第4話 血塗られた手と手

 イノシシの解体は隣の小屋で行われた。どうやらイノシシはまだ息があったらしく、新鮮なお肉の状態であった。

 まずダガーは華麗なナイフさばきで……おお、むごい。俺には直視できない。

「あ、ダガーおにいさん。イノシシの内臓食べてもい~い?」

 シエルがじゅるりとよだれを垂らしそうになっている。

「あとにしろ」

「は~い」

 あどけない顔してもモンスターですもんね。そうですよね。

「ぼさっとしてないで手伝え」

 ってかこれ俺手伝う必要ないよね。嫌がらせかこの野郎め。ああ、あんなに大きかったイノシシさんがどんどん小さくなっていくよ。

 俺は解体が終わったイノシシさんのお肉を村の人々に配って歩くのでしたとさ。


「あ~、おいしかった! もう、おなかいっぱい~」

  その夜、イノシシさんの一部はお鍋に投入され、おいしく俺たちのお腹の中におさまった。シエルはてかてかになった顔を輝かせながら、けふっと小さくげっぷした。

 結局、シエルはイノシシさんのモツ的なあれも残さず食べてしまった。いやね、食事中にはキツイ光景ですよ、ホント。

 イノシシ肉ってくさみがあるもんだと思っていたが、新鮮だからか、まったく臭感じられなかったな。それともダガーの料理の手際がいいのか何なのか。って料理までできるのかよ。俺の知っているダガーはどこに行ってしまったというのだ。あの根暗でむっつりすけべえなダガーを返せ。

「ねーね、ダガーおにいさん、今日泊っていってもい~い? ねーねー!?」

「帰れ」

「やだー! もう眠たいもん!」

「なら勝手に寝てろ」

「やったー!」

 シエルはするりと、おそらく普段ダガーが寝ていると思われるベッドに滑り込んでいった。

「ダガーおにいさんのにおい~! へへへっ!」

 シエルは布団に来るまれてにへにへしている。すると間もなく、今度は寝息が聞こえてきた。なかなか忙しいやっちゃ。


「……酒でも飲むか?」

「お、おう」

 何この気配り。成長しやがったなぁ。感慨深くて涙が出てきそうだ。あの、”殺す”という単語しか知らないような根暗やろうが……5年という月日はこんなにも人を変えるというのか。

 グラスに砕かれた氷が入れられ、そこに酒が注がれた。

「氷なんてどこから……」

「近くの洞穴の深くにいる氷鬼から肉などの保存用に分けてもらっている。この島は自然とモンスターと共存することによって営みが保たれている」

「そうか。だからシエルを見ても村人たちは驚いていなかったんだな」

 むしろイノシシを引きずっていた俺を怯えたような目で見てたな。

「それで何しに来た」

「かつての仲間たちが、今何してるのかを見に来たんだよ。あ、そうそう、カイルな――」

 俺はカイルのことを話してやった。仲間たちになら話しておいても大丈夫だろう。俺の話しを、ダガーは特に表情も変えずに聞いている。

「そうか。カイルがな」

「なんでぇ、反応薄いな。つまんねぇの」

「ふ、変わったヤツだと思っていたが、まさかあのドラゴンとな」

「ま、幸せそうだったよ、あいつは」

 ダガーは微かに笑っているようだった。


「なぁ、ダガー」

「なんだ」

「お前にとってはあんまり気持ちのいい話じゃないだろうが、聞いておきたいんだ」

「……」

「お前はかつて、多くの人を殺してきただろう。自分が生きるために。そして今、こうして人の営みの中で生きているお前は、過去の自分に何を想う?」

 ダガーはじっと、俺を見ている。

「俺は旅の中でモンスターを数多く殺した。それが自分の役割だと思ったし、人間に危害を加える連中を許してはおけなかった。俺が殺せば殺す分だけ、世界は平和に近づくもんだと信じていた。だが――」

 俺は自分の手を見つめた。

「戦いが終わり、魔王という大きな存在を失ったモンスターたちは、むごい仕打ちを受けることになった。それを見ても、最初は何も感じることはなかったんだ。でもあの声が……あの声を聞いてしまった俺は」

 今も耳に残っている。

 血だまりの中、親を失って泣き叫ぶモンスターの子供の泣き声を。

「それをみんなは笑ってみてたよ。ざまあみろってな。俺はその時、自分が何をしてきたのかわかったんだ。モンスターにも多くの種族があり、そして家族があるということに。俺はその命を奪ってきた。無慈悲にな」

 ダガーはまだ口を開かずにいる。俺は続ける。


「なあ、ダガー。拭っても消えないんだよ、この手についた血が。においが。時々夢を見るんだ。モンスターの子供が泣き叫ぶ夢を。夢の終わりは必ず、俺がその子供を斬り殺して、血に染まっているんだ。どうすればいい。俺はどうすればこの罪の意識から解放される」


「――知るか」


「何!?」


「懺悔なら神父にでも聞いてもらうんだな」

「ダガー、おまえな……俺は」

「キサマの言う通り、おれは多くを殺した。殺しはおれの一部だ。呼吸をするように、食事をするように、当たり前のように人を殺した。そんなおれが罪の意識に苛まれると思うか」

「……ダガー」

「仮におれが後悔したところで死んだものは帰ってこない。おれが人を殺したという事実は消えない。償おうとしたところで償いきれはしないだろう。キサマなんぞより、おれの手の方が血で汚れているだろう」

 ダガーは静かに自分の手を見た。

「どうすればいいなどという問いに意味はない。嫌でも向かい合っていくしかないだろう。生きている限り。苦しみ、あがきながら進むしかないだろう。それが嫌なら逃げるしかない。すべてから目を背けるしかない」

「逃げる……か」

「誰もいないところへ、誰の声の届かないところへな。しかし、どこへ行ってもなかなか一人にはなれないものだがな」

 ダガーは熟睡しているシエルに目をやった。


「お前はお前なりの答えを見つけてみせろ、レオン。おれは逃げずに前へ進むぞ。何もかもを背負ったまま、生き続けるぞ」

 その瞳には以前になかった生の輝きがあった。罪の意識に苛まれるかなんて言っておきながら、こいつは俺なんかよりずっと苦しんできたんだな。ちぇっ、年下のくせにすべてを悟ったような面しやがって。会っておいてよかったぜ、ダガー。


「でかい図体しているくせに縮こまっているんじゃない」

「うるせー」


 俺たちはグラスを合わせた。

 

 夜は静かに更けていった。


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