Vampire Killers 15

 

   *

 

 アルカードが管理人部屋の二階へと続く階段を昇り、先日は入ったことの無い左の扉を開けて中に足を踏み入れる――二階にはここに連れてこられたときに修道服を取りに足を踏み入れただけなので、左側の部屋がどんなふうになっているのかはわからなかったが、どうやら左の部屋は物置代わりに使われているらしい。

 部屋の中に踏み込んだアルカードの肩越しに部屋の中を覗き込むと、エアーパッドにくるまれたスキー板だの液晶テレビだのに加えて予備の蛍光灯の電球だのが棚や段ボールに収納されていた。

「ちょっと待ってくれよ、以前ルイーズが引き払ったときに置いていったものが――」 そんなことを言いながら、

 アルカードが照明をつけようともせずに部屋の中を見回して、

「ああ、これだこれだ」

 やがてクリーニングのビニール袋に入ったままのシーツや枕が紐で括られて棚の上に置かれているのを見つけ出し、アルカードは満足げにうなずいた。

 ビニール紐でひと纏めに括られた寝具類をかかえて倉庫の中から出てくると、それをフィオレンティーナに押しつける――この吸血鬼の性格なのか普段はあまり足を踏み入れないであろう物置もきちんと掃除をしているらしく、押しつけられた寝具類はほとんど埃がついていなかった。

「あいにく備品の貸し出しをしてるわけじゃないから、出ていった奴が置いてったものくらいしか無くてね――とりあえず今夜はそれで凌いでくれ」

 アルカードはそう言って、物置代わりの部屋の扉を後ろ手で閉めた。

 フィオレンティーナはうなずいて、手渡されたリネンを小脇にかかえた――とりあえずはこれで十分だ。もう十分暖かいので、体にかけるものがなにも無くても問題無い。

 アルカードがフィオレンティーナを促して、階下へと降りていく。

 フィオレンティーナがそれに続いて階段を降りると、金髪の吸血鬼は彼女が降りるのを待って階段の電燈を消した。

 いったん寝具を置いて、先ほど着替えたあとでアルカードの寝室に置いたままにしてあった修道服を取りに行く――PCデスクの上にたたんで置いてあった修道服を小脇にかかえて再び玄関に戻ると、アルカードはブーツを脱いで土間に置いてあった同じ形のブーツにわざわざ履き替えたところだった。

 どうも室内でも靴を履いたままの習慣があるらしく、彼はわざわざフローリングの上から欧米で使う様な靴文化用の絨毯を敷き詰め、室内用のブーツを履いたままで生活している。

 アルカードが部屋から出ていったので、フィオレンティーナはアルカードが用意した制服の靴に履き替えてそのあとを追った。

 たたんだ修道服とリネン類、それに戦闘用のブーツをまとめてかかえて共用廊下に出ると、アルカードはさっさと歩いていって、ひと部屋挟んだ向こうの部屋の錠前に鍵を差し込んだところだった。

 アルカードの部屋もそうだが、このアパートは錠前がふたつある。

 ふたつある錠前の両方を一本のキーで解錠したところをみると、鍵のパターンは同じらしい――錠前がふたつあるのは、単純に錠前の数を増やすことで不正な開錠や破壊を難しくするためだろう。

 なにを確認しているのか何度か鍵を抜き差ししてから抜き取って、アルカードは抜き取った鍵をフィオレンティーナに差し出した。

 プレート状の鍵の片側の端を削り出す従来のものと異なり、板状のキーに表裏同じパターンの穴が掘られた、穿孔ディンプルキーと呼ばれる表裏の区別が無いタイプの鍵だ――従来のピッキングが通用せず、またメーカーによっては非常にキーパターンが多いことから、ここ数十年で各国の公官庁や一般家庭に爆発的に普及している。キーの持ち手の部分には男性的な上半身と鍵を模した下半身を持つ擬人化された鍵を象ったメーカーの意匠と、MUL-T-ROCKというロゴが入っていた。

 聖堂騎士団の宿舎にも、スイスのKABA社製のディンプルキーが採用されている――『主の御言葉』の宿舎には個室の鍵は無いが、宿舎の玄関の錠前のキーはMIWA製のディンプルキーだった。

 リネンを小脇にかかえたまま、受け取ったキーを矯めつ眇めつする。キータブに102という部屋番号が手書きされた、小さなシールが貼ってあった。

「それが君の部屋の鍵だ――予備は一応あるんだが、失くすと高価だから失くさない様にしてくれ。錠前はふたつあるが、見ての通りどっちの錠前も鍵は共通だ」

 そう言ってから、彼はフィオレンティーナが入りやすい様に扉を全開にして扉を片手で押さえたまま道を譲った。

 住人が引き払ってからも定期的に清掃はしているのか、部屋の中には埃ひとつ落ちていなかった――部屋に入ってすぐに造りつけの靴箱が設置され、その反対側は洗濯機を設置するためのものか排水口が穿たれた樹脂製のトレーの様になっている。

 その向こうはキッチンになっていて、右手は直接玄関からは様子が窺えないもののトイレと浴室になっているらしい。

 共用廊下から射し込んでくる明かりを頼りに扉を開けて寝室内に足を踏み入れると、ベッドが一台だけなにも無い部屋に置かれていた――あとは自分で揃えろということなのだろう。

 ベッドの上にたたんだ修道服を置いて玄関のほうを振り返ったとき、アルカードが上がり框のところで背伸びをして天井近くの壁に手を伸ばしているのが視界に入ってきた――部屋から出て元に視線を向けると、金属製のボックスの扉を開けたアルカードがおそらくブレーカーだろう、ボックスの中のスイッチを入れたところだった。

「そこのスイッチを入れてみてくれ」 ちょうど洗面所のところの壁の角に手をかけたフィオレンティーナの手元を視線で示して、アルカードがそう声をかけてくる――押しボタン式のスイッチをオンにすると、廊下の照明が点燈してキッチンが照らし出された。

「よし。あとは水道とガスだな――電気はブレーカーだけオンにすれば使えるんだが、ガスと水道は職員の操作がいるから、明日にでも呼ばないといけない」

 アルカードはそう言ってからちょっと言葉を選ぶ様に沈黙し、

「だから――まあ、トイレとか風呂とか使えないんだよな。君は厭だろうが俺の部屋で済ませるか、我慢するか、まあ好きなほうを選んでくれ」

 あ、それと、と付け加えて、アルカードがスイッチに添えたままだった彼女の手元を指差した。

「もうひとつのスイッチな、水道が開通したらオンにしっぱなしにしといてくれるか」

「なんですか、これ」

「トイレの換気用のファンだ――使い始めてからでいいから」

 顔を顰めそうになったが、当のアルカードが思いきり顰め面をしているのに気づいて、やめる――アルカード自身が、女性を相手にこんな話をするのが気乗りしないのだろう。

「わか――」

「あっれー? この部屋、人が入ったんだ」 返事をしかけたときアルカードの向こうからそんな声が聞こえてきて、フィオレンティーナは一歩体をずらして彼の背後へと視線を向けた。

 癖のある赤毛を背中まで伸ばしたスーツ姿の白人の女性が、電気が点いていないから扉を閉めたら真っ暗になってしまうためにそれまで開け放されていた扉の向こうからこちらを覗き込んでいる。

「ああ、アンか。お疲れ、今日も遅いんだな」

 ちょうど部屋の扉を閉めようとノブに手を伸ばしかけていたアルカードが、女性にそう声をかける。それを聞いて女性がにっこりと笑い、

「まあ、今はいろいろ忙しいから。ところで、この子は新しい店子さん?」

「ああ、今日からバイトで入ることになったんだ。フィオレンティーナ・ピッコロ嬢だよ――仲良くしてあげてくれ」

 アルカードがフィオレンティーナを紹介し、それを聞いた女性が土間まで入ってくると握手を求めて手を伸ばしてきた。

「よろしくね、フィオレンティーナちゃん――アネラス・スカラーよ。この部屋とアルカードの部屋の間に入ってるの。今は出勤してないけど、わたしも従業員よ。アンって呼んで」

「フィオレンティーナです。よろしくお願いします」 伸ばされた手を反射的に握り返してから、フィオレンティーナはアンの顔をじっと見つめた。やや癖のある赤毛、口元には小さな黒子。日照量が少ない土地の出身なのだろう、肌は白い。

「今仕事が終わったの?」

「ああ、さっき終わったところだ――歓迎会みたいのをアレクサンドルがやろうとしてる。食事がまだなら君もどうだ」

「そうね、ご一緒するわ。かまわない?」 最後の問いかけは、フィオレンティーナに向けられたものだった――フィオレンティーナがうなずいてみせると、アンはうれしげに笑い、

「じゃあ、荷物だけ置いて着替えてくるわ。あとでもう一度ここに来ればいいかしら?」

「否、じかに店に行けばいい」 その言葉に、アンはひらりと身軽に踵を返して歩き去った。

「お嬢さんは――まあ修道衣でもそれでもたいして変わらないな。まあ任せる」 着替えを持っていないフィオレンティーナにそう告げて、アルカードはいったん部屋に戻ることにした様だった。

 それを見送ってから、自分の格好を見下ろす――借りた制服と、修道服。どちらも一般的な服装ではない。また部屋着でも調達しなければならないが、問題は今から調達する当てが無いことだった。それに下着の替えも無ければ石鹸などの必需品も無いので、それも調達しなければならない――腹立たしいが、こればかりはアルカードに相談するしかないだろう。財布は教会に置いてきてしまったから、今のフィオレンティーナは一文無しだ――なので、お金を借りるかなにかしなければいけない。

 とりあえずあとで話をしてみようと考えながら、フィオレンティーナはとりあえず部屋の中に足を踏み入れた。

 一階だからなのか、部屋の掃き出し窓にはシャッター状の鎧戸があるのだが、完全に閉まっているので部屋の中はかなり暗い――引き戸になった部屋の入り口脇のスイッチを手探りで探して照明をつけると、窓にはカーテンもなにも無い。掃き出し窓の脇に樹脂製のホルダーが固定され、そこにリモコンがセットされている。壁に取りつけられたエアコンの室内機と同じメーカーロゴが入っているところを見ると、エアコンのリモコンであるらしい。

 鎧戸を開けるべきか迷って、結局やめる――換気のために一度開けたいところだが、これから部屋を空けるのでまた今度にしたほうがいいだろう。

 『主の御言葉』の宿舎の半分くらいの広さのワンルームだが、各部屋備えつけなのかベッドがあって、マットレスの上にシーツを敷くだけで寝床は確保出来る――それだけはまあ助かるが。

 ただ、もともとそういう構造なのか、アルカードの部屋と違って二階建てではない。この家をもともと建てた人物が、彼の部屋だけは自分が使うつもりでそこだけ構造を変えたのかもしれない。

 嘆息して、フィオレンティーナはアルカードの部屋から持ってきたリネンと修道服をベッドの上に置いた。修道服で戻るのも変に思われるかもしれないので、そのままの格好で戻ることに決める――青を基調にしたベレー帽を修道服の上に置いて、フィオレンティーナは玄関のほうに向かって歩き出した。

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