Vampire and Exorcist 10

 

   †

 

 実に平和そうな表情で生垣にホースで水を撒いているヤナギダを肩越しに振り返り、フィオレンティーナは小さくくすりと笑ってから宿舎のほうへと歩き出した。そろそろこの教会の生活にも慣れてきて、子供たちが毎朝学校へ出かけていく風景を見送る余裕も出てきている――もうすぐ連休だとかで、子供たちは妙に浮き足立っていた。

 まあ、わたしも子供のころは、日曜日が楽しみで仕様が無かったですからね――胸中でつぶやいて宿舎の扉を開けたとき、ちょうどシスター・マイがスープラのキーを指先でくるくると回しながら姿を見せたところだった。

 私用での外出だからか私服姿で、ボーダーがらの長袖のTシャツにジーンズを穿いている。背が高く均整の取れた姿態が実にすらっとして見えて、正直ちょっとうらやましい。

 宿舎の玄関の靴箱から自分の外履きを取り出そうとしていたシスター・マイはフィオレンティーナに気づいて小さく微笑むと、

「あら、聖堂騎士様。お出かけだったんですか?」

「いえ――シスター・マイが出かけられると聞いたものですから。まとまった買い物の出来る街まで、乗せていっていただけないかと思いまして」

 その言葉に、シスター・マイは微笑んでうなずいてみせた。

「わかりました。わたしは騎士エルウッドのお見舞いに行くのですけれど、病院の近くに大型のスーパーがありますから、そこにご一緒しましょう――聖堂騎士様はまだ、おひとりで買い物が出来るほどには慣れていらっしゃらないでしょう?」

 ありがたい提案だったので、フィオレンティーナはうなずいた――ライル・エルウッドの見舞いにも同行しようと決める。エルウッドの回復の度合いを把握していないと、これからの行動の指針も立てにくい――それに、先日の廃工場にいたと思しき魔力の主についても相談しなければならない。あれはフィオレンティーナが単独で対処出来る様な相手ではない。

「――あの、聖堂騎士様?」

 シスター・マイの呼び声に、フィオレンティーナは我に返った――思ったよりも長い時間、思考の渦に没頭していたらしい。シスター・マイはとっくに靴を履き替えて、玄関を出たところで振り返って不思議そうな顔でこちらを見つめている。

「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてました」

 その言葉にシスター・マイはくすりと笑い、

「いえ、お気になさらず。わたしはこれからすぐ出かけますけれど、よろしいですか?」

「はい」 フィオレンティーナはうなずくと修道衣の裾を翻し、シスター・マイと並んで歩き出した。

 

   †

 

 ヴァチカンでも数少ない悪魔祓い師兼異端審問官、通称聖堂騎士――聖堂騎士団の末席に名を連ねるフィオレンティーナ・ピッコロが、ヴァチカンの正式のものとはかなり異なるデザインの修道衣を翻して歩き出す。

 特に用事があるわけでもないのに修道衣のままなのは、どうやら荷物の量を抑えるために衣料品を絞った結果らしい。下着の替えは持ってきている様だが、私服と言えるものは持っていない様だった。

 買い物に出たいというのは、つまり衣料品を買いに行くのだろう――騎士ライル・エルウッドもそうだが聖堂騎士はかなり高額の俸給が支払われているので、多少の出費は問題にならないらしい。

 彼女の身に纏った修道衣は聖堂騎士団の団員専用に用意された特殊なもので、対闇の眷属ミディアン戦用の戦闘服を兼ねている。特殊な素材と製法、強力な魔術強化によって鋼鉄並みの強度と高い衝撃吸収能力を誇るのだという――触ってみた感じでは、絹の様な滑らかな手触りをした生地で出来ている。エルウッドも似た様な法衣を身に着けていたことを、舞はなんとなく思い出した。

 まあ、その聖堂騎士エルウッドは今現在、バイクでツーリング中に事故って足を骨折して入院しているから、その法衣も病院に置きっぱなしになっているのだが。

 そんなことを考えながら、歩き出す――隣を歩くフィオレンティーナはさほど背は高くないので、歩調を合わせるのに若干歩幅を狭めなければならなかった。

「ところで、シスター・マイ」 フィオレンティーナの呼びかけに、舞は彼女に視線を向けた。

「騎士エルウッドはどうして事故を起こしたんですか?」

 舞はその言葉に少し口ごもった――エルウッドは友人数人と一緒にオートバイで浜名湖に遊びに行って、その帰り道で路面に放置されていた段ボールを踏んで、車体がバランスを崩して転倒し骨折したのだ。

 どう説明したものか悩んでいると、見かねたのかフィオレンティーナは質問を止めた様だった。

「わかりました。直接聞いてみます」

「いえ、たいしたことではないんです。バイク仲間と遊びに行って、その最中に転んだだけですから」

 その言葉に、おそらくエルウッドを直接知っているのであろうフィオレンティーナは軽く息を吐いた――まあ、エルウッドは彼女と同じ聖堂騎士団の一員なので、知っているのが当然か。

「彼らしいです」

「やはり、騎士エルウッドはヴァチカンにいたときからそんな調子なんですか?」

 舞の質問に、フィオレンティーナがうなずいてみせる。

「はい。わたしはヴァチカンの聖堂騎士団の本部で一時期彼と一緒でしたが、ずっとそんな感じでしたから」

 その言葉に溜め息をついたとき、駐車場に通じる生垣の切れ目からスープラの鼻先が見えたので、舞はキーレスエントリーのボタンを押し込んだ。

 ウィンカーが点滅し、ドアロックのはずれる音が聞こえてきた。

 

   †

 

 ライル・エルウッドが入院しているのは、教会がある街に隣接する市街地にある大きな総合病院だった。入院病棟の三階の端に与えられた個室で、彼は脚を折って入院している。

 その個室で今現在、誰と誰がどの様な会話を交わしているかを知れば、教皇庁の連中は腰を抜かすに違い無い――聖堂騎士団上層部にとっては普通のことだったが、教皇庁上層部でそれを知っている者は実はあまりいない。

 きききき、という不気味な笑い声とともに、エルウッドの操るキャラクターが繰り出した黒い霧の様なものが対戦相手のキャラクターを飲み込む――対戦相手、今の自分と似た様な目つきに違い無い死んだ魚の様なうつろな眼差しでコントローラーを握っている見た目十七歳の金髪の若者は、小さく舌打ちを漏らして自分のキャラクターの体勢を立て直した。

 ゼロ、トロワ、セット、ヌフと掛け声をかけながら、彼の操るキャラクターが次々と長剣を投げ放つ。エルウッドは素早くコントローラーを操作してジャンプダッシュでそれを躱すと、彼のキャラクター――修道衣を身に纏った少女の足元に自分のキャラクターを着地させ、弱攻撃ボタンから順に連打した。

 爪とマントの連続攻撃に晒されて、彼の操るキャラクターが後退ノックバックする。

 まだゲージは溜まっていない――しゃがみ強攻撃で弾き飛ばされた彼のキャラクターに、エルウッドの繰り出した立ち強攻撃によるマントのコンボが炸裂し、長い悲鳴とともに彼のキャラクターは動かなくなった。

「あ――くそ、また負けたか!」 彼は毒づいて左側のアナログスティックと方向キーの位置が入れ替わったタイプの社外品のプレイステーション2用コントローラーをベッドのシーツの上に放り出すと、がりがりと頭を掻いた。首元に下げられた年代物の銀十字架が、その動きに合わせて軽く揺れる。

「ふふん、まだ甘いな」

 自慢げに笑うエルウッドから視線をはずし、彼は真面目な顔に戻って溜め息をついた。

「ところで、脚の具合はどうだ?」

「ああ、まだ二分ってところだな。もうしばらくは聖務にも復帰出来ない」 いまだギプスの取れない自分の脚とベッドの脇の壁に立てかけた松葉杖を見比べながら、エルウッドがそう答えてくる。

 そう返事をして、彼は背凭れの無い椅子に座ったまま軽く伸びをした。

「まあ仕方が無いがな――こけたところを一般人に見られたから、自然治癒に任せるしかないし」 そうぼやいてから、エルウッドがこちらに流し眼をくれた。

「あんたのほうこそどうなんだ?」

「今のところ手がかりはなにも無し、だな――おそらく、まだ日本国外に出てはいないと思うが」

 彼はそう返事をしてからちょっと考えて、

「二、三日前の夜にアキバ系の噛まれ者ダンパイアを一匹殺ったが、なにも知らなかったよ」 彼はそう答えて、ベッドのサイドテーブルに載せていたアクエリアスを取り上げた。飲みかけのペットボトルの蓋を開けながら、

「上位個体は?」

「この前狩りに出たときに、一般人の邪魔が入って取り逃がした奴だろう――秋葉原方面に逃げていったからな。姿を隠したあとで獲物を新しい塒に攫う余裕も無く、その場で喰い散らかした被害者のうちの一体だったらしい。上位個体はその翌日に始末したが、死体が発見されたのはそこからさらに二日後だ――本人が言うには、蘇生したのは俺が上位個体を始末したさらにその翌日。つまり、秋葉原のビルの隙間の路地で露出プレイに興じようとしてた変態カップルが十六人の死体を発見した前日だな」

「……主持たずヴァンパイヤントか」

「ああ――そいつ以外にも何人か噛み痕が残った死体はあったが、そっちは発見されたときには全部傷んでたそうだ。噛み痕が消えた死体もあったから、喰屍鬼グールになる遺体も何体かあった様だが。まあとにかく、生き返ったのはそいつだけだ――ほかは全員すでに火葬されてる」

 彼はそう言ってから、わずかに顔を顰めた――小泉純一の上位個体の逃走方向と時期を考えると、十六人の犠牲者がその吸血鬼の犠牲者であることは間違い無い。吸血鬼化して凶行を重ねた小泉純一もそうだが、一般人の邪魔が入ったために吸血鬼を取り逃がした、その結果として十七人、そして小泉純一の犠牲者として数十人もの巻き添えが出たのだ。

 そう考えると、つくづくエルウッドが動けない状態なのは痛い――やはり追跡の手がひとりとふたりではまるで違う。実を言うと骨折程度ならすぐに治るのだが、一緒に出かけた彼の素性を知らないツーリング仲間に骨折したところを目撃されているので、一週間も経たないうちから平気で出歩いているところを見られるわけにもいかないのだ。

 彼は卑猥な落書きをされた――大部分は彼の仕業だが――エルウッドのギプスに視線を向けて、

「まあ、あれは神田セバから回ってきたいつものゴミ掃除でしかないからな。まだろくすっぽまともな下っ端ダンパイアを作れない様な雑魚だったが――逆に言えばその程度の雑魚が出てくるほど、吸血鬼の数が多いってことだ――それにまあ、始末しといて害にはならないさ。ただ、出来たらもうひとり手がほしいな――敵の退路を限定するために、やはり二名一組ツーマンセルのほうがいい」

 吸血鬼は鼠算の様に、弱い吸血鬼になるほど数が多くなる。

 その中でも最底辺の吸血鬼は人間の血を吸っても、被害者の適性にかかわらずに吸血鬼にも喰屍鬼グールにも変えられないことも多い――そういった吸血鬼が力をつけていくには、とにかく手当たり次第に人間の血を吸っていくしかない。上位個体のいる吸血鬼の場合はいくら吸血を行っても――それによって奪い取った魔力の大部分を、上位個体に奪い取られているために――自己強化のペースは非常に遅い。だが、それでも少しずつではあるが力をつけていく。

 吸血鬼としての能力が増大するにつれて犠牲者が喰屍鬼グールになり、そのうち徐々に犠牲者の中から噛まれ者ダンパイアが出始め、やがて犠牲者が喰屍鬼グールとして蘇生することは無くなり、噛まれ者ダンパイアを増やせる様になっていくのだ。

 そして吸血鬼が下位個体として喰屍鬼グールではなく噛まれ者ダンパイアを作れる様になると、自己強化のペースは若干ではあるが速くなる――とはいえ、小泉純一がやっていた様に下位個体を一ヶ所に集めておくよりも、適当に野放しにしたほうが効率はいい。集めた犠牲者の血を全部自分で吸うのはいいのだが、増やした下位個体はそこらじゅうに散らして好き勝手に血を吸わせたほうが、自分の吸血とは別に下位個体から上前を撥ねる魔力でそのぶん効率は上がる――もっとも上位個体のいる吸血鬼の場合、そうやって集めた魔力も大部分は上位個体に巻き上げられてしまうのだが。

 ただ、主持たずヴァンパイヤントと呼ばれる個体の場合はもう少しペースは速くなる――主持たずヴァンパイヤントというのは噛まれ者ダンパイアではあるものの、上位個体を持たない吸血鬼だ。

 そうなる原因はいくつかあるが、小泉純一の場合は蘇生する前に上位個体が殺害されたためにそうなった――主持たずヴァンパイヤントは吸血によって得た魔力を上位個体に奪われないために、通常の噛まれ者ダンパイアに比べて自己強化のペースが格段に速くなる。

 小泉純一の場合もそうだ――実際上位個体があれほど弱った状態で苦しまぎれに襲った相手が蘇生するのも珍しいが、そこまで弱った吸血鬼の被害者がものの数日で、確率は高くないものの噛まれ者ダンパイアを増やせるまでに力をつけることは珍しい。

 小泉純一の様に、被害者の血を吸ってもろくに下位個体を作れない程度の力しか持たない個体も多い。だが逆に、その程度の雑魚がどんどん増えていることこそが問題だった。

「気に喰わないな」

「ああ、気に喰わない――いつ俺たちの身の回りの人間が、そういった雑魚どもの牙にかかるかわからないからな」 アクエリアスの残りを一息に飲み干すと、彼はペットボトルの蓋を元通りに閉めて壁際のゴミ箱に向かって放り投げた。

 言葉を続けようと口を開きかけたとき携帯電話が鳴ったので、彼はウェストポーチから電話を取り出した。側面のボタンを押して黙らせ、ポーチに戻す。

「出なくていいのか?」

「メールだよ」 彼はそう答えてから、持ち込んだ空き缶を手にとって立ち上がった。

「帰るのか?」

 エルウッドが声をかけると、彼は肩越しに振り向いて、

「ああ、帰る――おまえが元気にやってるのはわかったし、あまり長居すると教会の連中と出くわさないとも限らない。それに、俺と仲良く格闘ゲームをやってたなんぞと教会の連中に知られたら、おまえにとっても都合が悪いだろう、ライル――敵じゃないことはわかってるだろうが、それでも一から十まで詳しく教えてるわけでもないしな」

 ベッドの支柱に引っ掛けていた革製のジャケットを肩に引っ掛けながら、そう答える。病室の扉を開けたところで、エルウッドが声をかけてきた。

「今度はなにか見舞いでも持ってきてくれよ」

「見舞いならある」 彼はそう答えて、ポケットから取り出したキーをエルウッドに向かって肩越しに放り投げた。

「おまえのムルディストラーダの修理が終わった。俺は池上さんに頼まれて、それをここに届けに来たんだ。俺のアパートの駐輪場に、カバーをかけて停めてある。退院したら回収しに来い」

「わかった。ありがとう」 エルウッドがうなずくのを気配で感じながら、彼は開け放った扉から廊下に出ようと足を踏み出し――エルウッドが再度声をかけてきたので足を止めた。

「気をつけろ、もうヴァチカンからの増援がうちの教会に到着してると思う。もしかしたらあんたを敵と間違えて襲うかもしれない」

「増援? 誰だ?」

 肩越しにそう聞き返してくる彼に、エルウッドは首を振った。

「あんたは知らない奴だ――あんたにも直接紹介する予定だったが、退院は間に合いそうにないな。まあ、今度呼び出すよ」

「それまでにそこらで出くわして、襲われたりしなけりゃいいがなぁ――ああ、こんなこと考えるとたいてい現実になるんだよな。で、どこの教室のどんな奴だ?」

「フィオレンティーナ・ピッコロという名前だ――リッチーの教室の出身者だよ」

 エルウッドの返答に、アルカードは眉をひそめた。彼が口にした名前が、明らかに女性名だったからだ。

「女か?」

「ああ。もうじき十八歳くらいかな?」

 肩越しに返ってきたその返答に、彼はかぶりを振った。

「十八、ね――おまえたちもそうだが、そんな子供が吸血鬼相手の殺し合いをやらなきゃならん世の中だとは、世も末だな」

 そうぼやいてから、彼――吸血鬼アルカードは廊下に出て歩き去った。

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