第3話

 主が不在になった途端、部屋の灯りが消えた。

 建造物の骨組躯体や内外装材が備えるセンサーの多くは人間とそうでないものを正しく識別して機能する。

 父さんを追ってゆっくりと部屋を出た。トリンティと名付けられたアンドロイドを、僕は自分の身体同然に操ることができた。

 トリンティは介護医療アンドロイドの最新機種。ただしそれは、コアテック社が地上でのアンドロイド生産事業を終了したため、といういささか残念な理由による。

 それでもやはり、さすがは義肢や義体の世界的トップシェアを誇るコアテックだ。海棲哺乳類の筋繊維を使用した機体の、その動きの滑らかさや触感フィードバックの即時性の高さは感嘆に値した。

 視界にオーバーラップする気温や湿度といった各種数値、屋敷内部とその周辺情報、タイムスケジュール等々。隅の方にはコーカソイド系美女であるトリンティ自身の全身像も映し出されている。

 システムオールグリーン。問題があるとすればその格好だろう。ホワイトブリム、ブローチ付きタイ、ペチコートの上からエプロンドレス。モノトーンで固めた『ヴィクトリアン』とは何と古風極まりないメイドスタイルだろうか。

 かつて生身で暮らしていた懐かしの我が家を自由に歩き回る。

 トリンティとして得る視覚情報には、昔の僕が完全に見過ごしてしまっていたものが数多く含まれていた。

 外壁をはじめあらゆる場所にほどこされた超撥水技術、透明木材に弾性ガラス、常に住人の動向を窺う各種のセンシングシステム。当時としては最新のものだったことだろう様々な建材部材、制御装置の数々。

 問題は、それらが英国調の優雅なおもむきかもすよう、その雰囲気を壊さないよう、極めて高度な処理を施されていることだ。

 いったいどれだけの私財を投じたのだろう。どれほどの財貨でもって、今に至るまでこの水準の住環境をキープし続けているのだろう。自分一人だけのために。

 そんな疑問とあいまって、久々の帰省は、僕の中に感傷ではなく強烈な義憤をかき立てた。

 いっそアンドロイドの腕力でもって強引に事を運んでやろうか、などという良からぬ思いまでが頭をよぎった。

 懐古主義者であることはもちろん構わない。けれど今のご時世、そのスタンスを地上で実践することは顰蹙ひんしゅくを通り越して非難の対象でしかない。

 父さんをはじめとする懐古主義実践者たちの主張『昔は良かった』は、今や落伍者らくごしゃの言い訳。あるいは素封家そほうか戯言ざれごとだ。彼らの自己満足の陰にはたいてい身内の涙がある。

 何しろ、現行社会は地上残留派リマイナーズを親族に持つ者に対してとても厳しい。がかえって人類を一つにして、『世界は明日にも終わりかねない』という意識を皆が持つようになった現在、足並みを乱す者たちはどうしても歓迎されない。

 幸い、『海へ還る』ことが必然的にもたらすとされた人類の断裂、マインドステップ最初期に起こりうる諸々もろもろの抵抗については、世界政府が充分に事前評価アセスメントし、柔軟に対応できるよう様々な法整備をしてくれていた。今回僕に許可された、地上に住む父親への干渉もその一環ということになる。

 僕は苛立つ気持ちを理性の力で押さえつけた。常におおらかであれと自分に語りかけた。

 再三の申し入れを長年にわたってこばみ続ける父さん。そうと知りつつパラダイムシフトに抗い続ける頑固者。

 あの人が独善的なのは今に始まったことじゃない。そうだろう? 変化を極端に嫌い、新技術を怖れるタイプだ。

 ただ、新しいテクノロジーに対する戸惑いなら僕にも理解できる。慣れない者には熟達者が手を差し伸べなければ。

 まして相手は老人じゃないか。傲慢さと悪知恵で世に名を馳せた財界の雄である前に、紛う事なき実の父親じゃないか。

 そう思い直した僕は、まだ見ぬ息子ネヲに心の中で誓った。この機会を逃すべきではないけれど、だからといって人道に悖るような真似は決してしない、と。

 僕は廊下の途中で立ち止まり、何気なく窓を開け放した。

 屋敷は、個人の所有にしては大きな無人島の片隅、岬の側にぽつんと建っている。

 よく晴れた空。そしてどこまでも広がる大海原。本当に、きっとどこまで行ってみても青い海だろう。

 今や地表の98.75%を占めると言われる現実の海は、『現実』のそれよりも超然として冷たそうに見えた。

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