Nothing Helps 4
†
「
背後から襲いかかってきた
蹴り足で踏み込んだところで、今度は逆回りに転身し、同時に繰り出した一撃で背後を薙ぎ払う――まるで
あっという間に分解し、床の上に倒れ込むよりも早く細かく崩れて散っていく
彼ら――
だが――
金切り声をあげて、二体の
彼が柄を握る手に力をこめると、彼の意志に呼応して手にした霊体武装が啼いた。
ギャァァァァッ!
ひぃぃぃぃッ!
左右の距離はほぼ同じ、ならばまずやるべきは攻撃のタイミングをずらすことだ。
実戦においては、百の戦闘能力を持つひとりよりも十の戦闘力しか持たないふたりのほうが怖い場合が多い――どれだけ技量で上勝ろうとも、あるいは膂力で圧倒しようとも、防御や攻撃を行う手足や周りを警戒する目と耳の数が増えるわけではないからだ。
彼は右側から接近してくる
数を減らす。動きを止めない。同時に相手にしない――
胸中でつぶやいて、彼は右側の
彼はたった今躱したばかりの
そして倒れるよりも早く、スーツ姿の
スーツ姿の
だがそれにはそれ以上かまわずに、続いて、背後――
こちらが右側の
彼は体ごと振り返ってもう一体、左側から殺到してきていた
両脚を脛の半ばから切断された
ガァァァァァッ!
咆哮とともに――極限の飢えに口の端から涎を滴らせながら、横手から
だが、関係無い。
どれだけ変質していようが、たかが
武器を扱う様な知能も無いので、彼らが武器を使ってくることを警戒する必要は無い。
掴んで引き寄せ、噛みつき喰らう――彼らの攻撃手段はそれだけだ。掴みかかろうと伸ばされた手を躱し、そのまま脇を駆け抜け様に胴を薙ぐ――胴体を完全に上下に分断された
一瞥を呉れる手間さえ惜しみ、再び上位個体に向かって床を蹴る。
おそらくこの貧弱な
まあ期待しているわけでもない――これはいつもの小銭稼ぎでしかない。それに野放しにして、彼の『領地』を荒らされても迷惑だ。目障りには違い無いから、今すぐにでも消えてもらおう。
「
†
なにをしているのか、それすらも純一には理解不能だった。
男はなにも持っていない――ただその手はまるで剣の柄を握っているかの様に、軽く握られている。
彼がその両腕を振るうたびに、下僕たちは腕を、あるいは脚を斬り落とされ、首を刎ね飛ばされ、胴を薙ぎ払われ肩を割られ頭蓋を削り取られていく。
その一撃が致命傷を与えるや否や、心臓を刃物で刺されても死なないはずの下僕たちの体が瞬時に破壊され塵と化す。
「
まるでかなり刀身の長い長剣の様な物体で斬りつけられたかの様に肩から左腰元までを分断された瞬間、生きたまま獣に貪られるかの様な悲痛な断末魔の絶叫とともに死体喰らいの体が塵と化して崩れ、そのまま衣服だけを残して虚空に失せて消える。
いかなる手段を用いたのか、瞬時に灰となって崩れて散る下僕たちを茫然と眺めながら、純一はそこに立ち尽くしていた。
この男はなんなのだ?
選ばれた力を持つ選ばれた人間――その下僕であるあの男たちを、ああも易々と斬り殺してのける。
だが考えている暇など無い、既に男はこちらの前に立っているのだから。
いったいなにが起こっているのかはわからないが、先ほどから無数の絶叫が聞こえてきている。
ひとりやふたりの悲鳴ではない――おそらくは老若男女数千人単位の絶叫だ。
そして奇妙なことに、その凄絶な絶叫は彼の鼓膜を震わせてはいない――いったいどういうことなのか、その叫び声は聴覚を介すること無く、脳裏に直接響き渡っていた。
あれだ――男が手にしたあの武器、あれが悲鳴をあげているのだ。
純一の目には見ることもかなわない不可視の武器を片手に、コートを羽織った金髪の男がゆっくりと笑う。
弱々しい月明かりの下で、彼の整った容貌が作り出す酷薄な笑みは凄絶極まり無いものだった。
まるで獲物を前に舌嘗めずりする虎の様なその笑みに本能的な恐怖心を覚えて、純一は後ずさった。
あれは――違う。あれは自分と同じ様に普通の人間ではなくなっているが、さりとて自分とも根本的に異なる。
恐怖に内心竦み上がるこちらを知ってか知らずか、口調に笑みを含んだまま、男は静かに口を開いた。
「
「な、に?」 意図がわからずに純一が聞き返すと、
「おまえの血を吸った吸血鬼は、すでに死んだ――上位個体の、そのさらに上位個体がまだ生きていれば、おまえはそいつと再接続されてるはずだ。再接続された今の上位個体から、おまえに接触はあったか?」
質問の内容そのものは、さっぱり理解出来なかったが――
その言葉に、純一は唇を噛んだ。選ばれた者である自分が、なぜこんな生意気な口の利き方をされなくてはならない?
「ふざ――けるな! おまえはいったいなんなんだ! この僕に向かって、いったいどんな権利があってそんな口の利き方をするんだ!?」
その言葉がよほどおかしかったのか――盛大に鼻で笑い、男はこう答えてきた。
「なら聞き返すが――小僧、おまえはノーベル賞を取った学者様かなにかか? 日本の発展に尽力し功績をあげた政治家かなにかか? おまえには誰かから敬意とともに口を利いてもらえる様な、どんな資格があるんだ?」
「ッ、この――!」
その言葉にかっとなって、純一は床を蹴った――ごうっと耳元で風が鳴る。周囲の光景が凄まじい勢いで後方に流れていった――体が羽根の様に軽い。つい数日前までの、偏食の引きこもり生活を送る無就業者だった頃が嘘の様だ。
一蹴りで三階建てのビルよりも高く跳躍し、百メートルの距離を五秒で走り抜ける。今の彼は、そういう怪物なのだ。
人間の目には到底知覚出来ないほどのスピードだ――ひゅ、という風斬り音とともに純一の体は男の背後に肉薄した。
こんな生意気な奴、下僕にする気にもならない。
血を吸うだけ吸ったら、下僕として生き返ったりしない様に首を引きちぎってやる――!
胸中でつぶやいて、そのまま無防備な首筋にかぶりつこうと――
が――
「――あがぎぃぃぃッ!」
男が無造作に脇の下から突き出した不可視の武器の鋒に肩口を貫かれて、純一は激痛にその場でのたうち回った。ただの痛みではない――刃物で刺されたことなど無いが、この激痛は今までに感じたことのあるどの痛みとも違うものだった。
ただ痛いというだけではない――心そのものが引き裂かれる様な、そんな痛み。巧く表現出来ないが、今感じている激痛はそんな感覚だった。
失策だった――あの男は武器を持っているのだ。その武器が視認出来ない以上、武器の挙動は腕の動きから推測するしかない。なのに、自分から死角へと廻り込んでしまった。
男がゆっくりと振り返る――彼は口元に酷薄極まり無い笑みを浮かべながら、
「惜しかったな――とは言わんぜ?」
男がそんな言葉をかけてくる――貫かれた左肩を手で押さえながら、純一は蛇に睨まれた蛙の様に動けないまま金髪の男を凝視していた。
「さて、質問の続きだ。上位個体から、おまえに接触はあったか? もしくは、そいつの居場所を知ってるか?」
男の言っていることはまるで理解不能だったが、これだけははっきりわかった。
殺される――殺される。
このままここにいたら、自分はきっと、間違い無くこの男に殺される。
†
肩を貫いてやった
それを見送って――彼はさして焦りもしないままコートの内側に手を入れ、フラッシュライトつきのSIGザウァーX-FIVE自動拳銃を引き抜いた。ガンプレイの様に一回転――遊んでいても、逃げられはしない。そういう意味を込めた仕草だったが、こちらを見ていない
スライド上に設置された
嘲弄に唇をゆがめ、二発発砲する――トリガーを引くと連続した銃声とともに小気味いい反動が腕を突き抜け、銃口から吐き出された精確極まりない照準精度の
否、吹き飛ぶというほどの破壊力はさすがに無い。だが撃ち込まれた二発の銃弾は、およそ九ミリ口径の拳銃弾の常識と大幅に乖離した破壊状態を見せていた。
着弾の瞬間に生じた
「――あああああッ!」
普通の九ミリ口径の銃弾であればあり得ないほどの凄惨な破壊状態とそれを目にしたことによる
男は床にうつ伏せに這いつくばって、めそめそとすすり泣いている――その哀れっぽい泣き声にはひとかけらの感銘も受けないまま、彼は男のかたわらで足を止めた。
髪の毛を掴んで男の体を引きずり起こし、喉元に手にした自動拳銃の銃口を突きつけて、
「答えろ、
男は棄てられた仔犬の様に、しくしくとすすり泣いている――当たり前だが仔犬の様な可愛げは無い。同情心も湧かないし時間の無駄だったので、彼はいったん首から銃口をはずしてトリガーを引いた。
銃弾が着弾すると同時に、
「言え」
冷徹な口調でそう告げながら今度は左脚に銃口を向けてやると、
「し、知らない! 僕はなにも知らない! 僕は被害者なんだ、たまたま襲われただけの被害者なんだよぉ!」
大の大人が恥も外聞も無くびーびーと泣き喚いている様がひどく癇に障り、彼は拳銃のグリップで男の顔面を殴りつけた。
「よく聞け、
そう告げて、彼は
「ほ、本当に知らないんだ! 僕は秋葉原でたまたま襲われただけで……!」
「なら質問を変えようか――おまえが目を醒ました日付は覚えてるか」
「あ、ああ――それなら覚えてる」 彼の質問の意図を明確に理解出来てはいなかっただろうが、男はとにかく素直に質問に答えてきた。
秋葉原でこの男も含めた十七人が、吸血鬼に襲われて殺された二日後――つまり、彼が上位個体を殺した翌日。そしてこの男を除く十六人の屍が、秋葉原のビル群の路地で露出遊戯に興じようとしていた変態カップルによって発見された前日。
なるほど、
ならば上位個体もなにも知らないはずだ。この男が蘇生する前に、すでにこの男の上位個体は死んでいたのだから。
その言葉に彼は深々と溜め息を吐くと、目を伏せてかぶりを振り――その隙を突いて男が動いた。
こちらの拘束を振りほどき、いったん距離を取って襲い掛かってくる。
膝から下が動かなくなったために両腕で下半身を引きずる様にして少しだけ前に出ると、体を起こして左手で体を支えたまま振り向き、男はこちらの喉元目がけて右腕を振るった。
窮鼠猫を噛む。確かこの国の諺だったな――胸中でつぶやいて、彼は無造作に身構えた。
そして次の瞬間には、彼が左手で繰り出した不可視の一撃が
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