Vampire and Exorcist 15

 

   *

 

 三匹の仔犬たちが、人気の無い公園の砂場でじゃれまわっている――管理人部屋が砂で汚れるのでアルカードはそれにいい顔はしないが、それでも止めるつもりは無いらしく、砂場で転げ回っている仔犬たちをアスレチックの横木に座って眺めていた。

 手持ち無沙汰なのか、仔犬たちの綱をカウボーイみたいにひゅんひゅん回している。落ち着かないのか頻繁に脚を組み替えていた。

 普段彼が座っているのは砂場を挟んで反対に位置するベンチなのだが――彼に言わせると、晴れている晩は月が綺麗なのだそうだ――、今日は違っている。いつも座っているベンチに、ペンキ塗りたての張り紙がしてあったからだ。

 もっとも、すでに尻の跡がついていることからすると――そしておそらく、大きさから考えて男性が、すでにありがちな被害を受けている様だった。

 アルカードは仔犬たちが転げまわっている光景を見るのがよほど楽しいのか、緩みきった表情でその光景を眺めている――それだけを見ていれば、彼が十五世紀から五百五十年にわたって、到底万をくだらない数の吸血鬼を虐殺してきた最強の不死者殺しだなどとは誰も信じないだろう。

 ドラキュラは有史以来確認された、七人目の『真祖』だ――真祖はノスフェラトゥ、もしくはロイヤルクラシックと呼ばれる大元の吸血鬼で、吸血によって下位の吸血鬼を増やす能力を持つ。吸血鬼の中でもっとも高い能力水準を持ち、ある意味唯一の吸血鬼と呼べる存在だ。

 彼ら七人の真祖を含むすべての吸血鬼が、最大の脅威と看做すのが彼だった。

 『血塗られた十字架ブラッディークロス』アルカード。

 吸血鬼でありながら、同じ吸血鬼を虐殺する吸血鬼――過去五百年間にわたってドラキュラを追い続け、その道程で何万という吸血鬼を殺してきた同族殺しの殺戮者。

 そう、この男は――五世紀前の一四七六年のオスマン軍による暗殺をきっかけに歴史上確認された七人目の真祖となったドラキュラと実に五世紀の間敵対し続けるこの男は、およそ考えうる限り最強の不死者殺しだった。

 霊体を直接破壊する霊体武装塵灰滅の剣Asher Dustを持ち、ドラキュラの『剣』として注ぎ込まれた莫大な魔力をその身に秘め、昼間であろうとおかまい無しに行動する能力を持つ、不老不死の体を持つ吸血鬼。

 なにしろ、セイル・エルウッド――当時ヴァチカンでも最強と言われた不死者殺しであり第一位の聖堂騎士であり、また現在の聖堂騎士団第一位であるライル・エルウッドの祖父に当たる人物だが――とアルカードがカルカッタで刃を交えたときには、教会が持つ最強の聖遺物、千人長ロンギヌスの槍を以てしても彼を殺しきれなかったのだ。

 そんな男が――

 砂場の滑り台の降り口に腰を下ろして仔犬と遊んでいるなどと、誰が想像するだろうか。

 ピンク色のハートマークをいっぱい貼りつけた様な背景でじゃれついてきたテンプラ相手に頬ずりしているアルカードを見ながら、フィオレンティーナはとりあえず頭を抱えた。

 

   *

 

「聖堂騎士様!」 声をかけられたのは、六階の駐車場でエレベーターから降りたときだった――エスカレーターのほうに視線を向けると、ちょうど下階からの昇りのエスカレーターからシスター・マイが降りてきたところだった。

「ご無事ですか? お怪我は?」

「大丈夫です」 フィオレンティーナはそう返事をしてから、

「ごめんなさい、いきなり置いてきぼりにしちゃって」

「いえ、それはいいんですけど――」

 シスター・マイの返答に、フィオレンティーナはうなずいた。

「さっきの男、吸血鬼アルカードでした――本人が自分で名乗っただけですけど、おそらく間違い無いでしょう」

 というフィオレンティーナの言葉に、シスター・マイが愕然とした様子で瞠目する。

 まあ当たり前だろう、教会側は利用価値があるとして指名手配こそかけていないが、吸血鬼アルカードといえばヴァチカンにとって最大の仮想敵のひとりだ。

 今までに派遣された聖堂騎士が――セイル・エルウッドを除いて――片っ端からひとり残らず全員死なない程度に返り討ちに遭っているのだから、そうなるのも当然だろう。

 アルカードにその気があったのなら、自分だって返り討ちに遭っていてもおかしくはなかったはずだ――あれはそこらのポッと出の一般人が吸血鬼化した個体ではない。術理としての戦闘技術を習得し、それを吸血鬼の身体能力を以て行使する、本物の怪物だ。

 よく無事で――そう言わんばかりの表情でこちらを見ているシスター・マイに、フィオレンティーナは小さく笑った。

「帰りましょう。あの男が吸血鬼アルカードなら、今は戦うべきではありません」

 そう言って、フィオレンティーナは駐車場に出るために自動ドアに向かって歩き出した。

 

   *

 

 『血塗られた十字架ブラッディークロス』アルカード――その名がヴァチカンの裏の歴史にはじめて登場したのは十六世紀初頭、一五一一年のヴェネツィアで起きた吸血鬼の一大軍団と人間の闘争だった。

 数百年を生きた史上五人目の真祖――ドラキュラよりもさらに以前に生まれた真祖である吸血鬼・カーミラが数百人もの噛まれ者ダンパイアからなる吸血鬼の一大軍団を編成し、人間に対して戦を仕掛けたのだ。

 事前に情報を察知していたヴァチカンを含むいくつかの悪魔狩りの組織は、互いに連合してその対処に当たったが――数百年の時をかけて噛まれ者ダンパイアを量産し、それらすべてが『剣』に近い力を得るまでじっと雌伏してきた吸血鬼たちの前にどんどん押されていた。

 当時は今の様に対吸血鬼の戦闘技術のノウハウが完成していなかったこと、武装として使える聖遺物の使い方がほとんど解明しておらず技法として確立していなかったこと、人間側の組織としての相互連携がろくに取れていなかったこと、そもそも組織として未熟すぎたことなどから、ただでさえ不利な状況の天秤はどんどん人間側の敗北へと傾きつつあった。

 その戦況を根底から覆したのが――たったひとりで『剣』に匹敵する力を持つ噛まれ者ダンパイア数百人を鏖殺した吸血鬼アルカードだった。

 当時のまだ組織として成熟しきっていなかったヴァチカンの軍団が壊滅する寸前に戦況に躍り込んできたその吸血鬼は――雲霞のごとき数の噛まれ者ダンパイアをものの十五分で虐殺し尽くしたのだという。

 そして人間たちが突破することの敵わなかった布陣を易々と突破し、万をくだらない数の人間を吸ってきたカーミラの首を一撃の下に斬り落としたといわれている。

 それでもまだ生きているカーミラの頭をノートルダム大聖堂の十字架に叩きつけ、粉々に粉砕してとどめを刺したあと、アルカードは自分に襲い掛かってきた人間の魔殺したちを死なない程度に返り討ちにし、わざわざ彼らに対して自分の名前を教えてから立ち去ったという。

 彼がなにを意図して自分の名前を広めていったのかは、フィオレンティーナにはわからない――数百年の時を経てなお、その素性は杳として知れない。ただそのときから、アルカードはすべての魔と魔殺したちの間でこう呼ばれる様になった。

 『血塗られた十字架ブラッディークロス』と――

 吸血鬼たちにとっては同胞を殺した裏切り者として、人間たちにとっては素性も知れず目的も知れぬ得体の知れない存在として。

 だが、数百年の間にわかったことがある。

 吸血鬼アルカードはもともと、ドラキュラの『剣』だったのだ。

 『剣』とは真祖の吸血鬼が自分の身を守るために造った、強大な力を与えた個体のことを指す――強靭な肉体と精神、そして吸血鬼に対する強烈な、信仰心にも近い忠誠を抱く吸血鬼信奉者をベースに造られた最上級の噛まれ者ダンパイアである彼らは通常の『量産品の』噛まれ者ダンパイアよりもはるかに強い力を持ち、直射日光の下でも塵になること無く行動出来る。

 だが『剣』となるには強靭な肉体と精神、なによりもロイヤルクラシックに対して奉じられる絶対的な忠誠心が求められる――注ぎ込まれた吸血鬼の力を完全に受け入れて『剣』となるためには、それが不可欠だ。恐怖や拒絶とともに注ぎ込まれた魔は、決して人間に完全に溶け合うことは無い。

 吸血鬼信奉者としての出自を持ち『剣』として造られたはずのアルカードがどうして離反し、ドラキュラに敵対しているのかはわからない――その理由は本人の胸の内にのみあるのだろう。

 だが――


 シーツを跳ね除けてベッドから足を下ろし、フィオレンティーナはひんやりとしたフローリングの床に爪先をつけた。アルカードがフィオレンティーナのために用意した、アパートの一室だ――もともとの持ち主から店の経営者でもある老夫婦が譲り受けた物件らしいのだが、この街に国際大学が出来て以降外国人の入居が増え、大家の本業である洋食店で働く者も出てきたので、アルバイトの寮としての側面も兼ねている。

 アルカードは老夫婦の店のウェイターの仕事だけでなくこのアパートの管理人の業務もこなしており、金銭の扱いも任されている――本人が言うには『電話番と電球替えだけが仕事』だそうだが。

 もっとも、従業員の大半が学生だということもあって平日の人手は多くない。そのため、正規の従業員であるアルカードにかかる比重がもっとも重くなる。

 視線を転じると、ハンガーにかけた制服が視界に入ってきた。

 働かざる者食うべからずとか言いながらものすごくうれしそうな様子でフィオレンティーナにウェイトレスの制服を――あからさまに彼女が困惑しているのを面白がっている笑顔で――押しつけたアルカードの顔を思い出し、フィオレンティーナは顔を顰めた。

 部屋を出て、キッチンのところに設置してある冷蔵庫に歩み寄る――家電量販店の型落ち品を買ったものだ。古い型だがちゃんと冷凍庫もついているし、選り好みをしなければ十分使える品物だ。

 冷蔵庫の扉を開けて、中から近所のコンビニで買ってきたスポーツ飲料のペットボトルを取り出す――移り住んで間も無いので、食器の類はあまり無い。それでも最低限のものはということで買ってきた硝子製のコップに白っぽい液体を注ぎ、口をつけようとしたところで、

「――ッ!」 突然感じた吐き気にも似た感覚に、その場に膝を突いて小さくうめいた。取り落としたコップが、パリンと音を立てて割れる。中身の液体が、びしゃっと音を立てて床に撒き散らされた。

 喉の奥からこみ上げてきた厭な感覚に、口元を押さえて思わず咳き込む。涙で視界が滲むのを感じながら、フィオレンティーナは必死でその感覚にあらがった。

 奥歯を噛み締めて、掌に爪が喰い込むかと思う様な力で拳を握り締める――駄目だ、この感覚にだけは負けてはならない。

 ココハ餌場ダ――隣ノ部屋ニ入ッテミロ。美味ソウナ女性ガヒトリ眠ッテ――

 黙れ……ッ! 耳鳴りにも似たささやき声にぎりぎりと奥歯を噛んで、フィオレンティーナはその衝動を拒絶した。

 ナニヲ耐エルコトガアル? ナゼ堪エル? オマエハモウスグ人間ナドデハナクナルトイウノニ――

 黙れ、黙れ、黙れ――わたしは人間だ、おまえたちの様な化け物の仲間入りなんかしない!

 頭の中に直接響く声に怒鳴り返そうとし――しかし割れる様な頭痛に声は出なかった。

 首筋に手を伸ばして、治りかけの瘡蓋の様に疼くふたつの牙の痕を掻き毟る――がりがりと傷跡を引っ掻くと、吸血痕の周りの皮膚が剥がれて血が流れ出した。

 指先が血で濡れ、錆びた鉄の臭いが鼻腔に漂ってくる――それがまるで極上の葡萄酒の芳香の様に馨しく感じられて、フィオレンティーナは唇を噛んだ。指先を濡らす紅い血が、まるで蜂蜜の様に見える。

 今すぐに喉の渇きを癒したい――紅い紅い血をこの舌で味わいたい、喉を潤したい、熱い熱い液体が食道を下っていく感覚を愉しみたい。

 息を荒らげながら、フィオレンティーナはその場で動かなかった――ひどく胸をムカつかせるその感覚が、やがて潮が引く様に治まっていく。

 それでようやく安堵の息をついて、フィオレンティーナは視線を転じた。壁越しにアルカードの部屋のほうに視線を向け、

「どうして……?」 答えが返らないとはわかっていたが、フィオレンティーナはそれでも問いを口に出した。

「どうして貴方は耐えられるんですか? この衝動に――どうやって耐えてきたんですか? 五百年以上も――」

 自分が今にも泣き出しそうになっていることを自覚しながら、フィオレンティーナは手早く砕け散ったコップの破片を片づけて、寝室に取って返した。

 ベッドにもぐりこんで、手足を縮めて体を丸め、シーツを頭からかぶって――フィオレンティーナは無理矢理に眠ろうとしてきつく目を閉じた。

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