ボクノ奇譚

桑原 樹

はじめての電話

さて、春がやってきた。みなさまいかがお過ごしだろうか?

卒業シーズンの今、僕が思い出すのは去年のことだ。高校生活最後の日、級友達と最後の最後までバカ話に興じたことは今でも鮮明に覚えている。

もちろん、何を話していたかはわすれてしまったのだが。

門出は新たな旅立ちの始まりとはよく言ったもので、進級進学昇進はたまた留年浪人停滞に関わらず皆様は新しい生活を送り始めるのだろう。


そんな皆様に僕が経験したちょっと不思議な体験を捧げよう。

時は去年の4月。僕が大学に入ってすぐの頃に遡る。


そいつと話したのは一番最初の授業のときだった。なかなか話しやすいやつで普通に友達になり、じゃあLINEのアカウントを登録させてくれと僕が提案したまでは自然な会話だったと思う。

「俺、SNSはやらないようにしてるんだ」

衝撃だった。

自分はそこまで現代に染まりきっていないと、そこはかとないプライドがあったのだが、打ち砕かれた気分だった。

「え、え? スマホも持ってないの?」

「いや、スマホは持ってるよ。でもSNSとかちょっと怖いからさ……」

色々と不便じゃないのか、という言葉はなんとか飲み込んだ。

「じゃあ、電話番号くらい教えてよ」

そうして僕は慣れない電話帳への登録を行い、彼の連絡先をなんとか手に入れたのだった。


帰ってから気付いた。僕の連絡先を教えていない。

親との連絡以外ではほとんど使ったことのないスマホの電話帳を開く。初めての電話番号にかけるのはいつになっても少し緊張する。

3回の呼び出し音のあと、ガチャリと受話器をとる音がした。

「?」

おかしい。彼は自宅の電話番号を教えたのだろうか? スマホなら受話器をとる音などするはずがないのに。

「もしもし? 右田? 僕……鹿本だけど」

「……」

「もしもし? もしもーし」

いくら呼びかけても返事はない。10秒ほど待ってみるが、向こうが切る様子もないので彼のイタズラかもしれない。

「あのぉ、すみません、右田さんでしょうか?」

「――ぃ」

「へ?」

「いぃぃぃぃぁあぁぁぁああぁああ」

突然の絶叫だった。驚いてスマホを落としそうになる。

「す、すみません。かけ間違いました」

口早にそう言って電話を切った。

結局、彼に連絡する方法もなく、あれはきっとイタズラだったに違いないというこでその日は納得することにした。


次の日。彼に抗議せねばと待っていると彼は妙な顔つきでこちらにやってきた。

「昨日の電話、何だったんだよ」

驚いた。彼の方からそんなことを言われるなど思ってもみなかった。

「え? あれイタズラでしょ?」

「いや、ずっと『もしもし』言ってるから、こっちも応えてるのに、いきなり『間違えました』って切るし」

なんだろう。話が噛み合わない。

「いや、だって絶叫してなかった?」

「絶叫?」

言われてみればあの声は確かに彼とは似ても似つかない。もっと低く、ざらついた……。

「ねぇ、今日はそっちがかけてみてよ。僕の連絡先教えるから」


その日の夜、僕のスマホがSum41のStill Waitingを掻き鳴らした。

相手は電話帳に登録していた彼の名前だ。

「もしもーし。俺です。右田です」

正直ほっとした。やっぱり昨日のはイタズラだったらしい。それにしても手が込んでいる。

「もしもし。鹿本です。いや、お前やっぱ悪趣味だよ」

そろそろネタバレの時間だ。しかし、まぁこういう奴は嫌いではない。今度何か仕返しをしてやろう。

「もしもーし。おーい、聞こえてる?」

背筋がひきつった。

「いや、うん。聞こえてるよ」

「もしもし? もしもーし」

「もしもーし。聞こえてるって」

「いや、そういうイタズラは良いから。返事しろって」

「いやだから、聞こえてるって」

「えっと、鹿本だよね?」

「はい。そうです。僕で――」

「ひっ。すいません。間違えました!」

ぷつりと電話が切れた。


次の日、彼に電話口の声は全て聞こえていたことを伝えた。彼もあの絶叫と受話器をとる音が聞こえたらしい。


1週間後に彼はスマホを買い換えた。もちろん、電話番号も変えた。どうせ古かったから丁度良いと言っていたあたり、案外肝は座っているらしい。


それからしばらくして、気まぐれに彼の昔の番号にかけてみた。

『おかけになった電話番号は現在、使われておりません』

無機質な音声がそう伝えてくる。結局、あの現象の正体は分からないままであった。

「もしもし」

これまた気まぐれに呟いてみる。

ガチャリ。

受話器をとる音が聞こえた。

「――ぅ」

呻き声のようなものが聴こえた気がした。

心臓が早鐘を打つ。冷や汗が吹き出すのってこういうことか、と頭の一部が妙に冷静になる。あぁ、ダメだ。早く。早く。

僕は震える指で急いで通話を切った。

それからしばらくはその番号から折り返しの電話がかかってくるのではないかとビクビクしていた。


その日の内に電話帳から彼の古い電話番号は削除した。

今ではもう、その番号を覚えてはいない。


こうして僕の元へまた一つ日常が戻ってきた。

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