The Otherside of the Borderline 47
†
ずぐ、という鈍い手応えとともに突き込んだ黒禍が笠神の頭蓋骨を貫通する――断末魔の細かな痙攣を繰り返し始めた笠神の獣躯を見下ろして、アルカードは鼻を鳴らした。
ライカンスロープ、ナハツェーラー、いずれも人間よりはるかにタフだ――腕が生え替わったりはしないものの、傷口の組織が生きている間であれば互いを接合するだけで切断された四肢は癒着する。
その生命力の強さを誇示するかの様に胸から上が残った笠神は大量出血に耐えながらも今なお呼吸を続けている。
そして人間よりもはるかにタフで――それがさらに
とりあえずは――胸中でつぶやいて、アルカードは地面に突き刺したままだった紅華を引き抜いた。黒禍を突き刺したときに頭を仰け反らせたために剥き出しになった笠神の右喉笛を頸動脈もろとも穂先で引っ掻く様にして水平に引き裂く。心臓がまだ止まっていないので頸動脈と血が流れ出し、足元のコンクリートを赤黒く染めてゆく。
それを見下ろして、アルカードは紅華を旋回させて逆手に握り直した。そのまま肋骨の位置を見定めて、胸部へと突き立てる。
肋骨の隙間から滑らかに胸郭へと入り込んだ赤い鎗の穂先に左肺と心臓を貫かれ、笠神の巨体がびくりと痙攣した。
さて、あとは――
胸中でつぶやいて、紅華を突き刺したまま黒禍に手を伸ばす。ライカンスロープを殺す場合に標的にすべきなのは、脳幹だ――脳の中で呼吸、消化、心臓の拍動など本人の意思によらない生理機能を制御しているのが脳幹で、大脳や小脳などが破壊されていても脳幹だけが機能を続けているのがいわゆる植物状態だ。つまり、今や笠神は植物人間と似た様な状態なわけだが――脳幹を破壊してしまえば、心臓の機能も呼吸も止まる。
アルカードは黒禍を引き抜いてから笠神の頭を横に向け、頭部の一ヶ所を見定めて黒禍を突き込んだ。
それで自発呼吸も心臓の鼓動も止まり、笠神は生命活動を停止した。じきに霊体もほころびて、肉体も塵に還るだろう。
小さく息を吐いて、左腕を見遣る――人間の腕としての基本形状を崩して流動する金属の本性を現したその腕は、先端に鎌状の刃を備えた五本の触手をくねらせながら主の周囲をうごめいていた。
わざわざキリスト教において最大の罪とされる七つの大罪の名を冠したのは、パラケルススとその一派がキリスト教を否定しているからだろう。
もう四百年以上も前の話になるが、アルカードはパラケルスス二世を直接訪ねたことがある――錬金術と錬金学、両方を極めた魔術師であるパラケルスス一族は公式には一五四一年にザルツブルグで亡くなったことになっているが、実は今でも生きており、家系も存続している。
訪ねたのは、錬金術を応用した魔具を求めてのことだった。当時は持っていなかった装備品だが、
会いに行ったはいいが、人間離れした強靭な肉体と強大な戦闘能力を持つアルカードは、入門の試練と称して錬金術の貴重な鉱物や秘薬の原料を収集する便利屋まがいに扱われた。
オリハルコンなどの伝説上の鉱物や秘薬の原料となる植物、動物は、数百年前までは数は少ないものの現世にも存在していた。
だがもともと絶対数が少ないうえにすでに採取し尽くされて現世に存在する原料は完全に枯渇しており、近似した『層』に取りに赴くしかなかった。
世界はまるでコピー用紙の束の様に平行に重なった無数の『層』からなっており、現世では伝説や幻想でしか存在しない鉱物や植物、動物が、異なる『層』には棲息していることがある――当時のアルカードはすでにグリーンウッド家の魔術を修めており、自力で異なる『層』の間を行き来する能力を持っていた。
前述したとおりオリハルコンの様な稀少な鉱物やマンドラゴラの様な秘薬の原料は現世にはもともと少なかったのが採取し尽くされてすでに枯渇しており、異なる世界に採りに行くしかない。
採りに行くしかないのはいいのだが、肉体的には生身の人間とそう変わらないパラケルスス一族では生還するのが難しかったのだ。なにしろ行く先は現世と似た様な肉を持って存在出来る世界ではあるものの、『層』にもよるが幻想上のものとされる生物が多少なりとも存在している。
個体数は『層』により、現世に近い『層』では人間や犬猫、鳥といった現世に共通する動物や植物も多く存在しているが、現世から離れた『層』になると現世に見られる動植物は減っていき、幻想上の動植物に加えて幽霊や亡霊といったものが当たり前の様に存在する様になる。
思いつくままちょっと挙げただけでも
そこにそれらを歯牙にもかけない、どころか高位神霊でも一撃で殺せる様な吸血鬼がやってきたものだから、それまで恩を着せ着せ少量の原料を法外な高値で売りつけに来る商人に苦り切っていたパラケルスス一族はこれぞ神の与えた好機とばかりに上を下への騒ぎになった。
結果、アルカードはそのあと一月ほど彼らのもとに逗留し、メモを持たされては別の『層』へと移動してさまざまな稀少金属や秘薬の原料を収集して持ち帰ることになった。
その労働の成果としてパラケルスス一族は百年は困らない量のさまざまな秘薬の原料を手に入れ――ひと通りの材料集めが終わったところで、パラケルスス二世はまだ手元に残していた
もともと
運動能力で上を行っている相手に、いくら強力な装備で対抗しても勝つことは出来ない――どんなに強力な武器も、相手に当たらなければ意味を成さないからだ。
彼が七曜武器を手放したのには、もうひとつ理由がある。
生身の人間が使えば、数分と持たずに魔力を使い尽くして倒れてしまいかねないほどにだ。
だがそれを遣うのが
本来は脊椎に寄生していたそれを義手代わりに腕に移植することになったのは、三百五十六年前にウィーンで戦ったグリゴラシュによって
霊体武装による
これはかなり無茶苦茶な処置だったらしく、実際しばらくしてから会ったときにパラケルスス二世はあきれ果てていた――それでも、本来そんな機能の無い
その際に疑似神経も追加されて機能が調整され、今ではこの紛い物の腕は本来の腕と変わらないどころか、右利きのアルカードが利き腕と錯覚するほどによく動く。本来の機能の補助でしかなかったセンサー機能も拡張され、機能の応用幅も大きく広がった。
ただひとつ問題があるとすれば――
用の無くなった左腕が、人間の腕としての形態を取り戻すために動き始めた。鎌状の刃は触手に埋もれる様にして取り込まれ、五本の触手が螺旋状に絡みついて一体化しながら縮んでいく。
やがて
水銀で形作られた腕は彼の遺伝子情報に基づいて骨格と筋肉と皮膚の質感を再現し、最終的には腕が『崩れ』る際に弾け飛んだ手袋と腕時計を除けば、それまでとまったく変わらない状態に戻った。
子供のころの火傷の跡やワラキアの戦役で負った手傷の傷跡が無くなっている点を除けば、グリゴラシュに切断される前となにひとつ変わり無い――
そして――
「――ッ!」 声にならない悲鳴をあげて、アルカードはその場に蹲った――生きたまま鋸で八つ裂きにされてもここまでではないだろうと思える様なすさまじい激痛が、神経を焼き脳を苛む。
奥歯を折れそうなほどに噛み締めながら、彼は声はあげないまま右手で左腕を強く掴んだ。
元が武器でしかない代物に常時稼働し続ける義肢としての機能を追加したせいか、それとも無理矢理な施術の反動かはわからない――だが斬撃触手の機能を起動すると、使ったあとに決まって気が狂いそうなほどの激痛に襲われる。
おそらくまともな人間であれば、この激痛の前では瞬時にショック死してしまうだろう――額に大粒の脂汗が浮かび上がり、頬の輪郭を伝って顎先から地面に滴り落ちる。
こめかみで太い血管がどくどくと脈打っているのがわかる――滴り落ちた脂汗が地面の乾いた砂の上で弾けて染みを作るのを見ながら、彼は声もなく身をよじった。
手持ちの駒の中に一撃で笠神を行動不能に陥らせられるほどの破壊力を持つ武器がほかに無かったとはいえ――我ながら、ずいぶんと無茶をしたものだ。アルカードはそう考えて苦笑した。
本来は必要なときだけ起動しているものを、義肢として常時稼働させているためかもしれない――今のところ正確な原因は判明していないが、いったん武装としての機能を起動すると、
その結果、腕の霊体構造が一時的に機能不全に陥って、左腕の腕力や握力、反応速度が極端に低下するのだ――どの程度まで機能が低下するかは稼動していた時間がどれだけ長いかによるのだが、長ければ長いほど機能低下の率は大きくなる。今回稼動していた時間は正味一分あるか無いかだが、それでも機能は三分の一以下まで低下してしまうだろう。
ついでに言うなら、魔力が元に戻るまでの間は痛みが残る――今感じているほどの激痛ではないが、それでも常時絶えることの無い痛みが続くのだ。
さらに左腕の魔力を完全に消費し尽くすと、
全盛期の魔力容量ならば一時間以上稼働し続けられるが、魔力全体の九割近くをドラキュラの堕性を抑え込むことに振り向けている今の状態では、稼働させるのは五分そこそこが限界だ――それを過ぎると、魔力がいくらか回復して再起動が可能な状態になるまで、三週間以上も動かない触手を引きずって生活しなければならない。
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