福智「ぶくぶくぶくぶく……」

「起立、礼」

『さようならー』

 帰りのホームルームも終わり、放課後になった。掃除当番にもならず、部活にも入っていない俺は家に帰るだけだ。

「立花、ナンパしに行こうぜ!」

「断る」

 稲佐からの誘いをはっきりと断る。

「後で後悔するなよ?」

「何で後悔しなきゃいけねーんだよ」

 放課後になると交わされる、いつものやり取り。稲佐はさっさと教室を出て行った。本当にナンパをしているのかどうか、実は放課後の稲佐の行動をよく知らない。まあ、知りたいとも思わないが。

「さて、と」

 席から立ち上がり、リュックを背負う。俺も帰ろう。

「あ、待って、立花くん」

「え?」

 ドアを開け、教室を出たところで呼び止められた。振り返ると、福智がバックを肩に掛けて俺の方へと歩いてきた。

「この後、用事ある?」

「いや、無いが」

「なら良かった。ちょっと付き合って」

「は?」

 俺が戸惑っていると、福智は俺の手を引いて歩き出した。1組の教室が階段のそばで良かった。他の生徒にこんなところを見られたらどんな噂が立つか……いや、それでも何人かの生徒には目撃されてしまった。

「おい福智、どこに行くんだよ」

「ちょっと部室まで」

「は?」

 あっと言う間に北棟1階、通称「部室棟」についた。福智は俺の手を引っ張ったまま、躊躇なく通路のドアをくぐった。

 築南高校は割と部活動が盛んだ。

 運動部はそれぞれの活動場所の近くに部室が設けられている。特定の活動場所を持たなかったりする文化系の部活のいくつかは、校舎北棟1階に部室がある。真ん中に通路があり、左右にそれぞれの部室が並んでいる。

 福智に連れてこられたのは、文藝部の部室だった。

 六畳くらいの部屋で、ドアの付近以外は簀子が敷かれ、カーペットが広げられていた。入って左側の壁に本棚が並び、部屋の中央には小さな折り畳み式のテーブルがある。本棚には名の知れた小説以外にも、漫画なんかも並んでいる。

 連れ込まれた勢いのまま俺はドア側に座り、福智はテーブルの反対側に座った。ドア横のコンセントにコードを差した電気ケトルでお湯を沸かして、福智はお茶を淹れてくれた。

「はい、どうぞ」

 コト、と俺の前にお茶の注がれた湯呑が置かれた。湯気がゆらめきながら立ち昇っている。

「お前、文藝部だったんだな」

「うん、あまり文藝部らしい活動はしてないけどね」

 福智は自分の湯呑のお茶を啜った。

「熱っ」

「そりゃ淹れたてだからな」

 火傷したのか、舌をちろりと出してひぃひぃ言っている。

「大丈夫か?」

「うん、大丈夫。ちょっと火傷しただけ」

「全然『大丈夫』そうに見えないけどな」

「あはは、そうかな」

 福智の笑い声が部屋に響く。部室棟は妙な静けさに満ちていた。そもそも人気が感じられない。いつもこんな感じなのか?

「で、俺に何か用があるの?」

 福智に引っ張られるままここに連れてこられたが、「ちょっと付き合って」と言われただけで、何も聞かされてない。

「ああ、それはね……そろそろ来そうなんだけどな」

「?」

 福智がチラチラと壁にかかる時計を見る。

 ……誰かを待ってるのか?

 俺がしきりに首を捻っていると、福智が慌てたように喋りだした。

「あのね、ちょっと立花くんに話があってね」

「話?」

「あ、えっと、変な意味じゃなくて……」

 軽く福智がパニクり始めたその時、

「立花ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」

「ひゃあ⁉」

「うわ!」

 ガタン、と入り口直上の通気口の蓋が外れて落ちてきた。まるで怨霊のような声と共に、逆さまに頭を覗かせてきたのは――

「稲佐⁉」

「ほっ」

 稲佐は一旦頭を引っ込めて足先からその全身を現すと、しばらく通気口の端を掴んだままぶら下がり、そのまま手を放してポンと着地した。

「お前どっから入ってきてんだよ!」

「そんなことはどうでもいい‼」

「どうでもよくねえよ‼」

 スパイのように部室へ侵入してきた稲佐は、鼻息荒く肩も怒らせて俺を睨む。なぜだ。

「おい福智、お前も稲佐に言ってやれ……」

 そう言いながら振り返ると、

「ぶくぶくぶくぶく……」

「福智⁉」

 福智が口から泡を吹いて倒れていた。

「おい、しっかりしろよ!」

 ゆっさゆっさと福智の体をゆするが、反応が無い。

 これは……マズくないか?

「立花、抜け駆けは無しだって言っただろ‼」

「そんな話をしてる場合かよ!」

 涙ながらに稲佐が何かを訴えてくるが、そんなことはどうでもいい。福智を助けようとその体を抱え上げる……で、

「えっと、これ、どうしたら良いんだ?」

「! やっぱり、お前、福智のことが……この裏切り者!」

「だからそんな場合じゃねえって!」

 稲佐の声のボルテージが上がるにつれて俺の方も上がっていく。

 それが最高潮に達したところで……

「ごめん、るりちゃん、遅くなっちゃった……って、あれ?」

 ガチャリ、とドアを開けて一人の女子が入ってきた。

 俺たち二人は動きを止めてその女子を見る。

 紺よりも暗い青の髪、肩ぐらいの長さのストレートで左右の一房を後ろに回して結んでいる。そしてウチの制服に包まれた……胸。制服に抑えつけられて苦しいと言わんばかりにその存在を主張していた。

 ゴクリ、と稲佐の喉が鳴った。

 見慣れぬ男子二人にマジマジと見つめられて戸惑っていた彼女が、ややあって口を開いた。

「え、えっと……どちらさま?」

「2年1組の稲佐健吾です。どうですか、今夜一緒に――ぐげっ」

 シュッと女子のそばに寄って怪しげな自己紹介を始めた稲佐に、手刀を一発食らわせて黙らせた。

 必然的に、彼女と目が合う。

「………」

「あ、えーっと……」

 さて、どこからどう説明したものか。

 ……ふう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る