Ogre Battle 13


   *

 

 がぎぃんっ――踏み込んで叩きつけてきたグリゴラシュの長剣の刃がリーラの翳した太刀と激突し、魔力の干渉によって起こる紫色の火花を散らす。

 この男はアルカードとは違う――ドラキュラと同じ真祖であるアルカードと違って、この男はただの『剣』にすぎない。

 だというのに――この圧倒的な膂力。

 すさまじい力に押し戻されながら、リーラは小さくうめいた。

「この程度か……?」 口元に笑みを刻んで――グリゴラシュが一気に剣を押し込む。太刀打ち出来ないほどの腕力差に弾き飛ばされ、リーラは背後にあった書棚のひとつに背中から激突した。追撃をかけようと踏み込んでくるグリゴラシュに、落下してきた本の一冊を投げつける。

 それを手甲で払いのけ、グリゴラシュがさらに踏み込む――より早く、銀色の閃光がグリゴラシュの四肢に絡みついた。

 リッチー・ブラックモアの鋼線だ――グリゴラシュの四肢を完全に拘束し、リッチー・ブラックモアは鋼線を右手で保持したまま左手で聖典を構築した。

 そのまま首を一撃で刎ね飛ばそうと踏み込むよりも早く、グリゴラシュが口元に笑みを浮かべる――その左手の指先にスタンガンの様に稲妻が走るのを見て、リーラは声をあげた。

「駄目だ、切り離せ!」

 次の瞬間鋼線を通して全身に電流を流し込まれ、ブラックモアが短い悲鳴をあげる――とっさに鋼線を放したが、間に合わなかった様だった。高圧電流に皮膚を焼かれ、人体の焦げる嫌な臭いが周囲に充満する。

「ほう、黒焦げにはならなかったか」 絡みついた鋼線を適当にはずしながら、グリゴラシュが小さく笑った。ブラックモアは床の上に倒れ込み、細かな痙攣を繰り返している――電気による火傷は通常の火傷と違い、筋肉の深部や内臓にまで至ることが多い。見た目が軽度でも、下手をすれば生命にかかわる。

 ブラックモアをかばう様に前に出たとき、背後から悲鳴があがった――あの小さな少女の悲鳴。

 振り返ったとき、グリゴラシュの魔術で召喚されたあの蚯蚓の化け物が少女の体を飲み込んでいくのが視界に入ってきた。

「見ている場合か?」 余裕に満ちた声に戦慄し、再びグリゴラシュに視線を向けたとき、グリゴラシュが構築した大砲じみた魔術構成が視界に入ってきた。

 もう間に合わない――魔術式の基幹部分を正確に破壊しない限り、魔術を暴発させることなく完全に抑え込むのは不可能だ。そしてグリゴラシュの魔術構成に組み込まれた自動修復の術式は、魔術構成に多少の瑕疵を与えた程度では瞬時に修復してしまうだろう。

 やられる――死を覚悟したとき、グリゴラシュが小さくうめくのが聞こえた。

 轟音とともに壁をぶち抜いてきた衝撃波が、グリゴラシュの体を横殴りに呑み込む――同時に周囲を濃霧が包み込んだ。

 これは――

 どうやら衝撃波が直撃する寸前に、攻撃のための術式を防御用に作り変えていたらしい――数歩ばかり横にずれた位置に傷ひとつ無い姿でたたずんでいたグリゴラシュの背後で濃霧の一部が結集し、次いでその中から繰り出された漆黒の曲刀がグリゴラシュの首を刎ね飛ばさんとして空を斬る。

 グリゴラシュが振り返り様に、剣を翳してその一撃を受け止めた――塵灰滅の剣Asher Dustをぎりぎりと押し込みながら、霧の中から姿を見せたアルカードが凄絶な笑みを浮かべる。

 アルカードの両手足を鎧う装甲の上から甲冑の装甲ごと包み込む様にして、銀色に輝く装甲が手足を覆っている――万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsだ。

 アルカードは万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsを使ってグリーンウッド家の魔術師が得意とする重力制御魔術を疑似的に再現することが出来る――効果が似ているだけで内実はまるで異なるものからほぼ忠実に再現しているものまで様々だが、その中には高い指向性を与えられた衝撃波も含まれている。

 それまでいた場所からここまでの直通路ショートカットを作るために、万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsを使って衝撃波を撃ったのだ。

 靄霧態――ロイヤルクラシックは空気中の水分を媒体にして、自身の姿を霧に変える能力を持っている――湿度の低い場所では消耗を伴うので長時間霧に変化したままでいることが出来ないため、使い道といえばせいぜい緊急回避がいいところなのだが、湿度の高い場所では長時間霧の姿を維持出来るし、霧の姿のままでの移動も可能になる。

 高湿度の範囲内では移動のタイムラグがほとんど無く、ほとんど瞬間移動じみた高速移動も可能になるため、使いどころは限られるものの効果は高い。

 アルカードの持つエミュレータの中には、周囲の水から霧を発生させる魔術も含まれていたはずだ――霧の及ぶ範囲であれば、アルカードはどこにでも実体化することが出来る。壁をぶち抜いたあとあらかじめ周囲に魔術で霧を発生させ、移動可能範囲を広げたうえで背後まで高速で廻り込んできたのだろう。

「久しぶりだな、グリゴラシュ――相変わらず悪趣味な化け物が好きらしいな」 そんな軽口を叩きながらも、アルカードがわずかに視線をそらして背後の少女を見たのだろう――おそらく。それだけでいったいなにをされたのか、少女の体を飲み込もうとしていた蚯蚓の群れが術式もろとも破壊されて消滅する。

「少し来るのが遅かったんじゃないのか?」

 グリゴラシュの言葉に、アルカードが彼の肩越しにこちらを認めて舌打ちする。

「そうらしいね」

 その言葉とともに、両者は剣の噛み合いをはずして間合いを取った。

 アルカードが気楽にこちらに視線を向け、

「よう、リーラ――随分色気のある格好だな。イメチェンか?」

 というアルカードの言葉は、ぼろぼろになった修道衣から剥き出しになった右肩と腹回り、左の太腿を指しているのだろうが――

「それはもうさっき言われました」 半眼でそう言い返すと、アルカードは適当に肩をすくめた。

「リーラ、その子供とリッチーを連れ出せ――アンソニーとアイリスと合流して撤退しろ。結界の維持に、ライルを正門のところに残しておけ――リッチーを病院に連れて行って、専門医の治療を受けさせろ。霊薬エリクシルの手持ちが無い――急がなければ死ぬ」 彼は無線機をはずして肩越しにこちらに投げて寄越し、

「ほかの連中に連絡を取れ――グリゴラシュの相手は俺がする」

 リーラはうなずいて無線機の本体を聖典戦儀の胸甲冑の隙間に捩じ込み、イヤホンを耳に差し込んでブラックモアの体をかかえ上げた。少女のそばに駆け寄って、小さな体を抱きかかえる。

「逃がすとでも思うのか?」

 グリゴラシュの言葉に、アルカードが平然と切り返す。

「追いたけりゃ追えよ――怪我人にかまけてる間に俺に後ろから斬られたら、目も当てられねえだろうがな。おまえが実力差をどう履き違えようが勝手だが、俺を片手間にあしらえると思うほどに耄碌したわけでもねえだろう」

 それまでの空気を引っ込めて、冷たく底冷えのする声でアルカードがそう告げる。

「行け」

 その言葉にうなずいて、リーラは意識を失ったブラックモアと少女の体をかかえ、アルカードがぶち抜いた風穴から廊下に出た。走りながら無線機に向かってささやく。

「ライル、リーラだ――師匠がグリゴラシュと接敵した。ブラックモアが負傷レベル4、民間人一名を保護。貴方は結界を張ってこの屋敷を封鎖、残りはこのまま脱出する」

「ライルだ――わかった。アンソニー、持ち場を放棄して車の用意を。屋敷正門前に移動しろ――俺は正門周りの連中を排除する」

「アンソニーだ――わかった。リーラ、気をつけろ」

 その返答を掻き消す様に、背後で剣戟の轟音が響き渡った。

 

   *

 

「――神田セバ総本山ヴァチカンに?」

 硝子テーブルの上のお皿に盛ったポテトチップをつまみつつ、エルウッドがそう聞き返してくる。やる気の無いポーズでぐてぇ、と長椅子にもたれかかりながら、アルカードは適当に手を振った。掃き出し窓のところに腰かけて子犬の相手をしているアイリスとアルマの背中に視線を投げながら、

「なんだ、知ってたんじゃないのか? 教会に行くとか言ってたから、てっきり会ってると思ってたよ」 ライル・エルウッドとセバスティアン神田は、まんざら知らぬ仲というわけでもない――というよりも親しい。

 神田は基礎クラスだけとはいえヴィルトール教室出身の同期生だし、父親同士もヴィルトール教室の同期生で家族ぐるみでのつきあいもある。地味にしがらみが多いのが、教室という名の派閥が存在する聖堂騎士団の欠点であり利点であるとも言える。二代三代で聖遺物アーティファクトや地位、地盤が引き継がれている例もあり、三代にわたって千人長ロンギヌスの槍を所持しているエルウッド家などはその典型例であろう。

 だから当然、エルウッド相手にも挨拶はしていくと思っていたのだが――

「否、俺は今朝はちょっと早く教会を出たんでな――会わなかったんだ。でもメールも無いっていうのはなあ」

「今日飛行機に乗ったんだ。携帯やネットのたぐいは全部解約してたんだろうな」

 エルウッドの言葉にそう返事を返し、アルカードは上体を起こして大きな欠伸をした。

「なんだ、みっともない――それにその左腕、なにか問題でも?」

 顔を顰めてそう問い質してくるエルウッドに視線を向けて、アルカードは眠い目をこすりつつうなずいた――体を動かしているうちにだんだんと気にならなくなってきた眠気ではあったが、胃袋が満ちたこともあってか座った途端にカフェインの抑圧を破って眠気が復活しつつある。

「ちょっと昨晩いろいろあってな――帰ってきてようやく眠れたのが三時だったんだが、腕が痛くて寝ようにも眠れなくてよ。痛みに耐えかねて四時半には起き出したし、そのあとは朝飯作ったり犬を散歩に連れ出したり犬小屋の組み立てしたりで――ナポレオン? あいつ寝すぎだろ」

憤怒の火星Mars of Wrathを使ったのか」

「ああ」

 別にエルウッドに言われたからというわけでもないが、いつまでも欠伸ばかりしているのもみっともないと思ったのでアルカードは長椅子から立ち上がった。冷蔵庫のところまで歩いていって――ドアポケットの国士無双に心惹かれながら――、ボスブラックを二、三本まとめて掴み出す。

「おまえも飲む? 缶コーヒー」

「否、いらない」 エルウッドがそう簡潔に答えて、硝子テーブルの上のテレビのリモコンを手に取った。肩をすくめて長椅子に戻る――エルウッドがテレビの主電源が切れていることに気づいて立ち上がり、テレビの電源をつけてから再び長椅子に腰かける。

 緊急特番と称して、昨夜未明に東京都某市で起きたいくつかの被害についてコメンテーターが語っている――車が一台炎上し、工事現場は軒並み破壊され、公園数箇所ではまるで刃物を持った連中が『斬り合いでもやったかの様に』ぼろぼろに破壊されている。

 俵という名前で紹介されている自称ジャーナリストのコメンテーターが、VTRの画像をぞんざいに示して的はずれな推測を語っている――的はずれなコメントで定評のある男なので、誰も情報操作をしなくてもあさっての方向にそれた推測で適当に引っ掻き回して混乱させてくれるだろう。日本のテレビ局が事実をそのまま報道しないのはとうの昔にわかりきっていることだが――特に関東圏――、こういうときには役に立つ。

 アルカードが口元をゆがめているのに気づいて、エルウッドが胡乱そうな眼差しを投げてくる。

「これか?」

「ああ」

「なんか全然関係無さそうな話題だぜ?」

 適当に肩をすくめ、アルカードは缶コーヒーの封を切った。

 アルカードの手元にある三本のコーヒー缶を目にして、エルウッドが顔を顰める。

「そんなにコーヒーばっかり飲んでると、胃潰瘍になるぞ?」

 アルカードは適当に手を振って、コーヒーを一気に飲み干した。

「お邪魔しまーす……あら?」

 声をかけて玄関から入ってきたパオラとリディアが、硝子テーブルの上に置かれた缶コーヒー――ちょうど二本目を開けたところだった――を目にして眉をひそめる。

「そんなにコーヒーばっかり飲んでると、胃潰瘍になっちゃいますよ」

 パオラの言葉に、アルカードは適当にかぶりを振った。硝子テーブルの上に放り出してあった産経新聞を興味深げに眺めているリディアに向かって差し出して、

「それもう言われた。さっきもう言われた」

 食事用のテーブルに腰を落ち着けた姉妹を視線で追ってから、アルカードはどんどん重くなってくる瞼を無理矢理押し開くためにコーヒー缶を瞼の上から目に押し当てた――その様子を見て、エルウッドが溜め息をつく。

「そんなに眠いんだったら寝ろよ――別に殊更用があるわけでなし、俺たちは適当に犬の相手をしていくから」

「今寝たらまた、変な時間に目を醒ましちまうから却下」 ていうか、犬小屋を仕上げたいんだよ――中途半端に組み上がった犬小屋のデッキ部分に視線を向けてそう答え、アルカードはニュースに視線を戻した。ビルの壁に巨大な風穴が穿たれ、そこから明らかに投げ込まれたと思しい、まっぷたつにされた大型の自販機に向かってカメラがズームしていく。

「驚くべき破壊状態です。五百キロ近い重量のある自販機を、いったいどの様な手段で投げ込んだのでしょうか。専門家によると、この破壊状態は自販機の衝突によって壁が破壊されたものではないとのことです。一晩の間に市内各地で起きた被害の総額は、六十七億六千五百万円に上るとのことで――」

「すごい大被害ですね」

「ああ、うん、そうだね酷いね。誰の仕業なんだろう」 パオラの言葉にこっそり視線をそらしつつそう答えて、アルカードはコーヒーに口をつけた――下手に話を合わせると、その大被害の十分の一くらいはアルカードの仕業であることもばらさなければならなくなる。まあ、被害のトップはシンのビルぶった切りだろうが。

 エルウッドの冷たい視線を適当にスルーしながら、アルカードは三本目の缶コーヒーを開けた。

「――そんなにコーヒーばっかり飲んでると、胃潰瘍になっちゃいますよ」 あきれた口調でそう言ってきたのは、フィオレンティーナだった――窓の外から網戸越しにこちらに視線を据えて、やんちゃな息子を叱る母親みたいに腰に手を当てている。

「節子それもう三回目や」

「誰がせつこですか」

 あ、アルカードをいじめたお姉ちゃんだ、とアルマが声をあげるのを黙殺して、彼女はそのまま続けてきた。

「そんなにコーヒーばっかり飲んだら、気分が悪くなりませんか?」

「実を言うと、今ちょっと吐き気がしてる」

「してるのかよ」 あきれた口調でそう突っ込んでくるエルウッドの言葉を黙殺して、アルカードは空になったコーヒー缶をテーブルの上に戻した。

「あら、フィオ。今日はもうお仕事は終わりなの?」 パオラの言葉に、フィオレンティーナが小さく首肯する。

「ええ、わたしは今日は十五時までです――それはともかく、この大荷物を片づけたらどうですか?」 隅っこのほうに押し固められた荷物――神田が持ってきた装備品含む――に視線を向けて、フィオレンティーナがそう言ってくる。

 気が向いたらな、と適当に手を振って、アルカードは立ち上がった。

「お疲れ、お嬢さん。君も上がっていったらどうだ? ちょうど娘さんふたりが来たところだし、コーヒーかお茶程度でよかったら用意するが」

「それじゃお言葉に甘えます――とりあえず、貴方はこれ以上のカフェイン摂取は控えるべきだと思いますけど」

「別に普段からこんなに飲んでるわけじゃないんだがな」

 アルカードのその返答に、日本語の勉強のつもりなのか食事用のテーブルに腰を落ち着けて新聞を読んでいたリディアがパオラに視線を向ける。

 朝ご飯のときに一杯、お店の事務所で缶コーヒー一本、お店でお昼ご飯食べてたときに二杯、あ、喫茶店で一杯――指折り数えているパオラに溜め息をついて、アルカードは彼女たちのかたわらを通り抜けてキッチンに歩いていった。

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