Vampire and Exorcist 11

 

   *

 

 アルカードがやってきた、というか帰ってきたのは、店の近くにあるアパートだった――近く、というかまあ裏手にあって、敷地自体は隣接している。

 それなりに年季が入ってはいるものの、外観が真新しいのは外装のリフォームを終えたばかりだからだ。実を言えば彼女がこのアパートにあるアルカードの部屋に連れ込まれたのは、その改装の真っ最中だった。

 アルカードが近づいていった部屋には、『管理人室/平日不在の場合は下記の番号にご連絡ください。090―2××7-2××5』と六ヶ国語で書かれた樹脂製のプレートがかけられている。扉の向こうがにわかににぎやかになり、それに気づいたアルカードの気配が目に見えて柔らかくなるのがわかった。

 アルカードが着古したジャケットのポケットに手を入れて、キーケース入りの鍵を取り出す――イスラエルのマルチロック社製の、防犯用の特殊な鍵だ。このアパートは防犯に金をかけているので、錠前も結構いいものを使っているのだ。

 アルカードが扉を開けると、中からみっつの小さな影が飛び出してきた。アルカードがかがみこむと、その小さな生き物たちはいっせいに彼の足元に駆け寄ってきた。

 飛び出してきたのは三匹の仔犬だった。小さな柴犬が三匹、短い尻尾をちぎれんばかりに振りながら彼の足元にじゃれついている。

 一匹は黒っぽい毛色で、一匹は茶色、もう一匹は体毛が白い。確か名前は順番にソバ、ウドン、テンプラだったか。

 果てしなくセンスの無い名前ではある――要するに、彼は自分の好きな食べ物の名前をつけたのだろう。まあ、本人が満足しているのなら口を出すべきではないのだろうが。

「おお、よしよし。いい子にしてたか?」

 アルカードは仔犬たちの頭を順に撫で、耳の後ろをくすぐってやると、足元にまとわりつく仔犬たちに歩きにくそうにしながら一度玄関に入った――すぐに糞を入れるための靴箱の上に置いてあった新聞の広告数枚と、ビニール袋と子供が砂遊びに使う様な樹脂製のスコップと尿を流すための水の入ったペットボトル、それに三本の犬用の綱を持って戻ってくる。

 首輪は着けられているのだが首が締まるから首輪に綱をつけるのは好きではないらしく、代わりにハーネスを着けて綱をつないでいる。

 どうやらそのまま散歩に出るつもりでいるらしい――この吸血鬼の最近の新しい習慣だ。数日前に自分のところで引き取った仔犬たちを連れて、この吸血鬼は早朝、仕事の昼休み中、仕事のあとの三回散歩に出かける。アルカードは元通りに部屋の鍵をかけてから、フィオレンティーナのほうを振り返った。

「じゃあ、俺はこのままこいつら連れて散歩に出てくるから。おやすみ」

 あまりにも違和感を覚えさせないごく普通の口調でそう言うと、彼は三匹の仔犬たちを連れて歩き出した。

 そのあまりの自然さに思わず追うのを忘れてから――フィオレンティーナはあわててあとを追った。

 

   *

 

 聖堂騎士ライル・エルウッドの見舞いは滞り無く終わった――まあ、別段なにかあったわけでもない。せいぜいが事故ったことに対してまったく懲りていないらしいライル・エルウッドに、シスター・マイの強烈なお説教があった程度だ。

 身長百八十七センチのエルウッドが頭ひとつぶんも違うシスター・マイに叱られて仔猫の様に小さくなっている様は、まあ見ていて面白くはあったが――まあいつまでも怒りが持続するものではないのか、シスター・マイのテンションは徐々に低下し、やがて矛先を収めた。

 そして今は、隣町の大型のスーパーマーケットで衣料品売り場を回っている。

 フィオレンティーナが買い物に来たがったのは、要するに衣料品が不足したからだった――荷物を減らすために衣料品は最低限しか持ってこなかったし、日本の都会であれば必要なものは現地でだいたい調達出来るという目算もあってのことだった。

 数日分の下着と、ついでに部屋着にするための洋服も何着か買い込んで、シスター・マイの案内で薬局にも寄ったあと、彼女は当面の懸案事項が解決したことに安堵の息を吐いた――使った費用五万五千円が高いのか安いのかは、為替市場に詳しくないフィオレンティーナにはよくわからなかったが。

「聖堂騎士様、買い物はお済みですか?」 シスター・マイの言葉にフィオレンティーナはうなずいた。

 聖堂騎士団の存在を知るカトリック教徒はごく小数だが、その存在を知る教徒はたいてい聖堂騎士を腫れ物に触れる様に扱うことが多い。

 正直、教会の子供たちの様になんの気兼ねも無く接してくれたほうが彼女としては落ち着くのだが――まあ、聖堂騎士は異端審問官も兼ねているから、下手に機嫌を損ねるのを恐れる者も多い。それは仕方が無いのだろう。

 胸中でつぶやいたところで、フィオレンティーナはついでに子供たちにお菓子でも買ってやろうかと思いついて歩き出しかけ――襲ってきたすさまじい悪寒に、その場で立ちすくんだ。

 シスター・マイは気づいていないのか、こちらの反応をいぶかしげに見つめている。

「聖堂騎士様?」

 返事はしなかった――そんな余裕が無いというよりも、耳に入っていなかった。呼びかけられているのに気づいたのは、実に一秒以上もたってからだった。

 足が棒の様になっている――認めたくはなかったが、恐怖ですくみあがっているというのが正直なところだった。

 ――いた。

 幅十メートルほどの吹き抜けの向こう側、女性用のランジェリーショップの真向かいにあるスポーツ用品店から出てきた、金髪を背中まで伸ばして季節はずれの黒い革のジャケットを着た、長身の若い男。

 遠目にではあったものの、視力の優れたフィオレンティーナは即座に識別出来た。野性的な整った面差し、獅子の鬣を思わせる金色に燃える髪。

 シスター・マイはなんの訓練も受けていない普通の人間だから、徹底的に抑えていてもなお感じ取れるこの強烈な堕性に気づかないのだろう――だがフィオレンティーナには即座に識別出来た。あれは間違い無く――

 どうしてあんな化け物が昼間の屋外に――そうか、曇天だ。

 下位の吸血鬼であれば太陽の光を浴びた瞬間に代謝機能が暴走し、全身が塵となって消滅してしまう――なんらかの遮光物、たとえば自動車の比較的薄いスモークグラスなどで減衰された光でも、浴びると苦痛を伴うのだ。

 薄いカーテンや磨り硝子など、さほど減衰されていない太陽光の場合、素肌に太陽光が当たると浴びた個所が火脹れの様な状態になって治癒しなくなる――まして普通の透明の硝子であればほとんど減衰されない。すなわち、吸血鬼にとって採光部の多いこのショッピングモールに出向くなど自殺行為だ。

 だが建物の南側に設けられた硝子張りの採光部の向こうに覗く空はどんよりと曇っていて、直射日光は届かない――雨雲の様な完全に空を覆い隠す曇天であれば、吸血鬼は昼間でも屋外で行動出来る。

「どうなさいました?」 いぶかしげなシスター・マイに、フィオレンティーナは左手を翳した。

「あの金髪の男――」

 絞り出す様なフィオレンティーナの返事に、シスター・マイがそちらに視線を向ける。

「あら、素敵な男性ですね」

「じゃ、なくて――あの男、人間じゃありません」 呑気な返答に鋭くそう返事をしてから、フィオレンティーナは周囲に視線を走らせた。

 金髪の男はこちらに気づいた様子も無く、気楽な歩調で歩いていく。

 気のせいだろうか――先ほど感じたあの肌にまとわりつく様なおぞましい気配は、すでに消え去っている。

 否――あれが人間でないことだけは間違い無い。

 シスター・マイは気づかなかった様だが、あの男の双眸は血の様に紅かった――カラーコンタクトや人種的な特徴として発現するものではない。

 明らかに人間のそれとはまったく異なる、人ならざる者だけが持つ紅い紅い魔人の

 どうする――首筋を冷たい汗が伝う。

 男の体から漏れる魔力は、抑えていても十分な力を感じさせる――殺意や害意に類する気配を感じさせなかったために気づかなかったが、この距離に近づくまでずっと気づかなかったのが不思議なくらいだ。

 それにあの、訓練された歩き方。

 あれは相当手ごわい――それも、並大抵の相手ではない。

 吸血鬼には二種類いて、一方は普通の人間が吸血鬼化した個体だ――ただ単にそこらの被害者が吸血鬼化した個体が多く、訓練を受けていたわけでもなく生身の状態でも身体能力が高いわけでもないので、さほどの脅威ではない。

 もう一方は格闘家や軍人、警官など、戦闘を主眼に置いた訓練や修練を積んだ人間が吸血鬼化した個体だ。吸血鬼化する際にはもともとの地力が優れている者ほど高い能力を得る傾向にあり、このため一般人の吸血鬼とは特に身体能力的に大きな開きが出る。さらに、その高い身体能力を積み重ねた訓練と経験に基づいて使うのだ――このため、こういった個体は単体であっても非常に手ごわい。

 あの金髪の男は、後者だ――男の気配はまったく攻撃的なものを感じさせない半面、その身のこなしはまるで豹の様に隙が無い。明らかに訓練を受けた動きだ。

 単独で挑むのは無謀に過ぎる――そもそも聖堂騎士団の吸血鬼掃討は、通常二名一組ツーマンセルで行うことを義務付けられている。

 騎士ライル・エルウッドは単独でも十分に強力な魔殺しだが、それでもやはり手数が足りないということか、本部に増援を要請してフィオレンティーナが送り込まれたのだ。

 だが、フィオレンティーナが単身で吸血鬼に挑むことなど、本来彼女も本部も想定していない――ましてやライル・エルウッドは病院から動けない。

 ――

 救いは自分が魔力を抑えていたために、向こうが気づいていないことだけか――吸血鬼というのは、あまり周りに注意を払わない個体が多い。

 下位の吸血鬼であればただ単に一般人が変化した個体であるために訓練もなにも受けていないためで、高位の吸血鬼であれば自分自身が十分に高い戦闘能力を持っているからだ。

 だからあからさまに聖性を帯びた魔力を放っていなかったフィオレンティーナには、注意を向けなかったのだろう。

 どうする――せめてあとから所在を突き止めるための特徴くらい把握しておくべきか。

 フィオレンティーナはシスター・マイのほうを振り返って手にした荷物を押しつけると、

「ごめんなさい、これお願いします――あとから電話します」 そう告げて、足早に歩き始めた。

 金髪の男は上の階へ向かうつもりか、エスカレーターのほうに向かっている――エスカレーターは吹き抜けの向こう側に設置されていて、その手前に吹き抜けを渡ってこちらと向こう側を結ぶ橋がある。それを渡れば、十分追いつける――接近しすぎるのもまずいが、見失うわけにもいかない。

 フィオレンティーナがエスカレーターに乗ったのは、ちょうど彼がエスカレーターから降りて、そのままもうひとつ上の階に行くつもりなのか折り返しのエスカレーターに乗ったあたりだった。

 エスカレーターから降りて、そのまま折り返して昇りのエスカレーターに乗る――彼女がエスカレーターから降りると、金髪の男は家電品売り場をぶらぶらとうろついているところだった。

 

   †

 

 スポーツ用品店で『アンダーアーマー』のTシャツを数枚買い足したところで、アルカードはグレーのビニール袋を手に歩き出した。この店は品揃えはいいのだが、その向かいが女性用下着売り場というのはどうかと思う――婦人服売り場とか、クッションを置くべきだ。そちらは見ない様にしながら、彼はエスカレーターに向かって歩き出した。

 さて、あとはなにか買い物はあったか? コールオブデューティの新作は年末だし、今のところPC版のゲームソフトで買うものは無いはずだ。

 CDも今のところ、ほしいものは無い――そこで勤務先で使うパソコンを新調するためという当初の目的を思い出して、アルカードは昇りのエスカレーターに乗った。

 ああそうだ、アパートの廊下の蛍光燈の電球も切れかけていたから、買い足していこう。もう一本しか在庫が無いから、まとめて買っていくのがいいだろう。

 忘れていたことを思い出したのでそれで満足し、アルカードはエスカレーターを一度折り返し、四階に昇ったところで歩き始めた。

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