The Otherside of the Borderline 52

 ――ギャァァァッ!

 ――ヒィィィィィッ!

 ――イヤァァァァッ!

 頭の中に直接響く絶叫をあげながら、右手の中に塵灰滅の剣Asher Dustがその形骸を構築する――アルカードが隠匿していてもシンの眼にはその姿が視えているのだろう、彼がわずかに眉をひそめるのが見えた。

 それにはかまわずに、アルカードは具現化した曲刀の峰で軽く肩を叩きながら、

塵灰滅の剣これ構築つくれるということは、結界は完全に消えてるな。気配からすると、月之瀬もおまえの主も健在か。どういうことかはわからんが」

 そうだ。すでに先ほどからの妙な圧迫感は消えている。憤怒の火星Mars of Wrathの左腕を除けば、コンディションはまったく問題の無い状態だった。

 なにが起こったのかはわからないが、魔力を抑え込む異能の結界が解除されたのだ。

 アルカードが自分と戦うつもりを完全に失くしたのを察してか、シンが天を振り仰ぐ――なにをしているのかは知らないが、おそらくは一種の魔術による通信だろう。おそらく先ほどまでは使えなかったのが、結界が解除されたことで再度使用可能な状態になったのだろう。

 感染魔術コンティジャスマジックの一種、かな――

 コンティジャスマジック、感染魔術とは狭義的には施術者もしくは被術者の肉体の一部、髪や爪、皮膚片等を触媒として用いる魔術のことだ。一般的には『呪い』と呼ばれるたぐいのもので、髪の毛や爪を使って相手を呪う、例えば丑の刻参りなどもこれに近い。

 広義的には術者がなんらかの触媒を対象に貼りつけることによって単方向、もしくは双方向性の影響を与える魔術の総称を指す――というのは、高度な術者になると肉体の一部ではなく自分の構築した『式』を相手に貼りつけることによって術を行使することが可能になり、その用途も悪意的な呪術に限定はされないからだ。

 魔術によるものではないので定義からははずれるが、吸血鬼の上位個体と下位個体の間で形成される回路パス――『絆』がこれに近いと言えなくもない。

 触媒の『式』によっては、たがいに思念波を飛ばし合って意思の疎通も可能になる――術者の技量によっては、視覚情報や聴覚情報さえもだ。高度な術式になると、ひとりが見ている光景や聞こえてくる音、果ては匂いや感触に至るまでを数百人規模で共有可能になる。

 ただし、これを運用するには術式と送信される情報を管理統制する『サーバー』としての術者、もしくは大規模な魔術装置が必要になる。

 魔術装置は通信網の圏内、それも中心に設置しないといけないから、たぶんサーバーは魔術装置ではなく術者個人だろう――あるいは複数の魔術師がたがいに連携しあってサーバーを構築するか。感覚情報を相互通信すると広域通信システムとして運用するにはかなり『式』が重くなるので、問題無く運用するには尋常ではない能力が必要になるだろう。

 分野カテゴリーにもよるだろうが、技量そのものはともかく能力は俺よりも上かな――胸中でつぶやいて、アルカードは一度頭上に向けた視線をシンに戻した。

 シンがはっきり自分を識別したのは気配だけではなく、あの異形の男か妖魔の娘、あるいは最初に彼の仲間を目撃した狙撃手か、強襲現場でこちらを見上げていた娘の視覚情報でアルカードの顔を知っていたからだろう。

 便利な能力だ。基本的に単独行動の彼にとっては、さしたる意味は無いが――とはいえ、今この場以降は実に有用なものになるだろう。

「――はい、はい。承知しました。では」 そんなアルカードのつぶやきなど知らぬげに、通信を終えたのかシンがこちらに視線を向けた。

「なんだって?」

 アルカードの言葉に、シンがかすかに眉をひそめる。

魔術通信網これのことも承知しているのか」

 シンの言葉に、アルカードは適当に肩をすくめてみせた。

「別の魔術の知識がからっきしってわけじゃない――錬金術や感染魔術の知識なら、俺はそこらの術者より詳しいんでな」 別にそれ以外の魔術に関しても無知なわけではなかったが、それは言わずにおく――状況対処に使えるのならば、知識もまた立派な切り札だ。隠しておいて損は無い。

 シンはそれにうなずくと、

「状況が変わった、私の主が月之瀬将也のに失敗したそうだ――私はもう行かなければならん」

「おまえさんの主が、月之瀬坊やを取り逃がしたか」

「そんなところだ――私はこれから主に合流する」 言いながら、シンが太刀を鞘に納めた。シンはこちらに視線を向けて――わずかに口籠もったあと、

「おまえはどうする?」

「どうでもいいことじゃないのか?」 そう返してやると、シンも適当に首をすくめてみせた。

「かもしれん」 そう言ってから、ちらりとあさっての方向に視線を投げて、

「ひとつ聞いておきたい――今は魔術通信網の発信を止めているから、この会話が私の仲間に聞かれることは無い」

 シンの言葉に、吸血鬼は小さくうなずいて続きを促した――発信を止めているのは事実らしい。

 視界の端で点滅するシンのものらしいコールサイン『ExLoad』――かつての君主エクスロードという通信アカウント表示が『送信停止中』となっているのがわかる。なるほど、連携が取りやすいわけだ。

「言ってみろ」

「おまえの目的は月之瀬だけか?」

「質問の意味がわからんな。もちろん、奴の配下の噛まれ者ダンパイアどももターゲットに含まれる」

 吸血鬼の言葉に、シンはかぶりを振った。そういう意味ではない――そう言いたげに。

「私の配下には、おまえと同様に吸血鬼としての本能から解放された吸血鬼がいる。もしおまえの目的に彼らの首が含まれるならば、やはり私はこの場でおまえを殺さなければならない」

 その言葉に、アルカードは肩をすくめた。

「別に――俺はここいらの一帯を支配する魔物として、自分の『領地』内で好き勝手やってる奴を仕留めに来ただけだ。俺の縄張りを荒らすつもりも無ければ俺に敵対する意思も無い、俺のご近所さんに危害を加える可能性もない奴がどこでなにやってようが、それは俺には関係無い。好きな様にすればいいさ」

 シンが得心がいった様にうなずいてみせる。

「では、ここはおまえの『領地』か――道理で低級妖魔がまったくいないはずだ」

「ああ、もうちょっと南が俺の地元でな」

 周囲を見回してから、彼は再びアルカードに視線を戻した。

「だがやはり、月之瀬を追うんだろう?」

「あれは俺のターゲットだからな。おまえの主が奴を殺す前に、俺が殺らなくちゃならん」

 その言葉に、シンがかすかに眉を寄せる――疑問に思うのは当然だろう。アルカードにはここにいる必然性が――彼らから見れば――無い。すでにシンたちが動いている以上、結果が一緒なら放置していても問題は無いはずだ――アルカードは高みの見物を決め込んで、彼らが月之瀬を仕留め損ねた場合にだけ手を出せばいいのだ。

 アルカードは適当に肩をすくめ、

「俺がここにいるのは、別におまえたちに敵対するためじゃない――実際のところ俺個人としては、奴を殺るのが俺でもおまえたちでもかまわないんだ。奴が死ぬという結果が一緒ならな――もしもっといい形で事態が収束するなら、俺はそれでもかまわない。俺が急いでるのは、彼女の意思だよ」

「彼女?」 意味がわからなかったのか尋ね返してくるシンに、アルカードはうなずいた。

「そう、彼女だ。彼女のことなら、おまえたちのほうがよく知ってるだろう」

 それでほのめかしを察したのか、シンがかすかに目を見開いた。

「まさか、それでは――彼女は我々だけでなくおまえも雇ったのか?」

「俺は別に彼女に雇われてるわけじゃない。頼まれただけだ、月之瀬坊やの情報と引き換えにな。おまえの主に、自分の馴染みを殺したという罪科を背負わせたくないんだとさ」

 それですべてに得心がいったという様に、シンはうなずいた。同時に視界の端で明滅していた『送信停止中』の表示が消える。

「わかった――では本当にそろそろ私は行く。おまえにもさほど時間はあるまいよ――武運長久を」

「ああ、おまえもな。武運を祈る」

 それでシンの気配が消えて失せる。

 それを見送って、アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustをろくに力の入らない左手に持ち替え、地面に突き刺していた太刀を引き抜いて腰に帯びた鞘へと叩き込んだ。

 塵灰滅の剣Asher Dustを消すわけにはいかない。これが具現化していれば、たとえ空社陽響が異能を再起動してもその効果を受けなくなるからだ――少なくとも、その影響を抑えることは出来る。

 空社陽響の異能が以前目にしたのと同系統のものであれば、そうだ――いざ影響下に置かれると作れないので、以降は構築したまま持ち歩くしかない。

 先刻の戦闘中に二回ほど無理矢理動かしたせいで、左腕の激痛は先ほどよりも悪化している――指先がいくらか動くだけで、ほとんど感覚も無い。これ以降、この左腕は金属の強度を利用して楯にする以外の使い道はほとんどあるまい。

 魔力のバランスも、いくらか崩れ始めている――今はまだ、戦闘に支障が出るほどのレベルではないが。

 ふと思い出して、彼は地面に落ちたウォークライの残骸に視線を向けた。

 あとで回収に来なければならない――破壊されて役に立たないとはいえ、さすがに本物の銃火器一挺放置していったのでは、後々問題が発生しかねないからだ。

 まあ、処分方法などいくらでもあるので問題にならない。少し離れたところには鋳型工場があるし、そこまでしなくても部屋に戻れば手持ちの武装だけで簡単に破壊出来る。

 万物砕く破壊の拳Ragnarok Handsの様な格闘戦用の武装で金属片になるまで徹底的に擂り潰してしまえば、あとは燃えないゴミにでも出せばいい。

「あとは――」 声に出してつぶやいて、アルカードは笠神のほうへ視線を向けた。塵灰滅の剣Asher Dustを地面に突き刺して自動拳銃を引き抜き、笠神の頭部に銃口を向ける。

「ま、生き返るってことはねえだろうけどなぁ――念のためだ」

 乾いた銃声とともに銃弾が笠神の頭蓋を粉砕し――次の瞬間、その体が塵と化して崩れ散った。

「おや」 まだことにちょっと感心しながら、アルカードは手にした自動拳銃の銃口を下ろした。

 笠神はまだのだ――おそらくダメージが甚大すぎて蘇生・復活には至らないだろうが、息の根が完全に止まってはいなかった。脳はすでに破壊されているので、そのままでは中途半端に生命をつなぎとめようとしながら残る活力を浪費して死ぬのが落ちだろう。

 とはいえ、たとえ自力で蘇生することは出来なくても外部からの活力供給によって蘇生する事態はありうる。とどめを刺すに如くは無い。

「さて……と」 かすかに唇をゆがめて――自動拳銃をホルスターに戻して塵灰滅の剣Asher Dustの柄に手をかけ、アルカードはゆっくりと笑った。

 先ほどシンが視線で示した方向に、強大な堕性を帯びた魔力が感じ取れる。

 視界に表示された広域マップにはX-01という光点が瞬いていた。マップ中央からいくらか離れた場所に、白い光点――おそらく方角と距離から判断する限り、これはアルカードだ。白い光点にはUKという識別符号が表示されている――ユナイテッド・キングダム? なわけはないか。

 X――エクスレイ? 掃討目標エクスレイか。

 単なる吸血鬼ではなく月之瀬の様な上位個体を示すものらしい紫色の光点が、どんどん距離を離していく――月之瀬とシンが逆方向に移動していくからだ。

 このマップはあくまでもなので、マップの中心位置はシンの現在位置になる。シンと月之瀬の距離があまり離れすぎると月之瀬がマップの表示範囲外に出てしまうので、その都度広域表示に切り替えていくしかない。

 どうやら敵を示すものらしい赤とオレンジ色の光点が、マップ内にいくつか表示されている――赤とオレンジの光点のどちらが噛まれ者ダンパイアでどちらが喰屍鬼グールなのかまではわからないが、まるで虱を潰す様に光点がひとつまたひとつと消えてゆく。遠くにグリーンの光点があり、識別符号はシリウスとなっていた。

 あの兵隊どもは青の光点。シンも含めた幾人かは黄色の光点。

 なるほど、こりゃ便利だな――

何度かマップの縮尺を広域表示に切り替えて、アルカードは地面を蹴った。四肢は魔力強化を使って補強する――もっとも、彼の場合は通常の噛まれ者ダンパイアとは異なり、わざわざ意識して魔力強化を使う必要は無い。というよりも、彼の場合は日常生活に支障が出ない程度に力を魔力で抑え込んでいると言ったほうが正しい。

 噛まれ者ダンパイアは意識を集中し力を高めるが、彼は意識して力を抑えているのだ。

 このあたりに混じりものとはいえロイヤルクラシックである彼と、そこらの噛まれ者ダンパイアとの差が如実に表れている。

 塵灰滅の剣Asher Dustは今は鳴き止んでいるが、再度異能の効果が始まればそれを喰い潰し始めるだろう――もはや空社陽響の異能によって、戦闘能力を抑制される気遣いは無い。

 さあ――始めるか。

 胸中でつぶやいて、アルカードは地面を蹴った。

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