Ogre Battle 26
なんで、あいつがここにいる……!?
戦慄が意識を焼くのを感じながら、彼は無意識のうちに後ずさっていた。
「ネメア?」 怪訝そうにこちらを呼んでくるリタには答えずに、彼は金髪の男が通り過ぎたあとの通路に飛び出した。本人はこちらを気に留めた様子も無く、先ほど自分を呼ばわったらしい少女たちと会話をしている。
試食の爪楊枝をごみ箱に投げ棄てて、金髪の男はなにを言われたのか顔を顰めながら黒髪の少女のほうに向き直った。なにやら苦言を呈する様な表情で少女に何事か声をかけたあと、なにか反論出来ないことでも言われたのか口を噤んで視線をそらす。
ふたりの小さな女の子のうちのひとりが近くから買い物籠を持ってきて、それを金髪の男に差し出した。男がそれを受け取って、中に自分の荷物を入れる。
彼はしばらく周囲を見回したあと、なにに気づいたのか、財布を取り出してかたわらの黒髪の少女に紙幣を数枚手渡した――少女の肩をぽんと叩いて、踵を返してひとりで歩きだす。
「ネメア?」 呼びかけてくるリタには答えずに、足を踏み出す――少し間を空け、金髪の男を追ってネメアは歩き出した。
「ネメア? ネメアってば――どうしたんですか、さっきから」 若干不服げな口調でそう問いかけてくるリタに視線を向けて、そこで彼は思い至った――相手が自分に気づいた様子を見せていないからだろう、リタは未知の相手に対する警戒以上のものは見せていない。
当然といえば当然だ――あのとき現場に居合わせたネメアと違って、リタは彼に遭遇していない。
だが、ネメアは彼を知っている――彼という男を。
見覚えのある顔だった――先日の月之瀬将也の討伐作戦中、香坂との遭遇戦の際にその戦場となった工事現場に姿を見せ、香坂を殺していった、あの金髪の男。否、香坂だけではない。
「名前は聞いてるだろ――あの男が
魔術通信網によって狙撃チームが目撃した視覚情報が配信共有されているので、顔は知っているはずだ――言われて思い当たったのか、リタが納得の声をあげるのが聞こえる。
「あれが? あんなに小さな妖力しか無いんですか?」 吸血鬼の体から立ち昇る魔力があまりに小さいからだろう、リタは本気で驚いた様だった――騎士団の一員となってから気づいたが、犬妖は他者の識別を外見よりも匂いや魔力で行う傾向がある。
あの男の魔力の気配は、余計な消耗を避けるためだろう、先日に比べればはるかに小さなものだった――外見や挙動ではなく魔力強度から相手の戦闘力を判断するきらいのある魔物からすれば、むしろ与し易い相手にすら映るのかもしれない。ネメアでさえ、魔力だけを見て判断すればあの男は与し易い相手だと思っていたかもしれない――赤子の手を捻る様に香坂を殺害した、あの光景を目にしていなければ。
「さあな――ただ、あれがあの工事現場に現れた吸血鬼なのは確かだ。服装も外見も、あのときと同じだ」
ネメアにもわずかながら感じ取れる、魔力の気配もな――胸中でだけそう付け加え、ネメアは吸血鬼のあとを追って催事場から出ると、テナントが軒を連ねる専門店エリアに向かって足を速めた。
別に追ってどうしようというわけでもなかった――実際に交戦になれば、彼に勝てる見込みは無い。だが、この街であの吸血鬼と遭遇した以上、それを上層部に報告する必要がある。
ただ、それなら今この場でシンに電話一本かければいいのだ――それをしなかったのは、可能であればあの男と少しだけ話をしたいと思ったからだった。
別に会ってなにを話そうと思ったわけでもない、だが、一度だけ、あの男と面と向かって話してみたいと思ったのだ。
男はこちらに気づいた様子も無く、催事場から離れるにつれてまばらになる人の流れを縫って歩いていく。
と――唐突に吸血鬼が進路を変えた。テナントとテナントの間にある細い通路に近づいて、そのまま通路に消えていく。
舌打ちをして、ネメアは不自然に見えない程度に足を速め、男が入った通路に数秒遅れて足を踏み入れた。
が――誰もいない。トイレかなにかの通路かと思ったがそういうわけでもなく、ただのバックヤードにつながる通路らしい。『従業員以外立ち入りはご遠慮願います』という札が取っ手にかけられた扉が奥のほうにあるだけで、ほかに隠れられそうな場所も無い――札は観音開きの扉の左右両方の取っ手に引っ掛かる様にしてかけられており、扉を開けるには左右どちらかをはずさねばならない。吸血鬼がこの扉をくぐって中に入ったのなら、この状態にかけ戻すことは不可能だ。
馬鹿な――扉を前に立ち尽くすネメアを気遣わしげに見遣って、リタが声をかけてくる。
「どうしますか?」
「否――悪い。戻ろうか」
背後から声がかかったのは、連れの肩を軽く叩いてそう告げたときのことだった。
「――あきらめるのか?」
――え!?
あわてて背後を振り返る――いつの間に背後に廻り込んだのか、あの金髪の吸血鬼がこちらのすぐ後ろに立っていた。
リタも気づいていた様子は無い――愕然とした表情を浮かべて、吸血鬼を凝視している。こと聴覚や嗅覚、気配による検索なら、リタは自分よりはるかに優れているはずだ。その彼女すらもが、気づいていなかったというのか。
「な……」
「――なんだ、この間の針鉄頭かと思ったが、違うのか?」
吸血鬼はさして警戒も見せていない――針鉄頭というのは、空社陽響から与えられた鈴の効果を解除した、秘薬によって変化した自分の姿のことを指しているのだろう。鈴の効果で人間の姿に戻ると、彼の姿は秘薬の効果が顕れている状態とはまるで違うものになる。ネメアがこの吸血鬼がいうところの『針鉄頭』であるということには、どうやら気づいていないらしい。
「尾行に気づいてたのか――」
「それまで消してなかった気配をいきなり消したら、却って怪しまれる――消すなら常時、消しっぱなしにしておくことだ」
片手をズボンのポケットに突っ込んで唇をゆがめてかすかに笑い、吸血鬼はそう返事を返した。
「その声、やはりあのときの針鉄か。ずいぶんと見た目が変わったな」
その言葉に、ネメアは小さく舌打ちした――最悪だ。相手が自分たちに攻撃を加えようとする場合もあるので、すぐに逃げられる状況を作っておきたかったが、これでは到底そうはいかない。
「なんでおまえがここにいるんだよ――」 せめて隙を探るために、ネメアはそう返事を返した。
「この街は俺の『領地』だ――別に俺がここにいたから誰が困るわけでなし、どこにいたって勝手だろう。ついでに言うなら、つけてきたのはそっちじゃねえか」
どうでもよさそうにそう答えてから、金髪の吸血鬼は少しだけ目を細めた。
「それで、どうしてつけてきた?
「――か……?」
「ここで貴方を見つけたのはただの偶然です、吸血鬼」 吸血鬼の総身から放たれる殺気に気圧されて言葉を失っているネメアの代わりに答えたのは、リタだった。
「貴方と敵対する気はありません」
「それは残念だな」 全身に満ちていた殺気を霧散させ、吸血鬼は肩をすくめた。
「おまえたちの棟梁ともう一度、首を獲り合う口実が出来るかと思ったんだが」
「それは残念です」
「まったくだ」 それでもう、彼はふたりには興味を失くした様だった――実際どうでもよさそうに、踵を返す。その背中に、ネメアは声をかけた。
「待てよ」
「あァ?」 肩越しに振り返り、吸血鬼がぞんざいに返事を返す。
「あんたは何者なんだ? あのとき、なんであそこにいた?」
「おまえに説明する義理はねえよな、針鉄?」
押し黙るネメアに、吸血鬼は適当に手を振った。
「別におまえらに喧嘩売るつもりはねえし、興味もねえよ――おまえのとこの『騎士団』とやらが、俺や俺の連れに戦争仕掛けてくるっていうんなら別だがな。おまえたちとこの場で事を構えるつもりも無い。なにかやたらじろじろ見てるから、敵なのかそうでないのか判断したかっただけだ」
そう言ってから、吸血鬼はこちらに背を向けたまま唐突に話題を変えた。
「怪我はもう治ったのか?」
それが香坂との戦闘で負わされた負傷のことを言っているのだと気づいて、ネメアはうなずいた。
「ああ」
「それは重畳」
「どうだかな――俺は結局あの夜、香坂の足元にも及ばなかったからな」
たいして役にも立たなかったよ――自虐的なその言葉に、吸血鬼は手近な壁にもたれかかって適当に肩をすくめた。
「まあ、確かにおまえはまだ技術的な習熟が足りねえな、針鉄。だがまあ、仕方ねえ――おまえの皮膚と、あのじじいの黒禍は相性が悪すぎた。自分の皮膚の強度に自信があればあるほど、ああいう手合いとの相性は最悪になる」
金髪の吸血鬼はそこまでいってから言葉を切り、次の言葉を選んでいるのか少し考えて、
「一応忠告しとくが、自分の皮膚を無敵の鎧かなにかと勘違いしないことだ。
この男の蹴りを喰らったら、間違い無くそうなるだろう――月之瀬とこの男の戦闘で彼が月之瀬の頭を踏み砕こうと踵を撃ち下ろし、コンクリートを陥没させた痕跡は、後始末にあたっていた一般騎士の視覚情報として記録されている。あれほどの脚力で蹴りを喰らったら、ネメアは外見は傷ひとつ無いまま内臓破裂で死ぬことになるだろう。
「忠告は受けとく――俺の技量で役に立てられるかどうかはわからないけどな」
「教えてやろうか?」 唐突なその一言に、ネメアは目をしばたたかせた――吸血鬼がなにか語を継ぎかけ、そこで携帯電話が鳴ったので、結局なにも言わずに電話を取り出して耳に当てる。
「ああ、俺だよ――どうかした? いや、もうそんなにかからないよ。 ん? なんで君が出る? なんだ、そんなにわめかなくてもいいだろう――ああ、わかったわかった。すぐに戻るよ」 まだ何事かしゃべっている電話をうるさそうに耳から離し、彼は電話を折りたたんで腰元のポーチに戻した。そこでなにを思いついたのか、電話と入れ替わりに紙片を一枚取り出して、こちらに向かって投げて寄越す。
本当はどこかの美人三姉妹の怪盗漫画みたいに格好良く投げようとしたのだろうが、紙片は空気抵抗を受けてひらひらと床の上に舞い落ちた。吸血鬼は適当に肩をすくめ、足元に落下したその紙片を拾い上げるリタとネメアを交互に見比べてから、
「俺はこの街の先住者だ――まあ、気が向いたら連絡しな」 そう言って、吸血鬼は適当に手を振って歩き去った。
それを見送って、リタが差し出してきた紙片を受取って――最初に目に入ってきた面は無地だったのでひっくり返すと、最近流行りの顔写真入り名刺だった。
ルーマニア料理店の、フロア長兼庶務係――肩書きはそんな風になっている。まあ、隣に花屋でバイトしている犬妖もいるので、吸血鬼が普通に仕事していてもおかしくはないのかもしれない――住所はここからそう遠くない。電話番号も記載されていた。
どういうつもりだ……?
書かれている内容をひととおり確認して、ネメアは眉をひそめた。
長い時を生きてきた魔物というのは、気まぐれなことが多い――多くのものを手に入れ失ってきたぶん、物事にあまり頓着しないからだろう。苦労をして手に入れたものもまるで宝物の様に大事にしていたかと思えば、次の日にはごみと一緒に棄ててしまうということが往々にしてある。
これもそういう気まぐれの一環なのかもしれない――明日には気が変わって忘れているかもしれない。
あまりあてには出来ないが、あの男の戦闘技術はシンとはまったく切り口の異なるものだ。剣術に特化したシンと異なり、貪欲に様々な武器の扱いを修めているのは、つまり徹底的に一対多数の戦闘を追求した結果だ。
そのうえでシンと剣術で互角に戦える、あの技量。総合的な戦闘力は知らないが、技術面ではあの男はシンに引けを取るまい。それ以外の技術も多く修めているという点では、シンを上回っているだろう。
賭けてみるのもいいのかもしれない――胸中でだけつぶやいて、ネメアはその名刺をスーツのポケットにしまい込んだ。
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