The Otherside of the Borderline 46

 

   †

 

「そろそろ終わりにするか、笠神わんこ」 そう言って、金髪の男は手にした細雪の鋒を笠神に向けた。

「お互い時間をかけすぎてる。結構面白かったが、そろそろ飽きてきた――かといって、このままおまえをほっぽり出して帰るわけにもいかないしな。そういうわけでだ――」

 そう続けてから、彼は軽い風斬り音とともに太刀を軽く振り抜くと、

「おまえは殺すぞ」

「死ぬのはおまえだ」 そう返事をして、左腕の肘裏に突き刺さった鈎爪を抜き取る――激痛に顔を顰め、笠神は鈎爪の尖端を足元に投げ棄てた。

 先ほど撃ち砕かれた手首が、ようやく完治したというのに――それにこの激痛、ただ鈎爪で刺されただけではない。なにをされたのかはわからないが、傷みが激しく治りが悪い。

 実際に操るすべは持たないし、正直なところあまりピンとこないのだが――これが魔力というやつか。そもそも魔力を操る技術の蓄積の無い綺堂の一族では、吸血鬼ヴァンパイアになったところで魔力がどうのこうのは今ひとつピンとこない。香坂は素質があったのか、割と早くこの新しい体に馴染んでいた様だが。

 そんな笠神の思考など知らぬげに、細雪を手にした金髪の青年が軽やかな動きで地面を蹴る――小さくうめいて、笠神は右手の鈎爪を伸長させた。

 ぎん、と音を立てて金髪の男の手にした太刀と笠神の鈎爪が衝突する――自在に伸縮する鈎爪による攻撃を、男は驚異的な反応速度と驚愕すべき膂力、瞠目すべき技量で受け捌いてみせた。

 恐ろしく高い技量――先ほど獲得したばかりの細雪も、香坂から奪い取った二本の短鎗も、彼はまるで何十年も使い込んだ愛用の得物であるかの様に高い練度で使いこなしている。

 金髪の男の両眼が暗闇の中で真紅に光り輝いていることに、笠神は当然気づいていた。あれは自分たちと同じだ。自分たちと同じ様に人間ではない。

 四指をそろえて繰り出した左の貫手を右手の甲で押しのける様にして躱しながら、金髪の男が内懐に飛び込んでくる。ならば――

 頭蓋を噛み砕いてくれようとあぎとを開き、頭部に喰らいつこうとしたその次の瞬間。

 胸部に衝撃が走る。右側の肋骨が五、六本まとめてへし折られ、笠神は激痛にうめきを漏らした。同時に派手に吹き飛ばされ、背中からブランコの支柱に叩きつけられる。

 なんだ、今のは――

 まるで破城槌バッテリング・ラムでも撃ち込まれたかの様だった。それを撃ち込んできた膂力もさることながら、今の感触。

 様な――

 金髪の男が笑っている――笑っている。

 はっ――笑い声をあげながら、金髪の男は地面を蹴った。

 ぐ――小さくうめきながら右拳を固め、迎撃の鈎突きを繰り出す。体高三メートル半の笠神の巨体は、リーチも普通の人間と同じ体格である金髪の男とは比べ物にならない。

 鉄槌のごとく固めた拳は、人間の頭蓋などトマトの様に易々と叩き潰せる――はずだった。突っ込んでくる男の姿が、一瞬霞の様に揺らぎ――次の瞬間にはライカンスロープの吸血鬼である笠神の動体視力を以ってしてなお電光のごとき速さで、金髪の男は腕の外側へと踏み出している。そして――

 なにをされたのかも、わからなかった――今度は腹に強烈な衝撃が走り、堪らず吹き飛ばされる。三百キロ近い重量を易々と吹き飛ばす威力に戦慄しながら、それでも足から地面に着地して体勢を立て直し――右脚を下ろしつつある金髪の男の姿を目にして、それが示唆する事実を咄嗟に理解出来ずに笠神は小さくうめいた。

 

 しぃっ――歯の間から息を吐き出しながら、笠神が驚愕から立ち直るいとまも与えずに金髪の青年が地面を蹴った。

 迎撃の右ストレートに、男が一瞬の躊躇も無く左の拳を合わせてくる。大人の頭ほどもある巨大な拳に、金髪の男は寸毫のためらいも無く固めた拳を叩きつけた。

 次の瞬間――拳が砕ける。中指の付け根あたりに撃ち込まれた男の左拳は骨格を粉砕し、肘のあたりまで右拳に喰い込んだ。

「ぐ――!」 今度は悲鳴を堪えることは出来なかった――その苦悶の声に、金髪の魔人が背筋の寒くなる様な凄絶な笑みを浮かべる。

 右拳に深々と喰い込んだ左腕を引き抜き、金髪の男が掴んでいた白いもの――血まみれになった手の甲の細かな骨のひとつを足元に投げ棄てた。

 堪らずに、地面に膝を突く。いつの間に放棄したのか、男は細雪を持ってはいなかった――否、身を折ったときに下腹部に激痛が走る。左手で探ってみると、下腹部に棒状のものが突き刺さっているのがわかった。

「この――!」 罵声をあげて、笠神は砕かれた右手を振り回した。盲滅法といってもいい雑な反撃を、金髪の男が余裕を持って躱す。

 同時に右脇腹に蹴りを撃ち込まれて、笠神は激痛にうめいた。先ほど突き刺され、足で踏み込まれて柄頭の先端まで完全に体内に埋め込まれた針の様な形状の短剣の喰い込んだ個所を、爪先を捩じ込む様にして蹴られたのだ――続いて男がそのまま踏み込んで、膝を折ったために頭の下がった笠神の下顎を右膝で突き上げる。

 罵声とともにすくい上げる様な軌道で繰り出した左手の一撃を上体を仰け反らせて躱し、金髪の男が後退する――下腹部に突き立てられた細雪を抜き取り、行きがけの駄賃とばかりに傷口に爪先で蹴りを入れて、金髪の男は間合いを取り直した。

 グフーグフーと荒い息を吐きながら、笠神はその場で立ち上がった――どういう理由かはわからないが、いずれの攻撃も強烈な衝撃ではあるものの先ほどまでの様に治りが悪いということは無い。先ほどの衝撃波が掻き消えて以降、攻撃のパターンも変わった様に見える。

 扱いに長じていない笠神には今ひとつピンとこないが――

 

   †

 

 直接触っても駄目か――胸中でつぶやいて、アルカードは笠神の太刀を手に間合いを取り直した。

 通常の状況であれば、靴の上から、手袋の上から、服の上からであっても、互いの加撃の衝撃と一緒に魔力は通る。魔力強化エンチャントというほどたいそうなものではないにせよ、直接皮膚に触れているものであればそれと似た様な特性を帯びるからだ――きちんと技術として訓練していなければ無機物には魔力は通らないし、投擲武器の様にいったん体から離れると魔力も消えてしまうのだが。

 だが、幾度か素手で触れても魔力が通った様には見えない――拳に捩じ込んでやったのは左腕なので、それはまあ魔力が通らないのは予想の内だったが。

 とはいえ左手を引き抜くときに骨を抜き取ってやったので、復元には多少の時間がかかるだろう。

 素手で相手の体に魔力を送り込むとき、一番有効なのが相手の肉に直接触れて魔力を流すことだ――相手の皮膚を通るときに魔力はかなり減衰するので、相手の体に傷をつけて傷口に媒体、この場合は指先などを捩じ込んで魔力を流すのがもっとも効果的だ。

 だが――素手で触れても堪えた様子が無いということは、それも通用しない可能性が高い。

 魔力の抑えを身体能力を通常の状態に戻すのも、を調整するのも、問題無く出来ている――つまり魔力を体内で稼働させるぶんには問題無い。

 だが、その時点で無効化されてしまうのだろう。

 となると――物理的に殺しきるしかないか。

 胸中でつぶやいて、アルカードはわずかに重心を下げた。

 

   †

 

 笠神の攻撃そのものには十分対応出来るからだろう、金髪の男は必要以上に間合いを離そうとはしなかった――こちらのほうがリーチが広いから、間合いを離すことはいくつかの点において致命的な事態を招くことになる。

 間合いを離せば、男は自分の間合いの外から連続攻撃を浴びせられることになる――そしてもうひとつ、接近していれば渾身の一撃を喰らわずに済む。

 その意味では、優れた戦闘能力を持つ者ほど接近戦を好むものだ。

 笠神の繰り出した鈎爪の一撃を回避して、金髪の男が手にした太刀の一撃を繰り出す――鋭利な鋼刃が頬をかすめ、焼ける様な痛みが神経を焦がした。

 鋒を躱すために上体を仰け反らせたまま、男の右腕めがけて蹴りを放つ。それが手首を直撃し、骨格と関節の破壊される感触とともに男が細雪を取り落とした――男がいったん取り落とした細雪の柄を、爪先で掬い上げる様にして足で跳ね上げる。

 回収するのが目的の動きではない――爪先ですくい上げられた細雪の鋒が下腹部に突き刺さり、内臓が貫かれて喉の奥から熱いものがこみあげてくる。だがその嘔吐感を無理矢理に無視して、笠神は咆哮をあげながら男の上体を薙ぎ払う様にして横殴りの一撃を振るった。

 その攻撃を上体を沈めて躱し、男がこちらの内懐に飛び込んできている――笠神が反応するより早く男の右拳が笠神の左脇腹に触れた。

 次の瞬間馬に蹴られた様な衝撃とともに、男の右拳が笠神の脇腹に手首まで喰い込む。肋骨が数本陥没し、激痛が神経を焼いた。先ほど蹴り砕いてやった右手首は、すでに完治しているらしい――修復速度が笠神とは比べ物にならないくらい早いのだ。

 同時に乾いた銃声が周囲に響き渡り、左腕に衝撃と激痛が走る。

 おそらくは破壊された腕をさらに破壊することで治癒を遅らせるためだろう、先ほど破壊してやったリボルバー拳銃のほかにも小火器を持っていたのか、男が拳を砕かれてまだ動かせない左腕に銃弾を撃ち込んだのだ。

「この――!」

 すくい上げる様に繰り出した右手の鈎爪を、男が間合いを離して躱す――そのついでに下腹部に突き刺さったままだった細雪を引き抜き、傷口に思いきり蹴りを入れていった。

「ぐ――!」

 うめき声をあげて、その場で膝を突く――狙ったものかどうかはわからないが、内臓のひとつふたつは貫かれているだろう。

 圧倒的に不利な状況だった。

 戦闘能力もさることながら、恐ろしいのはこの治癒能力とスタミナだった――笠神の分厚い筋肉の鎧を陥没させる破壊力を見せたのは、先ほど手首の骨格と関節を粉砕してやったはずの右手なのだ。

 あれから、ものの数秒――関節の様な複雑な構造の部分がこれほど短時間で完治するとなると、単純骨折など傷のうちには入らない。

 潰し合いになれば、絶対にこの男が勝つのだ。

 くるりと空中で一回転して、男が足から地面に着地する――かすかな笑みを浮かべて、男は地面を蹴った。

Aaaaaalieeeeeeee――アァァァァァラィィィィィィィ――ッ!」 咆哮とともに、男が細雪を撃ち込んでくる。

 その攻撃を鈎爪で受け止めるよりも早く、金髪の男が横に廻り込む――その動きの中で斬撃動作を中断し、金髪の男は立ち上がりかけた笠神の膝裏に低い軌道の廻し蹴りを叩き込んできた。

 強烈な衝撃を膝裏から撃ち込まれ、堪らずに再び膝を折る。

「貴様ッ!」 怒声とともに振り回した鈎爪の一撃を躱して、金髪の青年がいったん後退する――今の状態なら、いくらでも間合いは取り直せるということなのだろう。

 それに――

 金髪の青年が左手で抜き放った自動拳銃の銃口をこちらに向けて、立て続けにトリガーを引いた。

 すさまじい速度の連射が、弾丸の雨と化して襲いかかる――大部分は爪で弾き飛ばし腕の筋肉で喰い止めたが、咄嗟のことで数発を捌き損ね、左の眼窩に銃弾が喰い込んで視界が失われた。

 同時に左腕に激痛が走る――下膊に銃弾が着弾した瞬間腕が倍くらいの太さまで膨張した様に見え、皮膚が裂けて霞のごとく血が噴き出した。

 左の眼球と左腕が破壊される感触と激痛に苦悶の声をあげたときには、既に男はそこにはいない。

 おそらく左側に廻り込んできているのだろう――死角に入り込むのは白兵戦の基本のひとつで、さらに左腕は銃弾を追加で撃ち込まれたためにろくに動かない。だが――

「おお!」 声をあげて、左腕全体を振り回す様にして体の左側を薙ぎ払う――左腕が動かなくなる覚悟で繰り出した一撃だったが、手応えは無い。

 否――次の瞬間にはすさまじい激痛が脳髄を焼いた。

 それが左腕を下膊の半ばから完全に切断された痛みだと気づいたときには、もうすでに遅かった。

 長く伸ばした男の金髪が、ふわりと舞ってまたふわりと落ちる――左を向いた視界の端で男の体が腕を斬り落とした勢いのままにその場で一回転し、続く一撃で胴を薙いできた。

 おそらくその一撃で背骨を叩き折るつもりだったのだろう――背筋で止められた細雪を目にして、男の表情が一瞬驚愕にゆがんだ。

 だが考えが甘い――獣化に伴って笠神の筋肉組織は、人間の姿のときの数倍にまで密度が高まっている。相手の挙動が予想出来ていれば、攻撃を絡め取るなど造作も無い。

 振り向き様に振り回した左肘をこめかみにまともに喰らって、脳震盪を起こしたのか男の体がかしいだ。

 上体を逆にねじって、右のバックハンドで男の頭を殴りつける――男はその一撃でまともに吹き飛び、地面に埋められたA型のアンカーの横木に背中から叩きつけられた。

 アンカーの太い鋼管に後頭部をしたたかに打ちつけて大きく喘鳴をあげる男の手に、細雪が無い――向き直ろうとすると、すさまじい激痛が脳を焼いた。

 金髪の男が吹き飛ばされる寸前にこちらの背中に突き立てたのだ――背中に手を回して太刀を引き抜き、アスレティックに寄りかかったまま動こうとしない男に向き直る。

「どうした? 終わりか、小僧」 答えは無い――答えは無い。どうやら相当強く頭を打って一時的に人事不省になっているのか、あるいは――

 いずれにせよどうでもいい――首を切断してから脳と心臓を貫いてしばらく放置すれば、いずれ死ぬだろう。お誂え向きなことに、そこに黒禍と紅華が転がっている。いかな魔人といえども、脳組織を直接は復活もかなうまい。

 笠神は地面に転がった黒禍と紅華を残った右手でまとめて拾い上げ、いまだ動きを見せない金髪の青年の前に立った。一度二本の短鎗を地面に突き刺し、まずは黒禍を引き抜く。

「終わりだ、小僧」

「――おまえがか?」

 笑みを含んだその声に、笠神は凍りついた。そして笠神が次の行動を起こすより早く、街燈の明かりを照り返してオレンジ色に輝くなにかが襲いかかってくる。

 次の瞬間全身を全部で七つに切断され、笠神は文字通りその場に崩れ落ちた。

「あーあー、結局使う羽目になったか。しかしあれだ、作戦とはいえ――わざと攻撃もらうって、結構ストレス溜まるよな」

 言いながら、男が立ち上がる――腰のあたりから胴体を斜めに切断され両腕と片脚を斬り落とされた笠神を見下ろしながら、彼は服についた埃をポンポンと手で払った。

 あれだけ派手に叩きつけられたにもかかわらず、男の動きにはまったく変調が感じられなかった――尋常でない治癒能力が、脳震盪でさえも瞬時に治癒させてしまったのだろうか。

 否、ひとつだけ違う――なんだ、あれは?

 男の左腕が無くなっている――否、そう言うと語弊があるか。ジャケットの袖から出ているのは、人間の手ではなかった。街燈の光を照り返してオレンジ色を基調にした複雑なグラデーションを描く、金属質の触手。

 途中で数本に分岐した触手はそれぞれが先端に鎌状の刃を持ち、こちらにその鋒を向けている。

「貴様――それはなんだ……!?」

憤怒の火星Mars of Wrathといっても、どうせわからねえだろ。七大罪の装Seven Cardinal Sinsなんて、日本じゃあまり知られてないだろうからな」

 そう言って、男が適当に肩をすくめる。

「わざわざ持ってきてくれたのか、助かるよ。ま、お互い考えることは一緒ってことか」 肘のところで切断された右手が握ったままになっていた黒禍を手にとって、金髪の青年がゆっくりと笑う。

「魔物として殺せないなら、生物として殺すしかない――で、損傷を修復出来ない状態にして力を使い果たすまで放置する。おまえの考えはまあ、ある程度正しい。もっとも、その程度じゃ俺は死ねないがな」

 金髪の青年はそう言って、黒禍の穂先をまっすぐに笠神の顔に向けた。

「ま、そういうことだ。さよなら、ワンちゃん――香坂じじいによろしくな。全身タイツで夜の街をうろつく変質者同士、あの世で仲良くやっててくれ」 その言葉とともに、男が黒禍の穂先を突き出し――頭蓋の砕ける轟音とともに、笠神の意識は完全に消失した。

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