第4話 ジョン・チャーチルと国王

 マールバラ伯爵ジョン・チャーチルは元々、イングランド南部デヴォンシャーの王党派郷紳ジェントリ(下級地主)の出身である。


 彼にはアラベラという名の姉がいる。


 父の知人、アーリントン伯爵の伝手で宮廷に出仕するようになったが、そこで王弟ヨーク公に見初められて愛妾となった。


 ヨーク公のアラベラに対する寵愛は深く、その引き立てによりジョン・チャーチルとその兄弟は、軍人として出世街道に乗ることができた。


 ヨーク公はチャーチルの後ろ盾であり、さらには直接の上官でもあったのだ。


 ヨーク公自身、王政復古で王室に復帰するまでは大陸で軍人として転戦した筋金入りの本物プロであり、ジョン・チャーチルにとっては敬愛する主君でもあったのだ。


 国王に嫡出子がないため、王弟ヨーク公は次期王位継承者の有力候補でもあった。

 ジョン・チャーチル自身もオランダ侵略戦争、三十年戦争と数多の実戦をかいくぐり、武名を挙げてゆく。


 高まる名声、(次期)国王の寵愛。


 順風満帆たる前途に、狂いが生じたのは何故だったのか。


 いつからか、王弟ヨーク公がカソリックに転向したとの噂が流れ始めた。母親がフランスの王女であり元々カソリックだった、という主張もある。


 その噂は、カソリック排除のために議会によって審査法が改正(要職に就く者に対し、カソリックの教えを否定し国教徒としての儀式を受け入れることを義務付ける)されたことで真実であることが暴露された。


 ヨーク公は改正審査法による手続きを拒否し、公職を離れたのだ。


 国王は王弟ヨーク公の転向に反対し、ヨーク公の子女をプロテスタントとして育てる様命じたが、ヨーク公自身を改宗させることはできなかった。

 プロテスタントの地であるイングランドにヨーク公の身を置くことは危険、と考えた国王は、ヨーク公をスコットランドへ退避させた。

 ヨーク公は同行したチャーチルを、ロード・オブ・パーラメント(スコットランド貴族の最下級。イングランドの男爵位相当の位置)に採り立てる。


 その後、激しい政争を潜り抜けた末、ヨーク公は王位に就いた。これが前国王ジェームズ二世(スコットランド王としてはジェームズ七世)である。


 国王となっても、ジェームズ二世のジョン・チャーチルに対する厚い信頼は変わらなかった。ジョン・チャーチルはイングランド男爵位を授与され、常備軍司令官へも任命されたのだ。

 しかし、時局は思うに任せず、革命が発生するとジェームズ二世側からは雪崩を打つ様に多くの離反者が現れた。


 ここでジョン・チャーチルは苦渋の決断を下す。


 このまま国王の傍にあって忠義を尽くすことこそ誉れである。後世の歴史にも美名を残すこととなろう。


 だが。


 多勢に無勢、このまま戦っても兵を犬死させるだけ。

「将が兵に死を賭すことを命じられるのは、兵にとっても守るべき何かを守るためだ。それ故にこそ、兵は将の命に納得し従うことができる。そうでなければ、将は将であるべきではない。己が利益のためだけに兵を戦に向かわせてはならん」


 それが、上官にして義兄かつ主君でもある国王の教えであった。


 ジョン・チャーチルと常備軍は国王の下を離れ新政府に味方することを宣言した。

 ここに名誉革命と号する、無血の政変の帰趨は決したのだ。

 

 新政府側の要人との会合、新国王夫妻との謁見を済ませたジョン・チャーチルは指揮下の常備軍を臨戦態勢で待機させる。


 既に国王側には目ぼしい兵力もなく、戦闘は起こりえない。


 夜半、休息と称して一室に引き取ったジョン・チャーチルは、そこで目立たぬ暗色の服装に着替え黒のマントを纏い、暗闇の中に忍び出る。


 だが、部屋を出てすぐに行く手を阻まれた。

 ほかならぬ彼の副官や部下の指揮官たちだった。


「お戻りください。閣下」

 副官が抑えた声で告げた。

「……行かせてくれ」

「なりません」

 副官は言下に拒絶し、震える声で続けた。


「小官らは、国王陛下より命じられております。か、閣下が部下を置いて一人、国王陛下の下へ戻ろうとされたならこれを阻むように、と」


 陛下はご存知であったか、我が胸の内を。


 副官をはじめ、指揮官たちもジョンと同様に国王の薫陶を受けた者たちである。

 ジョン・チャーチルはまなじりを固く閉じて天を仰いだ。


 それ以上、誰も何も言わない。


 薄暗い廊下で、向かい合う男たちの頬が等しく濡れていたことを知る者はない。


 政変において、新政府・新国王夫妻の側への転身を決断し、無血革命を決定づける立役者となったジョン・チャーチルはその功績によりマールバラ伯爵に叙爵された。


 だが、裏切りによって地位を得た者の必然として、その後の彼は新国王から冷遇されることとなる。


 彼の姉は未だ前国王の傍にあって寵愛は続いている。


 幾度となく彼が前国王と通じて謀反を企んでいる、という噂が流れた。


 後にふたたび彼の人生は転機を迎えるが、それを預言できる者は存在しなかった。

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