Vampire Killers 4
†
アルカードが出て行ってから数分後、フィオレンティーナはベッドの上で身を起こした。
倦怠感は相変わらず続いていたが、先ほどまでの様には酷くない――今度は転げ落ちない様にベッドから足を下ろし、ベッドの縁に腰を下ろしたまま考えをめぐらせる。
ここはアルカードの部屋だ――それはわかった。住居に関して、彼が嘘を吐く理由など無い――それに、吸血鬼であろうと行動の拠点は必要だ。彼自身が言った様に、彼はこの街に腰を落ち着けている。
そしてこれもアルカードが言った様に、吸血鬼は別に棺桶の中で眠る必要は無い――だが彼らにも、世間の目を忍んで生き永らえるために拠点は必要になる。もっとも、その拠点が人里のど真ん中だとは思いもしなかったが。
吸血鬼は普通、人間の前にあまり姿を現さない――人間の血を吸うときも、普通は拉致してから血を吸って殺す。
小泉純一と一緒に殺された人々の遺体がそうだった様に、その場で殺害してしまうと痕跡が残るし、後始末も難しい。だから吸血鬼は、たいてい人里からそれなりに離れた場所に食事場としての拠点を作ることが多い――小泉純一がそうだった様に。小泉純一の上位個体は彼を襲った時点でよほど弱っていて被害者をどこかへ連れ去る余裕も無かったのか、それともそんなことには考えも及ばない愚か者だったのか、小泉純一を含む犠牲者の遺体を放置していた様だが。
もっとも、この部屋の中を見るに、甲冑と銃火器の収まったロッカー以外はごく普通の部屋だった血の臭いもしないし血痕も無い。吸血鬼の家には見えないが、おそらくここがアルカードが人間社会に溶け込んで生活していくための拠点なのだろう。
次いで、彼は頼まれて自分を助けたと言った――誰に?
カーミラはアルカードがライル・エルウッドを守っていると言った――その言葉を話の流れに沿って言葉通りに捉えるならば、アルカードが負傷したエルウッドをドラキュラの手先から守っているという意味になるのだろう。
だが、言うまでもなくアルカードとエルウッドは吸血鬼と聖堂騎士――不倶戴天の間柄である。まして、エルウッドの祖父は一九二九年にアルカードを一度殺した男なのだ。
カーミラはアルカードとエルウッドが馴れ合っているとも言った。
第一位の
胸中でつぶやいたとき、壁の向こうから話し声が聞こえてきて、フィオレンティーナは動きを止めた。
立ち上がろうとすると強烈な脱力感と眩暈に襲われたので、壁の近くまで床を這っていって耳を澄ますと、アルカードが苦笑気味の笑みを含んだ声でそう言うのが聞こえた。電話でもしているのか、話し相手の声は聞こえない。
一体誰と話しているのだろう――聴覚も酸素不足のせいで働きが鈍っているのか、聴き取りづらい。だが、金髪の吸血鬼の話す口調は親しげだった。言語はラテン語。相手は日本人ではない。
それに、この会話の内容は――
内容はある程度頭に入ってきた。だが理解出来ない。
いったいどうして、彼が電話の相手とこんな会話をするのだ?
やがてアルカードがなにかおかしなことでも言われたのか、乾いた笑い声をあげた。
「そりゃ全盛期の力を取り戻そうとすれば、吸血が一番手っ取り早いのかもしれないが――でもそれは嫌だ。それに、
え?
その言葉に疑問をいだくより早く、世界が暗転した。
‡
「
ごしゃっという厭な音とともに、銀色の刃の長剣が年老いた女性の頭蓋を薙いだ。ビシャリと音を立てて石造りの壁に血糊が飛び散り、頭部を破壊された女性の体が床に崩れ落ちる。砕けた頭蓋の砕片と脳漿が混じったおぞましい塊が壁にへばりつき、暗闇の中で異様に赤く輝く眼球が床の上に落下した。
頭蓋骨の上半分を削り取られ、女の体が床の上で細かく痙攣を繰り返している――幼い頃よく懐いていた侍女長の変わり果てた姿を見下ろして、彼は唇を噛んだ。
手にした白銀の長剣の、革を巻きつけた柄をすさまじい力で握り締めて前に出る――背の高い年老いた庭師が、剪定鋏を手に襲いかかってきている。
彼は庭師の繰り出してきた剪定鋏の刃を体を沈めて避けると、そのまま手にした長剣の鋒を庭師の腹へと突き出した。
ずぶりという手応えとともに、手にした長剣の鋒が庭師の腹を突き破って背中まで貫通する――それでもまだ生きているらしい庭師の脇腹に、彼は懐から引き抜いた短剣を突き立てた。
ぎりっと奥歯を噛み締める――後頭部に庭師の口蓋からあふれ出した血が顎の輪郭を伝って滴り落ち、首筋に生暖かい感触を残した。
「あ、あ、若、さま――」
庭師が自分を呼ぶ声が聞こえる。
「私を、殺すのです、か――」
その言葉に、彼は短剣を庭師の脇腹から引き抜いた――逆手で握っていた短剣を両手で握り直し、そのまま今度は先ほどとは逆の脇腹、先ほどよりも若干高い位置に突き立てる。疲労困憊の状態にあるにもかかわらず熟練の殺戮者の手管で持って繰り出されたその致命の一撃は、正確に肋骨の隙間から肺を貫通して心臓に達した。
それが致命傷になったのか、口の端から赤黒い血を滴らせながら庭師の体が崩れ落ちる。
はっ、はっ――
早鐘の様に激しく鼓動を打っている心臓を甲冑の上から手で押さえ、庭師の体に突き刺さったままの長剣を引き抜き――背後から聞こえた足音にぎょっとして、彼は背後を振り返った。ワラキア人には珍しい、炎と同じ色合いの輝く様な赤毛を肩のあたりで切り揃えた十代後半の少女がそこに立っている。
右手には見覚えのある短剣――刃毀れしてぼろぼろになった、血塗られた紅い短剣。左手には、まるで網袋に入った果物の様に髪の毛を掴んでぶら下げた人間の生首。まるでわずらわしい荷物の様に無造作に手にしたそれらが、少女の美しくはないが溌溂とした容貌を禍々しく彩っていた。
瞳が紅い――紅い。先ほど斃した侍女長や庭師と同じ様に、その瞳が暗闇の中で紅く輝いている。
剣の柄を握り締めた指が痛むのを自覚しながら、奥歯を噛む――震える唇が、にこりと笑う少女の名を紡ぎ出した。
「……ラルカ……」
ラルカと呼ばれた少女が、ゆっくりとこちらに向かって歩き出す。
身構えるべきだ――頭ではわかっていたが、体が動かない。すべきことはわかっているはずなのに、なにをすべきなのかわからない。
きっと、認めたくなかったのだ。こんなことがあるはずは無いと――彼女はきっと無事で、どこかに隠れて難を逃れているに違い無いと。
だが、理解を拒絶したところで現実は変わらない――ラルカはこちらに向かって歩いてきている。
母親の首を吊るしていた髪が少女の指の隙間からずるりと抜け落ち、躊躇うこと無く歩みを進める少女の爪先に蹴飛ばされていずこかへと転がっていった。
少女が彼の眼前で足を止める――喩え様も無い懐かしさとおぞましさを同時に感じながら、彼は目の前の少女の瞳に魅入られて動くことが出来なかった。
ラルカが――彼と話すときいつもそうしていた様に――はにかんだ様な微笑とともに上目遣いでこちらを見上げる。
小さな唇が動いて、体の一部であるかの様に肌に馴染んだ声で彼の名前を紡ぎ出した。
「ヴィー――」
次の瞬間、焼ける様な激痛とともに――帷子の隙間から刺し込まれた短剣の鋒が、彼の脇腹に柄元まで突き立てられていた。
ごぷ、という音とともに喉の奥からこみ上げてきたどろりとした熱いものが、唇の端からあふれ出す。そしてそれが自分の血だと自覚するよりも早く、彼は手にした長剣を振るって少女の首を一撃で刎ね飛ばしていた。
どん、という音とともに、ラルカの生首が床の上に転がった。壁際まで転がっていって壁にぶつかり、彼女の母親の生首の隣で止まる――切断された首から噴き出した血で全身を緋に染めながら、か細い体が床の上にどさりと崩れ落ちた。
断末魔の痙攣を繰り返しているラルカの体に覆いかぶさる様にしてその場にひざまずき、彼は嘔吐感を堪えて口元を抑えた。今喉元にこみ上げているのは血か? それとも吐瀉物か?
しばしの間その場に這いつくばって嘔吐感が収まるのを待ってから、彼は脇腹に突き刺さったままになっていた短剣の柄に手を伸ばした。彼の義理の祖父――養父の実父に当たる人物が遣っていた品物で、往時の激戦を物語るかの様に刃毀れがそのままになっている。それは切れ味が悪いというだけでなく、傷の状態が粗く出血が多くなり、痛みも激しくなるということでもある――今から自分がしようとしていることで襲ってくるであろう激痛に対する覚悟を決めるために一拍置いてから、彼は短剣の柄を掴んで一気に引き抜いた。
目の前に星が散った様な気がした――だがもちろん星など散るはずもない。彼は収縮した筋肉の隙間から無理矢理短剣を引き抜いて、床に投げ棄てた――金属が壁にぶつかって跳ね返る音を気にも留める余裕も無いまま激しく咳き込み、口蓋の中に溜まった血を壁に吐き棄てる。
彼は立ち上がることも出来ないまま床の上を這いずる様にして壁際に転がったラルカの首に近寄ると、震える指で少女の首に触れた。
小さな唇に親指が触れる――もはや物言わぬ亡骸と化した少女の頬をそっと手でなぞり、瞼を閉じさせてから、彼は壁に手を突き長剣を杖代わりにして立ち上がった。
おそらくは――
胸中でだけそうつぶやいて、彼は再び前に向き直った。
この先にいるはずだ。もしもゲオルゲの言うとおり、あの男がこの事態を引き起こしたのならば――
絶対に逃げられない――絶対に逃がさない。
殺してやる、殺してやる。
殺してやるぞ、ドラキュラ……!
‡
世界に色が戻ってきたのは、一瞬ののちだった――少なくともフィオレンティーナはそう思った。
おそるおそるお腹へと手を伸ばす――だが刺された場所には、傷跡などなにも残っていない。
あのあまりにも鮮明な激痛は、今はもう感じられない――夢だとは信じられないほどに明確に、傷口に異物が入り込む感覚は頭に残っていた。
い、今のは……!?
自分の体が床の上で横倒しになっているのに気づいて、フィオレンティーナは顔を上に向けた。ひどくぼやけた視界の向こうに、端正な顔立ちが見える――そこにいたってようやく、彼女は自分の体がアルカードによって抱き起こされているのに気づいた。
「おい、大丈夫か?」
「アル、カード……?」
途切れ途切れのその言葉に、アルカードが軽く眉をひそめる。こちらが朦朧としているのに気づいたのだろう、アルカードはフィオレンティーナの膝の裏側に腕を通して少女の体を横抱きにかかえ上げた。
そのままフィオレンティーナをベッドまで連れていき、彼女の体をベッドに横たえてシーツをかけ直す。
こちらが熱でも出しているのかと疑ったのだろう、アルカードはフィオレンティーナの額に掌を当ててから、熱は無いと判断して手を離した。
そしてそのあと、彼女の顔を覗き込むと、
「いいか、お嬢さん――とにかく今はおとなしくしててくれ。抗魔体質のせいで、治りが悪い――血液量が十分に戻ってないから、肺が十分に働いてないんだ。今は食塩水を注射しただけだから、血漿が足りないんだよ」
こちらが意識を失いかけ朦朧としているからだろうか、アルカードは子供に言い聞かせるときの噛んで含める様な口調でそう告げてから、指先でフィオレンティーナの前髪をそっと掻き上げた。
そのまましばらく、口を閉ざす――彼は荒い息を吐くフィオレンティーナをしばらく見下ろしていたが、彼女の呼吸が落ち着いてくると、軽く安堵の息を吐いてから踵を返した。
「おやすみ、お嬢さん」
その言葉とともに、部屋の電気を消したアルカードがドアを閉めて――あたりが静寂に包まれる。その暗闇の中で意識を浸蝕してくるまどろみにあらがいながら、フィオレンティーナは意識を取り戻したあとアルカードの顔を最初に見たときに思い浮かべた疑問の正体に思い当たっていた。
あのラルカという名の少女――彼女の瞳に映り込んでいた、彼女がヴィーと呼んだあの金色の髪の若者。おそらく吸血鬼ではないからだろう、瞳の色こそ違うが――彼はアルカードではないのか?
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