手の指先を合わせる様な仕草をしながら口を開いた。

「アルカード、わたしも別に用があったんですけど」

「ん? ああ、どうぞ」

 アルカードが答えると、リディアは彼が買ってきた例のLANケーブルを取り出した。

「これ、ここから引いて行っていいですか?」

「ああ、そうだった。ちょっと待ってくれ」 アルカードはそう答えて、部屋の隅のエアコンのホース導入口に視線を向けた。リディアのほうを見遣って、

「外からやろう――リディアはちょっとここで待っててくれ」 アルカードはそう言って、部屋から出て行った。

 言われたとおりに待っていると、普段は倉庫に入れてある脚立をかかえたアルカードが窓の外に姿を見せた。

 LANケーブルのパッケージの封を切り、端末の一方を手にして脚立に登る。

 待つこと十数秒、ホースの横からLANケーブルの端末が姿を見せた――アルカードが手招きしたので窓を開けると、

「手が届くくらいまで延びたら教えてくれ」 アルカードが部屋の中から掴んで取り回しが出来る様に、ケーブルを押し込んでくる――端末が目線の高さに来るまで待ってから、リディアがアルカードに声をかける。

「きました」 リディアの言葉にアルカードが脚立から降りながら、

「そうか。じゃあそのまま、ルーターのところまで引っ張り込んでおいてくれ。たぶんかなり余りが出るはずだから」 リディアが言われたとおりにデスクの上に置かれたルーターのところまでケーブルを引っ張っていくと、アルカードはうなずいて足元に落としたパッケージを拾い上げ、脚を開いたままの脚立を持ち上げてリディアの部屋のほうを視線で示した。

「今度は君の部屋に引っ張ろうか。外から差し込むから、中に引き込んでくれ」

 はい、とうなずいて、リディアが踵を返す。用件が終わったのでパオラも出て行こうとしたとき、アルカードが窓枠に手をかけながら声をかけてきた。

「ところで、君たちは夕食どうする?」 一緒に食べないか?と机の上にチラシを指差して尋ねてきたので、パオラはリディアと顔を見合わせ、ちょっと考えてからうなずいた。

「どんなのか興味があるから、ご一緒します」

「わかった。じゃああとでご希望のを教えてくれ」 アルカードはそう言ってから、窓を閉めて姿を消した。

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