Nothing Helps 3

 強靭な皮膚を犬歯が易々と突き破り、噛みついた首筋からホースで撒いた様に大量の血が噴き出す。

「――! ――!」 残った女性たちがその光景を――自分たちの末路を目にして悲鳴をあげる。だが、今まさに首に噛みつかれているOLの絶叫は、それに輪をかけて凄惨だった。

「――! ――!」

 OLの絶叫は恐怖のあまりかあるいは激痛のためか、もはや言葉にすらなってはいない。

 じゅるじゅると――ストローでジュースを飲んでいるときの様な音がする。その音の発生源が男が噛みついているOLの首筋だということはすぐに知れた。

 吸っているのだ、男が――女の血を。

 女性の血をすするじゅるじゅるという音が、彼女の凄まじい絶叫にも負けないくらいに大きく響く。

「――、――、あ、あ……」

 やがてOLの絶叫は止まり、彼女は細身の体をぐったりと弛緩させ、血を吸われるがままに細かい断末魔の痙攣を繰り返し始めた。

 やがて完全に血を吸い尽くしたのか、男が彼女の体を床に放り出す。

 男は明らかな狂気を秘めた恍惚の笑みを浮かべて、死後の痙攣を繰り返す女性の体をしばらく観察していたが、やがてそれにも飽きたらしく、

「さあ、どうなるかなっと」 楽しげな口調で言いながら、男はいまだ断末魔の痙攣を続けているOLの体を脇に放り出した。

 あまりの恐怖と、それにあと数分以内に自分たちのたどることになる末路を理解してボロボロと涙をこぼしながら、逃げ出すことも出来ずに女性たちが男の動きを凝視している――男はその場でくるっと振り返ると、彼女たちのその様子を気にしているのかいないのか、気楽な仕草で端にいる幼稚園児のそばに歩み寄った。

「うーん、幼稚園児に興味は無いんだけど。まあいいか、せっかく捕まえてきたわけだし。帰してここのことを話されても困るしねえ。いただきまーす」

 ひとりごとの様な口調でそう言って、男はもはや泣き叫ぶことも出来ずに両親を呼びながら静かにすすり泣いている幼い少女の首筋にがぶりと歯を立てた。

「――――――!」

 恐怖と激痛に少女の喉から絶叫が漏れ、男が血をすする音がそれにもましてはっきりと、残った者たちの耳に届く。

 失血によるショック症状を起こして全身をぐったりと弛緩させた少女の体を、男はまるでゴミの様に放り投げた――貧弱な体格だというのに、幼い子供とはいえ人間ひとりの重量を放り投げるのを苦にした様子も無い。投げ棄てられた少女の体がトタン張りの建物の壁にぶつかり、そのまま床の上に落下する。

「いいよ。幼稚園児なんて興味無いから、そいつもう要らない」

 その言葉とともに――壁際に控えていた男女十数人が次の瞬間がとった行動は、まさしく異常そのものだった。

 それまでずっと壁際で唸り声をあげながら囚われた哀れな娘たちの様子を凝視していた彼らは、男が許可を出した途端、一斉に幼女の屍に殺到したのである。

 まるで飼い主から許しを得た犬が与えられた餌を貪る様に、彼らは少女の亡骸に群がって、我先にと幼子の亡骸に手を伸ばした。

 着ていた服を引き裂き破り、血色を失った肌をあらわにし――しかし彼らは少女の遺体を凌辱しようとはしなかった。代わりに彼らのうちのひとりが、少女の腕に噛みついたのだ。

 腕の肉を喰いちぎり、ぐちゃぐちゃと音を立てて咀嚼する。納得するまで味わったのか、少女の腕の肉を喰いちぎった男はそれまで咀嚼していた肉をごくりと音を立てて飲み込んだ。

 ほうと一瞬満足気な息を吐いたのも束の間、男は彼女の遺体に他の男たちも歯を立てているのに遅れまいとして再び彼女の亡骸の、今度はふくらはぎに齧りつく。

 人食いたちが寄ってたかって亡骸の鼻を喰いちぎり、ちぎれた耳を口の中で転がし、脚の肉を咀嚼して、お腹の肉を齧り取り、やがてあらわになった腸を引きずり出してかぶりつく。

 愛らしかった顔が、見る間に正視に耐えぬ有様に変貌してゆく。

 あまりにもおぞましく凄惨で残虐な光景に、女性たちはもはや声も無いらしい――その内腿が、汗とは異なる液体で湿っていた。

「あのね、そこの山あるでしょ? あれはね、しばらくほっといても腐らなかった奴らなんだ――しばらくするとこいつらみたいになる連中なんだよ。言ってみれば、そうだね、僕の下僕候補ってところ、かな?」

 笑顔でそんなことを言われても、彼女たちは到底うなずく気にもなれまい。

「まああとの子は若いしね。楽しみだな――頑張って汚い芸術品になってね」

 もうそのときには残された者たちはなにかを言う気力も無くし、ただ静かにすすり泣いていた。

 

   †

 

 八人の生け贄の血をひととおり吸い終えたあと、男――小泉純一は血まみれになった顔の下半分を拭いながら足元の死体を見下ろした。

 ブレザーを身に着けたおとなしそうな雰囲気の黒髪の女子高生と、明るいオレンジ色に髪を染めた女子中学生だ。どちらがあとまで残されたのか、汗と涙と飛び散った斑色の血に塗れた顔は断末魔の瞬間まで和らぐことの無かった苦痛と恐怖でゆがんでいた。

「さて、とりあえずこいつらを――」 と言いかけたとき、廃倉庫の外のほうからごとんという音が聞こえてきて、その音に純一は眉をひそめた。この廃倉庫の周りに人は住んでいない。

 だからこそ、彼は両親と妹を殺して家から姿をくらましたあと、この廃倉庫を潜伏先に選んだのだ。

 純一は周りを見回して、手近な下僕のひとりに命じた。

「見てこい――人がいたら、殺して死体を持ってこい」

 その言葉に、それまで女性たちを押さえつけていた男のひとりが、視線には反感を込めながらも抵抗する様子も無く踵を返し、出入り口のほうに歩いていった――どういう理由かはわからないが、あのごろつきたちは直接命令すると彼の命令に逆らえないのだ。周りにいる死体喰らいどもと違って、彼らは車の運転も出来るし話しかければ返事もする。なのにどうしてそうなるのかはわからないが――まあ車の運転が出来るということは効率的に夜の街に出向いて人を攫ってくることが出来るということなので、純一としてはそれで十分だった。

 最初は、あの死体喰らいどもの様なものしか作れなかったのだ――それも必ず死体喰らいになるというわけでもなく、そのまま腐ってしまった屍も少なからずある。

 そしてそのせいで、せっかく苦労してここまで攫ってきた女子高生ふたりと大人の女性三人を無駄にしてしまった。だが大勢の犠牲者の血を吸ううちに、やがて犠牲者のうちの幾人かが生前の姿のまま蘇生して、彼の命令のままに動き始めたのである。

 そうなってからも何度か死体喰らいに変化することも、死体喰らいにもならずに腐ってしまうこともあったので、必ずしも下僕として蘇生するというわけではない様だが――だんだんと蘇生に成功する確率は上がってきている。

 おそらく、じきに積み上げた女性の死体の山から数人が蘇生するだろう。死体喰らいどもとは違って生前の美貌を崩すことなく、本人の意思を保ったまま――ただしどんなに屈辱と抵抗を感じても、彼が命令すればどんな命令でも従う奴隷として。

 残念なことに、今のところ蘇生に成功した女性の下僕はいない――だが、いずれ若い女性の下僕も出来るだろう。

 内心でどんなに拒絶しながらも屈辱的な命令を受け入れるしか出来ない奴隷たちの心中を想像して根暗い喜びに浸りつつ、純一は背後の死体の山から工場の入り口に視線を向けた。

 間に折り重なる様にして倒れた棚や工作機械、フォークリフトやトラックの残骸があるために、じかに入り口の様子を窺うことは出来ないが――

 下僕の姿がふらふらと障害物の向こうに消え――次の瞬間、

「ギャァァァァァァァッ!」

 棚の向こう側から凄まじい悲鳴が聞こえてきた。

「っ!?」

 生来臆病な純一は、驚いて身を竦ませた――今のは下僕の男の悲鳴だ。なにが起こったのかは、わからないが――

 続いて――ゴツゴツという金属を仕込んだ靴特有の足音とともに、棚の陰から黒いコートを羽織った人影が姿を現す。

 出てきたのは黒い革製のコートを羽織った、背中まで伸ばした金髪に欧風の顔立ちをした外国人の若い男だった。奇妙なことに、黒いハードレザーのコートの下に西洋式の重装甲冑を着込んでいる。

 男は傷だらけの手甲を嵌めた左手で、先ほど歩いていった男の髪の毛を掴んで引きずっていた。

 対して引きずられている下僕の男の姿は、ずいぶんとなっていた――両腕と腰から下が無くなって、そこからちぎれた内臓がリボンの様にだらりと垂れている。

 その状態でもまだ生きているのだろう、下僕は肘から先が無くなった両腕をばたばたと動かして、コートを羽織った男の束縛から逃れようと暴れていた。

 コートを羽織ったその男は下僕の体を床に放り出すと、脚をむしり取られた蟻の様にその場でじたばた暴れている下僕の頭になにかを突き立てる様な仕草をした――次の瞬間身の毛も彌立つ様な凄まじい絶叫とともに、上半身だけが残った男の体が塵に変わって消滅する。

「ふん――」 男がつまらなそうに鼻を鳴らすのが聞こえた。

「こんな陰気な場所で女を集めてお食事会か。豪勢なことだ」

「誰だ、おまえ?」 内心の脅えを押し隠すために、純一は必要以上の声量で声をあげた。

 純一の質問など耳に入っていないかの様に、男はこちらに視線も向けない。それが癇に障る――この自分の、人類の超越者たる力を手に入れた自分の言葉を無視する様な不届き者など、いていい道理があるはずがない。

「答えろよ! おまえはなんなんだ!?」

 その言葉ではじめてこちらに気づいたとでも言いたげに、男はふっと純一に視線を据えた。

「おまえたちを殺しに来た」

 その言葉に、純一は思わず噴き出した――殺す? ただの人間が、この超越者である自分を殺すと?

「へえ、面白い冗談じゃない。僕を殺す? この僕を? いいよ、やってみなよ!」

 甲高い哄笑をあげて、純一は男を指差した。

「殺せ」

 その言葉とともに、彼の下僕と化した男たちが床を蹴った――続いて獰猛なうなり声とともに、死体喰らいたちが次々と男に向かって襲いかかる。

 天窓から差し込んでくる弱々しい月明かりの下で、男がわずかに目を細めるのが見えた――次の瞬間には、真っ先に間合いに到達した下僕ふたりと死体喰らいひとりが、金切り声をあげて男に掴みかかっている。

 だが――

 男が真横に向かって右腕を水平に伸ばし、続いてなにも持っていない右手でなにか棒の様な物体を振り抜く様な仕草を見せたその瞬間、いったいいかなる攻撃を受けたのか、下僕ふたりと死体喰らいの体はその強振の軌道に沿ってばらばらに分断されていた。

 跳躍しようと上体を沈めていた下僕は首を刎ね飛ばされ、掴みかかっていたもうひとりは胴を薙がれ、死体喰らいは腕を斜めに切断されながら同時に頭蓋骨を削り取られている。

 そしてその攻撃がどの様なものであったのかを察する術も無いが、次の瞬間には下僕たちの体はざぁっという音とともに塵とも灰ともつかぬものに変わって崩れ散った。

「なっ……!?」

 同じだ。さっきの下僕の殺され方と。

 そして純一が驚愕の声をあげるよりも早く、男が床を蹴っている――彼は数体の下僕や死体喰らいたちの間を縫って駆け抜けながら、なにも手にしていない右手を空振りする一撃であるいは首を刎ね、あるいは胴を薙いで、片端から斬り斃し始めた。

 分断された下僕たちの体は床に落下するよりも早く傷口の周りから塵に変わり、そのまま塵さえも分解されて痕跡すら残さずに崩れ落ちていく。

 男は下僕たちの猛攻など文字通り歯牙にもかけずに、純一に向けて突進してきた。

Aaaaaaaa――raaaaaaaaアァァァァァァァァ――ラァァァァァァァァッ!」

 男のあげた咆哮が、だだっ広い廃倉庫の中で響き渡った。

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