19話  ギャル ー忠告ー


「俺と、沙優は」


 息を吸って、吐き出す。

 そして、ごくりと唾を飲み込んだ。

 脳内で、沙優の笑顔が思い出された。表情筋に力の入らない、あのふにゃっとした笑いだ。ここですべてをあさみに打ち明けてしまったら、沙優はどんな顔をするだろうか。

 急に、焦りが消え、冷静になった。


「……沙優が言ったことが、『事実』だよ」


 俺が言うと、あさみの眉がぴくりと動いた。


「事実、ってどゆ意味」


 あさみは、『事実』という言葉の意味を追及した。

 それは、言葉そのものの意味、ということではないだろう。俺がどういう意味でそう言ったのかと、訊いているのだ。

 俺は痒くもないのに頭をぽりぽりと掻いてから、言った。


「政治家がときどき、言ったりするだろ」

「何を?」

「『記憶にございません』って」


 俺の言葉に、あさみは小さく失笑した。


「いきなりなんだし。いま関係なくね?」

「いや、最後まで聞けって。あれってさ、本当に記憶にないと思うか?」


 俺が訊くと、あさみはほとんど考える時間もとらずに、首を横に振った。


「んなわけないじゃん。自分の言ったこと覚えてない政治家とかヤバすぎっしょ」

「だろ? でも、本人がそう言ってるからには、そういうことだと思うしかないわけだ、こっちは」


 俺がそこまで言うと、あさみは理解したように、小さく何度か頷いた。


「なる。つまり、そういうことにしとけってことね」


 俺は返事をせずに、黙ってそれを肯定した。

 あさみに嘘をついたのは、俺ではなく沙優だ。それを俺が勝手に暴くのは間違っていると、いや、正しくないと思った。


「でもそれって、嘘を認めてるのと同じじゃんね」


 あさみは少し目を細めて、射貫くように俺の目を見た。何かを試されているような気がしたが、どのみち、俺の言うことは変わらない。


「バレてるものを隠して、さらに嘘をつくほど器用じゃない。それに」


 俺はそこで言葉を区切って、深く息を吸った。息を吸うのと同時に、胸の中に、次に言うべき言葉が集まってくるような気がした。

 ふと、煙草が、吸いたいなと思った。


「あいつの隠したがってることを俺が勝手に言うのは、正しくないと思う」


 言い切って、俺は茶碗に残っていた最後の白米を口に放った。あさみが何も言わないのが気になって彼女の方に視線をやると、口をぽかんと開けて、俺をじっと見ていた。


「なんだよ」


 俺が怪訝な顔を作ると、あさみは自分に口がついていることを思い出したように、はっと息を飲んでから口に手を当てた。そして、くしゃっと破顔する。


「はは、ほんと、めっちゃ良い人じゃんね。ビビッたわ」

「は? 良い人?」


 訊き返すと、あさみは小さく頷いて、視線を机の上に落とした。


「フツーは、『正しいか、正しくないか』じゃなくて、『したいか、したくないか』で考えるもんだと思うわ。ニンゲンって」

「俺だって、したいかしたくないかで考えてるぞ」


 俺の言葉に、あさみは視線を上げて、まじまじと目を見つめてきた。どういう意味だ、と訊かれているのだと思った。あさみの目は、妙に物を言う力が強いと感じた。

 俺は小さく息を吐いて、言葉を続けた。

 単純なことだ。


「正しくないことは、したくない。それだけだ」


 あさみが、目を丸く開いて。

 すぐに、思い切り噴き出した。


「おい、なんだよ。なんか可笑しいこと言ったか?」

「あっは、いや、ちがくて……」


 あさみは心底可笑しそうにくつくつと肩を揺すってから、顔を上げて、口元を手で隠しながら言った。


「そういうこと言う時は一切目が泳がないのがクッソ面白くて」

「なんで面白いんだよ」

「カッコつけてそういうこと言うヤツっていっぱいいるけど、大体そういうヤツって、目がどっか行ってるんだよね。自分じゃない誰かに、かっこいいセリフを借りに行ってる、みたいな感じでさ。あれホントウケるんだけど、吉田っちの今のはさ」


 そこで言葉を切って、あさみは笑うのをやめた。


「本心で言ってるっていうのが分かったから、なんか驚いちゃった」


 ビビッた、とは言わなかった。

 俺は苦笑して、オウムのように同じ言葉を言う。


「驚いちゃったのか」

「あ、そうそう、ビビッた、ビビッたのよ」


 あさみはハッとしたように肩を震わせて、早口で言い直す。そして、それをごまかす様に言葉を続けた。


「ビビるくらい、良い人だわ、吉田っち」

「そんなことはない」

「あるって。沙優チャソ、マジでラッキーだったね」


 あさみはそう言って視線を再び机の上に落とした。彼女の目が、少しくらい色を灯したのを見て、俺は自然と目を逸らした。


「関わる人は選べても、出会う人は選べないから」


 あさみは小さな声で言った。

 さっきまでのギャル語はどうした、と茶化してやりたくなったが、やめる。


「だから、深く関わりたいと思えるような、良い人に出会えるって言うのは、ものすごくラッキーなことだって思う」


 最初、沙優があさみを連れてきた時、何故こんな先輩を家に連れてくるほど打ち解けたのかと疑問でならなかった。だが、あさみの時々浮かべる、どこか遠くを見るような目は少し沙優に似ていた。

 俺は首の後ろを掻いて、投げやりに言う。


「誰にでも、そういう出会いはあるだろ。今の時点でないなら、これからあるってことだ」

「なにそれ、別にウチがそういうの求めてるわけじゃないんだけど。ウケる」


 気付けば、あさみは元のギャル口調に戻っていた。


「なあ、お前、その喋り方疲れないのか?」

「は? 疲れるも何も、元からこういう喋り方だし」

「じゃあ時々出てくる普通の喋り方は、あえてそうしてるのか」


 俺の言葉に、あさみは明らかに「しまった」という顔をした。思わず、噴き出してしまった。


「なに笑ってんの! クソうざいんだけど」

「いや、お前、目が口ほどにものを言いすぎだと思ってな」

「は? なにそれ」


 あさみの視線があちこちに飛ぶのを見ながら、俺は肩を揺らす。あさみを指さして、言ってやる。


「世界水泳かよ」


 あさみは分かりやすく顔を赤くして、それから、俺の肩を手加減なく叩いた。


「痛ってぇ!」

「バーカ! 超ヤなやつ!」


 あさみにバシバシと肩を殴られていると、玄関の扉が開いた。


「ごめんごめん、店長の電話長くてさ……ってどうしたの」


 部屋に戻ってきた沙優が俺とあさみを見て、訝しげに目をほそめた。

 あさみはコロリと表情を変えて、立ち上がって沙優にすり寄った。


「聞いてよ沙優チャソ~、吉田っちがイジメてくんの。マジサイテーだからこのオッサン!」

「おい」


 俺とあさみを見比べて沙優は苦笑した。


「また、仲良くなってるじゃん」

「これが仲良いように見えるのか」


 沙優は「はいはい」と言いながらすり寄ってくるあさみを元の位置に座らせて、それから、俺の方に視線を寄越す。


「だってもうどっちもあんまり緊張してないじゃん」


 俺は黙って肩をすくめてみせた。

 沙優は、本当に他人の雰囲気や表情を感じ取る点において、かなり敏感なアンテナを持っているように思う。なんとなく、こいつに対して嘘は通用しないのだろうな、と思った。もとより、嘘などつく気はないのだが。

 ちらりと時計を見ると、もう22時を回っていた。

 高校生はそろそろ帰らせないとまずい。


「ほら、残ってるのさっさと食え。そんで、食ったら帰れ。送ってくから」

「え、別にいいって。10分で着くし」

「馬鹿、もう高校生が一人で歩いてたら補導される時間になってんだよ」


 俺が言うとあさみはけらけらと笑って手を横に振った。


「このへんマッポなんて歩いてないっつの」


 マッポって。

 あまりに古い言葉に俺は二の句が継げなくなった。


「それに、こんな時間にJK連れて歩いてたら吉田っちが職質されるんじゃね。ワロ」


 一瞬、警官に職質される自分を想像してゾッとした。しかし、高校生を一人で帰らせて不審者にでも遭遇されたらそれはそれで気が気ではない。


「どのみちこんな時間に一人で歩かせるのは不安だから、送ってく」


 俺がそう言いなおすと、あさみは鼻を鳴らした。


「最初からそう言えばいいぢゃん。ウケる」


 なんでそんなに偉そうなんだ、こいつは。


「送ってもらいなよ。うちに来た帰りに事故とか事件に巻き込まれたら嫌だよ」


 沙優がそう言うと、あさみもうんうんと何度か頷いた。


「沙優チャソもこう言ってるし、しょうがないから素直に送られてやんよ」

「お前はどこから物を言ってるんだよ……」


 苦笑しながらも、あさみのこういった語り口はそこまで嫌いではなかった。男同士で軽口を言い合うような、気軽さがある。


「でも、吉田っちが職質されてもセキニンとらないんで、そのへんはヨロ」

「いいからさっさと食えよ」


 あさみは何が可笑しいのか大笑いして、残りのおかずに手をつけた。

 あさみから流すように沙優に視線をやると、ばっちりと目が合ってしまった。沙優はじっと俺の目を見つめてくる。


「なんだよ」

「吉田さん、なんかにやにやしてる」

「してねぇよ」


 俺が投げるように答えると、沙優はくすくすと笑って、自分も残っているご飯に箸をつけ始めた。


 最初は失礼なギャルを連れてきたものだと思ったが、案外、上手くやれそうな二人だと思った。

 ずっと俺の家の中という閉鎖的な空間に閉じこもる形になっていた沙優が外に出て、新しく友達を作ったというのは、とても良いことのように思えた。

 そうやって、新しい経験を積み重ねて、過去の苦しみがどうでも良くなった頃に、きちんと向き合えばいい。


「ごちそうさま」


 俺は一足先に、夕飯を食べ終えて、いそいそとベランダに出た。妙に、煙草が吸いたくてしょうがなかった。ストレスから、ということではなく。煙草をくわえて、しみじみとした気分になりたかったのだ。

 タバコは、イライラしたときにも、嬉しいことがあったときにも吸いたくなるのだから、難儀なものだと思った。








「ここまででいいわ」


 談笑しながらあさみを送っていると、8分ほど歩いたところであさみがそう言った。


「家の前まで送ってくぞ」

「んや、いい。というか、家見られたくないし」


 あさみのその言葉には明確な『拒否』が含まれていた。遠慮してそう言っているわけではないのが分かったので、俺もそれ以上は何も言わない。


「そうか。まああと2分くらいで着くとはいえ、一応気を付けて帰れよ」

「心配しすぎでしょ。ウケる」


 あさみは小さく笑って、俺に手を振った。


「んじゃ。今更だけど、今日は押しかけてゴメソ」

「別に、家が狭いことを除けばそこまで困らないしな」


 困らないというのは嘘だ。正直、会社から帰る時は気が気ではなかった。


「でもウチ、ほんとにあの家結構いいと思うよ。狭いとこも含めて」


 あさみはそう言って、肩をすくめた。おどけた態度だが、やはり目は少し暗い色を宿していた。

 彼女が『狭い家』にどんな憧れを持っているのかは知らないが、どうも、あさみのあの目は見ていて気持ちの良いものではなかった。


「そんなに気に入ったなら、また来ればいいだろ」


 俺がそう言うと、あさみは目を丸く見開いた。


「え、いいの?」

「沙優の相手してやってくれよ」


 あさみは破顔して、俺を指した。


「親かよ。マジウケる」

「保護者だよ」


 俺の答えにこくこくと頷いて、あさみは息を吐いた。


「保護者ね、いいと思うわ。吉田っちがいいって言うなら、また行く」


 あさみは笑ってそう言って、「じゃ」と片手を上げてから、俺に背中を向けた。

 俺も片手を上げて頷いて、スタスタと歩いてゆくあさみを見送った。

 その途中で突然、あさみが振り返って、また俺の前まで歩いて戻ってきた。


「保護者さんにちょっとアドバイス的なアレなんだけど」


 あさみは自分の顔を人差し指でさす。


「沙優チャソ、笑顔の使い分けメッチャ上手いから、気を付けた方がイイよ」


 俺の返事を待たずに、言うべきことは言ったとばかりに、あさみは再び踵を返して歩いて行った。

 俺は黙って彼女の背中を見送る。何個か先の交差点を、左に曲がったところで、彼女の姿は見えなくなった。


「笑顔の使い分け……」


 沙優の笑顔を思い浮かべた。

 にへらと笑う顔。

 苦笑する顔。

 そして、何か含みを感じる、笑顔。

 あれをすべて自分で意図して操っているとしたら。


 あさみの「気を付けたほうがいい」という言葉が再び脳裏で再生される。


「気を付けるっつったって」


 どう、何に、気をつけろと言うのだ。


 俺は溜め息一つ、自宅に向けて歩き始めた。




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