<甲十四“ポーツマス沖海戦_3rd”>

 敵襲が一段落して、少し機銃の銃身が冷えた頃、ジャンの頭上には再びミートボールをつけた編隊が舞い込んできた。

 今度はだいぶ数が少ない。

 しかし、巡洋艦『モンカルム』を含む五隻もやられ、さらに左列の戦隊が何処かに行ってしまったため、対空砲火の弾幕はかなり薄くなってしまっている。

「こら! こっちにも居るぞ!」

 ジャンは、いっこうに自分の方まで来ない敵に向かって叫んだ。

 足止めが目的なのか、前の方を走る艦にばかり集まり、ジャンは機銃を撃つに撃てない。それでも敵が来たらいつでも撃ち落としてやろうと、目を皿にして周囲を見渡した。

「煙幕……?」

 北の水平線に、垂れ込めた雲とは違う、何か黒っぽい固まりが見えた。それらは、風の向きと関係なく、彼の乗った『バスク』と逆の西の方へと動いてるように見える。

 慌てて手近な電話を取り、艦橋につなぐ。 

「北の方に煙幕が出てます。西から東へ移動中。敵艦の可能性あり!」

 興奮気味に声を張り上げるジャンに、落ち着いた声で『報告ご苦労。既に対処してる』と返事があり、すぐに電話は切れた。ひと呼吸おいて、「考えてもみれば俺は艦の一番低い所にいるじゃないか」と、ジャンは思った。そういえば、北東だった進路が、いつのまにか真東に近くなっている。

 そして、再び機銃に取り付いた瞬間、視界の隅の方になにやら巨大な白いモノを感じた。首を廻してそれを見てみる。

「なんだ、なんだぁ!」

 ジャンは全く違う調子で同じ言葉を繰り返した。

 左前方を走る巡洋艦の、その少し向こうに、マストを越えんばかりに高々と水柱が立ち上っていたのだ。

 その直後、バスクは今までに聞いたことも無いような轟音をエンジンから発しながら、一段と速度を上げた。それほど波は高く無いが、小さな『バスク』は揺れに揺れまくり、機銃につかまっていないと立っていられないほどだ。

 巡洋艦の戦隊も、今も行われているの爆撃で発生した火災が広がるのもかまわずに、煙を引きずりながら全開航行をしているようだ。

「きっと相手は、わっ、逆走してるから、どひゃ、さっさと振り切る、あぎゃ、つもりだな、おっと」

 ジャンは振り落とされないように機銃につかまって言った。

 相変わらず正体が見えて来ないが、煙幕をたなびかせた敵は、西に進んでいる仏艦隊の後ろに回り込むように接近してきている。その間も大口径の砲弾は次々と落下してきているが、今の所命中は無い。この煙幕では、やはり視界が悪すぎるのだろう。

 互いの艦隊は、実質的な被害が起きぬままにすれ違って行く。

 そして、艦隊の半分が煙幕とスレ違い終わった頃、ようやく向こう側を走る敵艦の姿が見えてきた。

 ジャンが「もう少しだ」と思った瞬間、マストの上で見張りが叫んだ。

「敵艦隊、同航してます!」

 水平線近く、煙の向こうに姿を現した大型艦が、自分らと同じ東に向かって進んでいた。

「旗艦、挟夾されました!」

 直後、巡洋艦が二隻、今までに無かった正確な砲撃を食らった。



 それを放った『金剛』と『比叡』は、煙幕の陰で、軽くて高速なはずの最上と三隈が追従に苦労するほどの急変進をかけていたのだ。

 南西から真東へと向きを変え、英駆逐艦隊の後方をかすめるように、煙幕の陰から躍り出たところだ。

「ちょっと煙いですよ」

 津田がハンカチを口に当てて言った。煙幕が少し艦橋にも入り込み、煙い。

 うっすらとかかったその煙の向こうには、爆撃を受けて火災を発生させている敵艦隊の姿が見えている。

「敵主力はラ・ガソニエール級軽巡ですね」

「神中佐、悪いけど……ゴホゴホ、北に向かったもの以外は、徹底的に叩こうと思う。そこそこの兵力のようだから、独本隊と合流されると厄介だ」

 目を赤くした高木が言った。

 言っている間に主砲の斉射があり、六発の三十六センチ砲弾が敵巡洋艦に向かった。それが着弾する前に、もう一度斉射。改装で内部が一新されたこの主砲は、装填が早く、発射間隔は三十秒を軽く切る。

 先に撃った分は近弾となったが、今しがた着弾した分は遠弾となった。そして、次は挟叉したが命中は無し。

「お互い飛ばしてるから、なかなかあたらないな。天気も今ひとつだし」

 艦長の桑原は、そう言って少し考えると、高木に進言した。

「指令、現状二万五千なので、二万以下まで近づいてもよろしいでしょうか」

「よろし。進路は艦長に任せる」

「了解」

 桑原は速度を落とさぬようにゆっくりと右に進路を変え、接近を図った。

 変進したおかげで主砲弾はまた外れてしまったが、このまま近づけば、命中は時間の問題だ。

 逃走を図りつつある敵艦隊は、相変わらず必死で走っているようだが、距離は全く開く様子がない。むしろ、追い越しつつある。

「このまま、頭を抑えられるかな。しかし、敵は軽巡の割に遅いな。まぁ、あれだけやられてちゃ、何処かおかしくても仕方ないか」

 高木は敵の様子を見ながら言った。

 彼の知る由もないことだが、敵巡洋艦の機関は何の異常もきたしていなかった。

 現在、艦隊速力は三十五ノットを越えている。

 高木の頭に浮かびもしなかったが、これは敵ラ・ガソニエール級巡洋艦の最大速度を軽く上回る、相手からしてみれば尋常でない物だったのだ。

 その変進後しばらくして距離が詰まると、後続の最上と三隈も射撃を開始した。敵艦隊周囲に、小さいながら一隻辺り主砲十五門もあり、しかも装填が速い軽巡の主砲から打ち出される砲弾で多数の水柱が立ち上る。

 ほぼ同時に、最上と同クラスの主砲をもつ敵巡洋艦も撃ち返してきたが、百戦錬磨の最上や三隈と、敵との技量の差は歴然としていた。発射速度、精度とも勝負になっていない。

「主砲弾、命中!」

 高木が巡洋艦の様子を見ていると、観測員が叫んだ。先頭をを走るラ・ガソニエール級に、ようやく『金剛』の主砲が命中した。

 


「『マルセイエイズ』が、ああ、旗艦が」

 ジャンは腰を抜かさぬように機銃につかまっていた。

 頼もしかった旗艦が、戦艦の主砲弾二発を食らって、どうやって沈んだのか分からぬほどあっという間に轟沈してしまった。海面にはもはやその名残である煙だけが立ち上っている。

 しかし、それは彼が見る地獄絵巻の、ほんのプロローグにすぎなかった。

 旗艦を失い、指揮系統が混乱した隙を日本の艦隊は見逃さなかった。

 一時の混乱ではあったのだろうが、指揮官を失いただ真っすぐ進むだけとなった『グロアール』と『ラ・ガソニエール』、そしてそれに続く駆逐艦の生き残り。それらは、付け入る隙も逃げ出す隙も見いだせぬまま、次々と海底への片道切符を叩き付けられていった。

 しかも信じがたいことに、大きな敵戦艦と大型巡洋艦が、全力で走る味方の軽巡に軽々と追いつき、追い越しているのだ。

 それからほんの十五分ほどの間に、『グロアール』が三十六センチ砲弾三発を食らって大浸水を起こし横転、『ラ・ガソニエール』は弾薬庫に直撃を食らったのか真っ二つになって轟沈、後続の駆逐艦等は、巡洋艦の砲弾を雨霰と食らいただの鉄くずになっていた。

 その間に、先ほどまで煙幕を張っていた英駆逐艦隊が後ろに回り込み、退路を塞ぐように接近してきていた。

 最後尾に居るジャンからは、その姿がはっきりと見えている。

 退くに退けなくなったところで、先頭を走る『ラモット・ピケ』の戦隊司令は、果敢にも一矢報いるべく、味方の残骸を盾に突撃を敢行した。

「あと一歩だ!」

 後ろから追いすがる英駆逐艦、そこから散発的に放たれる砲弾に首をすくめながら、ジャンは叫んだ。

 ここで怯むわけにもいかず、『ラモット・ピケ』とその後続は、絶妙な操艦で敵砲弾をかいくぐり、一万五千まで接近していた。

 だが、それが限界だった。

「なんだ、あれは」

 ジャンは、突然目の前に広がった光景が何を意味するのか暫く分からなかった。

 ラモット・ピケの回りに、まるで魚の大群が水面で飛び跳ねてるような、凄まじい数の水柱が上がっのだ。しかも、その高さは駆逐艦の艦橋を越えている。

 そして、その林立する水柱の間に、何本もの火柱が同時に立ち上る。それらに覆い隠され、瞬く間に『ラモット・ピケ』の姿は見えなくなってしまった。

「砲撃……なのか?」

 確かに、砲撃だった。

 合わせて毎分四百発を越える、金剛と比叡の後部十二・七センチ両用砲群からの集中砲火。それが、ジャンが呆然と眺めていたものだった。

 それは、「ただ浮かんでるだけ」となった『ラモット・ピケ』を残し、一分と続かずに止んだ。

 が、ひと呼吸の後、二番艦と三番艦それぞれの回りに再び襲ってきた。

 一分後、大砲を機銃のように使ったその攻撃は、駆逐艦「だったもの」を一つだけ残して再び止んだ。

 そして……

「やめろ、ややや、やめてくれ、もう十分だろ!」

 ジャンは恐怖のあまり小便を漏らしてその場にへたり込んだ。

 今度は、この『バスク』の番だ。

 船は逃げ出そうと急旋回して乗員達を振り回す。

「あははは、あは、あは」

 機銃につかまることもせずに、薄笑いを浮かべて甲板上を転がっていく。

 そして、海に転落した。

「あははは、おいてけぼりだー」

 『バスク』があっという間に遠ざかる。

 何百メートルか遠ざかった頃、『バスク』は水柱の林に埋没していった。

 後に、ジャンは残骸に捕まっている所を拾われたが、その恐怖による心の傷は一生彼の心を蝕むことになる。



 『金剛』の周囲の海上から敵が居なくなった。

 陸伝いに直進した敵は全滅し、北に回り込もうとしていたのは逃げ出してしまった。

「圧勝ですね」

 若い津田が無邪気に言った。

 だが高木が「圧勝?」と渋い顔をした。

「違うのですか」

「たしかに勝ったが、これじゃ虐殺だ。後味が悪い。本当に赤子の手を捻ってしまったみたいだ」

 その様子を見た神が「まあ、そう言わずに」と困ったように言った。

「あれを逃したら、どれだけの味方がやられたかと考えたら、司令がやったことは間違っていないはずです」

 神に正論を言われた高木は、精一杯背筋をのばして髭をなでながら「ま、後々フランス人には恨まれるだろうな」と言ってごまかした。

「ところで、こっちの被害はどうかな」

 聞かれた津田が、「えーと」とメモをめくりながら答えた。

「え~。各艦、内火艇の一部や水上機の射出機、高角砲等に被害が出てます。あと、『金剛』『比叡』とも両用砲の一部に損害が出ていますが、応急修理可能とのことです」

「たいしたものだ。さて、敵が片付いた所で、早い所英海軍の援護に向かうぞ。修理を急いでくれ!」

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