<甲二十 ―――――――>

 午後一時半、コックのピエールは、戦艦リシュリューので指揮をとる、シューマッハーのもとへ昼食を片付けにきた。

「わお、ブレストだねー」

 ピエールは、艦橋という高い所から外を見て言った。

「ああ。昨夜から飛ばして、もう着いたよ。これから補給さ。。あいにくの天気だけど」

「ここだったら、ゴハンの材料、たくさーん積んでけるよ」

 シュマッハーは「また美味いのを頼むよ」と、ピエールを下がらせた。

 居なくなった所で、つい先ほど届いた電文に再度目を通した。

「どうしたものかな。あれほどウダウダ言ってたフランスが」

 親独の傀儡政府が立ち、建前が何であれ被占領国にちがいないフランスは、いままで兵力の拠出に関して「しぶしぶ」という様子だった。このリシュリューも、「フネは貸しても人は貸さない」ことを条件に、ようやく借りたのだ。

 ところが一転、昨日から今朝にかけて軍艦をかき集めて、参戦すると言ってきたらしい。プロバンス他戦艦三隻、フォッシュ他の巡洋艦四隻を含む、殆ど全力と言っていい大兵力だ。

「昨日のが、よっぽどプライドを傷つけたのだろうか」

 シューマッハーは昨日チャネル諸島沖であった海戦のことを考えてみた。詳しいことは不明だが、完膚なきまでに叩かれたらしい。作戦では、一部であれ敵の気を引いたらさっさと退散するはずだったのだが、逃げる間もなく追いつめられてしまったそうだ。

「お、降ってきやがった。もう一日ばかり、降っていてくれんかな」

 外を見ると、とうとう雨が降り出していた。辺り一面真っ暗、当分続きそうだ。

 これで空襲の心配がだいぶ減る。一日でもあれば、それなりの補給と応急修理が可能だ。ついでに、偵察機を飛ばせないせいか、大艦隊の影におびえるように、敵の残存艦隊に動きが無い。

「それに……」

 シュマッハーは視界の悪い海の、ずっと先の方を見た。

「このままいけば、勝てちまうな」

 あれ、まてよ。俺は負けるつもりだったんかいな。



 春とはいえ冷たい雨の中、上陸部隊がトーバーに次々と陸揚げしている。

「あんなに叩いてたのに」

 オスカーはその様子を見ながら言った。

 昨夜、徹底した艦砲射撃を行ったと言うのに、何処からとも無く陸軍の兵隊が現れて、ただ出させ荒天で手こずっている陸揚げを、さらに妨害している。

――ドン! ドン! ドン!

 艇首の八十八ミリ砲が原に響く音とともにたて続けに火を噴く。作りかけの橋頭堡に向かう英戦車を狙っていた。しかし、雨が降り海がやや荒れているため、固定式の大砲はなかなか当たらない。十発以上撃って、戦車をひとつ、ようやく撃破した。

 彼の三十四号艇は、今朝から右へ左へ支援攻撃に奔走している。だが相手は陸上物ばかりなので、魚雷要員のオスカー達は本来の仕事が無い。代わりに、弾薬運びや飯の用意、見張り等を手伝っていた。

 陸上ではあちらこちらで戦闘が起きて火花や煙が見えるが、海上は静かなものだった。

「なあオスカー。実感湧かねえな」

 砲弾の箱を担いだルドルフが言った。

「そうだな。昨日のアレは大変だったが、今日はなぁ。このままウチに帰りてえ」

 ルドルフは「まったくだ」と言って、機関砲の所に歩いて行った。

 そして、オスカーが次の仕事を探していると、ばしゃんと音を立てて水柱が上がった。

「わ、っぶネエ!」

 オスカーは反射的に装甲板の陰で身を低くした。

 続いて、少し離れた艇首の装甲板で砲弾が爆発し、爆風が頭の上を抜けていった。

 まけじと、機関砲がルドルフの届けた弾をドカドカと撃ち返す。

「あわわ……前言取り消し」

 どうあがいても、彼らは死と隣り合わせの、ただの兵士でしかない。

 そして、目の前の陸には、老若男女とわず沢山の死体が転がっているのだ。



「なぬぅ~、またやるのかよ。嫌だ! 二度とやるもんか!」

 小雨降る中滑走路の穴塞ぎが終わった午後二時頃、寝不足からどうにか立ち直ったジミーは、だだをこねていた。

「こらジミー、命令だ命令。っていうか、俺も嫌なんだよ」

 なんとかなだめようとするワトソン飛行隊長。じつは彼も作戦の一部だった。

「だいたい、そんな暇があったら、ドーバーへ救援に行く!」

「あっちは朝から大雨だ。それに、陸軍さんがちゃんと頑張ってるから、お前は心配するな」

 ロンドン郊外のこの基地は辛うじて曇りだが、百キロ先のドーバーは大雨だ。飛行機の出る幕は無い。

「わかった。でも、一人で行く」 

「だーめーだ。大西洋の何も無い所に、単座機一機で行ったって迷子になるだけだ。それに、これを動かせるのは、俺たちしか居ねえんだよ! さっさと乗れ」

「わ、分かった。分かりました、サー!」

 ジミーは渋々と、巡洋艦か何かにでも後ろ髪を引っ張られる思いをしながら、用意された機体に向かった。

 『空中空母』こと親子機として試作された大小二機の飛行機がそこにあった。親機はハリファックス爆撃機を二機横につないだ『ツインハリファックス』。子機は、その胴体の間の翼につり下げられるように改造された零戦だ。

 ジミーはひと月とちょっと前に、これを使ってジブラルタルを回り、はるか地中海艦隊の所までノンストップで飛ばされたばかりなのだ。そして、そのまま日本の飛行艇に放り込まれ、たった三日で地球を半周して、日本に『機密文書』をとどけたた。もちろん、二度とそんな真似はしたく無い。

「なあ、ジミー。今回はたった千五百だか二千キロなんだ。すぐ戻って来れるさ」

 ワトソンはそう言いながら、ツインハリファックスの右胴体にある操縦席に向かった。一方のジミーは、無言でぶら下がっている零戦によじのぼった。

「こっちはオーケーです。さっさと行ってくるとしましょう」

 ジミーが機内電話に話しかけると、ワトソンの声で『さっさと、な』と返事がかえってきた。

 機体の整備は万全で、すぐに親子機ともエンジンがかかった。

『それじゃあ、行くぞ!』

「アイアイサー!」

 滑走路の端に着いた親子機は、エンジンを全開にして走り始めた。

 穴を塞いだとはいえまだ少し凸凹した路面が、ドカドカと機体を震わせる。

「ぬわっ、いてっ。はやくっ、とべ! ……飛べた」

 ある瞬間から、突然震動がなくなった。離陸したのだ。

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