「一人ぼっちで戦うわけじゃないしな」

 気色ばんだ悪魔が鉄錆色の叫声を響き渡らせた――瞬間。

 目にもとまらぬ神速の剣さばきが、銀の悪魔の喉笛を一刀のもとに両断した。

 甲高い悲鳴がおそろしく唐突に途絶える。銀の悪魔は瞬時にその姿かたちをゆがめさせ、吹きちぎられたように溶けていった。剣に残った毒々しい煙の尾が、空へ苦々しい残心の弧を立ちのぼらせてゆく。

「さて、ご説明願おうか、公子……」

「あああ、フラン!」

 チェシーが何か言おうとするのをさえぎり、ニコルはその場から飛び出した。土と涙によごれてぼろぼろになったフランゼスのそばに駆け寄り、屈み込んで、真っ青な顔で腕を肩の下に差し入れて声を掛ける。

「大丈夫? 怪我は?」

「言っておいたはずだ」

 だがニコルの狼狽をよそに、チェシーはぞっとするほど冷淡な口調で間に割って入った。

「なぜ私の忠告に従わなかった。馬車の中にいれば安全だと言っておいただろう。悪魔どもの行動を注意深く観察していさえすれば君にもすぐ分かったはずだ。奴らには何の知性もない。命令されたとおりにしか動けない木偶人形だ。それなのに、なぜ、わざわざ」

「ご、ごめんなさい……」

 フランゼスはおどおどとおびえた視線をチェシーへと走らせ、それからすがるような仕草でニコルの腕につかまった。

「あ……僕の本……」

「大丈夫、ここにあるよ」

 本に手を伸ばそうとするフランゼスを、ニコルは優しく押しとどめた。

「いいよ、僕が持つから。ほら、馬車に戻ろう。歩ける? 無理しないでね。大丈夫? そうだ、チェシーさん」

 怒りの矛先をそらそうと、わざと話を変える。

「殿下とヴァンスリヒト大尉をお願いします。お連れしてきてください」

 チェシーはうんざりした顔で横を向いた。

「あの頭の固い男まで一緒に連れ帰るのか。面倒だな」

 すかさず皮肉を交えてくる。ニコルは思わず苦笑した。

「失礼ですよそんなこと言ったら」

 そこで表情を変え、渋面を作って考え込む。

「今はそんなどうでもいいことを呑気にぺちゃくちゃくっちゃべってる場合ではないのです。まずは……そうですね、市街地の被害状況を確認しなくちゃいけません。それから今後の方針」

「あれだけの魔物を正面切って相手にするのは難しい。守護部隊の安全を確保しつつ無事に撤退できる方法を模索するのがいい」

「無理に撤退しなくても」

 ニコルは不安に駆られてつぶやいた。

「しばらく身を隠すなり、防御に徹するなりすれば、少なくとも援軍が来るまでの数日は持ちこたえられるんじゃ」

「援軍は期待できない」

 チェシーは即座に首を振った。

「シャーリアの首を取りにくるのか、それとも第一師団を待ち伏せて罠にかけるか、のどちらが敵の目標なのかが分からないからな。援軍は要請しない。我々をここに釘付けすること自体、敵の手だと知るべきだ」

 ニコルはくちびるを噛んだ。

「なに、根性で突破すればすむ話だ」

 チェシーは何気なさを装って、しれっと肩をすくめる。

「こ、根性ですか」

 ニコルは情けない顔でつぶやいた。ついよぎってゆく不安に思わず、握りしめた手を口元へやる。

「どうした」

 チェシーが歩き出しかけていた足をおもむろに止める。

「……こんなことなら、ザフエルさんにお願いして、もっと使いやすい他のカードを用意しておけばよかったと思って」

 ニコルはためらいがちに口ごもった。

「僕が準備を怠ったばかりに……すみません」

 チェシーが忠告したとおり、”暗黒”の属性を持つデス・トルネードは、通常のカードを遙かに上回る破壊力を有する。だがその力の代償として、凄まじい悪意の反動を及ぼす。いわば諸刃の剣だ。

 戦地に赴けば、一般兵あるいは民間人を巻き込んだ戦闘に至る可能性が皆無ではないことぐらい前もって気付くべきだったのに――

「僕のせいで、チェシーさんお一人に危険な任務を全部……」

「私一人に任せるのでは不安か」

 チェシーは何気なくニコルの自責を遮った。

「弱気な発言だな。君らしくもない」

 つむじ風が立つ。

 気取らない笑みを乗せて風は流れ、行き過ぎて、チェシーの髪をくしゃりとかき混ぜてゆく。

「そ、そういうわけじゃ……」

 うつむいて、眼をそらす。

「ならば何も気にすることはない」

 金の落ち葉がひとひら、ふたひらと舞っている。チェシーは笑いかけるような口調でつけくわえた。

「一人ぼっちで戦うわけじゃないしな」


 ――え……?


 耳を疑い、目を瞠って。

 ニコルはぽかんとして顔を上げた。

 あわてて目でチェシーを追いかける。

 びっくりするようなことを言っておきながら、チェシーはもうそんなことなど忘れたかのようにさっさと背を向けて歩き出している。何やらぞんざいにシャーリアを呼びつける声が聞こえてきた。

「ど……どうかしたの、ニコル」

 フランゼスが不思議そうな目できょとんとニコルを見つめている。

「顔が……あ、赤いよ……?」

 ニコルは目をぱちくりさせ、あたふたと飛び上がった。

「な、何でもないって! ほ、ほら、行くよ、フラン。脱出開始だ!」

 よろよろするフランゼスの背中を元気いっぱいにどやしつける。

 ニコルは解き放たれた笑いをあげ、走り出した。


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