レディ・アーテュラスなら、知っている
「あれこれ考えても仕方ないけど、こればっかりはどうにも」
机に肘をついてあごを乗せ、あれこれと思い悩んでは、ためいきをつく。
冬の間に為すべきことは少なくない。
手袋をはずし、ほっそりとした指先をしげしげと眺めやる。
白魚のよう、などと言うつもりはない。少なくとも国家防衛を担う軍人として最低限の訓練だけは積んできたつもりだった。滅多にないこととはいえ、軍主力同士による正面衝突が起こったときは女であることを忘れるしかなく、その結果、身体のあちらこちらに、おそらくは二度と完全には消えぬ傷や火傷を幾つも負っている。
それを恥じるつもりはない。
悲しむつもりもない。
ただ、どれほど軍事技術が発展してゆこうと、誰もがその名を耳にすることすら厭う無慈悲な暗黒の呪を駆使して数百、数千の兵を一瞬のうちに薙ぎ払いその魂を奪い去る己の存在が逆に居たたまれず、哀れで――
「……あ」
と。
英雄と殺戮者の二律背反に苦悩する、いかにもベタな独白に酔っぱらってみようと試みたところで、ニコルはふと大変なことに気が付いた。
「暗黒っ」
言いかけて、絶句する。
日常の
何ということか。
暗黒呪の使い手でありながら。
当の《カード》を、今、一枚も所持していない――などというとんでもなさすぎる事態に、今さらながらようやく思い当たったのである。
「うわ、ど、ど、どうしようどうしよう」
大変まずい。
頭を抱えて七転八倒する。
「ええと、昨日も持ってなかったし一昨日も……って、ああ何というお間抜けであることかッ」
いったい、いつから装備しそこねていたのか。頭の中で指折り数えてみるものの、指の十本や二十本では、とてもではないが足りそうにない。
「そっそう言えば」
でろでろと、忌まわしくもよみがえってくる喪失のくだり。
第一は、かの有名なザフエルぱんつ事件――ではなくて。
練術に失敗し大量発生した『不気味な物体』を、運悪くだか運良くだか分からないが、とにかく卑怯にも危機に乗じて攻め込んできたゾディアック軍めがけて《地獄門》ごとぶちかましてやった(ドヤ顔)とき。
それともう一つは、《紋章の悪魔》ことル・フェに《デス・トルネード》を燃やされたとき、この二つだ。
とはいえ、失った時を思い出したところで問題の根本的解決にはならない。
「どうすれば……」
《カード》を持たぬ自分が極めて非力であることは分かり切っていた。
他の将校らと比べるまでもない。
チェシーのように卓越した剣技を会得しているわけでも、ザフエルのように全軍をさながら精密機械のごとく自由自在に動かす統率力に長けているわけでもなく。
また指揮官として最も必要と思われる求心力に関しても――いや、これは別の意味で何かと不安がられ心砕かれているとは思うが――まるで自信がない。
だからこそ、他の将帥とは一線を画す象徴としての力が、対外的に必要だったのに。
しかし、血塗られた暗黒の《カード》など、おいそれと手に入れられはしない。
通常の《カード》ならば話は別だ。求める気になりさえすれば、存在する限りの全てを買い集めることも、決して不可能ではない。
義父のアーテュラス卿など、隠居したときはこれで畑を耕して畝を立てるんだ~などと言って、自慢げに《地陣九字》とかいうカードを見せびらかしていたほどである。当然その後レディ・アーテュラスに別室へと連れて行かれ、あの、いつものおっとりかつくだくだとした調子で、ひたすら説教され抜いてしまったらしいが――
レディ・アーテュラス。
はっとする。
ニコルはくちびるを噛んだ。
椅子を蹴立て、頭の中に計画表を書き並べつつ、立ち上がる。
行くなら今しかない。
数日中に、ノーラスの森は冬の帳に閉じこめられる。この地方では、すべてが一夜にして雪にうずもれてしまうことも珍しくはない。そうなれば犬ぞり以外、確たる交通手段はなくなってしまう。それすら深すぎる雪の前には無力となる。
ニコルは、頭を振って内心の疲れを追い払った。明日の朝には出られるよう、今夜中に準備をしておかなくてはならない。南国のイル・ハイラームまで、単騎ひそかに往復可能なのは今だけだ。
本来ならば、聖公国に存在していることすら、公には許されていない《暗黒属性カード》の入手。
他の者はともかく、ザフエルにだけは、目的を伝えておく必要がある。
急遽ノーラスを留守にすることになるが、しかし、そのためなら、たとえどれほど道中が危険であっても拒否されることはないはずだった。
危険を理由に、代わりの人間を遣わす、あるいはザフエル自身が赴くこともできない。その理由を思い
レディ・アーテュラスなら、きっと知っている。
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