【完結】 exile 異端《ウィルド》の血を引く魔女であることを隠すため、性別を偽り男装して聖騎士となったのに付き従う部下は超女ったらし亡命者と無表情にグイグイ迫る黒髪黒瞳の鉄血参謀

上原 友里@男装メガネっ子元帥

第1話 ニコル・ディス・アーテュラス、超女ったらし亡命者に逆尋問される

■第1話 男装メガネっ子元帥、超女ったらし亡命者に逆尋問される

 闇。闇。闇。

 疾駆する馬の感覚だけが頼りだった。深い森の道を一直線に駆け抜けてゆく。乱れる蹄鉄の音、踏み折る小枝の甲高い軋み。


「ハッ!」

 ふいに馬が飛んだ。倒木があったのか。それさえも乗り手には見えていない。

 甲高く鳴り渡る笛が聞こえた。追っ手の火が後方に広がる。思いの外、近い。


 乗り手は顔を上げ、振り返る。


 秀麗な面もちだった。今はするどく、けわしく、鋭利な刃物そのものの表情を浮かべてはいるが。


 一目見れば分かるゾディアック帝国の軍服をまとっている。巨大な太刀。深紅の立ち襟に黒の上着、折り返しの袖には三本の金線。上級大将の証だ。

 だが、その誇り高くあるべき軍服はところどころ裂け、汚れていた。斬り結んだ痕がありありと見える。追われているのだった。


 背後の松明が数を増やし、じりじりと迫ってくる。

 蹄の音が森を突っ切って駆け抜ける。ねばついた土くれが後方へと飛び散った。


 顔の横を、ごうっと音を立てる青白い炎が追い越していった。木々が火の手をあげ、夜を掻きむしる。

「逃がすな。回り込め」

 降りかかった声に、逃亡者が顔色を変える。

「……ブランか。やはりな」

 押し殺した声を漏らす。逃亡者は手綱を強くつかみ、殺ぎ落とされた野性味ある笑みをうかべた。


「奴め、本気だな」

 逃亡者の眼がぎらりと光る。国境はもうすぐだ。川を越えれば脱出がかなう――敵国ティセニアへの亡命が。


「撃て! 撃て! 逃すな!」


 後ろから浴びせかけられた銃撃の嵐が、鉄の車軸となって降り注ぐ。耳に鋭い跳弾ちょうだんの金属音が突き刺さった。


 前方の枝が折れ曲がった。頭上から降りかかってくる。

 逃亡者は馬に鞭を入れた。眼前に迫る倒木の下をくぐり、一瞬の間隙をついて駆け抜ける。


 直後、脇のベルトから投擲とうてき弾を引き抜きざま、信管のピンを口にくわえて抜き去った。

 背後へと放り投げる。


 轟音が闇を揺るがした。爆煙が背中を舐めるように吹きつけた。長い金髪が、荒々しく逆巻いてたなびく。


 亡命者は馬上に突っ伏し、襟首をあぶる熱風に耐えた。鞍に縛り付けた豪奢なこしらえの太刀が赤い炎を反射する。


 視界が煙に飲み込まれた。背後の炎が森を赤く焼き焦がす。


「悪いがブラン、手加減する余裕は今の俺にはちょっとなさそうだぜ」

 黒々と伸びる影を踏み越えて、亡命者はいっそう激しく馬を駆り立てた。



「敵襲っ」


 聖ティセニア公国における最北の防衛拠点、ノーラス。敵国ゾディアックとの国境線に位置し、激しくしのぎを削りあう難攻不落の大城砦である。


「敵襲!」


 当直の伝令が騒然と触れ回るなか、投光台から強烈な光条の束が放たれた。城砦の周辺を舐めるように照らし出してゆく。


 機銃歩兵が城砦の隔壁に駆け上がった。城門の格子戸が下ろされる。跳ね橋が上げられる。

 砲手の合図とともに、鉄鎖を響動どよめかせる巨大な青銅砲がり出した。狭間胸壁の銃眼から、青光りするまなこで眼下の森を睥睨する。


「閣下。緊急事態です」

 城砦内のとある部屋に、純白の軍服を身につけた長身の将校が足早に訪れた。ドアを短くノックする。


 ドアにはなぜか、《壊すな》《燃やすな》《爆破するな》《お願い!》と書かれたプレートが、やけくそみたいに釘で何枚も打ち付けられていた。


「閣下。ゾディアック軍の夜襲です」

 だが、ドアをノックしても、声を高めにしても、返事どころか起きた気配すらない。無反応。


 黒髪黒瞳、長身に映える黒のサーベルを腰帯に留めた、どこか機械的な表情の美青年は、せっかちにドアを叩く手をはたと止めた。顎に手を添え、しばし考え込む様子を見せる。


「ふむ」


「お、お待ち下さいホーラダイン中将」

 なぜか焦った様子で追いかけてきた士官が、慌てふためいた様子で押しとどめた。ホーラダインと呼ばれた将校は、無表情に振り返る。


「なぜ止める、レゾンド大尉」

「いえっ」


 今までそんな様子を見せたあとは必ず爆発が起きたではないか、などとは、とても当の本人を目の前にして言えるものではない。副官は、とにかく早くドアの向こうの張本人が起きてきて、この緊張を払ってはくれまいかと、ただそれだけを切に願った。


 彼の上官であるザフエル・フォン・ホーラダイン中将がドアを爆破する前に。


「それ以外に彼を起こす方法があるとでも?」

「いや、でも、それはしかし」


 レゾンド大尉は唇を引き結び、吹き出す脂汗をうんうんと流した。

 叩いてもつねっても起きないねぼすけと、毎回起こすのにドアを爆破する中将と、どちらの言い分が正しいのかなんて判断できるはずがないではないか。


 すると。


「う、うーん」

 珍しいことに、部屋の中から、奇妙な声がした。


「誰? ザフエルさん?」


「はい閣下」

 ザフエル・フォン・ホーラダインは、伏せていた黒い眼をすっと上げて答えた。

「ゾディアック軍の敵襲です」


「ん……ホントにそうなの?」

「ホントにそうです」


 いつ聞いても緊迫感のない会話だ。呑気に会話している場合ではないというのに。副官はもう恐慌寸前である。


「ふうん。鍵、開いてるよ。勝手に入って」

 ふにゃふにゃとあくびする声が聞こえた。と同時に、ザフエル・フォン・ホーラダインはドアを内側に押し開け、中に踏み込んだ。


 月の見える窓際に、人影がひとつ、切り取られて浮かび上がっている。

 ぶかぶかパジャマに同柄のナイトキャップ。足ははだしでスリッパ姿。お腹に枕を抱いている。ほっそりとした身体の線がかすかに透けて見えた。


「おはよう」

「おはようじゃありません」

「じゃあ、こんばんは、かなあ」

「それどころでもありません」


 ナイトキャップを引き下げて取ったその下から、青みを帯びた珍しい色の髪、薔薇色の瞳が現れる。そこへ、ぐるぐるの瓶底メガネが装着された。


「この騒ぎは何事かね、参謀部の諸君」

 寝起き直後のキリッとしたつもりな声が訊ねる。

「ですからさっさと起きろ(このねぼすけ野郎)と申し上げております、閣下」

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