13−2 自由の翼
いさましいちびのレイディ
ぱっちりと大きな薄紫の瞳が、無粋な神殿騎士たちを見上げる。
「これはレイディ・チュチュ。どちらへお出ましか」
仏頂面の神殿騎士が問う。少女はいとけなく小首をかしげた。
髪が羽根のようにふわふわなびく。
「ちょっとそこまで、ですの」
「申し訳ありませんが、軍属含め、許可なき者はみだりに出歩くなとの御諚が出ております」
チュチュは困った顔をした。
「まあ、みだりにですって。それはいちだいじ。でしたら、ちょうどようございました。これ、みなさまでおめしあがりになって?」
言いながら籐かごに手を伸ばす。白いハンカチを傍らに押しやって取り出したのは、とうてい小さな手には収まりきらない、大ぶりの猫瓶だ。
白ハンカチが風にめくれ、ふわふわと飛んだ。地面に降り落ちる。
その模様。
ずらりと波打つ丸にザザザザの金刺繍。白絹の生地には薔薇十字の紋章。
それまでは所詮、子どものたわごとと小馬鹿にした顔付きだった神殿騎士たちが、ザ印を見た途端、いっせいに青ざめた。
全員が血の気の引いた顔で踵を鳴らし、直立不動の姿勢を取る。
瓶の中身は、色とりどりのキャンディだった。チュチュは蓋代わりのコルク栓を開けにかかる。
「あれま。どうしましょ。ふたがあきませんわ」
右に回し、左に回し。斜めにかくかく揺らす。
開かない。
「うううん?」
瓶をお腹に抱えて、あっちへ押したりこっちへ寄せたり。さらに力を込める。
やはり開かない。
「こまりましたわ、ううん。うううぅうん?」
チュチュの足元には、いつ踏まれてもおかしくない純白のザ印ハンカチ。
神殿騎士たちは、眉間に全神経を集中させてキャンディの瓶の行方とザ印のハンカチの運命を透視しようとしていた。額から冷や汗が噴き出す。
長々と焦らした後。
コルク栓がすぽんと音を立てた。
「あ」
勢い余って手から瓶がすっぽ抜ける。回転する猫瓶から中身が飛び出した。イチゴミルクキャンディが足元に散らばる。
チュチュは、困り顔で神殿騎士を見上げた。照れくさい笑顔を浮かべる。
「どうしましょ。せっかくホーラダインげいかが
「猊下の!」
「げいかのおこころづけをよごしたとあってはぶれいせんばん。みなさん、おそれいりますが、ありんこにとられちゃうまえにひろってくださらないかしら」
「はっ、直ちに!」
とたんに神殿騎士たちは先を争ってイチゴミルクキャンディを拾い集め始めた。
「あらあら、さらにこぼれちゃったー、どうしましょう。げいかのキャンディが、よりによってしんでんきしさまがたにふまれてどろだらけだなんて。ととさまにしられたら
「踏んでおりません!」
道いっぱいにキャンディをばらまきながら、じりじりと後ずさる。
「よろしいですこと? みだりにふんではいけませんわよ」
「はっ!」
手袋をはめた小さな手がハンカチを拾い上げた。ひらひらと上品に土を払う。
「さすがはホーラダイン猊下。御威光もあらたかですわね」
神殿騎士たちは《猊下のイチゴミルクキャンディ》を拾うのに夢中だった。誰も小さなレイディの企みに気付いていない。
くすっと笑って、小さく舌を出す。チュチュは一目散に逃げ出した。
人目につかぬよう、そそくさと広場を抜けて宿陣の裏手へとやってくる。
勝手口は厳重に閉じられている。回りに人の気配はない。
「あのう、どなたか……」
ノッカーへと手を伸ばす。
届かない。
少し考え、さらにつま先立ちをして手を伸ばす。
やはり届かない。
「どうしましょう。こんなところでおおきなこえをあげるわけにもいきませんし」
チュチュはしょんぼりと肩を落とした。真珠のようなためいきをつく。
「なせばなる。ここはがんばるしかありませんわ」
持って来た籐かごを階段に置き、今度は必死にじたばたしながら全力のつま先立ちをして、遙か高みのノッカーを目指す。
「うう、もうすこしですわ」
「何、カエルみてぇにぺったり貼り付いてんだよ。ちびのレイディ」
背後から人影が差した。
呑気な声がひょいとチュチュを抱き上げる。
チュチュはこれ幸いと手を伸ばした。楽々届くようになったノッカーを掴んで、コツコツと鳴らす。
「こんにちは。どなたかいらっしゃって? あいことばは、ともにあったら、なにはともあれまずはさけですわ」
可愛らしい声に似つかわしくない、物騒な台詞を吐く。
何とか目的を果たし、満足しきってチュチュは振り返った。
「ごきょうりょくかんしゃいたしますわ、アンドレーエかっか」
「どういたしましてだ、レイディ」
答えたのは松葉杖をついたアンドレーエだった。陽気に肩をすくめ、応じる。
アンドレーエはチュチュを揺すり上げて片腕で抱っこし直した。松葉杖のてっぺんで扉を叩く。
「ヒルデのおばさん、お客様だぜ」
「誰がオバサンだ!」
中からどすどすという荒い足音が近づいてくる。
「また昼間っからくだを巻きに来たんじゃぁないだろうね?」
右手に肉切り包丁、左手に巨大な肉付きの骨。
食堂のおばちゃんことヒルデブルク軍曹は、悪夢に出てきそうな格好で現れた。
「おや、あらまあ、ちっちゃなレイディじゃないか。ようこそ」
チュチュの顔を見るなり、ころっと相好を崩す。
「ごきげんよう、ヒルデブルクぐんそう」
チュチュは天真爛漫な微笑みを浮かべた。合図して下ろしてもらうと、ドレスの裾をつまんで持ち上げる。
アンドレーエはヒルデ軍曹が踏みつぶしてしまう前に、足下のかごを持ち上げた。片目をつぶる。
「いさましいちびのレイディから差し入れだ。大活躍だったぜ」
「そうかいそうかい、それは有難いね。きっと喜ぶよ」
ヒルデ軍曹は包丁をしまい込み、差し入れを受け取った。ぞんざいに顎をしゃくる。
「あんたも入んな、ヨハン。飯でも食って行きなよ」
言いながら、さりげなく周囲の様子をうかがう。
「おう、助かるよ。最前線に傷痍軍人の居場所はないからなあ」
アンドレーエは何食わぬ顔でうなずいた。
この食堂は何かと目をつけられている。なるべくなら余計な騒ぎを起こしたくはない。
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