黒の暗殺者

 冷たい雨が降り続いている。灰色と雨音だけになった町におれは溶け込んでいる。

 標的が歩いてくる。これから命を失うことになるなど、微塵も思っていないだろう。

 おれは暗殺者。闇に生き、闇に死す者。

 物心ついた時からおれは人を殺してきた。命を、金品を、食糧を奪ってきた。自分が生きるために、殺し続けた。女子供であっても関係ない。そこにおれの腹を満たすものがあれば、奪うだけだった。


 気が付けば、おれは裏社会へと足を踏み入れていた。殺しの腕を買われ、とある組織に暗殺者として雇われることになった。

 仕事は単純だ。そしてそれはおれにとって最も簡単なことだった。

 依頼者から頼まれた相手を殺すだけだ。依頼主が誰であろうと関係ない。おれはただ、殺すだけ。

 おれはもう、何も感じなくなっていた。罪悪感など最初からない。喜びも楽しみもない。無感情に人を殺すだけの……怪物だ。

 今日もおれは人を殺す。そしてこれからもだ。


 標的が近づいてくる。

 おれは気配を殺し、足音を消して近づく。幸い、雨が仕事をやりやすくしてくれる。相手がどんな腕利きの戦士であれ何であれ、おれの存在に気が付く間もなく命を失うだろう。

 おれはナイフを標的の首筋に走らせた。これで終わりだ。雨と血が混じり、広がっていく様をおれは想像した。


「けっ。そんなもんで俺が殺せると思っているのかよ?」

「――!?」

 視界が反転した。何だ。何が起こった。背中が地面に叩きつけられ、激痛が走る。呼吸ができなくなる。

 手のナイフは、折れることなくぐにゃりと曲げられている。

「なぜ、だ。気配は完全に殺していたはず」

「ああ、完璧だったな。今までも命を狙われてきたが、お前さんほどの腕利きのヤツは初めてかもな。雨が降っていなきゃちょっとだけ危なかったかもな」

「……なんだと?」

「不自然なのさ。そこだけ雨音が変わるってのはな」

 雨音だと? そんなことに気付ける人間がいるというのか。

「……殺せ」

「あぁ? なんでだよ」

「ここでおれを殺さなければ、おれは再びキサマの命を狙うことになるぞ」

「あっそ。ならいつでも来るがいいさ」

 標的の男はおれに興味ないといった感じで歩き始めた。

 おれは初めて悔しいという想いをした。おれはこの男を殺す。必ず殺す。そうしなければおれは前に進めないと思った。


 そしておれは、毎日のようにこの男の命を狙い続けることになる。しかし、おれはヤツの命を奪うことができなかった。それどころか、ヤツの仲間にも返り討ちにあう始末だった。

 おれはヤツを殺すことに執着した。気が付けばおれは、人間を殺さなくなっていた。殺す相手はいつしかモンスターたちに変わっていた。

 ヤツをつけて回る先にはモンスターたちが必ずいた。連中は当然、おれにも襲い掛かってきた。人間を殺すのもモンスターを殺すのも変わらない。必ず急所というものが存在する。おれはそれを見抜くのが得意だった。

 

「よう、お前もこっち来て飲めよ」

 森の中。焚火の番をしていながら酒を飲むヤツが、闇の中に溶け込むおれに声をかけた。

「しかししつこいね、お前さんも」

「おれは今、キサマを殺すためだけに生きている」

「まぁ、どうでもいいけどよ。酒、飲むか?」

「いらん」

 しかし少々疲れていたおれは、ヤツの近くに座った。疲れなんてものを覚えるのも初めてのことだった。


「お前たちは何の旅をしているんだ。いつもモンスターと戦ってばかりだな」

 おれは初めて、自分からヤツに尋ねた。ヤツに興味を持ってしまったことが、おれの人生を狂わせることになるとは思ってもみなかった。

「魔王を倒すためだよ。お前にも協力してもらうぞ」

「……何を馬鹿な」

「お前、ずいぶんとモンスターたちを殺したから、多分連中のお尋ね者になってるぜ。ここで引き返したところで、命を狙われるだろうな。俺たちと一緒の方が安全だぜ? ははっ、どうだ。命を狙われる暗殺者の気分ってのは」

「キサマ……まさか、最初から!」

 ヤツはにやにやと笑っている。単なる馬鹿力で脳みそも筋肉でできているもんかと思っていれば、キレるヤツだったようだ。やられた。

「ちっ。やはり飲む。酒をよこせ」

「ほらよ」

 おれは一気に酒を飲みほした。

「いいのみっぷりじゃねぇか」


 その時だった。

 空から”歌声”が聞こえてきたのは。

「なんだ、これは」

「モンスターが歌っているのかもな。何の言葉かわからないが、きれいな歌声だな」

 樹の間。わずかにのぞく月明りを、一瞬何かがさえぎったような気がした。

 おれたちはその歌声に聴き入っていた。歌を聴くのは初めてのことだったが、それは何だか体に染み込んでくるような気がした。


「ところであんたの名前はなんていうんだ?」

「なぜ名乗らなければならない」

「これから一緒に旅するのに不便だろう。いいから教えろよ。ぶん殴るぞ」

 こいつの拳は半端なく痛い。だが相当手加減していたことをおれはこの後の旅で知ることになった。こいつは本当に馬鹿みたいな力でモンスターをなぎ倒すんだ。


「……おれには名前がない。ただ、仲間からは”ダガー”と呼ばれていた。物心ついた時から持っていたダガーナイフを、おれはいつも腰にぶらさげていたからだ」

「ダガーか。じゃあ、そう呼ばせてもらうぜ」

「キサマの名も聞いておいてやる」

 依頼主からは顔と特徴しか聞いていなかったからな。


 ヤツはにかっと笑って、得意そうに名乗る。


「俺か? 俺の名前は――」


 

 ここから、おれの長い長い旅が始まった。





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