汚い手でこいつに触るんじゃない

 チェシーは、何気なく間へ割って入った。にべもなく答える。

「女帝陛下より、第五獅子宮ししきゅう師団の指揮を委ねられ任官したまでだ」

「どの面下げて戻ってきたのかと聞いているのだ!」

 イェレミアスは、緑の眼を異様に切れ上がらせ、チェシーへと突き立てた。

「勝手な真似は許さんぞ。南方面軍は、この! 私の! 指揮下にあるのだ。貴様ごとき国賊にしゃしゃり出てこられる覚えはない。いいから、その女と《封殺ナウシズ》のルーンを寄越せ。私の戦利品だ!」

 イェレミアスは、ずかずかとチェシーの背後へ回り込んだ。ニコルの襟首を掴もうとする。

 ニコルは声もあげられぬままによろけた。抗う気力もない。

「汚い手でこいつに触るんじゃない」

 チェシーはイェレミアスの腕を邪険に払いのけた。

「黙れ。思い上がるな国賊ふぜいが」

 イェレミアスが、血相を変えて元帥杖を振り上げる。

 チェシーは眼をほそめた。悪魔の邪眼が暗い光を放つ。

 拳骨が唸りを上げた。イェレミアスの顔を捕らえる。

 イェレミアスの身体は宙を舞って吹っ飛んだ。ぶら下げた幾多の勲章がちぎれ、ばらまかれる。

 イェレミアスは憤嫉の形相で頬を押さえ、起きあがろうとした。足がもつれ、立ち上がれない。

 口の端が切れて、血にまみれていた。

「何の真似だ、貴様、この私を愚弄するか!」

 チェシーは傲然と肩をそびやかせた。

「触るなと言った。聞こえなかったのか」

「何やってるの」

 騒ぎを聞きつけたか。

 苦々しい面持ちで、レディ・ブランウェンが近づいてきた。撤収の指揮を執っていたアルトゥーリも、腫れ物に触るような顔で、渋々と歩み寄ってくる。

「いい加減になさいな、味方同士で」

「うるさくて仕事にならないんだけど」

「こやつは敵だ。裏切り者だ! なぜ、どいつもこいつも平然と騙されたふりをしている!」

 イェレミアスが口角泡を飛ばして怒鳴り散らす。

「軍議で陛下の勅書を見せたでしょ。『サリスヴァールの軍務復帰を認める。帝国への叛意はなかったものとみなす』。執念深いわね。あきらめなさいな」

 レディ・ブランウェンは、はぁ、とわざとらしいため息をついた。

 イェレミアスはこみ上げる激情に、身体をふるわせて怒鳴った。憎悪の眼がめらめらと燃えて、チェシーを突き刺す。

「おいそれと信じてなるものか! 忘れたのか。この裏切り者は、ティセニア軍に手を貸し、祖国の街をいくつも燃やした! 私の召喚した魔物を何千と消し去った! 敵軍を壊滅させる最大の好機をみすみす逸し、挙げ句の果てに、公女シャーリアの逃亡をも手引きしたのだぞ。それを策応と言わずして何という! まさにこやつが通謀者であることの最大の証拠ではないか!」

 チェシーは、軽侮の笑いを目尻にうっすらと滲ませた。

「……あれほど説明したのに、まだ分からないのか」

「何だと!」

「公女とはいえ、しょせんは敗軍の将でしかないシャーリアの首を取るのと、《封殺ナウシズ》と《先制エフワズ》、二つの有力なルーンの守護騎士であり、難攻不落を誇るノーラス城砦の主、アーテュラスを捕虜とすることの、どちらがより意義のある勝利だと思っている。もし、あのとき、武功に焦るあまり、撤退するシャーリアを愚かにも殺せば」

 チェシーは、無表情にニコルを振り返った。

 ニコルは、身体を固くした。後ずさる。その背中が誰かに当たった。

 レディ・ブランウェンは、ニコルの肩を抱いてうっすらと笑った。優しく押し戻す。

「いいからお聞きなさいな」

「その時点で、ティセニア軍は第一師団の救援を断念し、魔物に対する防衛をより強固にする作戦へと転化したはずだ。そのうえ、弔合戦としての大義と結束を与えることになる。考えてもみるがいい。アーテュラスがノーラス防衛に徹し、ホーラダインに第一白羊宮はくようきゅう師団を撃破された状況下で、貴様に何ができる。いくら魔物を蛆虫の如く湧かせようが、ル・フェに爆撃をさせようが、我々が魔物を主力にする以上、《封殺のナウシズ》に撃退されて終わるだけのこと。運が悪ければ、二方面ともに敗退、撤収となるは必定だった」

「口から出任せを言うな!」

「ああ、そうだな。せいぜい今のうちに吠えまくっておくがいい」

 チェシーは、嘲笑混じりに締めくくった。

「西方面は辺鄙なうえに荒れ地ばかりと聞く。ガレイラの息子達も後任が来ると知れば喜ぶだろう」

「何……!」

「そんなことより、さっさと拾ったらどう? せっかくの勲章が汚れてるわよ」

 レディ・ブランウェンは、足下に転がる剣付勲章を拾い上げた。土埃をかるく払う。

「残念ね、イェレミアス。どうも最初から、この筋書きだったらしいわよ。何も言わないで私にサリスヴァールとこの子を襲撃させるなんて。おかげで、ずいぶんとティセニア側の信頼を勝ち得たみたいだけど、陛下もガレイラ大法官もお人が悪いったら」

 イェレミアスは、レディ・ブランウェンの手から勲章をひったくった。

「くそっ! 覚えていろ。この借りは必ず返してやるからな」

 かろうじて保った最後の驕慢を捨て台詞に代え、去ってゆく。

 アルトゥーリは、イェレミアスの背中を見送った。陰鬱につぶやく。

「あんた、やっぱり性格悪いよ、サリスヴァール」

 暗い眼がニコルを見つめている。

「……たとえ敵でも、女を騙すのはよくない」

「極秘の任務だった。勅命とあらば致し方なかろう」

 非情な声が、頭上を素通りしてゆく。

 ニコルはうつむいた。眼をきつくつぶる。

 もう、これ以上、何も。

 聞きたくなかった。

「ノーラスの後始末はどうするの。放置しておくわけにもゆかないでしょ」

 レディ・ブランウェンは、うつむいたニコルの顔を覗き込んだ。垂れかかる髪を耳にかけ直して、それから額に手を当てる。

「貴女、すこし熱があるんじゃない?」

 ニコルは首を横に振った。

 チェシーはかいがいしくニコルの世話を焼くレディ・ブランウェンをそっけなく見やった。

「悪魔どもに修復させる」

「二度と直せないものもあるでしょうね」

 レディ・ブランウェンは、危ぶむ眼差しをニコルからチェシーへと向ける。

「この子、顔色が悪いわよ。あなたのことだしどうせ――強引に言うことを聞かせてるんでしょうけど。あまり無理させない方が良いんじゃなくて。身体が持たないわよ」

 チェシーは、ニコルの髪の毛に指を通した。さらりと撫でる。

「留意しよう」

 アルトゥーリが気鬱に口を挟む。

「捕虜ったって、か弱い女の子じゃないか」

「その女の子に、幾度となく全滅の憂き目に遭わされたのは誰だったかな」

 アルトゥーリは鼻をゆがめた。それ以上は何も言わず、鬱屈した嫌悪の眼をそらして、背を向ける。

 上空から、すいと黒い影が舞い降りた。

 羽をばたつかせてニコルの周囲を飛び回る。ぼんやりした、実態のない影のまま、尻尾に《カード》をぶら下げている。

(ホーラダインの様子を窺ってきたけど、今、ここで言っていいかな?)

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