Vampire Killers 29

 

   *

 

 ぱきぃんっ――金属の砕ける長く響く音とともに、手にした長剣が半ばから叩き折られた。

 刃毀れと血脂でぼろぼろになった長剣の剣先が、くるくると回転しながら宙を飛ぶ。砕けた鋼の細かな破片が宙を舞い、室内の蝋燭の弱々しい明りを反射してキラキラと輝いた。だがその絶景も、一瞬のこと――

 ろくに手入れも出来なかった長剣がそれでもそれまで武器として役立っていたのは、ひとえに剣匠が素晴らしい業物を造り上げていたからに他ならない――半分くらいの長さになった長剣を見下ろして、彼は小さく毒づいた。

「たいしたものだ、ヴィルトール・ドラゴス。を人間が蹴散らしてくるとは思わなかったぞ」

 耳に残る厭な響きの声に、彼は顔を顰めた。ラルカに下腹部を刺された激痛が、まるで間断無く押し寄せる漣の様に意識を焼いている――激昂が忘れさせてくれていた激痛は、再び自覚してしまうと意識から締め出すことは出来なくなった。脂汗が毛穴から噴き出すのを感じながら、奥歯を噛み締めて眦を決する。

「黙れ、公爵」

 床の上に、ふたりの男が倒れ臥している。

 ひとりは数年来のつきあいのある、彼の友人――彼の養父をこの屋敷に後送してくるために同行していた、彼の同年代の友人だ。

 その男はすでに死んでいた――彼の養父の護衛のひとりだ。首筋を血に染めて、かっと目を見開いたままぴくりともしない。

 腰に吊った長剣は、抜かれていなかった――室内での長剣の扱いが不得手なので短剣で戦おうとしたのだろう、右手のそばに短剣が転がっている。

「アンドレア――」

 もうひとりは、黒髪を長く伸ばした偉丈夫だ――背丈は彼よりもかなり高く、体格もがっちりしている。そういったところは、父親似だった――寝台の上に放り出された、すでに事切れた彼らふたりの父。

 彼自身は実子ではなく養子だったので、実子が付き添ったほうがいいだろうと、グリゴラシュに父を後送する様頼んだのだが――生家に戻ってみればこの有様とは。

「……グリゴラシュ」

 すでに動く様子の無い友と義兄の名を口にして、彼はそのまま眼前に立っている『公爵』に視線を戻した。

「なにを憤る? おまえはむしろ誇るべきだ。人間の身でありながら、人間を超えた存在を屠ってのけた――それはおまえが人間でありながら、人間を超えた証だ。おまえは誇るべきだ。人間でありながら、おまえのその身は人間を超えた。私と同じ様に超越者となったのだ、ヴィルトール・ドラゴス」

 その言葉を無視して、彼は無造作に左足を上げて踵を地面に叩きつけた――足元に転がっていた養父のものらしい抜き身の長剣が、蹴りつけられた拍子に跳ね上がる。

「黙れと言ったぞッ!」

 声をあげて、先ほどドラキュラの打擲で叩き折られた剣を投げつける――同時に彼は宙にある養父の剣の柄を掴み止め、石造りの床を蹴った。

Woooaaraaaaaaaaaaaオォォアァァラァァァァァァァッ!」

 憤激で激痛を忘れながら、眼前に立っている男に向かって肉薄する。激戦で乱れた黒いざんばら髪に鮮血のごとくに紅い目、髭面の男だ。歴戦の中で疵だらけになった金属製の甲冑を身に纏い、その上から着込んだ外套は返り血で真っ赤に染まっている。

 その男――ワラキア公ヴラド・ドラキュラ公爵はかすかな笑みを浮かべて、猛烈な速度で飛来した彼の剣をまるで蠅か蛾をそうする様に掌で叩き落とした。

 彼が目論んだ効果――剣を躱して体勢を崩す――はまったく実現していない。だがかまわない――かまわない。かまうものか!

「地獄へ行けぇッ!」

 声とともに、彼はドラキュラの肩口目掛けて剣を振り下ろした。だが――信じられないことに、その一撃をドラキュラが発止と受け止めている。

 それに気づいて、彼は舌打ちを漏らした。素手で刃を掴み止めたドラキュラの手の中から剣先を引き抜こうとするも、信じられない様な握力で掴まれた刃は万力で固められた様に微動だにしない。

 次の瞬間には、ドラキュラが鞘に納めたまま振り回した長剣が肉薄する。

 ほかに選択肢が無い――そう判断して、彼は左腕を攻撃の軌道に差し込んだ。甲冑の強度を考慮すれば、致命的な傷を負うこと無くその打擲を受け止められるかは分のいい賭けのはずだった。

 だが――

 左腕につけた手甲が変形し、その下の骨が鈍い音とともに一撃で叩き折られ、凄まじい激痛が脳髄を焼いた――被害はそれに留まらず、そのまま吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。

「が――ぁぁぁぁッ!」 間断無く意識を苛み続ける激痛に、思わず口から悲鳴が漏れる――敵の眼前で苦鳴を漏らしている事実に屈辱を感じながら、彼は自分の左腕を見下ろした。

 信じがたいことに、今の一撃で左腕がまっぷたつにへし折られていた――筒状の革と金属を組み合わせ、腕の外側だけを金属の装甲で鎧う構造になった手甲の分厚い金属製の装甲板が完全にひしゃげ、筋肉と強靭な皮膚、それに油脂で煮詰めに煮詰めた筒状の革の硬い装甲を突き破って、折れた尺骨と橈骨の先端が飛び出している。

 骨の先端からぽたりぽたりと血と髄液が滴り落ちて赤い鎧下をさらに紅く染め、装甲板の一部が衝撃で裂けるほどの打撃を受けた手甲は完全に変形して腕に喰い込んでいた。

 激痛は損傷箇所を目で見てしまうと、もう無視出来ない――額に脂汗がにじみ、腹の傷を合わせて激痛が神経を焼いた。

 くそ……ッ!

 毒づいて、彼は立ち上がった――そのときにはすでにドラキュラがすぐそばに立っているという事実に気づいて慄然とするより早く胸倉を掴んで引きずり起こされ、背中から壁に叩きつけられる。

「かッ……」

 後頭部を派手に壁に撃ちつけ、頭蓋の内側で脳髄が揺れる――衝撃で喘鳴をあげる彼の体を宙吊りにしたまま、ドラキュラ公爵が口を開いた。

「なにを怒る? この私を見るがいい。私はもはや人間をはるかに超えた偉大な存在となった――私がより強大な力を手に入れるために、わが軍の生き残りはその身を捧げた。おまえの家族もだ――これ以上の誉れは地上にそうはあるまい」

 ふざけるな……ッ!

 声をあげるよりも早く、ドラキュラの左手が甲冑の胴当に押し当てられていた――その掌が、すさまじい力で胴当を圧迫してくる。金属製の甲冑がみしみしと軋み音をあげ、肋骨が悲鳴をあげた。肺が圧迫されて、まともに呼吸が出来なくなる――

「この屋敷でまだ私に血を捧げていないのはおまえだけ。さあ、その身を私に差し出すがいい――偉大なるこの父、ワラキア公ドラキュラ公爵にその身を捧げよ。養父を越える剣舞を誇るおまえならば、必ずや我が配下最強の存在となろう。この私に文字どおり、身も心も捧げるがよい――それこそが、我が子たるおまえに与えられた天命なのだ」

 その言葉に、彼は唇を噛んだ――我が子?

 五体満足であったのなら、失笑していただろう――世迷言にもほどというものがある。

「……せ……」

 肺を圧迫されているためにかすれた消え入りそうな声で、彼は答えを口にした。

「なんだ? 聞こえぬ」 ドラキュラがそれを見て、わずかに胴当に対する圧迫を緩めた。それでようやく、多少なりともまともな呼吸が出来る様になる。

「もう一度答えよ」

 肺の奥深くまで息を吸い込んでから、ドラキュラの血生臭い顔を睨みつけて、彼は声をあげた。

「寝言は寝て抜かせ!」

 言葉とともに――甲冑の腰裏に仕込んでいた小さな鞘から抜き放った刺殺用の短剣を、ドラキュラの眼窩に突き立てる。彼はそのまま短剣の柄から手を放し、T字型の柄を掌で押し込む様にしてドラキュラの頭を思いきり突き飛ばした。

 衝撃で仰け反ったドラキュラの手から力が抜け、彼の体は地面に落下した。左腕から落ちて激痛にのたうち回りそうになるが――それは無視して上体を起こす。

 起き上がる動作と同時に、彼は脛の装甲の隙間に仕込んであった鞘からもうひと振りの短剣を引き抜いた――菱形に近い形状で柄と刃が一体になった刺殺用の細身の短剣で、刃渡りは手首から指先くらい、柄の太さもさほどない。

 彼は抜き放った短剣の鋒を、ドラキュラの甲冑の隙間から左脇に突き立てた。

 細身の刃は目の粗いドラキュラの甲冑の帷子を徹すに苦労は無い。ばつんという鎖帷子の裂ける手応えとともに、錐状の鋒がドラキュラの肋骨の隙間から肺を貫通して心臓に達する。

 ドラキュラの口蓋から派手に血があふれ出し――った、勝利を確信しながらも、彼は確実にとどめを刺すために腰元に手挟んでいたラルカが持ち出した祖父の短剣を引き抜いた。

 引き抜いた短剣のぼろぼろに欠けた鋒を、のけぞったドラキュラの顎下から下顎骨の裏側を通す様にして頭頂に向けて撃ち込む。

 手元に当たって刃が止まるまで刺し込んでから傷口を拡げるために刃を捩り、ドラキュラの体を押し出す様にして肘で突き飛ばす。あとは先ほど脇腹に突き立てた刺殺用の短剣の、露出した柄頭を――

 ドラキュラの心臓を完全にぶち抜くために、右手を脇に引きつける――力も重さももはや必要無い。速度と精度のみの掌打で、あらわになった柄頭を完全に押し込めば――

 だが繰り出した掌打は、ドラキュラの右手に掴み止められている――次の瞬間、彼はそのまま手首を掴まれて、まるで子供が頭陀袋を振り回す様に凄まじい力で振り回されていた。

 ――なんだと!?

 二回転ほど振り回されたところで放り出されて、反対側の壁に叩きつけられる――頚骨や背骨を骨折せずにすんだのは奇跡に近かった。

 だがそれでも激突の衝撃で派手に甲冑が変形し、肋骨が折れるゴキゴキという音とともに喉の奥から熱いものがこみ上げてきて、彼は床の上に転がったまま激しく咳き込んだ。

「ふむ。私の誘いを拒むか、愚かな」 ごぼごぼという嗽の様な音が混じった声で、ドラキュラがそうつぶやくのが聞こえた――馬鹿な。

 眼窩に刺した剣は拳に握り込んで遣うT字型の柄のもので、丸みを帯びた鏃型の刃はそれほど長くない――だがそれでも、間違い無く脳まで届いたはずだ。

 視線だけを向けると、ドラキュラが――右目と顎下、左脇に短剣を突き立てられたままのドラキュラが――眼窩に突き刺さった短剣と顎下に突き刺さった短剣を引き抜いて、足元に投げ棄てるのが見えた。続いてもうひと振りの刺殺用の短剣も、まるでちょっとした棘かなにかの様に無造作に脇腹から引き抜く。

 なんだと……!?

「まあよい。ならば力ずくで従わせるだけのこと」 そんな言葉を漏らして、ドラキュラが脚甲を鳴らしながら近づいてきた。

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