福智「私のお弁当食べる?」

「こうして世界は平和を保とうと努力していたわけで――」

 結局、午前の授業中そして休み時間と、福智と言葉を交わすタイミングは無かった。俺の左隣に座る稲佐に執拗にまとわりつかれたせいだが。

 もう諦めた方が良いのかもしれない。しつこい奴は嫌われるって言うしな。

 そんなことを考えながら窓の外を見ていた。

 目に映る空はやや曇っていて、昼間にも関わらず少し暗かった。

「おっと、そろそろ時間ですね」

 世界史の授業を担当している前島先生が、自分の腕時計を見てそう言った。授業の終了を示唆する先生の言葉に、教室のあちこちから教科書を閉じる音がする。

「では、ちょっと片付けのお手伝いを頼みましょうかね」

 前島先生の言う「お手伝い」は、ただの「パシリ」だ。

 先生が持ってきたデカい地球儀やら様々な教材を、生徒に社会科準備室に持って行くように指示して自分はさっさと社会科教員室に帰る。

 次が昼休みだから、俺としては手伝わされたくない。

 毎日のことだが、教室後方ドアの傍の席に座る長尾には、ドアを開けて進路を確保してもらっている。

 これで先生に指名されなければ完璧だ。

「では今日は……立花君と、福智さんにお願いしましょう」

「!」

「……はーい」

 くそ、当たらないでくれと願った時に限って。ああ神よ、俺に敗北の苦難を再び味わわせるおつもりですか! なんて心の中で言ってもどうにもならず。

「では、これで今日の授業は終わりです」

「起立、礼」

『ありがとうございましたー』

 俺は泣く泣く先生の「お手伝い」をすることになった。

 一抱えもある地球儀を俺が、デカいカゴ一つを福智が持つ。

校舎東棟4階にある社会科準備室までは短い道のりだ。

「よいしょっと」

「………」

 難なく辿り着いた俺たちは、先生に指定された入り口そばの低い棚の上に地球儀とカゴを置いた。

 ここに来るまでの間、俺と福智はほとんど言葉を交わして無かった。今も福智は俯いて俺と顔を合わせようとしない。

「戻ろうぜ」

 空腹感に急かされるように出口へと足を向けながら、とりあえず声を掛けた。

「ねえ」

 初めて、福智が口を開いた。

「どうした?」

 ドアノブに手をかけながら振り返ると、地球儀やらを置いたテーブルの端に腰掛けて福智が俺を見ていた。

「いや、あの、さ……」

 ごにょごにょと福智は口ごもった。まるで恥じらうかのように体をもじもじとさせ、視線を俺から外して床に彷徨わせた。

 俺はもう次の言葉を予測していた。

「何でもない、か?」

「え?」

 福智は驚いた表情を見せた。

 俺は苦笑しながら言葉を付け足す。

「いや、何か今日は福智からそればっかり聞いてるな、と思ってさ。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。俺はモヤモヤしたままでいるのが嫌いなんだ」

 俺にできる精一杯の真剣な表情で福智を見つめる。

 それでも福智はまだ迷っていたようだが、しばらくして観念したように口を開いた。

「立花くん、皆に何も言わなかったんだな、って……」

「は?」

 何のことかわからず聞き返す。福智は「しまった」という顔をしたが、すぐに答えてくれた。

「私、昨日の昼休みおかしかったでしょ? あのこと、誰にも言ってないんでしょ……?」

「ああ……」

 そういえば、そんなことあったな。完全に忘れてたぞ。

「どうして、言わなかったの?」

「どうして?」

 福智の問いに、俺は首を傾げた。

「どうしてそんなこと俺が言わなきゃいけないんだよ?」

「え、だって……」

 福智の目が揺れた。

「私、明らかにおかしかったじゃない」

「ああ、おかしかったな」

「なら……」

「だからって俺がそのことを言いふらして何になるんだよ? 拡散して欲しかったなら別だけど」

 俺はキッパリと言った。おかしな言動をしていたからって、言いふらして笑い種にするようなことはしたくない。そんな意味の無いこと、誰かが傷付くようなことを俺はしたくない。

 福智は少しの間俺を見つめた後、照れたように目を逸らした。

「……そっか、ありがとう」

「感謝されるようなことしてねえけどなぁ」

 昨日といい今日といい、福智の考えは不思議だ。深追いするのはやめよう。腹も減ってるしな。

「じゃあな。はー、腹減った」

「あ、待って!」

 適当に手を振って準備室を出ようとしたところで、福智に腕を掴まれた。

「え、何?」

 急な出来事に、俺は動揺しながら福智を見た。切羽詰まったような顔で福智もまた俺を見ていた。

「私のお弁当食べる?」

「は?」

「あ」

 ……俺の聞き間違いだろうか?

 しかし福智はシュボッと耳まで真っ赤に染まると、俺の腕を掴んだまま硬直してしまった。

 これは、どうしたら良いんだ?

 適切な対応が思いつかず、そのまま立ち尽くす。

 

 突如訪れた沈黙。

 チッチッチッチッチッ………

 壁時計の秒針が刻む音が部屋に響く。

 無為無策のまま、時間だけが過ぎていく。


「ご……」

「ご?」

 永遠にこの時間が続いてしまうのかと思い始めた時、福智が言葉を発した。

「ごめん!」

 そして俺を押しのけてドアを勢いよく開けると、そのまま走り去っていった。

 また俺は取り残された。

「この流れまたかよ」

 天井を仰いで息を吐き出す。俺は福智との相性が悪かったりするんだろうか……まあ、いいや。

 俺は歩き出した。何よりもまず腹を満たさなきゃな。

 そうして俺は社会科準備室を後にした。

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