<甲二十六 ――――――>
淵田の死を知らぬジミーは、それから約一時間後の午前十時半ごろ、ようやくもとのロンドン郊外にある基地近辺にたどり着いた。
「丸一日と経ってないけど、三千キロくらい飛んだかな。やれやれ、雲はあるけど、着陸に問題ないな」
曇ってはいたが、ロンドンはおろか、百キロ先のポーツマス辺りでも雨は降ってないようだ。とくに、強い風もない。ジミーは「こんな時、敵が来なければいいな」と、周りをきょろきょろ見ながら、アプローチし、無事に着陸した。
「ただいま……って、物々しいな」
いつもの詰め所に戻ると、ピーターやワトソンらパイロットたちが、いつでも飛べるような格好で待機していた。
「ちょっとやばいんだ。雨が止んだ途端にあちこちが空襲されてる」
ワトソンが渋い顔をして言った。
ジミーが「煙は見えませんでしたが」と答える。
「あっちは一雨あったのかもしれないな」
と、ワトソンが言ったところで、ピーターが「ところで」と口を挟んだ。
「ところでジミー、アドミラル・栗田から差し入れが来てるぞ」
そういわれて、ジミーはピーターの差した方を見た。その先に小さな木箱があり、中に蛇の絵が描かれた赤いラベルの貼られた小さなガラス瓶と、ブリキの缶が入っていた。そして、何かメッセージの書かれた紙切れが差し込まれている。
『ジミーへ。
いつぞやの気付け薬をまた進呈する。
作り方はブリキ缶の粉をひと匙、瓶に入れて溶かすだけだ。
物凄く元気になるので、子作りに励むように 栗田』
「あはは、子作りって。誰だ、メリーのことばらしたの」
ジミーは引きつった笑いを浮かべつも、缶を開け、中に入っていた匙で一つ、瓶に粉を入れた。そして「水、水」といいながら、流し場に駆けていった。
約一分後、戻ってきたジミーが「こいつが効くんだよ、どのくらい効くかと……」と言いかけたところで、急に空襲警報のサイレンがけたたましく鳴り出した。
「ジミー、わりい。話は後だ!」
ワトソンは話を区切り、待機中の隊員たちを率いて飛び出した。
ジミーも瓶の中身を二口ほど飲み、後に続いた。
「ワトソン隊長、俺もさっきの零戦で出ます!」
「馬鹿言うな、あれは親子機用の特別仕様で、豆鉄砲しか積んでねえ。格納庫に新型スピットの試作機があるから、そいつを使え!」
「と、飛べるのですか?」
「先週俺がテストで飛んで、整備も万全だ。ちょっとじゃじゃ馬だが、おまえなら飛ばせる!」
ワトソンに言われて、ジミーは舞われ右をすると格納庫に走った。
「スピットはどこだ……」
ジミーが見舞わすと、すぐにそれは見つかった。
「あったあった。しかしなんだ、このごっついエンジンは? まあいい、誰か、回してくれ!」
コクピットによじ登りながら叫ジミー。すると、待避壕に潜りかけていた整備士が数人駆けてきて、よってたかって格納庫の外まで引っ張り出すと、すぐにエンジンをかけてくれた。
「よし、いくぞ」
ジミーはすっとんで逃げていく整備士たちに手を振ると滑走路に向かった。
一方、飛行場に隣接する軍病院では、昨夜に続いて、またも患者や職員の避難に追われていた。
動けない者は担架や車いすで、動ける者は自力で地下壕に向かう。
「こら、メリー。俺は歩けるから、その、年より扱いしないでくれ」
「怪我人なんです、あなたは! はい、車いすに乗ってください」
メリーは持ってきた車いすを、栗田に差し出した。
「だから、もっと重症な奴に回せと言うとろうが。あいてて、一応、杖はくれ」
と言って栗田はパジャマ姿の上に上着を羽織り、車いすを突き返して、杖を受け取った。
「まったくもう。早く退避してくださいよ、アドミラル・クリタ」
「わかっておるって。それより、おい、もっと重症の連中の面倒を見てやってくれよ」
「はいはい」
メリーは提督相手に、ただのじい様でも扱うようにむすっとして言った。
「ところで、待避壕の入り口はどこだ?」
とぼけた口調で栗田が聞いた。
聞かれたメリーは呆れて「あはは」と笑うと、手を伸ばして「あっちです」と指さした。
栗田はその指の方を見て「ありがとう。では、お先に」と、立ち上がり、少し顔をしかめながらすたすたと病室をあとにした。
出遅れてしまったジミーは、新型機を駆って一人で空へ飛び上がった。
「おお、すげえエンジンだ!」
新型は、舞い上がってからのエンジンの伸びがまるで違った。息切れすることなく、どんどん高度が上がっていく。
その高みから、ジミーは高度を落して侵入態勢にある双発機の編隊を発見し、逆落としに突っ込んだ。
「おいでなすったな。うほぉーー速ぇえ!」
隊長機とおぼしき相手を照準機にとらえると、その中で姿がみるみる大きくなる。そして間合いを計り、ここぞとばかりに引き金を引いた。
ドカドカと蹴飛ばすような強烈な振動とともに、四本の太い火線が敵機に伸び、あっという間に双発機の翼をへし折った。
ジミーは「すげえ」と思いながら、その勢いを保ったまま敵編隊を突き抜け、すぐに反転して急上昇をかけた。新型スピットは、ジミーが舌を巻くほどの切れ味で鋭く切り返す。途中、護衛のフォッケが突っかかってきたようだが、急な切り返しについてこれずに、下の方に消えていった。
「もう一丁!」
ジミーは急上昇しながら、もう一機の爆撃機に機銃を撃ち込み、エンジンから火を吹かせた。その機はすぐにきりもみに陥り、明後日の方に堕ちていく。
さらにもう一機狙おうとしたところで、フォッケが三機も集まってきた。腕のいいパイロットが減ってしまったのか、その動きは鈍いものだったが。しかし数の多さに、たまらずジミーは進路を変えた。
すぐにフォッケをはぐらかして再突入を試み、まっしぐらに次の相手に、行けなかった。
視野の片隅に、よろよろとしたシュツーカの姿。
「メリー!」
それは、丁度飛行場の裏にある病院の辺りに突入しつつある。
ジミーは慌ててそれを追ったが、新型をもってしても間に合いそうになかった。
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