お人好しの

「ああ、辛いよな、辛かったな、おじさんも判るよ。」


声のした方を向くと、見るからに、人の好さそうなおじさんが、僕に話しかけてきた。


「おじさんもな、君くらいの年の頃はよくあったもんさ。

 でもな、こんなところに居ちゃぁ、何も変わらない。」


冷たくも、暖かい風が吹く季節。

ビュウビュウ、と、

建物に当たった風が裂ける音。

此処は、あるビルの屋上。


「関係ないよ、おじさん、あっち行っててよ。」


僕は初対面のおじさんに、突き放すような言葉を投げつける。

目線は合わせず、ずっと遠くを眺めながら。

目を合わすのは怖い。

覚悟が鈍る、そんな気がした。


「しかしなぁ、放っておけないよ、お節介なのは分かってる心算つもりさ、それに君は若い。」


柵の向こうで、おじさんがゆっくりした口調で話しかけてくる。

知るもんか。その言葉が言えず、飲み込む。


「最初は、皆、ただの遊びだったのかもしれない。」


抵抗出来なかったせいで、行為はエスカレートしていった。


「友達だって呼べる奴はいなかった。皆裏切った。」


助けてくれなかった。目も合わせてくれなくなった。


「大人も助けてくれない。全部自分のせいだって言われた。」


保身のためか、受け持ちのクラスにイジメが発覚すると、減給されるという噂を耳にしたことがある。真偽は定かではないが。


「それでも、こんな世界に、まだ居続けろって。

 おじさんは、そんな残酷なことを、僕に言うの?」


おじさんに背を向け、僕は問う。


「違う・・・違うんだよ・・・・何て言うか、違う・・・・」


おじさんがシドロモドロに答えになってない応えを呟く。


「何が違うっていうんだ!

 知ったようなこと言って、おじさんだって何も理解してないじゃないか!」


柵と屋上の縁の間の、狭い足場で振り向きながら叫んだ。

その時だった。


ビュウッ!と、風が勢いを増して、僕の胸を突き飛ばす。

一瞬焦って必死に腕を伸ばしたが、柵には届かなかった。


おじさんの困り顔が、遠くの山が、空が、逆さまになった向こう側のビルが、順番にスローモーションで過ぎていき、そして足場の感覚が無くなる。


(ああ、落ちる。死ぬ、のか。)


覚悟を決めた筈なのに、怖い、しかし、妙に落ち着いている。


(世界がゆっくりだ。)


感覚として30秒くらいか、実際は10分の1位なのかも知れない。


そして強い衝撃が視界を揺らし、世界を横向きに固定する。

地面に着いたのか。


「だから、違うんだよ。」


目の前にはさっきのおじさんの姿。

奥の電柱の足元には、新しめの花束と、缶コーヒー。


「君はもう、死んでいるんだ。

 もう思い出して苦しむ必要は、無いんだよ。」


ああ、そうか、だからか身体は痛くない。


目の前には人当たりの良さそうな死神、そして僕は、

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