The Otherside of the Borderline 51

 

   †

 

 ふた振りの日本刀が街燈を照り返して輝く軌跡を虚空に刻み、その鋒が衝突する度に宵闇の中に激光が飛散する。

 たがいに目まぐるしく位置を変え、相手の攻撃を躱し、あるいは受け止め、あるいは受け流しながら、嵐のごとき斬撃の応酬の中で必殺の隙を窺う。

 この男の技術は明らかに、重い剣を力任せに叩きつける西洋剣術のそれではない。技巧に頼り、剣の軌道を制御する、盾を持たない日本の剣術の特徴に近い。

 日本剣術が技術の基礎ではないだろうが、彼の技術は明らかにそれと似た発想を根幹にしている。吸血鬼はもともと人間だから、彼にも技術を教えた師はいたはずだ――受け継いだ技術を練り上げ高め、長い時の中で吸収したメソッドを複合したものが、完成を迎えた今の彼の技術なのだろう。

 素晴らしい――胸中で感嘆の声を漏らしながら、シンは意識せぬまま口元に笑みを浮かべた。

 この吸血鬼がベストコンディションでないのが残念だ――自分と彼がそれぞれの修めた技を惜しむこと無くぶつけあえたならば、それは互いに学ぶものの多い素晴らしい戦いになるだろう。

 片腕だけのハンデがありながら、互いに本気ではないとはいえ、ここまで自分についてこれる。しかも、この男の額ににじむ脂汗は引いていない。先ほどのたうちまわっていたときの激痛は、いまだ消えてはいないのだ。

 この男が先ほどから左手を使ったのは、こちらの体を引きつけるために彼の衣服を掴んだことだけ――左腕が実質役に立たず、激痛で集中を欠いてなお、この男は自分に比肩する。

 だが、やはり片腕のハンデは大きいのだろう――膂力で自分を上回ろうとも、技量と速度で同じ領域にまで届こうとも、所詮片腕を封じられた状態では両手で剣を振るえる相手の上を行くことはかなうまい。

 数百回もの衝突ののち――

 ぎゃりぃんっ――苛烈な金属音とともに、吸血鬼の太刀が手の中から弾け飛んだ。

 幾度目かの剣戟の中で、柄元を撃った一撃に耐えかねたらしい。くるくると回転しながら宙に舞い上がる太刀の鳴き声が、使用者の魔力供給が途絶えたためにピタリとやんだ。

 吸血鬼が小さく毒づいて、後方へと飛び退る――間髪を容れず、シンは追撃を仕掛けた。

「――イィィィィヤァァァァッ!」 咆哮とともに、前へ――突進とともに繰り出した瓶割の鋒が、吸血鬼に向かって突き進む。

 普通の人間や並みの妖魔ならば、反応すら出来ないままそれで終わっていただろう――おそらく相手がこの吸血鬼でなければ、肉薄する瓶割の鋒は一撃のもとに心臓を撃ち抜くはずだ。

 おそらくそれで死ぬことは無いだろう――その程度では、この男ほどの高位の吸血鬼が死ぬことは無い。『領域』の発動後であっても体内の魔力の稼働には問題は生じないので、治癒能力は普段通りに働くはずだ。これ以上彼に邪魔されない様にするためには、心臓を貫いて磔にしたまま横で見張っているしかない。

 自分という戦力が抜けるのは、作戦全体を統括している環にとっては痛手だろうが――

 だが――

 吸血鬼が左手を翳して、掌で瓶割の鋒を受け止める――馬鹿な、左腕を棄てたか!?

 驚愕に目を見開くシンの眼前で、吸血鬼の左手と瓶割の鋒が苛烈な金属音を奏でた――瓶割の鋒は、一ミリたりとも彼の掌を穿ってはいない。

 そうだ、一瞬失念していたが、この男の左手は――

 吸血鬼の口元に笑みが浮かぶ――男が右手を振り翳し、落下し始めていた太刀の柄を掴み止めた。

 最初から、太刀の落下位置を予測したうえで後退先を決めていたのか――男が手首を返し、憤怒の火星Mars of Wrathが擬態した左手で瓶割の刃を掴む。次の瞬間には逆手で握った太刀の刃が、風斬り音とともに襲いかかってきた。

 もともとが流動する金属の塊であるために受傷の心配も無いということか、男の左手は信じられない様な力で瓶割の物撃ちを掴んでいる――指の間から刀身を力任せに引き抜いて、シンはいったん後退した。

 強振された太刀の鋒が、視界を水平に割っていく。ほんの一瞬でも後退動作が遅かったら、頭部を輪切りにされていたところだ――無論、こちらが躱せることを承知の上で繰り出してきた攻撃だろうが。

「くくく……」 どことなく楽しげに――吸血鬼がくぐもった笑いを漏らす。

「予想通りだ、犬妖――やっぱり月之瀬なんぞより、おまえと首をり合ったほうが愉しめる」

 ひゅ、という軽い風斬り音とともに手にした太刀を振り抜いて、吸血鬼はその鋒をこちらに向けた。

「実に残念だ――俺がこの様で、存分に戦えないことがな。どのみち今はあまり時間が無い。そろそろ終わりにさせてもらおう――ここで潰し合うのは未練が多いが、まあ仕方無い」

 同時に、男の気配が変わる――それまでは遊びの範囲内だった男の声が、迅速に淀み無く殺戮者のそれへと変わっていく。

「さあ行くぞ、犬妖」 その声とともに、男の気配が完全に氷点下のものへと変貌し――次の瞬間には彼の身にまとった殺気が、霧の様に失せて消えた。

「おい」 誰にともなく声をあげながら、あさってのほうに視線を投げる。

「さっきから展開されてた結界は、どっちの仕業だ? おまえの主か、それとも月之瀬か?」

前者私の主だ」

 そのときには、もうシンも気づいていた。

 『灼の領域Lust Empire』が消えている――あらゆる魔力を抑え込む、空社陽響の異能によって構成される結界が消えている。男が右手を軽く翳し――頭の中に直接響く無数の絶叫とともに、男の右手の掌に漆黒の曲刀が姿を見せた。

 男は形成された霊体武装で軽く肩を叩きながら、

霊体武装これ構築つくれるということは、結界は完全に消えてるな。気配からすると、月之瀬もおまえの主も健在か。どういうことかはわからんが」

 その声を聞きながら、シンは天を振り仰いだ――吸血鬼の言う通り、『領域』は消えたが陽響の気配も月之瀬の気配も健在だ。にもかかわらず、陽響は結界を解除した。

 考えられる理由はひとつ――なにか重大な状況変化が起こって、魔術通信網を使って全体に連絡を取る必要が生じたのだ。

 男はすでに、月之瀬の動向に注意を向けているらしい――小さく息をついて、シンは魔術通信網の回線を開いて空社環を呼び出した。

 

   †

 

 鋭い金属音とともに右手に加わった衝撃に負けて、アルカードは手にしていた太刀を手の中から弾き飛ばされていた。それに気づいて、彼は即座に後退を選択した――もっとも、意識がそう命ずるよりも先に、刃物よりも鋭く砥がれた彼の戦闘センスは肉体に後退を命じている。

「――イィィィィヤァァァァッ!」 咆哮とともに、シンが地面を蹴った――突進とともに繰り出された太刀の刺突が、アルカードの胸元を穿たんとして突き進んできている。

 普通の人間や並みの妖魔ならば、反応すら出来ないままそれで終わっていただろう――狙いはおそらくアルカードの心臓。心臓を貫かれて刀を刺しっぱなしにされれば、いかなアルカードとてすぐには動き出せない。まして心臓を撃ち抜かれて無力化された状態で、すぐ横にシンが控えているとなれば――

 攻撃を受ければの話だが。

 アルカードは数歩後退してわずかに体重を沈め、左手を翳してシンの刺突を受け止め――轟音とともにアルカードの左の掌とシンの太刀の鋒が激突し、擬似的に接続された神経からわずかな痛みと衝撃が伝わってきた。

 シンが驚愕に目を見開いている――その視線を捉えて、アルカードはゆっくりと笑った。

 もとより、この左腕はただの流動する金属の塊にすぎない。一時的に人間の腕の形状に擬態しているだけで、その本質はあくまで金属のままだ。

 そして七大罪の装Seven Cardinal Sinsとしての本質も変わらない――たとえ使用不能な状態にあっても、この左腕は圧倒的な魔力を保持し、いかなる方法であっても破壊がかなわない強度を保っている。

 ゆえに――たとえ七大罪の装Seven Cardinal Sinsとしての機能を果たさなくとも、その左腕を破壊するのは至難の業だ。たとえシンの扱うこの太刀を以てしても。

 さらに――わずかに笑みを深め、アルカードは右手を振り翳した。その手の中に、先ほど弾き飛ばされた太刀の柄が吸い寄せられる様にして落ちてくる。

 シンの目がさらなる驚愕に見開かれた――こちらが太刀の落下軌道を予測して、落下してきた太刀を受け止められる位置を見定めて後退していたとは思っていなかったのだろう。

 鋒を受け止めたままの左手首を返し、シンの手にした太刀の物撃ちを掴む――形状と質感を人間の腕に似せただけの流動金属の塊は、焼こうが斬ろうがどうということもない。そのわずかな動きでさえも神経を激痛が焼いたが、それは意識から締め出して、アルカードはあらんかぎりの力で物撃ちを握り締めた。

 太刀の鋒を握り潰さんばかりの力を込めたのだが、どうやら効果は無かったらしい――シンの手にした太刀はアルカードの、否怒の火星の握力に平然と耐え、その形状を保っていた。

 まあさもありなん――笠神の太刀もシンの太刀もそうだが、今のこの状況では外部に魔力を放出出来ない。それはつまり、対霊体殺傷能力を一切発揮しないということだが、だからと言って霊的武装としての強度まで低下するわけではない。霊体に対する殺傷能力こそ発揮出来ないものの、刀身は極めて強靭なのだ――多少の力をかけたくらいで傷むほどに軟ではない。

 だがどうでもいい――そんなことはどうでもいい。

 アルカードは唇をゆがめ、太刀を受け止めてから四半秒も経過しない一瞬の間に逆手に握った太刀を強振した。

 おそらく、シンは太刀を手放してこの一撃を躱すだろう――その程度の判断は即座に下せるはずだ。だが、シンは彼の予想とは異なる行動を取った――彼の予想以上の膂力で以て、アルカードが掴んだ太刀を引き抜いていったのだ。

 その回避行動そのものも、恐ろしく迅速だと言える――シンが瞬間というのも生温い刹那の判断に迷っていれば、本当に殺してしまっていただろう。

 シンはこちらの太刀の攻撃範囲から抜け出したあと、さらに数歩後退した――そして自分の間合いを作り直した後、再び青眼に構え直す。

「くくく……」 わずかに肩を震わせて――アルカードはややくぐもった笑い声をあげた。いぶかしげに眉をひそめるシンに笑みを向け、

「予想通りだ、犬妖――やっぱり月之瀬なんぞより、おまえと首をり合ったほうが愉しめる」

 ひゅ、と軽い風斬り音とともに手にした太刀を振り抜いて、アルカードはその鋒をシンに向けた。

「実に残念だ――俺がこの様で、存分に戦えないことがな。どのみち今はあまり時間が無い。そろそろ終わりにさせてもらおう――ここで潰し合うのは未練が多いが、まあ仕方無い」

 もうこれ以上遊んでいる時間は無い――太刀を奪い取って戦力を殺げなかった以上、今のコンディションでは殺さずに倒すことはいささか難しい。かといって、これ以上無意味な手間をかけるわけにもいかない。

「さあ行くぞ、犬妖」 完全な殺意の中に身を沈め、アルカードは太刀を構え直してわずかに重心を下げた。先ほどまでとは見てもわからない程度に異なるこの重心位置の差、それが今までとは比較にならない攻撃の重さと速さ、鋭さを生み出す。

 だがそれだけではいささか迫力不足だろう。ほかの切り札も用意しておく必要があるか。

 今日は切り札大放出だな――胸中でつぶやいて前進のために踏み出すよりも早く、彼は全身に纏った殺気を霧散させた。

「おい」 構えを解いて――誰にともなく声をあげながら、あさってのほうに視線を投げる。

「さっきから展開されてた結界は、どっちの仕業だ? おまえの主か、それとも月之瀬か」

 そのときには既にシンも気づいていたのだろう、彼も構えを解いて、

前者私の主だ」 短く端的に答えてくる。

 うなずいて、アルカードは太刀の鋒を地面に突き刺した――右手を振り翳し、意識を集中する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る