夜這い

 ザフエルがすっと無言で立ち去ろうとするのを、すかさずアンシュベルが身を挺して止めた。

「副司令ちょっと待つです」

 行く手を遮られたザフエルは、総毛立つ眼差しをアンシュベルへと向ける。

「メイドの分際で命知らずな」


「だってこれがアンシュのお仕事ですもん」

 アンシュベルは、にっこりと笑って、ガタガタ揺れ動くトランクを指差した。

「どれでも好きな色がよりどりみどり!」


「結構だ」

 ザフエルは眼をくれもしない。

「えー、仕方ないですねぇ、じゃ、ここで開けてみますか?」

「待って、アンシュ」

 アンシュベルはトランクの前にかがみこんで、今にも留め金をはずそうとしていた。トランクはますますぱんぱんの風船のように膨れ上がって、起き上がりこぼしみたいにガタガタと揺れている。炸裂寸前だ。

 ニコルはあわてて、その暴挙を制止しようとした。

「爆発するからそれ! 触っちゃだめだ!」

「きゃははは、まっさかぁ師団長ったら、冗談キツイんだからぶほおッ」

 直後。ぼん、と音を立てて、トランクが爆発した。

 衝撃でアンシュベルがのけぞった。宙に吹っ飛ぶ。

 視界を、ふわふわした色の洪水が埋め尽くした。ぱんつ舞う吹雪のなか、気がつけば、ばらばらの凶器と化したトランクの成れの果てが、壁に、窓に突き刺さっている。


「アンシュ! 大丈夫かい?」

 ニコルは毛糸のぱんつの海へと駆け寄った。両手でぱんつをざあっと押しのけると、下から赤い靴の足が一本出てきた。足首を掴んで引っぱり出す。

「うう、いったい何が……?」

 ニコルはアンシュベルを抱き起こした。

 アンシュベルはまだぼんやりしているらしく、ふらふらと額に手を当てて首を振る。


「そろそろ、下がらせていただいてもよろしゅうございますか」

 あきれたザフエルの声がして、ニコルは振り返った。

「は、……いっ!?」

 その眼に、帽子のように頭に黒い毛糸のぱんつをかぶったザフエルの姿が映る。

「はいいいいいい!?」

 目が飛び出す。ニコルは、ごしごしと眼をこすった。二度見する。

 頭に黒い毛糸のぱんつが乗っている。

 見間違いでは、ない。

「まだ何か?」

 恐怖の静寂を、ザフエルの陰鬱な声が破る。


「い、いいいいいいやいやいや」

 ニコルは真っ青を通り越して真っ白になった顔を硬直させながら後ずさった。

「いや、あの、な、何というか、今日、今日はずいぶんと暑いですねえ、汗を拭くハンカチがあるとううううれしいななんて、もしかしてザフエルさんもおでこに汗をかいていらっしゃるのではななななないいですか??」

「暑いなら、暖炉の火を少し落とさせましょう」

「は、は、はいっ、いや、そうではなくてっ!」


「では、また」

 ザフエルはゆるりと頭を下げた。黒髪がさらりと肩から滑り落ちると同時に、黒い毛糸のぱんつがぽとりと床に落ちる。ザフエルは底知れぬまなざしを毛糸のぱんつへとくれた。


 そこで、なぜか。ザフエルは足を止めた。

 言葉を継ぐわけでもなく、立ち去るわけでもなく、ただ言葉もなく、黒い毛糸のぱんつを見つめている。

 抑制の利いた、怜悧な眼差し。

 ザフエルはふと眼をそらし、きびすを引いて返した。白と黒の僧衣に血の色のストールがふわりとたなびく。

「後ほどまたまかり越します」

 言い置いて去ろうとする。


「え?」

 意外に思って聞き返す。


「絵葉書をご所望とのことでした」

「あ、そっ、そうでした」

 言い訳したことのみならず内容まですっかり忘れきっていたことに気付いて、ニコルは顔を赤らめた。手を打ち合わせる。

「で、でも別にその、そんなに急ぐわけでもないですし、もしお忙しいようでしたら無理にあの、ザフエルさん手づからじゃなくてもいいので、そうですね、アンシュに取りに行かせますけど」

「迷子になるだけかと」

「じゃ、僕が」

「迷子が二名に増えるだけかと」

「ううっ」

 ニコルはしょんぼりと肩を落とした。

「確かにそうかもです」

「ですからどうぞお気になさらずごゆっくりおくつろぎを。もしよろしければ気晴らしに冬薔薇の庭園などご案内致しますが。その折にでも公女をお誘いになればよろしいでしょう。北国の夜は長うございます」

「あっ、もしかしてお庭を見せていただけるんですか?」

 ニコルは、白バラへ視線を移して顔を輝かせた。


 日差しの足りない冬の時期に、一季咲きのバラが花をつけることはない。とすれば必ずどこかにガラス温室コンサバトリーがあるはずだ、と内心踏んでいたのだ。

 両手を打ち合わせ、うきうきと声を華やがせる。もちろん、話の尾ひれにくっついてきた謎の言葉については当然、聞き逃している。


「では」

 ザフエルは鷹揚とうなずいた。何気なくつけくわえる。

「夜這いに御邪魔してもよろしゅうございますな」

「ええ、ぜひともお願いします。やったあ嬉しいな……」

 ぺこんと元気よく頭を下げる。


 あれ……?

 今、何やら妙な単語が聞こえたような。


 子どもが紙に殴り書きしたような、ぐるぐるする嫌な予感が次第に大きくなってくる。

「え、ええと」

 ニコルはこめかみを押さえ、困惑しながら、頭の中の辞書を参照しにかかった。【呼ばわる】、違う。【夜話】、違う。【夜働き】、違う。【よばい】、そうそうこれこれ――


【夜這ひ】

 男が求婚をし、女のもとに通うこと。元来、男が女の所に通う婚姻形式が一般であったが、のち嫁入り婚が支配的になると次第に不道徳なものと考えられるようになり(以下略)



「夜這い……?」

 話を聞いていたアンシュベルが、頬を赤らめて腰をくねらせる。

「夜這い……副司令が師団長に夜這い……つ、ついに?」


「うわあああん違ううううう! ザフエルさんのばかああああ!」

「ご英断、感謝します」

 ザフエルは平然と肩をそびやかせ、言い放った。

「では、私はこれにて」

 頭を抱え七転八倒するニコルを後目に、ザフエルはすたすたと部屋を出て階段を降りていったのであった。

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